サビ残は隠し通せない
結局、サビ残がバレたのは3日目の夜のことだった。ふと目を覚ましてしまったサーニャが、隣のベッドにリセクがいないことに気が付いたのだ。
「あなた…どうしたの?こんな夜更けに」
寝室の隣の部屋でサビ残をしていたリセクに、サーニャが声を掛けた。
「何でもない。仕事のことで急に思いついて…忘れちゃいけないから、先に寝といてくれ」
この3日間、リセクは思いの外上手くやっていた。それでもバレてしまった。女の勘ってヤツは侮れないな…リセクもそう思っているはずだ。
「開けといてもいいですか?あなたの顔を見ながら寝たいから…」
「ああ…」
サーニャのささやかな我儘を、リセクは受け入れた。そして、再びサビ残に取り掛かる…だが、その手はすぐには動かなかった。
「何を考えていると思う?」
こういう時、カレンは必ず俺に話を振ってくる。
「ほぼ間違いなくあの日のことだろうな」
人の頭の中を覗くことはできないが、誰もがそう思うはずだ。
「倉庫では何があったのでしょうね~?」
フェリシアさんまで…分かっているくせに。
「リセクが倉庫に連れていかれた時、そこには姿が見えなくなったレンナーもいたんだろう。そして、リセクの目の前でレンナーは殺された…」
この見立てには、誰も異論を差し挟まなかった。
「だとしたら…ベンカジが次に打つ手は火を見るよりも明らかね」
「そうだな。次はカロリーナさんとサーニャに危害を加えると脅す。これを防ぐような手を、リセクは持っていないからな」
アマユキの匂わせ発言にも、きっちりと対応してやる。
「仮に持っていたとしても、リセクにはタリアとあんなことやこんなことをしちゃった弱みがあるでし!」
でしでし先輩が何を想像しているのかは知らんが、リセクがタリアと体の関係を持ったことは間違いない。
「そのタリアは材木を扱う業界では知らぬ者などいないという男の孫娘だ。リセクに選択肢はない…今のところはな」
確証はないが、タリアがドグラスの孫娘という話は嘘だろう。だからこそ、俺達は花街でタリアを探しているのだ。
「そうなってきますと、タリアはベンカジにとっての不安要素になりませんか?」
ユリーシャの指摘はもっともだ。
「だとしても、ベンカジはタリアには何もしないはずだ。すでにマルバイユ絡みで2人も死んでいるからな…これ以上事件を起こすと、上手く切り抜けるのも難しくなる」
ゼレケの件にせよ、レンナーの件にせよ、ベンカジへの疑いは晴れてはいないのだ。
「だが、追い詰められたベンカジが何をするのか…そこは読めないのではないか?」
「まあな…」
カレンの言い分にも一理ある。
「やはりタリアだな。何としてもタリアを見つけ出す…話はそれからだ」
俺は強い口調で言い切った。そして、みんなはウンウンと頷く…いつもの様式美だね。
だが、事態は思うようには進まないものだ。あの日から1週間が経っても、タリアを見つけることはできなかった。
最初っからそんな女はいなかったのではないか…そんな錯覚に陥ってしまう。或いはレンナーと同じようにタリアも消されたのだろうか?ベンカジにそんな動きはなかったが、俺達が気が付かなかっただけかもしれない…その可能性は十分にある。
今はこらえ時だ。焦りがないと言えば嘘になるが、ヤツらがミスを犯さないとも限らないからな…腹の探り合いでは負けないぜ。
レンナーの死、そしてリセクへの強要。端から見るといつも通りだが、今のマルバイユは激動の中にある。この1週間は、ベンカジにとっても気の抜けない日々が続いているのだ…ざまあみろだな。
そうなってくると、少し息抜きをしたいとも思うだろう…そして、ベンカジも人の子だ。そこへリセクも連れていこうと考えるのは自然なことである。
「今日はみんなで『モンヴェール』で楽しもうと思っているんだ。お前もついてきなさい」
「『モンヴェール』…ですか?」
ここはリセクの仕事部屋。そこにベンカジが強面の男を連れて訪ねてきたのだ。こんなことは滅多にないのだろう…リセクは戸惑っているね。
「そうだ。久しぶりにカロリーナさんの踊りも見たいしな…最近、お前はよく頑張ってくれているみたいだし、少し息抜きが必要だ」
「ですが、仕事の方が…」
リセクの仕事は、今日も捗っていない。
「お前、手伝ってやりなさい」
ベンカジが強面の男へ指示した。どうあってもリセクを連れていきたいようだ…そして、これにはリセクも異を唱えなかった。
いつものリセクなら、家に帰ってサビ残をしているところだ。でも、強面の男が手伝ってくれたおかげで、今日のリセクは夕方までにはすべての仕事を終わらせることができた。
ベンカジは強面の男をはじめとしたマルバイユの従業員を連れて、『モンヴェール』へ向かう。すでに一行には浮かれた空気が漂っているが、リセクだけは浮かない表情だ。『モンヴェール』で何が起こるのか…注目だな。




