Ⅲ.オダマキは死者に贈られた
――ロストラータ城塞の数ある部屋のなかで、他よりも造りが武骨な扉が構える部屋がある。騎士団長、ニコライ・オーガスタの私室であり、寝室と書斎を兼ねている機能的な広い部屋で、ニコライが窓の外を眺めてため息をつく。
三度のノックに振り返りもせず「入れ」と伝えると、きらびやかだがラフに見える紅のドレスを着た女性が扉を開け、彼の背中に声を掛けた。
「私が来てあげたのにこっちを見てもくれないのかしら、ニコライ」
「……何の用があってここへ来た、ダリア。俺に嫌がらせか?」
「なんて言い草。私が自分のフィアンセに会いにきて何が悪いの?」
ダリアの強めな物言いにニコライは呆れたが、何も言い返せなかった。少しの考え事も許されないのかと思いながらも、大貴族メイヴィス家の令嬢ともなればそれくらいのわがままが通って当然の育て方をされたのだから、無理を言っても仕方ない。そう諦めた。
「それで、何を考えてたの? 最近ちっとも笑わないじゃない」
仄かに背中を丸めて落ち込んでいる様子のニコライがそれなりに心配で訪ねたようだ。彼も、そういう優しさが彼女から垣間見えるからこそ無下に扱いにくく、定められた婚姻だと言っても彼女を心から愛している、愛せる理由でもあった。
「笑えるなら笑いたいさ。お前も耳にはしただろう、リコリス・ヴィクトリアの追跡に出たユニフロラ騎士団の団員三名が行方不明でな。今朝方、調査に他の者を向かわせようとしていたんだが……こんなものが送られてきてしまってな」
どんと机に転がしたのは血まみれの布に包まれた何か。彼はその中身が追跡に出た三人のうち、ひとりの腕であると言った。何者かによって切り落とされ、わざわざ当てつけの如く送りつけられてきたのだ、と。
「国王暗殺未遂については疑わしい部分が多いが、この件に関してはリコリス・ヴィクトリアによるものだと考えている。騎士団は序列がモノを言うが、いくら下から数えてはやいとは言っても騎士は騎士だ。そこいらの兵士と比べて腕も立つ。だがこうして腕だけが送られてきたとなると……リコリス以外には考えられない」
剣術、体術、心理どれをとっても他の騎士たちより抜きんでた実力を持つリコリスには難しい話ではない。錯乱状態だったと報告を受けても、ニコライには彼女以外で他の騎士を始末できるだけの腕を持った者が自国にいるとは聞いたこともなかった。
「もし。もしも、彼女が錯乱していないとしたら、お前はどう思う?」
「私の意見を聞こうとするなんて珍しいわね。毒でも飲んだのかしら」
「茶化すなよ。あの審判があった日、お前も証言をしただろう」
審判の日の記憶はリコリスにとって人生のなかでもっとも鮮烈なものだったはずだ。もし彼女が追ってから逃れるために仕方なく殺したのならこれほどまでニコライも気に留めなかっただろうが、送られてきた腕が一輪の花を握っていたのを見て彼は頭を悩ませた。最初は何かわからず、詳しい者に尋ねたところオダマキと呼ばれる花と知った。
「俺は正直こういう知識には疎いが、このロストラータ王国は別名〝花の国〟と呼ばれるほど各地の気候が異なっていて、咲く花も多種多様だ。親が子に花の名前をつける文化さえある。当然、『花言葉になぞらえて気持ちを伝える』といった風習もな」
なにか意図があるはず。そう思い、彼はオダマキがどういった花なのかを調べ、色によって違いはあれど花そのものには『愚か』という意味があることに気付き、それが〝腕を落とされた騎士〟を指しているのではないかと推測した。
「ただの推測に過ぎないわ、ニコライ。もしかして恐いの、あの子が?」
「……怖いさ、冗談抜きに。お前、自分が死ぬことを考えたことがあるか」
質問の意味をよく理解できず、ダリアは首を傾げる。
「自分が死ぬなんてありえない話よ。どうして?」
「もしこれが報復だとしたら、お前も狙われないとは言い切れないからだ」
リコリス・ヴィクトリアの人生が大きく狂い始めた審判の日。彼女の記憶に傷痕として残った日。もし、彼女があらゆるものへ憎しみを向けるとしたら、容赦なく剣を振るうのは確かだ。それを実行に移すだけの腕があり、そうなって然るべき絶望を味わっている。ニコライは人間がときに狼よりも賢く、熊よりも執念深く獲物を追うことがあるのを理解している。それゆえにダリアが襲われてしまうのではないかという恐怖があった。
「ダリア、注意深くいてくれ。彼女はただの平民あがりの騎士ではない。普通の人間には到底できない血の滲む努力を重ねに重ね、名誉のみならず地位までもモノにしてみせる不屈の精神の持ち主だ。どんな苦境に立っていようが、生きているのだとしたら彼女は必ず戻ってくるはずだ。今よりも、ずっと力を身に着けて」
副団長の地位は誰でもなれるものではない。そもそもが実力的に補佐として見合わないからとニコライ自身が誰も自分の傍に置かなかったにもかかわらず、リコリスだけは間違いなく彼が選び、国王や宰相に直談判に向かったほどだ。いきなり副団長では納得のできないだろうから、経験と実績を積ませる必要はあったが、彼女はそれを難なくやってのけた。他がどうだったのかまでは分からずとも、ニコライのなかではあれほど優秀な人材は今後現れるかどうかも分からない〝本物の天才〟であると評していた。
だから恐ろしい。憎しみに囚われた人間はどこまでも冷酷になれるものだ、と。
「ふん。私よりも、そんなにあの子のことが気になるの?」
「おい、ダリア。俺は冗談でこんな話をしているんじゃない!」
「分かってるわよ、ちょっと気を引きたかっただけ。……ま、気を付けるわ」
真剣な顔をして強い口調をしたニコライに、ダリアは申し訳なさそうにしながらそう言って、部屋を出ようとする。「来年の結婚式を楽しみにしてるから。愛してるわ、ニコライ」と言い残して彼女は優しい笑顔を浮かべて去っていく。ぱたんと扉が閉まりきってから、彼は椅子に腰かけて天井を仰ぎ見た。
「……ふう。本当に、何事もなければいいんだがな」