宿と食堂
「実はこの牧場の特色を生かした民宿をしようと思っているんだ」
チーズ工房を後にすると、オガンドは今後のことについて話し始めた。
これはアグリツーリズムってヤツだ。この牧場で作られているミルクやチーズなどを活かせるだろうし、いいと思うぜ。
「別に黙っていた訳じゃあないんだけどさ。少し伝えるのが遅れてしまってね…」
まるでここにはいないダリシアさんに、言い訳をしているかのようだ。
「つまり相談せずに始めたってことか?」
「そうとも言うね」
はっきりさせるために確認した俺に、オガンドは上手い返しをしてきた。オガンドならやりかねないし、悪びれてもいない辺りはさすがである。
「もちろん、何の考えもなく思いつきでやってる訳じゃあないんだよ」
ホントかよ。
「ウチにはもう1人息子がいてね…ジウリーっていうサリールの弟に当たるんだけどさ。料理専門学校に通っているんだよ。そこは全寮制だから今はいないけど、帰ってきた時には腕を振るってくれるんだ。だったらウチで働ける場を作ればいいと思ってね」
確かに何の考えもなく始めた訳ではなさそうだ。
「それだったらレストランだけでもいいんじゃないか?」
ジウリーの腕を活かすなら、民宿じゃなくてもいいと思うぞ。
「最初はそう思っていたんだけどね…ここは田舎だから、泊まれるようにした方がいいんじゃないかって話になったんだ」
おそらくそれはダリシアさんの意見だろう。利益を第一に考えている訳ではないが、経済的な面も大事にする…それを得られないと駄目だからね。
「宿の方は6部屋だけの小さな宿なんだけどさ…もう完成しているんだ。自宅を増築して造ったんだよ。よければ、今日泊まっていってくれないかな?忌憚のない意見を聞かせて欲しいんだ」
丁度いいとか言ってたのはこのためか…俺はいいと思うが、俺の一存では決められない。
「構いませんよ」
みんなからガン見され、カレンが苦笑しながら答えた。
カレンの予定では、今日のうちにカルルタリチェに着くことになっていたはずだ。向こうにも正体を偽ったレガルディアの魔法戦士がいるはずで、その人達とのやり取りはカレンが一手に引き受けている。今回も上手くやってくれるだろう。
安堵の表情を浮かべるオガンドは、俺達を部屋に案内してくれた。そこは我が家のようにリラックスできるアットホームな部屋だった。こういうのは小さな宿ならではだよな。近すぎず、遠すぎずの心地良い距離感がいいね。
「限られた部屋数だからこそできるこだわりの空間が、旅心をくすぐりますね」
さすがはユリーシャ、いいこと言ってくれるぜ。これが俺なら、いい部屋だな…で終わりだ。
「そう…そうなんです」
オガンドは我が意を得たりと言わんばかりだ。
それからオガンドはこの民宿について、アツく語ってくれた。民宿の名は『まきばの宿』で、来月にはオープンする予定だ。すでに9月の半ばまで予約が埋まっているらしい。たいしたもんだな。
一方でレストランの方は民宿に先駆けてオープンしている。こちらは『まきばの食堂』だ。将来的にはジウリーがここを取り仕切ることになるが、今はオガンドがすべての料理を作っているそうな。だとしたら、こんな所で油を売っていて大丈夫なんだろうか?
「子供の頃に祖父の食堂を手伝ったことはあるんだけどね…料理の腕前なんてまだまだだったんだ。だから、つてを頼って色んな料理人のもとで勉強させてもらったんだよ」
オガンドは何も気にすることなく話し続ける。それでこそオガンドだ。それでもその行動力はさすがだね。
「大事なことは手に入った素材で作るということだね。幸いなことに、この牧場では素晴らしいものを作れているという自信があるから…あとはそれを活かした料理を作るだけだよ」
提供する食事はほとんど牧場のもので賄う。当たり前のことだが、大事なことだ。民宿と食堂のことをアツく語ったオガンドは、時計をチラリと見やった。
「そろそろ食堂に戻らないと…」
そりゃそうだろう。仕込みとか、大丈夫なのか?
「あとで行かせてもらうよ」
他に食事ができる所はなさそうだし。オガンドは嬉しそうに頷いた。
お昼にはまだ早いので、俺達は牧場の周辺をブラブラとすることにした。ここは牧歌的という言葉がぴったりな風景が続く。そんな中で、異彩を放っているのがあの風車だ。幾何学的なトラス構造の塔に設置された風車は、それを構成する素材を木目調にしているが、やはり浮いている感じは否めない。
「なんでここの風車はああなんだ?」
パルシファルで見たものとはあまりにも違う。
「ここでは排水がとても重要だからです。パルシファルと同じような風車では、管理する人もたくさん必要になってしまいます」
確かに…ユリーシャの言う通りだな。
「24時間絶え間なく風車が回ることも、利点の一つですね」
それなら全部このタイプの風車に変えた方がいいような気もするが…色々あるんだろう。そう簡単にはいかないものだ。或いは過渡期なのかもしれないね。




