聞きたくなかった言葉
複数の人間の気配が部屋に近付いてくる。話し声が聞こえるが、何を話しているのかは分からない。しばらくしてドアが開き、カレンが入ってきた。続けてもう一人。カレンが椅子の後ろに立ち、新たな人物が椅子に腰掛けた。
あの時と違ってツーサイドアップにまとめられている新緑色の髪、常盤色の瞳。着ている服こそ違うものの、その少女は間違いなくユリーシャだった。魂を射抜くような美しさに再び心を奪われる。そして、その美しい薔薇色の唇が動いた。
「お初にお目にかかります。私はユリーシャ。ユリーシャ・リム・レガルディアです。ご気分はいかがですか?」
お初に…どういうことだ?会うのは二度目のはずだが…。その言葉に戸惑ってしまうが、ここはちゃんと挨拶を返すべきだろう。
「は、はじめまして。俺は…ショウ・ナルカミ。暴れたりしないから、これをほどいてくれないか?」
俺は失礼のないように返礼すると、再び当然の要求をした。
「もちろんです」
ユリーシャはくすりと笑い、わずかに右手を動かした。それだけで俺を束縛していたロープが朝露のように消えてしまう。本当に魔法なのかもしれないな、これは…。半信半疑だけど。
自由の身になり、俺は体を起こした。ずっと同じ体勢で横になっていたので、腰が痛い。もう少し考えてほしかったぜ…。
「ロープがきつかったですか?」
俺が大きく伸びをしていると、ユリーシャが微妙にずれたことを聞いてきた。
「いや…寝返りが打てなかったから、腰が痛くてさ」
「まあ、それはそれは…次からは気を付けますね」
今回で最後にしてくれ…俺が縛られるのではなく、ユリーシャが縛られるのであれば大歓迎なのだが!いやいや、そういう話ではなく。
「もうじきお茶の準備ができます。あちらでお話ししましょうか」
ユリーシャは優雅に立ち上がると、窓際へと歩きだした。カレンに促され、俺も窓際へと向かった。テーブルを挟み、向かい合って座る俺とユリーシャ。程なくしてメイドさんがお茶を持ってきてくれた。
しかし、カップに注がれているお茶は…青い。これ、飲んでも大丈夫なヤツ?俺は何とも言えない表情で青いお茶を見つめてしまう。
「ハーブティーです。意外に美味しいですよ」
ユリーシャに勧められ、一口飲んでみる。ふむ…悪くないな。これは普通に美味しいぞ。俺はハーブティーを堪能し、改めてユリーシャに向き直った。
寝癖のついたボサボサの髪と無精髭、少しヨレたパジャマ姿の俺。艶やかな新緑色の髪とナチュラルな薄化粧、ふわっと広がるシルエットが印象的な月白のロングワンピースにカレンと同じようなタイツを履いているユリーシャ。
陰と陽…コントラストが強すぎて泣けてくるぜ!まあ、俺だって好き好んでこんな所にいる訳じゃない。さっさと元の世界に戻してもらおう。とは言え、いきなりそれを言い出すのは失礼かもな…。
「ユリーシャには姉妹がいるのか?」
とりあえず他愛もない話からしてみよう。
「いえ、いませんが…」
小首を傾げるユリーシャ…可愛いな、おい。
「その、だな…俺は元いた世界で一度ユリーシャに会っているんだが…」
「ああ…それはおそらく『神の啓示』でしょう」
神の啓示…なんだそれ?俺は聞いたことのない単語に面食らった。
「なぜかは分かりませんが、神隠しにあった人は夢を見るそうです。元の世界での最後の日に、この世界で最初に会う人の夢を。なぜそのような夢を見るのかは分かっていませんが…ショウが私達の言葉を理解できるのも、『神の啓示』のおかげなのですよ」
夢…あれは夢だったのか?とてもそうは思えなかったが…。嫌な予感がしてくる。俺は神隠しを起こしたのはユリーシャだと思っていた。カレンはユリーシャが俺を見つけたと言っていたが、それはユリーシャの自作自演だと。だが、ユリーシャも神隠しのことをよく分かっていないように見える。もし、そうだとすると…。
俺は落ち着くためにハーブティーを一口飲んだ。心臓の鼓動が速くなっているのを感じる。
「神隠しは…どのようにして起こるんだ?」
「神隠しがどのようにして起こるのかはよく分かっていません。いくつかの理論モデルが提唱され、矛盾がないものもあるのですが、実証はまだできていないのです。私も実証の方法を幾つか考えているのですが…」
ユリーシャはとても嬉しそうに神隠しの説明をしてくれるが、その話は専門的すぎてほとんど理解できない。それでも分かったことがある。神隠しがどのようにして起こるのかは分からない…それは、つまり…。
「俺は…俺は元の世界に戻れるのか?」
一生懸命説明してくれているユリーシャを遮り、核心を突いた質問をしてみた。
「私達の今の技術では…それはできません…」
表情を曇らせながらユリーシャが言った。
その瞬間、俺は後頭部をバットで殴られたような衝撃に襲われた。元の世界には戻れない…。家族や友人にはもう会えない…。残酷な事実に、目の前が真っ暗になる。
「あの…あまり気を落とさないでください…。私達にできることでしたら何でも…」
「……悪い…。一人にしてくれないか」
ユリーシャは逡巡していたが、カレンに促され立ち上がった。
「外に人を立たせておく。用事があればその者に言ってくれればいい」
去り際にカレンが言った。
「ああ…分かった…」
俯いたまま答える俺の頬を、熱い涙が伝った。