新緑色の少女
朝、目が覚めたら隣に女の子が寝ていた…そんなことがあると思うか?
少し前に見た映画では、そんな羨ましいシーンがあったんだ。当然のように事件に巻き込まれ、艱難辛苦のその果てに、ハッピーエンドが訪れる。すばらしい!やはり映画はこうでなくては!
俺が聞いたリアルの体験談では、特に何事もなくハッピーエンドが訪れたり、訪れなかったりしているようだが…。
でも、そんな羨ましい体験ができるのはごく一部の少数派だ。映画は所詮、誰かの頭の中で描かれた物語に過ぎない。その他大勢の多数派は、その事実または妄想を伝聞で知るだけ…それがリアルってもんだ。そして俺、鳴神翔は間違いなく多数派に属していると思っていた。そう、あの日の朝までは…。
それは深く暗い沼の底から這い上がるような気持ちの悪い目覚めの朝だった。頭が悪い…気分が痛い…違う、そうじゃない。頭が痛い…気分が悪い…。間違いなく二日酔いだ。昨日の夜はちょっと羽目を外してしまったからね。でも、しょうがないだろう…昨夜は俺の送別会だったんだから。
この春から俺は大学生活を謳歌していた。と言っても、私立のお世辞にもいい大学に通っている訳でもなく、特に勉強したいことがあった訳でもなく…大学の講義は友人に会うために受けに行っているようなものだった。時々、サボることもあった。
4年間、こんなことを続けても得られるものなど何もない。だからといって、他にやりたいことがある訳でもない。微かな焦りを覚えつつ、こういう日々が大学を卒業するまで続くのだろう…そう思っていた。
しかし、父の急死で状況は一変した。母に迷惑は掛けたくなかったし、俺と違って妹にははっきりとした目標がある。休学するという決断に、さして迷いはなかった。本当は退学を考えていたのだが、母の反対でとりあえず休学だ。
でも、ここに留まるつもりはない。近いうちに実家に戻るつもりだ。そのほうが生活費は掛からないからね。
今日から7月か…まさかこんなことになるとは思いもしなかったけれど、感慨にふけっている暇はない。さあ、引っ越しだ!
そうは言っても荷造りはまったくの手つかずで、俺の目の前には見知らぬ女の子が寝ている。その向こうに見える部屋は、ちょっとばかし…いや、かなり散らかっていた。少しずつやっていくしかないな…頭が痛いけど。いやいや、ちょっと待てよ!この女の子、誰?
慌てて俺は昨日の夜のことを思い出そうとした。
昨夜は…気の置けない友人達と居酒屋に行って、その後は……そう、カラオケに行ったんだ!それから…それから……その後のことは覚えてない…。これは…困ったことになってしまったぞ。所謂、お持ち帰りをしてしまったのだろうか?分からない…分からないが、この女の子はいったいどこの誰なんだ?
改めてこの不思議な女の子を観察してみた。
まず、目を引くのはその新緑色の髪の毛だ。たぶん染めているのだろう。だが、不自然な感じはまったくしない。肌は陶器のように白く、シックな長袖のネグリジェにはアラビア文字のような文字と、複雑な図形が描かれている。日本人ではないみたいだ。最近は外国人観光客も多いからな。
まったく日本語が話せないということはないと思うが…意思の疎通に少し苦労するかもしれない。と、女の子の目がゆっくりと開いた。髪よりも濃い、常盤色の瞳が俺の顔をまっすぐに見つめる。
呆けたように俺は彼女の顔を見つめ返した。言葉にならないな、これは…。
寝顔から綺麗な娘だろうとは思っていた。しかし、起きている時の彼女の容姿は、俺の想像を軽く超えていった。絶世の美少女ってのはこういう娘のことを言うんだろう…。
「おはようございます」
まるで言葉を忘れてしまったかのような俺に、彼女はまったく訛りのない綺麗な挨拶をしてきた。
「お、オハヨー」
俺は吃りながらも挨拶を返した。
よしっ!意思の疎通は問題ないようだ。それじゃあ色々と聞かせてもらおうか。まずは昨日の夜のことをだな…いやいや、そうじゃなくて。彼女のことをね。
「君は…その、名前は?」
「ユリーシャです。ユリーシャ・リム・レガルディア」
予想通りの外国人っぽい名前で、俺は少し安心した。
「どこから来たの?」
「レガルディアから来ました」
レガルディアか…聞いたことのない国名だな。彼女の見た目からすると、ヨーロッパの方にある国なのかもしれない。ヨーロッパ事情にはあまり詳しくないが、あちらには県や市ぐらいの小さな国があるからね。
「その…レガルディアはどこにあるの?」
「アルスにあります」
…。
アルス…ですか。海外事情には詳しくないが、アルスなんて地名は聞いたことがない。ひょっとすると、この娘はアレな娘なのかもしれないね。警察に保護してもらうのが妥当だろう。
いや待て!もしも昨日の夜に俺がこの娘とそういう関係になって、この娘にそのことをバラされたら…それはマズいぞ!
昨日の夜、本当は何があったんだ?一線を越えてしまったのだろうか?だとしたら何も覚えていないのは惜しすぎるぜ。今からでもいいからもう一戦を!などと俺が内心で不埒なことを考えているのに気付いたのかどうかは分からないが、彼女は苦笑しながら言った。
「何も心配することはありませんよ。決して悪いようには致しません。ですから…」
気が付くと俺の体は暖かい光に包まれていた。彼女はまだ何か言っている。だが、その言葉はもう俺には届かない。春の陽光のような暖かい光に包まれ、俺の意識は再び闇の中に沈んでいった。