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Ⅴ.ラジアータは毒を手に

 パーティが終わり、貴族たちが引き上げたのは夕刻をまわってからのことだ。


 メイドたちが忙しなく片付けを始めてから、ルピナスはため息をつく。彼らの多くが自分にすり寄って甘い汁を吸いたいだけの害虫にも見えるくらいうんざりした。立場上は仕方がなく、できれば関わり合いになりたくないとさえ感じている。


「あの。すみません、旦那様。スカーレット家のお嬢様がお会いになりたいと」


「……スカーレットの? 今日の予定はもう……いや、まあいいか」


 どうせ、ひとりやふたり挨拶程度に話す時間が増えたところで困ることなどない。他愛ない用件ならば適当にあしらってやればいいと玄関で待っていると、メイドが連れてきた娘はスカーレット家の令嬢にしてはずいぶんと綺麗な顔をしているふうに見えた。


「君がスカーレットの娘か。似ても似つかないな、ラジアータと言ったか?」


「はい。以前はろくにご挨拶もできないままでしたので」


 町へ寄ったのに顔を出さないのは無礼にあたるだろうと挨拶に来たときには大勢に囲まれていて、とても近寄れる状況ではなさそうだったからと釈明をする。そして深々とお辞儀をしたのにルピナスはいたく感心して「顔を上げたまえ」と微笑んだ。


「これから寒くなるから、中に入りなさい。今日はゆっくりしていくといい」


「ではお言葉に甘えて。心遣いに感謝いたします」


「もっと気楽でいい。ここでは特別に許す、君は悪い子じゃなさそうだ」


「……それはどうも、ありがとうございます」


 客人用に部屋を用意させるまでは応接室で待たせようとルピナスが案内しようとしたところへ「あら、パパ。やっと終わったのね」とダリアが顔を出した。


「ダリア、退屈だったろう。ニコライはどうした?」


「アコニタムのおじ様に呼ばれたからって城へ戻ったわ」


「そうか。仕方ないな……ああ、そうだ。ダリア、こちらは――」


「知ってるわ、パパ。今日いっしょに話したのよ、ラジアータでしょう?」


 ダリアは目をきらきらと輝かせる。新しい友人ができたと喜んだのをおくびにも出さなかったものの、いつ来てくれるのかと楽しみで仕方がなかった。リコリスも気さくに微笑み返して、小さく手を振り再会を喜ぶフリをする。


「なんだ、もう顔を合わせていたのか。それならわざわざ部屋を用意させずとも、相部屋にしてあげたほうが良かったな。気が利かずに申し訳ない」


 年頃の娘がふたり揃えばきっと話も合っただろうとルピナスが苦笑いをして頭を掻いたが、彼女は「いえ、お気になさらないでください」と物腰柔らかに返して部屋を用意してくれたことに深い感謝を伝える。別室のほうが彼女には都合がよかった。


 さして別室だからと問題があるわけでもなく、ダリアも「あとでいっしょにお茶でも飲めばいいじゃない」と難しく考えておらず、リコリスも頷く。


(なんて扱いやすそうな子だろう。ダリアとは何度か他の子たちと茶会に呼ばれて話したことはあるが、自由気ままなわがまま娘というだけでもないところが実に――いや、やめておこう。他人の内面を美しく見ようとする癖は、もう私には必要ない……)


 見目は極めて質素だが、高級な家具にあふれた応接室に通されるとリコリスは少し落ち着かない気持ちになった。もともと平凡な家の出であり、城で騎士団のひとりとして活躍していた頃も、愛する妹たちと穏やかな時間を過ごすために普段は街中の小さな家屋で暮らすのが当たり前だったので、城に出入りしているとはいっても慣れたことはなかった。


 その様子を見てダリアが不思議そうにしたのに気付き、彼女は平静を装う。自分は今、スカーレット家の令嬢という肩書きでここにいるのだから、もっと胸を張らなくてはならない。そう何度も心の中で唱え、静かにゆっくりと呼吸を繰り返して。


 コンコンコン、と部屋の扉がノックされる。やってきたのは従者の女性で、お茶菓子をふたりの前に並べるとそそくさと部屋を出て言った。ダリアは「ありがとね」と声を掛けたあとですぐにお菓子に手を伸ばす。


「いつもこの時間になったら焼けるように、あの子が用意してくれてるの。あなたも良かったらたくさん食べてあげて。きっと喜んでくれるわ」


「では遠慮なく。……うん。温かくてまだ柔らかいけど、しっかりクッキーだ。とてもおいしいよ。今度作り方を聞いてみようかな?」


「あはは、いいかもね。あの子、友達がいないらしいから」


 それはそうだろう、とリコリスは陽気に菓子を頬張っているダリアを見ながら紅茶に口をつける。メイヴィス家は元々、貧困層から雇っているのもあって生活に余裕のないものが邸宅の空いた部屋を借りて日々を忙しなく働いているし、彼らに休日といった言葉は存在しない。そんなことも今のダリアは知らないのだ。お嬢様であるがゆえにそうなのか、ただの無知なのかはリコリスの知るところではなかったが。


「ニコライが帰ってきたら彼にもあなたを紹介してあげないとね。遅くなるかもって言ってたし、もしかしたら会えないかもしれないけど。そのときはごめんね?」


「気にしないで、ダリア。君がいてくれただけで来た甲斐はあるから」


 照れくさそうに頬に手を当てて「嬉しいこと言ってくれるわね」と顔を赤くした。いまのうちに精々喜んでおけばいい、とリコリスは紅茶をもうひとくち飲もうとして、手をとめる。ダリアはまだ気づいていなかったが、彼女は紅茶にほのかに映る自身の姿の異変に気付いて立ち上がり「失礼、お手洗いを借りても」と慌てた様子をみせる。


「え。ど、どうしたの? 気分悪くしちゃったかしら……」


 何かに急かされるようにリコリスは従者の女性に尋ねることもなく、まっすぐ手洗い場へと向かって閉じこもり、扉に鍵を掛けてから洗面所の鏡を見る。髪から色が抜け始めていた。漆黒はグラデーションの掛かった鮮やかな金色交じりに変化していて、あやうく気付かれるところだったと大きなため息をつく。


(グレープには多めに薬を服用しておけと忠告を受けていたけど、そんなに時間は掛からないと思ったのが悪かったな。回数を重ねるほど効果時間が短くなるとはいっても、ここまではっきりと出てくるなんて。……もう少し慎重になるべきだったかもしれない)


 扉がノックされる。「大丈夫?」と心配そうな声を掛けてきたのはダリアだ。何か気を悪くするようなことをしたのではないかと不安になって追いかけてきたらしい。懐から小瓶に入った赤い液体を飲み干して鏡を見つめ、冷や汗が噴き出して気分の悪さが吐き気となって体内を暴れまわるのに耐えれば、髪はまた黒く染まっていく。それから彼女は「問題ないよ」と返事をする。


「長旅で疲れてしまったみたいだ。もう部屋で休めるかな?」


 そっと扉を開けてリコリスは申し訳なさそうな顔で言った。

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