エピローグ あなたに届けとダリアは謳う
――――カウベリー村。小さな農村で人口は数えられるほど。メイヴィス家の別邸があることはよく知られていて、党首であるルピナスの妻、モミモザがいつも庭で紅茶を嗜んでいる姿がある。体調が良くない日でもかならず彼女は外に出ていた。
しかし、ここしばらくはその姿を見ていない、と村人の誰もが言う。
村はずれには小さな墓地がある。昔から暮らしてきた村の人々が眠る場所だ。そこへ最近、あらたにひとつ加わったことがミモザの姿をみない理由。そのかわりに毎日、花を供えにやってくる当主ルピナスの姿があった。表情には見えないものの、その背中には声を掛けられない重さをした雰囲気が漂っている。
早朝、娘の名前が刻まれた墓石の前に花を添え屈み、ルピナスは息をつく。
「……聞いたよ、ずいぶんと派手にやったものだな。私の想像よりもずっと」
背後にひそかな気配を感じたルピナスがぽつりと言った。「ばれましたか」と木の影からひとりの女性が照れくさそうに出てくる。手には花束があった。
「当然だとも、リコリス。伊達で貴族をやっているのとは違うからね、私は。……娘に花を供えに来てくれたのだろう。どれ、場所を譲ろう」
「お気遣い、ありがとうございます。ミモザさんの調子はどうですか?」
数カ月、リコリスは行方知れずだった。彼女が姿を現したのは、彼の妻であるミモザの病状が一向に良くならないことを知ってのことだ。
「ああ。もうそれほど長くは生きていられないだろう。流行病でなかっただけマシだ。ダリアのことを伝えてから、余計に弱ってしまってね。人は知らないほうが幸せなこともあるというが、彼女は『教えてくれてよかった』と……」
ひどい体調の悪化。ダリアの死が原因であるのは明白で、リコリスは悔しくて眉間にしわを寄せた。もっと彼女の傍にいれば、こんなことにはならなかったはずだと責めた。復讐を終えても彼女は暗闇の中。取り戻したくても取り戻せない苦痛が蝕んでいる。
「なんの力添えもできなくてごめんなさい」
「謝ることはない。君はあの子の親友でいてくれただろう?」
「そう、なんでしょうか。でも私のやったことを彼女はきっと……」
続けざまに吐き出される言葉を遮って、ルピナスは背をぽんと叩いて励ます。
「くよくよすることはない。人は君の行いを残虐だと罵るだろうが、どんな形や結果であれ選んだ君の人生は君だけのものだ。誰の言葉よりも君の気持ちを大切にしなさい」
彼は普段よりもしゃんとして、墓の前に佇むリコリスを置いて去っていく。墓参りが終われば、次は邸宅で仕事が残っている、と。それから振り返りもせずに。
「ここから西に私の所有する森がある。そこに小屋があるんだ。昔ダリアがよく使っていた場所でね。今はどうなっているか知らんが、好きに使ってくれたまえ」
「え? いや、あの私はっ……行ってしまった……」
戸惑いつつ唖然としたが、彼女はひとまず言われた通りに向かってみることにした。西の森は徒歩でも時間はさほど掛からずに行けるくらい近く、大きくない森の中にできあがった道を進めば小屋があった。外見は、たまにそういった造りのものを見かける感じではあったが、彼女は扉を開けてみて、思わず小さく吹き出した。
「……はは、調度品はさすがに違うな」
高級品ばかりで揃えられている内装には驚きの声も出ない。棚に片付けられたティーセットひとつとってもダリアの趣味だというのはひと目でわかる。だが、長年使われていないらしく、どこもかしこも埃が積んでいた。彼女はそのまま椅子を引き、座ってみる。
(昔はここによく遊びに来ていたんだろうか。彼女は勉強家だったな。たぶん紅茶を飲みながら、のんびり読書でもしていたかも……おや、これは?)
テーブルの上には本が一冊。ベルトの留め具がついていて、表紙には『日記』とだけあった。それだけなら特段、目にも留まらなかっただろう。なぜかそれだけが埃を被っていないことに彼女は妙だと取り上げた。まるで誰かが置いたかのように。
指先に触れる革の感触。仄かな好奇心で留め具を外す。
『私はとっても悪いことをした。ただの醜い嫉妬で、あんなことを言ってしまうなんて。きっとあの子は許してくれないでしょうね。いつかもし会いに来てしまったら、そのときはなんと言って謝罪をしたらいいのかしら? 少しでもこの気持ちを伝えなきゃ』
文字をなぞる指が立ち止まる。その優しい字が誰のものか分かったから。
『昨夜、あの子が来た。今日はいっしょに久しぶりに城へ行く。いっしょにお茶会の準備をしなくちゃ! それから、ちゃんと言おう。これからもよろしくって、全部終わってお別れなんて寂しいものね! わがままなやつだって思われるかもしれないけど!』
ぽたり。濡れた文字が滲む。ぱたり。本を閉じて胸に抱きしめた。
ダリア・メイヴィスは死んだ。その手のぬくもりを知っている。その優しい声を知っている。その明るい笑顔を知っている。欲しいと思っても手に入らない。時間は巻き戻ってはくれない。決して立ち止まりはせず、リコリスという少女の味方にはなってくれない。傍に寄り添ってはくれない。ただ静かに「進むしかない」と言うのだ。分かっているから、彼女は泣いた。声をあげて、ぼろぼろと大粒の涙をこぼして。
「ごめん、ごめんね。ダリア、ほんとうに君に会いたい……! 今は誰よりも君に会いたいよ。なんと謝ればいいんだ、私は君になんと謝ればいい……ッ」
どれくらい泣いていただろう。どれくらい叫んでいただろう。声が嗄れるまで泣いた。
「……私は、私の人生はなんだったんだろう。奪われ続けて、奪い続けて、結局手元には何ひとつ残らなかった。だから、死に場所を探してやってきた。最後に殺すべきは誰よりも怪物になってしまった自分自身なのだと思ったから……」
椅子から立ち上がり、懐からナイフを取り出す。どこか静かな場所で自分の首を掻き切り、永遠の眠りへと堕ちるために用意したものだ。それをテーブルの上に転がして、彼女は袖で涙を拭い、口をきゅっと結ぶ。
「私に何をしろというんだ、メイヴィスさん。いるんだろう、そこに」
きぃ、と扉が軋む。差し込んできた日差しといっしょに影が伸びる。震えるリコリスの背中に、ルピナスは何も言わなかった。ただ、そこに立っているだけ。彼女は振り返り「答えてくれ!」と叫び、彼に縋るかのように掴みかかった。
「なんで私にこんなものを見せたんですか、メイヴィスさん!?」
「……私のせいで、あの子には友達がいなかったから」
大貴族。その肩書のおかげでダリアが肩身の狭い思いをしているのは知っていた。周囲が彼女の傍にいるのは自分という存在が大きいからで、誰も彼もが損得勘定ひとつで彼女に近づいていたことをルピナスはいつだって気にかけていた。自らが築き上げてきた地位さえあれば、きっと生活には困らないし、不幸になるなんてこともない、と。
それが間違いだったと知るのは遅すぎて、手助けのひとつまともにできなくて、そこへリコリスがやってきた。わずかな時間、手のひらで握りしめられるくらいの少ない時間でダリアには笑顔が咲いた。友達だと言って喜んでいっしょに城へ行こうとした。それくらい彼女にとってリコリス・ヴィクトリアという人物は大きな存在だったのだ。
「君の復讐は君のものだ。ダリアはきっと責めたりはしないし、気にも留めないだろう。……なんとなくわかっていたんだ、君が死のうとしているのは。だから止めたかった。親友であるとまで言った君の死は、きっとダリアがいちばん望まないことだ」
ぽん、とルピナスは彼女の頭に手を置いて優しく撫でる。
「許してくれ。こんなにも世界は残酷で君を救ってはくれないが、生きてほしい。私の、私たちの娘のぶんまで長生きしてほしい。たとえ復讐に生き大罪を背負った子だろうと、私たちの娘が選んだ子が自ら命を絶つのを見捨てるなど、とても無理な話だ」
ずるずると崩れ落ち、リコリスは糸の切れた人形のように無言で俯く。
「私に生きろと……。はは、あれだけ虐殺の限りを尽くして誰が許してくれるものですか。そもそも、なにを感じながら生きていけばいい。この何もない世界で」
「まだ小屋の裏を見ていないだろう? こっちへ来なさい」
彼に連れられ、虚ろを表情に引っ提げて小屋の裏側へ向かう。だが、すぐに彼女は驚きに目を丸くして、その瞳に光を取り戻す。庭の裏側には広い花壇があり、その隅から隅までに白いダリアの花が咲いていた。本来咲くはずのないダリアが。
「まだ開花にはうんと早いんだがね。あの子が大事にしていたからと様子を見に来てみたら、咲いていたんだ。まるで君が来るのを待っていたみたいに。本来ここには赤いダリアが植えてあったんだよ。なのに白いのが咲いたんだ。……とても美しいだろう?」
白いダリアの花言葉。感謝。豊かな愛情。リコリスの頬を温かいしずくが流れる。ダリアが遺した花。赤色が好きだった彼女があえて白く咲かせた。奇跡と呼ぶに相応しい光景。とたん、彼女の中で何かが大きく揺れ動く。きゅっと拳を握りしめた。
「ええ、本当にすごく……美しい。あの子が微笑んでいるみたいだ」
────レディ・リコリスは復讐に生きた。世にも残虐な物語として後世に残されたロストラータ王国きっての大事件、その真実は永劫に誰の耳にも入らず、真相を知るのはメイヴィス家だけ。子孫もなく、最期を迎えるまでひそかに暮らした彼女の墓はメイヴィス家が所有する森の中にあり、今は誰も訪れることはない。──ただ毎年ある日を迎えるとき、必ず墓前にはダリアとリコリスの花が並んで美しく咲いた。




