バットの素振り
ブンッ…ブンッ!
木製のバットが空を切る音が辺りに響く。ここは白の部屋のライラリッジ。そこで俺はいつものようにトレーニングをするのではなく、バットの素振りをしている。昔はなんとも思わなかったこの音に、今は懐かしさと喜びを感じるね。
元の世界ではバットの素振りをする人はそんなに珍しくもなかったが、この世界ではそんな人はまずいない。野球というスポーツがないからだ。だからバットなんてものもない。だが、俺は諦めの悪い人間なんでね…なければ作ってもらえばいいのだ。そんな訳で、俺はユリーシャにバットを作ってもらった。
簡単に言ってしまったが、そもそもユリーシャはバットというものを知らない。だから普通にバットを作ってくれ、と頼んだところで通じる訳がない。そこであれやこれやと説明して作ってもらうことになった。
百聞は一見に如かず…ということになるのかと思いきや、最初に作ってくれたバットの出来はなかなかに良かった。トゲトゲのない鬼の金棒みたいなヤツ…という説明は、意外に的を得ていたのかもしれない。そうなるとあとは微調整だ。そこは俺の感覚頼みでユリーシャも苦労していたが、文句一つ言わずに対応してくれた。
そして、完成したのがこのバット。それはかつて使っていたバットと比べても、遜色のない出来映えだ。
ブンッ!ビュンッ!
そもそもバットで素振りをしようと思い立ったのは、俺の素行に端を発している。もちろん、素行に問題があるという訳ではない。ただ単にトレーニングを中心とした生活を送っていただけだ。
その結果として、趣味がないとかトレーニングが趣味とか…言われたい放題になっていたのだ。それでも実害がなければ、気にする必要はなかった。
転機となったのは、成り行きで絵を買ったことだ。あれが良くなかった。誰がどう伝えたのかは定かではないが、ユリーシャは俺の趣味が絵画鑑賞だと思い込んでしまったようなのだ。
それからは、ユリーシャの予定に美術館や絵画の展覧会への訪問が増えていった。そして、リアルナさんが余計な気を利かせて、同行者を俺にしまくった…。
地方の都市を訪問する際には同行すると言ったけど、ここはライラリッジだろ!という俺のまっとうな主張は、当然のように無視された。
別に絵画鑑賞が嫌という訳ではないんだけどさ、どんな絵がいいか…なんて分からないし。アマユキは分かる必要なんてないと言っていたが、やっぱりね…。子供の落書きのような前衛的な絵を、みんなが素晴らしいと言っている時に、俺だけがそんな落書きのどこがいいんだよ…とは言えない。
こうなってくると、この誤解を早急に解く必要がある。そこで野球である。
俺は中学から高校まで6年間、野球をやっていた。たいして上手くもないが、趣味にするには丁度いいだろう…と思っていたのだが、いきなり壁にぶち当たった。この世界には野球というスポーツがない。
ブンッ!ブンッ!
しかし、俺は諦めの悪い人間だ。なければ伝えればいいのだ。いつになるかは分からないが、俺がこの世界に野球を普及させるというのも一つの手だ。そう思い立ち、まずはユリーシャにバットを作ってもらったのだ。
野球には他にも色々な用具があるが、最も作りやすそうだったのがバットだった。もちろん他の用具も作ってもらうつもりだが、まずはバットだけでできることをしよう。そこで素振りである。
右打ちで素振りをした後は、左打ちでも素振りをする。これは高校時代の監督の教えである。どちらかの打ち方ばかりをしていると、体のバランスが悪くなるとかで両打ちが推奨されていたのだ。
俺はもともと右打ちで、左打ちは苦手だった。弱小高校だったので真剣に取り組んでもいなかったが、この世界にやってきて体のバランスの重要性は痛感している。まずは右でも左でも遜色なく打てるようにしよう。何も考えず、ひたすら素振りに打ち込むというのも楽しいもんだね。
「ふぅ…」
無心で素振りをすると、時間の経過が分からなくなる。もうかなりの時間を費やしているはずだ。今日はここまでにしておこう。
「お疲れ様です…」
陰ながらずっと俺の素振りを見守っていたユリーシャが、声を掛けてきた。待ちくたびれたのか…少し疲れた顔をしている。
「お疲れさん」
こちとらたいして疲れてもいない。そんなにヤワじゃないんでね。
「それにしても、変わった棒術ですね」
「そうだな…」
俺は苦笑しながら答えた。
棒術じゃあないよ…そう思いつつも、野球のことは特に話さない。野球をまったく知らない人に、その魅力を言葉だけで伝えるのはかなり難しい。それはこれから考えていかなければならないだろう。
「これはバットという用具なんだが…ユリーシャが作ってくれたバットはいい出来だよ」
「道具にも固有の名があるのですね…興味深いです」
道具じゃなくて用具ね。そこもちゃんと理解してもらう必要があるだろう。
元の世界では、ホーレス・ウィルソンという人が野球を伝えたそうだ。それを初めて知った時には、そんな人がいたんだな…という程度にしか思わなかったが、改めてその凄さを思い知っている。確かなことは、ここでも今できることをやっていくしかないということだ。千里の道も一歩からってね。




