表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幸せの場所はどこに?  作者: 柳花 錦
1/11

私は花婿を教会まで引きずって行けるのか

「どうして? どうしてこうなっちゃうわけ?」

コンスタンス姫は豪華な婚礼衣装をたくし上げ、婚家の広大な庭園の中を盗賊に追われ、逃げ回っていた。盗賊達がすばしっこく逃げ回る彼女を目の色変えて追ってくる。

 当然である。彼女のドレスに縫いつけられた宝石の一つでももぎ取れば、一年は暮らせる。金銀財宝というにふさわしい首飾りを奪えば、一生暮らせる価値があるのだ。

 彼女のドレスは皇帝の姪の婚礼衣装に相応しい豪華なもので、母の形見である。亡き母からこれを着て結婚すれば絶対に幸せになれると言われて渡されたものだ。中国の絹に隙間もないほどたくさんの色とりどりの花の刺繍がしてあり、随所に宝石がちりばめられた、一流の職人達の三年がかりの根性の結晶である。世界各地から一流といわれるものを取り寄せ、絢爛豪華なものを作った費用たるや一個大隊の軍隊の三年分の給料よりも値が張ったと聞いている。

 手にはこれを手放さなければいかなる難をも逃れることができるとこれまた母から聞いている中国の皇帝由来の翡翠の香炉を持っていた。

 お母様、ご利益はこれからあるんですよね? 呪のドレスと言い間違えたとか? 

盗賊の剣が彼女の豊な黒髪をかすった。大粒真珠がたくさん縫いつけられた歩く標的となってしまったベールを投げ捨てるべきか? だが、ピンでしっかり固定されている上に、振り返る余裕もなかった。


 修道院の厳格な沈黙の掟を破り、こっそり親友になったマリアンヌから聞いた至福の結婚式とはまるで違う。教会で家族や友人達に祝福されて結婚式を挙げた後、お庭で乾杯して御馳走食べて陽気な音楽でダンス三昧。夜にはバラの花びらを敷き詰めたベットで、花婿がとても優しくしてくれる、と言っていた。


 美しい庭園として知られた婚家の庭は散々だった。パーティ用の御馳走の並んだ天幕は倒れ、こともあろうに彼女を護衛してきた神聖ローマ皇帝の軍、それに通りすがりの騎士達が三つ巴となり戦いながら、神聖ローマ皇帝の姪たる彼女に相応しい豪華な荷馬車に積まれた膨大な持参金の財宝類を略奪していた。


 花婿を連れて教会にたどり着く前にこのありさまだ。歴代の皇室儀礼を取り行ってきた大聖堂が、彼女の挙式を夫になる男の身分が気に入らないと断ってきて、別の教会にしたのがまずかったのか? そのため花嫁道中の道順が変更された。小さな教会では彼女の持参金のお宝が入りきれないので、先に夫の邸宅に荷物を運びいれることになったのだ。だがしかし、この婚礼は皇帝が決めたのである。なんで皇帝御用達大聖堂に断られるのよ? そして院長様、あなたの預言はどうしていつもあたるんですか? だから言ったでしょ、いつもの冷静な声が聞こえるようだった。


 この結婚について修道院長は最初から大反対していた。両親に先立たれてから修道女見習いをしていたコンスタンスは、装飾の一切ない修道院長室に呼び出された。

「沈黙の掟を破ってマリアンヌと話したのですね。あなたは優秀で私の後を継ぐに相応しい人間です。一時的な感情や冒険心で人生の一大事を決めるなど論外です。第一、マリアンヌの場合は家が裕福な商人同士の結婚で、親が決めた結婚にもかかわらず、本人達は幼馴染で愛し合っていたのですよ。似たような環境で育ったので価値観も一緒。年齢も一緒。あなたの場合は身分も育ちも年齢も違いすぎです。あなたの花婿は五才の時から父親の荷馬車に乗って葡萄酒の行商を手伝い、葡萄酒業界を牛耳るまでになった成金、地域の人達を幸福にするためではなく、単なる名誉のためにお金で地方議員の座を買った成金老人。これだけは言いたくなかったけど、あなたの将来がかかっているから率直に申しましょう。修道院の奥深くで育ったあなたを老人は一度も見かけたことはない。結婚の申し出は、マリアンヌ達のような愛情からではなく、人生最後の栄誉、勲章代わりに皇帝の姪であるあなたと結婚し、皇族に名を連ねたいからですよ。愛がない上、価値観違いすぎ、年齢違いすぎ、不幸にならないわけがない」

 理性では分かっていた。でも、同じ年のマリアンヌは確信を込めて言った。

「結婚の幸せを味わないで、一生修道院で過ごす方が不幸よ。嫌だったら、ここへ帰ればいいじゃないの」

その言葉は魔法のように彼女の若い血を巡り、取り返しのつかない決断をすることとなったのだ。


 噴水の所で盗賊に追いつかれそうになり、足がもつれ転んだ。剣を避けると、若枝のようにしなやかに立ち上がり、ドレスの裾をたくし上げ、再び走り出した。庭は綺麗に整備されすぎていて、隠れるところがほとんどなかった。


 修道院の院長の意志の強い顔が目に浮かんだ。院長は現皇帝の妹で、コンスタンスの叔母にあたる人物だ。彼女のまじめ一徹の夫は、皇帝に呼び出されて密談した直後、不審な死を遂げた。彼女は毒殺を疑ったが、皇帝付きの医師は心臓の発作だといった。半年ほど前、夫への忠誠心の強い部下が、いきなり皇帝の所に連行され、有罪判決を受けた。夫があわてて皇帝に何の罪なのか? 有罪の証拠を見せてくれというと、拷問にかけて自白させたから、目に見えるようなものは何もないと言われ、処刑されてしまった。それは拷問が辛くてやってもいないことを自白したに違いなかった。以来、用心せねばと言っていた矢先に夫を失ったのだった。彼女はすぐに修道女となり、修道院を運営し、多くの修道女達と祈りと善行の日々を送ることにしたのだった。


 叔母でもある院長はコンスタンスが両親と住んでいた城が焼け落ち、両親に先立たれた彼女を、七才の時から一六才の今日まで修道院に預かり、育て、教育してくれた恩人にして第二の母、彼女の精神の支えであった。『人は諦めた時に、人として終る』コンスタンスに不屈の根性を教えてくれた師でもある。

 子供がおらず、夫に先立たれた彼女にとって姪を一人前に育て上げ、できれば、いや必ず自分の後を継いで修道院長になってもらいたいと思っており、それが自分の使命で楽しみだとも思っていた。


「院長様、私を特別扱いせず、畑仕事から鍛えてくださりありがとうございます」

婚家は街を見下ろす眺望を優先するため丘の中腹に館があり、客を喜ばすための噴水の他、人工の滝などがあり、頂上に東屋がある。行列の馬車が道路沿いの丘の麓にとまった途端に盗賊達に襲われて、急斜面といっていい丘を駆け上がってきたのだ。我ながら健脚だと思えるのは、先日まで暮らしていた修道院での日々の規則正しい労働のおかげだ。盗賊をふりきり、植栽の陰に隠れ、息を整えた。振り返ると後ろを走っていたはずの、乳母がいなかった。用心深く、植栽からそっと顔を出し、あたりを窺ったが、片時も離れたことのない、口やかましい上、腕っ節の強い初老の女の姿が見当たらない。幼い日、あの屈強な上に機転の利く乳母がいてくれなかったら、どうなっていたことだろう。


「ハンナ?」

この結婚に院長と共に猛反対していた乳母のハンナはどこに行ったのだろう? それに一度も顔を見たことのない花婿は? はぐれてしまったの?

 彼女は用心深くあたりを見回した。略奪者達は前庭の彼女の持参金箱のあたりに集中している。糖蜜に群がる蟻のように小さく見える。しかも剣を振り回しての奪い合いだ。乳母と、花婿になるはずだった富豪の老人は邸宅の方に隠れているに違いない。持参金を盗りつくしたら次は邸宅の財宝を狙うはずだ。その前に三人そろって脱出しなければ。植栽から、次の植栽へ、身を隠しながら邸宅に向かって走った。もうじき邸宅というところで、彼女のドレスは薔薇の植え込みにひっかかり、ひどく転んだが、握った香炉の鎖は手離さなかった。


 この結婚は、姫の伯父である皇帝の決めたことである。ハーレムに入り浸っているくせに、子供が出来ず、後継ぎがいないというのに、同盟などの政策面のことを何もしない。 帝位についてからやったことといえば、まじめが取り柄の義理の弟を謎の死に追いやり、妹を修道院送りにし、経済と外交に明るい優秀な母親違いの弟を城ごと焼き殺したことである。城ごと燃やした後で謀反容疑だったが証拠と共に燃えたと言った。だが、慈善活動に熱心だった奥方まで焼き殺す必要がどこにある? パンやスープの施しを受けられなくなった貧民は皇帝を恨んだ。我々の生活はどうなる? それに身の回りにいるまじめな人や優秀な人を次々殺害して失ったら、官僚たちは単なる無能なご機嫌取り野郎ばかりとなり、国境のことでもめている隣の国が攻めてくる心配はないのか?


 神聖ローマ帝国などというとまるでかつての西ローマ帝国のように広大な支配領域があるように聞こえるが、その支配領域はまるで違う。西ローマ帝国がかつて西ヨーロッパと地中海の半分を支配していたのに対し、神聖ローマ帝国は現在のドイツとその周辺までの範囲で、しかも強力な王朝が支配するというよりは、有力諸侯がそれぞれの領土を持ち、実力は拮抗していた。それゆえ神聖ローマ帝国の帝位は選挙で決められることとなり、名門でも家系が断絶することもあり、帝位を継ぐ王朝は目まぐるしく交替し、不安定だった。


 現皇帝の家は祖父の代の拡張路線、つまり戦争のやりすぎで国庫を使い果たしていた。その反省で父親の代では、畑の土地が痩せないように三圃制にしたり、鉄製農耕具を牛にひかせるようにするなど、農業技術の普及に力を入れ、農業生産量を上げた。だが、人口も増えたので、結局は土地が足りず、土地を相続出来ない次男以下、暮らしの立ち行かなくなったものが職を求めて都になだれこみ、都市部に貧民が増え、治安部隊の出動も増えた。聖地エルサレムを巡り死闘を繰り広げたトルコ軍の侵略も散発的に起きており、油断している場合ではなかった。


 現皇帝の重鎮達は、子供の出来ぬ皇帝の唯一の身内であるコンスタンス姫を、修道院に入れっぱなしはもったいない。この王朝の安定用に姫を後継ぎとし、有力諸侯の子息を婿として迎え、血筋の存続を図ったらどうかなどと薦めたが、男子誕生ともなれば、皇位継承権が発生し、その生まれた赤子が政治をとれる年になるまで、自分と直接血のつながらない婿が次期王朝を継ぐという考えに我慢できなかったのだ。


では、姫を領土が接している隣の有力諸侯に嫁がせて、同盟強化を図るのはどうですかというと、皇帝はそれも拒否した。現状では諸侯の実力は拮抗しており、どれか一つが傑出しているというわけではない。とすれば、7つの選帝侯のうちの一つに姫を与えたら、与えられなかった残りの6つが、結託して刃向うということもありうるではないか。

そして重鎮達が、姫の使い方として歴史に残る下手中の下手と言う、この度の婚儀が締結されたのだ。保身の天才と陰で噂される彼は、万一男子が生まれても皇位継承権と全く関係のない、平民の商人で、極上の葡萄酒を扱い、莫大な富を持つ皇帝御用達商人に、毎年献上する献金と極上の葡萄酒を2倍にするという経済的に有利な取引をして、姫を与えたのだった。


「そのように身分の低い者に姫を与えるとは!」

乳母は激怒し、皇帝を呪ったが、名誉について口やかましく教えてきたはずの姫はなぜか嬉しそうだった。結婚式というものにあこがれているのか? それどころか「優しい人かもしれないじゃない?」などと、世間知らずの若い娘らしく期待しているではないか!


 修道院は鏡を置かない。美を競う場でないからなのは無論だが、虚栄心を捨てるためである。だが、姫は薔薇とも真珠とも謳われたその母親とそっくりのはっとするほど美しい姫に育っていた。姫を未来ある若く精悍な有力貴族に嫁がせたかった。五才から荷馬車に葡萄酒樽を積み込み、父の行商について商売を学び、葡萄酒業界で財を成し、身分を金で買ったとはいえ地方議員までつとめた男を世間は立志伝中の人と評価するだろう。

だが、金を摘めば姫に結婚を申し込めると考えるなど、皇族の位を露骨に金で買う行為には我慢できない。市場の牛馬の取引のように姫を扱われるなど言語道断、そんな男に赤子の時から大切に育てた姫を嫁がせるなど、論外だった。修道院長も全く同意見で、二人は協力して姫に結婚を思いとどまらせるよう説得した。


 修道院長は乳母に姫を説得させるために、二人だけの時間がもてるよう、遠くの支部の遣いに出した。聡明な姫なので、言い合いになることなど、それまではなかった。

「姫様はいつも偏った意見はならぬ。両方の意見を聞くべきだとおっしゃっていましたよね」

「ええ」

その辺は修道院長からしっかりしこまれている。修道院内の問題ならいつもそうしていた。

「年配修道女達の意見を聞きましたか?」

「マリアンヌとしか話していないわ。だって沈黙のおきてがあるし」

「年配者の二、三人でいいから話して御覧なさい。結婚の真実が聞けますよ。結婚が楽しいのは最初の一年だけ。マリアンヌはここで御亭主に死なれたから幸せな思い出しかないのですよ。あと三年結婚してたら、親戚同士で家の財産や子供の出来不出来の比べ合いに疲れ、身内の血で血を洗う財産相続争いに巻き込まれ、安逸な生活とはおさらば。恋愛結婚だったはずの夫にも飽きられ、浮気され、夜の生活もさみしくなる。かといって夫の浮気相手の家にどなりこんだり乗り込んで全面戦争をするには正妻としてのプライドが許さず、鬱鬱とした毎日を送りながら夫が浮気相手の術中にはまっていくのを歯ぎしりしながら耐える毎日しかないのですよ」

「そんな嫌なことが起こるのに、なぜ世の女達は結婚するのよ?」

「姫様と同じ、若気の至りですよ。若い女が抱く結婚妄想。それは必ず裏切られるものなのです」

「でも、お母様は少なくとも八年は結婚なさっていたわよね。子供時代の私の記憶では不幸にはみえませんでしたけど?」

「それはお父様が誰から見ても立派でまともな男だったからですよ。貴族の政略結婚は世の常ですが、ユージニー様は当時八才でしたがちゃんと相手の良さを認めての恋愛結婚でした。実際の結婚は大人になられてからですが、お父様も結婚が待ち遠しいと言って下さるほど愛情深い方でした。それであなた様がお生まれになったんです。老人と結婚したって、静謐な祈りと読書の日々が待っているだけですよ。子供を持つこともない。姫様の場合は、修道院の中にいるか外にいるかの差だけじゃないですか。それどころか、身分の低い男と結婚したって、一生言われ続けることになるんですよ!」


 散々な言い方をしたが、姫はそれでもいいと頑として主張を曲げなかった。

「結婚は皇帝が決めることだから、私にとってはこれが最初で最後の機会かもしれないじゃないの。外の世界も見てみたいのよ」

「結婚と冒険は別ですよ! 神よ、この若気の至りを何とかしてください!」


 乳母は姫の母親ユージニーの乳母も務めたのだが、ユージニーは熱心なキリスト教徒であり、教えの範疇を超えることはせず、善行に励んだ。勿論、無謀な真似などしなかった。国の宝と言われていた姫の母親から娘の幸せな結婚まで見届けるように頼まれていたというのになんということか!


贅を尽くした婚家の館である。ワイン業で財なした老人が買った館で、もともと貴族の別荘だったというだけあって、庭園も館も美しかった。

だが、乳母のハンナには邸宅の美しさを鑑賞する心のゆとりがなかった。館内のあちこちの部屋を回り、姫を探しまわっていた。

ああ、それにしても、姫はどこにおられるのか? 賢い姫ゆえ、どこか安全と思われる所に隠れているのに違いない。別の部屋を探してみよう。ひょっとして非常事態に備えた金庫を兼ねた隠し部屋があるのではないか? この家の主は間違いなくそこに潜んでいるだろう。ふん、姫様をお助けしないで、自分だけ安全な場所で息をひそめているとは! なんと狡猾な老人か! 怒りで扉をばたんと閉めると長い回廊に響いた反響が不自然だった。


庭園の麓の方、道路近くでは姫の持参金を積んだ馬車を巡り、隠れ潜んでいた盗賊団と、皇帝の軍の組織と通りすがりの騎士団が三つ巴になって戦っていた。制服姿の護衛兵たちは、彼女の行列を守ってきた者たちで、その隊長はいかにもこのあたりのゲルマン民族らしい、金髪碧眼のがっしりした荘年の男で、宝を見て理性を失い、守るはずだった姫の持参金に襲い掛かっている護衛兵たちに略奪を禁じていた。。

「略奪は止めねーか! 神聖ローマ皇帝の持参金を盗ったら部下だって容赦できねーぞ!」


もう一つの部隊は装備がバラバラで貧乏くさく、埃っぽい。

「略奪はやめろ! 英国王の軍にあるまじきことはやめろ!」

命令を飛ばす隊長らしき男は黒髪細身の長身で、ひげで眼光鋭い切れ長の目しか見えぬが、意志の強い男だとわかる。旅のマントをはおっており、通常より細身で長い剣の柄頭に紋章がはいっていた。肩にヤシの葉型のバッチをつけている。彼の指揮する部隊は、バッチの他は装備がばらばらだった。


どちらの隊長も略奪を阻止しようとしていたが、金銀財宝を前にした兵士達は、半月剣を振り回す盗賊達を倒しながらも、盗賊と同じ様に略奪していた。


二人の隊長は、盗賊を倒しながら、互いの腕を認めた。

「どこの所属か?」

盗賊に囲まれ、背中あわせになった時、制服軍の隊長、ゲオルクが、短く聞いた。強いラインあたりのなまりがあった。

「英国だ。民間人のエルサレムへの巡礼団の護衛で、帰国する途中だ。女性の悲鳴と剣でやりあう音がしてたんで、思わず助けに飛び込んだ。オレは右三人、貴殿は左三人頼む。」

「了解、半月刀の連中だけを倒せ、他は友軍だ!」

「なんだよ、友軍だったのか、貧乏そうだし、てっきり略奪者かと思ったぜ。」

「そっちこそ先に略奪してたじゃないか、自国の姫君の持参金盗っていいのかよ。」


戦い済んで日が暮れて、兵士たちは互いの任務と立場を確認した。あたりには盗賊どもの屍がそこここに放置したままになっている。

修羅場を何度も経験済みのゲオルク隊長は手慣れていた。

「ここに婚礼披露宴用の極上の葡萄酒樽が多数ある。略奪品をここに戻せば法で裁かれる心配もない。戻したものから好きなだけ飲んでよし。」

盗賊が飲んで暴れたことにすればいい。そして俺達護衛兵は盗賊どもを皆殺しにして持参金を守った。よし、この筋書きでいけるな。持参金目録を持って、持参金を積んできた荷馬車の前で待機した。

兵達は次々とゲオルクの前に並び、鎧の装備を脱ぎ棄てお宝をこれ以上持っていないことを証明し、酒樽に突撃した。

十字軍隊長リチャードの命令で、十字軍の兵士もそれに倣った。リチャードが感心したのは、ゲオルクのあくまでも法律で型をつけるというポリシーだった。腕力だけの男ではない。


最後にリチャードもマントから脱ごうとすると、おまえはいいとゲオルクが笑った。

「持参金目録は元通りだ。さあ、俺たちも飲もう」

同じ苦労を分かち合う戦友のような感じがし、なんとなくうちとけた。

「ゲオルク殿、今、花嫁とその持参金の護衛で来たと言ったよな? 花嫁や花婿はここにいなくてよいのか?」

「あ!」

ゲオルクの顔色がリチャードの目の前で変わった。

「捜せ! みんな、花嫁と花婿を捜すんだ、リチャード、緊急事態だ。悪いがそっちの兵士も貸してくれ! ここの敷地はこの丘全部で広大なんだ。奥の方には滝もあるって話だ!」

夕闇迫る中、この館の主人である花婿、そして持参金とともに到着したはずの花嫁の影も形もない。考えたくはないが、ひょっとするとこの盗賊たちの死体の中に混じって・・・。


「どーすんだよ、いねーよ!」

兵士たちは恐る恐る盗賊たちの死体をひっくり返しながら二人を探し始めた。

「皇帝の姪を切ったらどうなる?」

「婿殿は皇帝のお気に入りのご用達商人だってよ。間違って切ったらどうなる?」

「誰が切ったのか?」

「いや、盗賊だ、盗賊がやったことにしよう!」

ゲオルクは盗賊が持っていた特徴ある半月刀を拾い上げた。貧乏所帯の英国軍も半月刀は使ってない。最悪の場合は、遺体を半月刀で切りなおして、盗賊に罪を着せることにしよう。


フレスコ画の天使が多数舞う美しいアーチ天井を持つ優美な回廊に言い争う老人と中年女の声が響いた。ここは地獄か?

「あっちへ行け、この厄病神! ここはわしの隠れ場所だ。3人いたら見つかってしまうではないか」

「無礼者! 姫に向かって、厄病神とは何ですか! 自分だけ助かろうって、この性悪!」

乳母は怒り、回廊の壁そっくりの扉をバンバン叩き、ヒステリックにわめき散らした。  

結婚相手の老人は、宝物室の扉を内側から閂をかけて立てこもり、姫と乳母を閉めだしていた。

「言っておくが、結婚は持参金あってのことだ。持参金をここまで持ってこい、さもなきゃ破談だ」

「破談? 結構! 願い通りよ! 早くここを開けて姫様を匿いなさい!」 

「二人とも黙りなさい。敵に居場所を教えてどうするの? 宝物庫の前でしょ」

コンスタンスは冷静に壁を調べ、外側から隠し扉を開ける方法を探っていた。

「あっちから声がするぞ」

兵士達の靴音が反響しながら近づいてきた。辺りを見回したが武器となるような物が何もない。考えたくもないが、あのような略奪のために死闘を繰り広げる連中だ。このままこの秘密部屋に入れなければ絶望の叫びをあげながら凌辱され、身につけている宝石などを奪われ、殺されるだろう。靴音が大きくなってきた。コンスタンスも必死で扉を叩き始めた。

「私を助ければ皇帝から山ほど礼金がでるわ。開けなさい、開けて、開けて!」

兵士達の姿が見えた。わずかに期待した行列の護衛兵達の制服姿ではなかった。剣を持った貧しい服の連中だ。彼女の眼に涙が浮かんだ。こういう時は、

「主よ、御助け下さい」

だめだ、心もとない。もっと強力な、いつもそばにいて導いてくれた方の名前でなければ。

剣士たちが近づいてきた。

最期に大好きな人の名を唱えよう。諦めてはいけない、という懐かしい声を聞いた気がした。

「院長様! 院長様! どうかお助け下さい!」

諦めずに扉を力いっぱい叩き続け、爪が割れ、出血した。涙が飛び散り、腕に血が流れた。


「自分が助かるために女をいれてねえ、すんげえ、どけち!」

「そのどけち力で、スコットランドよりバカでかいこの館を建てたんだろ」

「しかもスコットランドより豊かだし」

兵士達の声で姫が驚き、振り返ると、リチャードとその部下達がいた。

「こっちで声がしたぞ」

ゲオルク達も駆け付けた。

リチャードは驚愕で息を飲んだ。これが神聖ローマ皇帝の姪・・・若く、華奢で、あまりにも美しかった。総刺繍の豪華な婚礼衣装に、腰まで届く豪華に波打つ黒髪には花嫁らしく大粒の真珠を細かい銀細工でつなげたベールを被っていた。


リチャードの抜かりのない切れ長の瞳は背後で光るものを見逃さなかった。刀を構えた盗賊の腕を掴み、引き寄せてから蹴りあげた。顎が砕ける音がし、盗賊の最後の一人が倒れた。リチャードの部下が嬉しそうに、

「隊長、盗賊の財布はとっていいんでしたよね」

嬉しそうに財布を盗ると、当然の様に服を脱がせ始めた。身ぐるみをはぐである。それを見て姫が失神した。まあ、そうだろうな。わが貧乏部隊が貴婦人をこれ以上おびえさせぬうちに退散だ。何と言ってもここは法治国家だ。助けに来たというのに、誤解で貴婦人を侮辱した罪などかぶせられたら大変だ。姫の痛々しく出血している指先を治療してやりたいがそれどころではない。

「うわっ! これ以上はキリスト教徒の恥だ! 下着を盗るのは止めろ! それじゃ、ゲオルク殿、花嫁、花婿の無事は確認した。ここから先は貴殿の仕事だ。引き上げるぞ。ゲオルク殿、これは貸だから」

「えー、隊長、まだ、こいつの靴を盗ってません!」

さっさと歩き出すリチャードに部下達が慌てて従った。

「えー、隊長、洗礼者ヨハネも下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやりなさいって言ってるでしょ」

「それはこういう意味ではない!」

巡礼団の護衛で北へ帰るこの部隊とはもう会うことはあるまい。だから貸と言っても、返さなくていいの意味なのだ。美人の前で恥かかせやがって、くらいの恨み節だ。うまい酒でも酌み交わしたかった。ゲオルクはニヤッと笑い、懐に手を入れ、金属製の水筒を取り出し、リチャードに投げた。

「リチャード、持って行け」

リチャードもにやりと笑って受け取った。中身が先ほどの婚礼の美酒であることは明らかだった。


「姫様、我々の護衛はお二人を教会へお連れしてここへ戻る所までですが、まだあのじじいと教会行って、結婚をお望みで?」

俺なら金貨1枚くれてもいやだけど、とゲオルクは思った。姫は床に座り込み、ぼおっと遠くを見つめていたが、ちゃんと聞いていたらしく、首を横に振った。

まあ、そうだろうな。それにしてもさっきから何かおかしい気がする。そのもやもやがなんだか具体的にはわからないが、この混乱時のカンを大事にしてきたから、今がある。盗賊達を殲滅させたし、破談になったから教会へ行かず、ここで任務完了し、帰路についてもいいのだが、ここに二人をいや、宝物室の花婿を入れて三人の民間人とお宝を置いてゆくのはあまりにも危険だと本能が告げている。


「あの、もしも護衛の追加料金をいただけるようでしたら、元の修道院まで、持参金ごと護衛して戻りましょうか」

「持参金! それよ、皇帝の狙いは!」

急に姫の瞳に焦点が戻った。

「ま、まさか、いくらあのばかでも、いや失礼」

姫君は伯父をばかと言われても否定せずに続けた。

「いいえ、この婚礼が決まった時、私の持参金は無しのはずだったのです。商売の特権を与えたからそれで十分だと。でも、院長様が出したんです。私の母が存命中に修道院を訪れるたびに少しづつ持ち込み、修道院長が秘蔵されていた物で、私の婚礼の折に持たせるためのものだったとおっしゃって。私が結婚しなかった場合は寄付ということになるはずでした。皇帝はその持参金目録を見て欲しくなったのよ」

「それがあのすんげえお宝で?」

「ええ。院長様の話では、私の両親の城を焼き払った後など、焼け落ちた城跡はもちろん、修道院内に両親の隠し財産があるのではと、疑い深い皇帝の査察を何度も受けたけど、免れてきたって。私の結婚相手が商人なので、持参金なしでは私が商人社会でバカにされるといけないと、出してきたのです。隠し財産なんて初耳でした。院長様は私に黙ったまま、財宝を修道院の発展のために役立ててもよかったのに」


ゲオルクは姫が隠し扉を必死で叩き、叫び続けた名を思い出した。院長様、院長様、だった。ゲオルクにも戦乱で失った子供がいた。子を思う親の気持ちが裏目に出たんだな。

「お送りしますよ。修道院まで」

「ちょっと待て。わしも送ってくれぬか? わしの財宝も一緒に。護衛の手間賃ははずむ。国外の検問所まで送ってもらいたい」

 いきなり宝物庫の扉が開くと、痩せた枯れ木のような老人が出てきた。目つき鋭く、手には分厚い帳簿を持っていた。

「結婚式に聖書じゃなくて帳簿かよ」

ゲオルクは嫌そうに言った。女を見殺しにしようとしたその腐った根性が気に入らん。老人はその顔を見てにやりと笑った。

「お前の考えはわかる。それにずるがしこい奴の考えもな。わしは皇帝と取引したんじゃよ。皇帝への献上金を2倍にするってね。でも手っ取り早く、わしが生涯かけて稼いだ金を回収しようとしたんじゃよ。商人仲間の情報じゃ、帝位の安定のために皇帝は教皇との同盟を強めようと、多額の献金をするらしいって話だったからな。自分以外の金庫から金を出そうとしたんだろうよ。姫さんよ、わしもあんたの持参金目録を熟読したがね、この金で、外国の傭兵の大部隊を雇えるんだよ」

「じゃあ、それが目的で?」

「そういや、盗賊達は俺達の持参金の行列を見かけてついてきたんじゃなくて、庭園で待ち伏せしていやがったな」

ゲオルクは床で伸びてる盗賊を見下ろした。下着姿でリチャードの部下が盗り残した靴だけ履いている。違和感の正体がわかった。

「靴だ、靴が違うんだ! 半月剣を振り回す連中はサンダル履きのはずなんだ。俺達と同じ靴を履いてるわけがねえ。それに半月剣もだ。盗賊連中が同じ鋳型で作った剣を使ってるわけがねえ! リチャードの所みたいに貧しいところは敵から奪ったものやなんかを使ってるから、装備はてんでばらばらなはずなんだ」

「大変です。半月剣に市内の大手の荒物屋の鋳型マークがついています」

「やっぱりな、誰かが金を出して傭兵をイスラム教徒の盗賊にしたてあげて襲わせたんだ。本物の盗賊だったら略奪の途中でも形勢がやばくなったら、手にした物だけ持って、すぐに逃げてるはずだ。殲滅するまでやりあうなんてありえない。命令したやつは、本気だ。持参金もじじいの金もここにあるってことは? 大変だ! 追手がくる! じじい、助かりたければ一緒に逃げるぞ。誰か、リチャードを呼び戻せ。本気で来られたら迎撃するには兵が足りん」


ゲオルクはリチャードと話し合い、姫と乳母と姫の持参金、老いた商人とそのお宝の両方をリチャードの巡礼団に紛れ込ませることにした。彼らは予定通り国境へ向かう。

ゲオルク達の部隊は婚礼の行列を装い皇帝に命じられた追撃の連中をおびきよせるためのダミー行列で、修道院に引き返す道筋を通った。

追撃部隊はゲオルク達が迎え撃つ。大量の民間人をつれて移動しているリチャード達から目をそらすため、自分達護衛兵は、おとりとして、持参金の空箱を馬車に目立つように積んで移動することにした。月の光で神聖ローマ帝国の紋章が浮かび上がっており、どうぞ襲って下さいの目印にした。腕に自信がなければできぬことである。

それにしても姫の母親が出した持参金であって、皇帝が出したわけでもないのに皇帝の紋章を持参金箱にかけるとは厚かましい。罠に使うのにちょうどいいけどさ。


ゲオルクは老人から受け取った前金を部隊に分けた。宝物庫の扉を開けて出てきて、あちこちに転がっている盗賊団の屍を見て、いい腕だと、はずんでくれたのだ。ドケチだと思っていたが、一流だと思うものには金を惜しまぬたちだった。皇帝軍の最底辺で仕事をしているよりはるかに割が良かった。もうじきやってくる皇帝の暗殺団を切ったら、この金でうまい酒でも飲もうか。みな国境までの護衛を引き受けた。

隠密の暗殺部隊を使ってくるだろうとはいえ、かりにも皇帝の命令で動く部隊を切るのだ。この修羅場を抜けたら、制服を切り捨てた隠密達に着せて、自分達は隠密達に殺されたことにし、宝は隠密達が奪って逃げたことにし、後はてんでんばらばらに逃げ、好きに生きる。国境の検問までの護衛も引き受けたい者は目立たぬようにバラバラにリチャードの隊に合流するように決めた。

ゲオルクはもとは中規模の都市の領主だった。だが、戦争で地位も妻子も失って、その日暮し同然の自分にはもう守るべきものはない。彼の部下も同様で、その日うまい酒が飲めればいいという連中だ。人が我が子のためとか、額に汗して頑張ってためた金を奪って、自分だけ安逸に暮らそうって、その根性が気に入らねえ。そういう連中を叩き切って、何が悪い?


ゲオルクは馬上で月を見上げた。そう、この度の結婚は警備の点でもとてつもなく怪しかった。仮にも王族の結婚なのだ。大聖堂での挙式から護衛は近衛兵で固めるのが普通だ。それを小さな教会にして警備も俺達、市中回りの警備の者にやらせたのは、口封じのため盗賊に皆殺しにさせる予定だったからだろう。貴族の御曹司も入ってる近衛兵を使うわけにいかなかったんだ。予定外にリチャード達の部隊が助けに飛び込んできたから驚いたことだろう。リチャードは本来の巡礼団の護衛もあって、4分の一ほどしか回さなかったといっていたが、下着まで盗ってく貧乏所帯のわりに、猛者が多くて強かった。それもあって、皇帝の暗殺団は殲滅したのだ。戦いの時、リチャードの奴、国王の軍にあるまじきことをするな、なんてケツの青いことほざいてた。略奪を禁ずるってところも気に入ったぜ。


十字軍は何度か来ているが、それはもう軍隊による略奪目当ての旅と言ってよかった。当初の目的はキリスト教徒によるイスラムの支配する聖地エルサレムの奪回だったが、食料がたりなくなると、同じキリスト教国の城や街を襲って略奪したりもするから、十字軍を強盗団とみなして、街に入れないようにする城郭都市もあった。

リチャード達は一目でそれとわかる白地に赤い十字架の十字軍の旗は持っておらず、肩につけているヤシの葉型のバッチだけだった。パーマーとよばれるエルサレムへの巡礼者が身に付けるものだ。百人からの民間人の巡礼者ツアーの護衛のご一行様だったとは、俺達もついていた。それで十字軍と間違われぬよう略奪を禁じていたんだ。

だが、民間人のツアーの護衛は、いくら人数が多いとはいえ、普通は金を払ってフリーの騎士たちを雇い、国王軍は使わないはずだ。だれか重要人物でも混じっているのか? 国王軍というわりに、装備がばらばらだったっけ。そうか、王族が人質にされるのを恐れて、民間人の巡礼団に混ぜて、護衛も民間人の護衛に見せかけているのか。


コンスタンス姫はリチャードの馬に乗せられた。手には包帯が巻かれ、村の少年の服を着せられていた。乳母は姫の着ていた婚礼衣装と真珠のベール、決して手放さなかった香炉を馬に括りつけられたリチャードの粗末な麻袋の荷物に混ぜた。

「追手が来たら、私達のことは構わず、姫様だけでも安全な所に逃がしてください」

「そんな! 嫌です」

姫が泣きだした。

「私だってそう簡単に死にはしませんよ。はぐれても必ずどこかで合流しますから。さっきだってそうでしたよね? さあ、行ってください」

死を覚悟した真剣なまなざしをリチャードに向けてから、後続の馬車に乗った。

リチャードはその意味を受け取り、黙って頷き、自分のマントで、姫を包んだ。夜とはいえ、用心に越したことはない。姫が声を立てずに泣いているのがわかるが、このように結婚の夢に破れた若い女性に何と言っていいかがわかるほどの人生の達人ではなかった。


「私のせいなのです。私の分別のない決断のために、このようなことに・・・」

リチャードは何と言ってよいやらわからず、黙っていた。

「自由になりたかった。修道院は規則正しく、秩序と祈りに満ちていて、私は満足しておりました。でも、婚礼の話が来た時に、私は、外の世界も見てみたくなってしまったのです。分別ある人たちから止められていたのに私の勝手で、何と言うことを・・・」

それに、漠然とした結婚へのあこがれもあった。その言葉からなにか甘やかなものが、感じられたのだ。結婚相手は老人で、今まで背負ってきた人生、生活背景、価値観、全てが違うと乳母や修道院長から散々云いきかされたが、彼女はどこか現実感を伴わず、甘美な夢を抱いていた。一六才の姫君の夢は、一日で崩れたのだった。

何を言ってもそらぞらしい気がして、リチャードは黙って馬を進めた。


自分の政権を安定させようと思えば、普通は自分のまわりを優秀な人材で固めるはずだった。だが、自分の帝政を盤石なものにしたいとあせる不人気な皇帝は、優秀な人材は政権をとってかわるかもしれない危険因子と考え、粛清したのだった。

皇帝の妹である院長の夫が不審な死を遂げた時から始まっていた。堅実で人望があり、皇帝の身に何かあれば次の帝位を継ぐと決まっていた。

次の標的になったのが、コンスタンスの父だった。ローマ皇帝の異母弟で、外交や経済政策に優れた有能な政治家で人望があり、その妻も慈善活動に熱心な美貌の貴婦人としてとても人気があったのだ。


両親の城が燃えた時、コンスタンスは乳母と親戚の家に遊びに行っており、たまたま難を逃れた。彼女は白々しくもこの伯父に養女として引き取ると言われたが、乳母は皇帝が気分が不安定で、パニックをおこすと何をしでかすかわからない所もあると見切っていたので、両親の喪に服するためと言い、自分と共に修道院暮らしを申し出たのだった。修道院長がコンスタンスの母親と交流があり、頼りになる存在と分かっていたので、匿ってもらっていたのだ。

 コンスタンスはこの結婚を機に、命の危険などない安逸な暮らしが待っていると思っていた。私の読みはなんと甘いのか。


姫が泣きやまず、気まずい。明かに悔恨の情にかられているのはわかるが、結婚が破談になった花嫁に何と言ってなぐさめたらよいのか? 気の利いた言葉が思いつかない。

月明かりが麻袋を照らした。うまい偽装である。あの豪華な花嫁衣装がこの使い古された麻袋に入っているとは誰も思うまい。

花婿が何をしてるかふと気になり、持参金を積んだ幌つき馬車を振り返った。呆れたことに、貴重な蠟燭を使って、一心不乱に帳簿と自分の宝を照合していた。

乳母も負けじと蠟燭を使い、持参金と目録を照合している。目立たぬよう馬車は一台にしてあった。二人の財宝類の重量と宝物護衛のための屈強な兵士を潜ませているので車輪がぎしぎし悲鳴を上げている。速度を上げたら車輪が外れてしまうだろう。この二人を同じ馬車に乗せるのは危険も伴ったが、しかたがない。馬車に近ずくと

「助かりたければ、火を消し、黙っているように」

火は二つともすぐに消えて真っ暗になった。二人とも事の重大さが分かってはいるようだ。おそらく死の恐怖から気を紛らわすために何かに没頭したいのだろう。


ゲオルクからもらった水筒が、ちゃぷんと揺れた。

「姫、乾杯しませんか?」

「え?」

「あの老人と結婚しなくてよかったパーティです。私は男女のことはよくわかりません。五才で両親に先立たれてずっと修道院で暮らしてましたから」

姫は自分との意外な共通項を発見しておや、という顔で、リチャードを見上げた。

「私の育った村は貧しく、他部族とのいさかいも絶えませんでした。男は戦の合間に畑を耕すって有様でした」

姫の涙は奇跡のように止まった。

「男達は戦いが済むと、大急ぎで我が家へかけつけ、妻や子供の名を叫び、その安否を確かめるんです。あたりまえの家族愛ですが、あの老人にはそれがない。花嫁の身の安否よりも金の安否を優先する男は、商人として成功していても、家族を、姫を大切にしてくれるとはとても思えません」

姫君はこくりとうなずいた。自分と自分の財宝を守るために絶対に隠し部屋の閂をあけてくれなかった。非常事態に人の本性が見えるものなのだ。

リチャードは水筒を懐から出し、姫に見せた。

「これで乾杯しましょう。あなたが将来本当に結婚する男は、人生を託するに値する男で、何かあったら、真先にあなたの名を呼び、あなたを守る男です。この中身は、そこの帳簿付け老人の話によると、皇帝献上用の極上葡萄酒だそうですから、乾杯に値しますよ」

水筒は粗悪な金属製で軍の支給品のようだ。彼女はぶるっと身震いした。修道院の食器は質素だったが、今にして思えば清らかだった。衛生面においてその安全性を疑うことは一度もなかった。ひどくのどが渇いていたが、飲む気は失せた。姫が受け取らず、もじもじしていると、

「あ、杯がいりますよね」

彼は馬に括りつけた自分の木のカップを一瞬思い浮かべたが、やめて、乳母の馬車へ行った。

「すまないが」

そこまでいっただけで、乳母の手で宝石の付いた黄金の聖杯のようなものを渡された。

小声で話していたはずだが、聞き耳を立てていたのだ。それにしても聖杯をこの目で初めて見た。伝説ではなかったのか。

「聖杯をお持ちとは! 大聖堂での儀式用ですか?」

「いいえ、聖杯ではありません。王侯達がお客様としていらしたとき用の杯です。持参金の中にあったもので、黄金の杯に永遠の命を表すエメラルドがはまったものですが、今後は姫様用の普段使いということで」

「了解した」

リチャードは馬車から離れると、元の位置に戻り、黄金の杯を姫に渡し、水筒の葡萄酒をついだ。

「それじゃ、不幸な結婚をしなくてよかったことと、新しい出発を祝して、乾杯」

黄金の杯に水筒をかちんと合わせた。姫はきょとんとしていたが、リチャードが飲むのを見て、自分も一口飲んだ。彼女の頬に赤みが戻った。

「どうです? おいしいですか」

「ええ」

「よかった。酒を一人で飲む者もいますが、心を分かち合える人と飲んだほうが、ずっと、うまいんです」

彼女はもう一口飲み、リチャードを見上げた。細身の長身で、筋肉質だった。黒髪に黒ひげで目しか見えぬが端正な顔立ちだとわかる。まっすぐ前を見ている瞳に自信があるのがわかる。暗殺部隊が来るかもしれないと言うのに、恐れていないんだわ。

彼からほんのりと薬草の香がした。隊長である彼自ら、彼の馬に括りつけてあったマヨルカ焼きの薬湯壺に湯ざましを入れて、彼女の傷口を洗い、傷口の化膿を防ぐ薬草の軟膏を塗り、手際よく包帯を巻いてくれたのだ。

衛生兵あがりだから私が一番腕がいいのだと言っていた。事実、彼の携帯用薬箪笥は整然とハーブの袋が並んでいたのだ。修道院でもよくみる麻袋だったが、ひとつだけ紋章入りの絹の袋があった。香でミトラだとわかった。東方三博士の貢物のひとつ、もつ薬と言われるハーブで、オリエントとの貿易でしか手に入らぬ高級品だが、その使い道は、ミイラの語源となった遺体の防腐処理である。この紋章の持ち主の身の上に何かあった時用であろうか。


懐かしい修道院の薬草園を思い出した。薬草の管理は厳重で、薬房を管理する修道女も厳格で、院長の右腕と言われる人だった。ハーブの収穫期に手伝いにきた彼女達、新米修道女に、たとえ一粒、一葉でも、分類を間違えぬよう厳命した。ええ? そこまでするんですか? と面倒くさそうに不平を洩らす彼女達に真実を告げた。これで人の生死が決まるからですよ。あなたがたや街の人たちのように修行の浅いもの達がイエス・キリストみたいに死後に復活出来るとでも思っているのですか? その程度の中途半端な信仰心では、はっきり言ってあなたがたは死んだらそれっきり。命が惜しければ正しく分類なさい。似た葉もあります。迷うようなら私に聞くように。誰も不平を言わなくなり、黙々と分類に励んだ。


今朝、院長はじめ、親友マリアンヌを含む多くの修道女に見守られ、出発したばかりだというのに、もう何年もたったような気がした。修道院の門扉を出る時、院長は彼女をしっかり抱きしめ、天を仰ぎ、真剣に祈った。

「あなたに天のご加護があるように」

そしてしっかりと彼女の目を見て

「ここは帰れる家ですからね。あなたがどういう決断を下そうと、私はあなたの味方ですからね」

と言い添えた。


再びコンスタンスの眼から涙がどっと流れた。しかも前よりひどく泣き出した。

おかしい、普通酒は人を寝るか陽気にするものなんだが、どうも男とは違うようだ。俺が姫を泣かせたように見えるじゃないか。後方の馬車の乳母や商人、宝物を守る部下達が非難の三角の目で息を殺しながらじっとこちらを見ているような気がする。

追手は一人も来なかった。さすが百選練磨のゲオルクの部隊、万一敵の手に落ちても、財宝の行方をゲロった奴はいなかったということだ。

集合場所の野営地につくと、なんとローマ兵の軍服を脱ぎ捨ててこざっぱりした旅姿のゲオルク達が、皆そろってもう待っていた。頼もしくも、楽しい旅になりそうな予感がした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ