王様と妖精と影の薄いナニか(1)
「いやぁ、あっはっは、ごーぉめんごめーん」
軽い。ひたすら軽いノリで、目の前のお婆さんが笑っている。
そう。丸いおっさん――というかもはや爺さん――に泣きつかれて呆然とするわたしの前に現れたのは、今度はお婆さんだった。
どこからともなく現れた彼女は、おっさんと同じく丸かった。丸くて小さくてどことなく可愛らしいお婆さんで、垂れたほっぺでふにゃふにゃ笑ってる。全身を覆う藍色の……なんだろう、レインコートのような服で、なんだか不思議な雰囲気を宿している。
「驚かせてごめんねぇ、ちょぉっとお話聞いてくれるかしらぁ」
お婆さんが近所のおばさんたちと同じ仕草でパタパタと手を振る。
「もうほら、王様も泣き止んでっ」
……。いや。気にしない。王貞治だって王様だ。
落ち着こう。仕事中だったはずだ。仕事中は、そう、何があっても平常心が必要だ。だってわたし、まだ制服を着ている。カフェオレカラーのジャケットに、パンツ。制服は、わたしたちの仕事では衣装だ。衣装を身に着けている間、オンステじゃなくてもキャストはキャストだ!
よし。
ニコ、と笑ってみせる。
「恐れ入りますお客様。こちらの場所と、現状、お教えいただいてもいいですか?」
「……あなた、肝すわってるのか混乱してるのか分かりづらいわねぇ」
お婆さんがほぉ、と感心したように息を漏らす。
「いいから教えてください」
「うふふぅ、せっかちぃ」
ぴん、とおでこを弾かれる。うわぁ。うわぁ。すごいウザいタイプのお婆さんだこれ。
ジト目になるわたしを無視して、お婆さんは語り始めた。
曰く。この丸いおっさんはこの国の王様で(苗字じゃないと主張する)、困っていると。
曰く。自分は妖精だと。
曰く。ちょっとした「魔法☆」とやらでわたしを「召喚☆」した、と。
ほう。人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。こちとら夢と魔法の王国の住人だ。
――頭を働かせるのがしんどいから言われたことそのまま受け止めてやるクソが。
「して。困ってること、とはなんでしょうかね」
「すごい目が据わってるけど大丈夫?」
大丈夫なわけがない。
「わしの息子のことなんじゃ」
ずずびぃ、と鼻をすすったおっさ――もとい。王様が、重たく口を開いた。
「ご子息。というと王子様?」
「そうじゃ。もういい加減適齢期なんじゃが、そういう浮いた話に興味を持たなくてなぁ」
「……それで?」
「一応明日の夜に、舞踏会の予定なんじゃが」
「めっちゃすぐですね」
舞踏会――の会議中だったんだけどなぁ、こっちは。いやまぁ、こっちはショーですが。
「どうもなんか、この妖精さんは、このままじゃあ上手くいかん、と言っててのう」
「……あー、つまり、それを手伝えと?」
「そうなるかしらぁ?」と、お婆さんが部屋の隅に視線をやる。
「国中の若い娘を呼んだんじゃが、まだ準備も終わってないしのぉ」
無能か。今やれすぐやれ準備しろ。
「まぁ、そっちも心配だしぃ」
お婆さんが苦笑しながらまた、ちらり、と視線をそらす。王様も視線をちらり。
二人して何をさっきからちらちらと、と、つられて視線をそっちにやる。部屋の隅に甲冑――っていうんだっけ、あれ――が置いてあって、それから。
……ん? 甲冑がもう一つ――じゃない。あれ?
「……人がいる!?」
「……先ほどから……ずっと……あの……います……」
蚊の鳴くような声でぼそぼそっとつぶやきが返ってくる。びっくりした。びっくりした!
壁に同化しそうな暗い雰囲気の男性がひとり、そこに立っていたのだ。
「うっわ、びっくりした。あー、お付きの人的な?」
わたしたちの会話の邪魔にならないように、気配消してたとか?
「いやいや。わしの息子じゃ」
「ああ、ご子息でしたか」
なるほど納得――出来ません。
「王子ぃ!?」
思わず叫ぶと声がひっくり返った。びくぅ、とその人物は肩を震わせる。
背は高い。が、たぶんマキちゃんよりは低い。一八〇いかないくらいか。細身、というにはすこし痩せすぎで、たぶん高価で豪華なんであろう黒の衣装が驚くほどに似合っていない。髪は黒で、伸びすぎていてぼさぼさでくねくね。顔にかかりすぎてて表情は読めないし、そもそもしっかり顔も見えない。その上ビクついているもんだから、なんというかもう。
「これはない」
「……本人目の前にして言わないでください……率直に傷つきますから……」
ごめんなさい。さすがに申し訳なくなって、頭を下げておく。
「ご結婚、なさるんで?」
「……私は……別に」
ノリ気じゃないようだ。
「……いいんです、結婚とか……どうせ、だれも私に興味などないですし……本さえあれば……本だけあれば、妄想で生きていけますし」
だめじゃんこれ。王様に向き直る。
「血筋絶えて仕方なし」
「困るんじゃ。残念ながら王子はそれしかおらん」
「……しか……しかですよ……どうせ、どうせ……」
うぜえ。それにしても、じゃあ、何か。これを何とかして、舞踏会をなんとか成功させろと。
「頼む。じじいの頼みじゃ」
「そうよー。そのために呼び出したんだしぃ」
「却下です」
笑顔できっぱりと言ってのけた。
「意味分かんないですし、助ける謂われないですし、ただ働きとかごめんですし、こちとらそもそも仕事中ですし、何とかできるとも思えませんし、心の底からお断り申し上げます」
「冷たい」
「冷たくていいですから、もとの場所へ帰してください。仕事中なんですって」
ぷく、とお婆さんが頬を膨らませる。その脇で王子がのの字を書いているが――絨毯が絨毯なだけにまぁ見事に跡がつく――鬱陶しいので無視をする。
「まぁいいわぁ。とりあえず、鍵、持ってるでしょ?」
鍵?
言われて頭を巡らせるまでもなく、脳裏に浮かんだのはあれだった。拾ったちいさなガラスの靴。ポケットに手を突っ込んでみる。いつの間にかそこにきっちりとある。
「そうそうそれそれ。私たちにはそれは、光の珠に見えるのよぉ」
「光の珠?」
ガラスの靴じゃなくて?
お婆さんはにっこりと微笑みながら、どこからともなく出した細く長い棒でつん、とわたしの手の中のそれを突っついた。
「見え方の違いが、世界の違い。あちらとこちらを繋ぐもの。媒介ね。これに触れていれば、その人物は行き来出来るわ」
媒介、ねぇ。よく分かんないけれど。
「あと衝撃ね」
「しょうげき」
唐突に物騒な台詞である。
「前後不覚になって脳みそがパーってなったらほら、つながる世界もあるじゃない?」
それあかんやつでは。胸中でのわたしの言葉はもちろん彼女には届かない。
「一度帰すわ。でもきっと、すぐにこっちに来るわ。だってそちらにもきっと、影響あるもの」
「えいきょう……?」
不穏な響きに、胸の奥がぎゅうっとする。ああ、いやだそれ。なんかすごく嫌な予感がする。
「じゃ、そういうことで。いくわよー」
お婆さんが杖を振り上げる。
――待て。いや待って。待って!?
それってもしかして――
「ビビディ・バビディ・ブー!」
ガンッと前頭部に衝撃が走った。
視界が白く揺らいでいく。
ああ、やっぱり。やっぱりそうか。そうなのか。物理じゃないか。いらないだろ、その呪文!
――心の中の突っ込みは、どこへも届かず衝撃とともに星と散った。