ⅩⅥ.裏切り者に黒薔薇を
悲鳴があがるよりも先に、リコリスは容赦なく女性の頭を掴んで壁に強く叩きつけた。何度も気を失うまで。何事かと慌てて出てきた男性には剣を引き抜き、致命傷とは行かずも腕や足に浅く傷を負わせ、抵抗する気力を削いでいく。
「どちらかが騒げばどちらかを殺す。私の指示に従え、分かったな」
リコリスは冷徹に言った。直接何かしたわけもなく、ただ平和に暮らしていた彼らだったとしても、ニコライの関係者というだけで静かな怒りが殺意へと変わっていく。目の前にある首を斬り落として運びたい衝動さえあるのを堪えて、彼女は計画を始める。
最初は人質を増やそうと、彼らの言葉ならば誰でも耳に留めてくれるのを利用し、村で暮らす子供をふたりほど呼びつける。リコリスが今まで殺してきた誰よりも幼い――彼女の妹たちよりやや年下の――子らを脅し、泣きわめこうとした方は即座に殺した。子供にはまだまだ理解が及ばない事情を並べ立てたところで意味など成さないからだ。喚くのをやめさせようとすればするほど喚きちらすと判断したら、やるべきことは決まっていた。
そして同じ手口で何人かを捕まえ、誰かが逃げれば誰かを殺すと宣言し、抵抗を試みた者があればこれを見せしめに殺害。子供ひとりだけを自由にあとは全員、互いにロープで縛らせる。それからリコリスは剣を手に「私はここを離れるが」と前置きをして。
「もしひとりでも逃げれば全員を殺す。たとえ全員逃げ果せたとしても、この子供が人質である限りはどうなるか考えなくてもわかるだろう。それから言っておくが、私は君たちがどこへ逃げようとも必ず追い詰める。決してジョークなんかじゃない。あらゆる手段を用いて必ず追い詰め、逃げた期間の私の労力に相当するだけの苦痛を味わってもらう。そう易々と死ねると思うな。以上、何か質問は?」
皆、口を閉ざして俯くばかりだ。恐怖に震えて何も言えない。そうして彼らのもとからいちど離れると村の外へと出て、子供を連れニコライの前に戻る。彼はなんとかしてロープから抜け出そうともがいていて、リコリスに見つかった瞬間ぴたりと動くのをやめた。
「……どうした、続けていいよ? 私は止めたりしないさ」
言いながら子供を前に座らせる。まだ幼く、これからの未来を想像してみれば、きっと真面目な子に育ったはずだ。そんな男の子の首をニコライに見せつけながら彼女は躊躇なく掻き切った。ごぼごぼと血を溢れさせ、もがき苦しんで涙を流しながら悲鳴もうめき声も上げることを許されず、救いを求めるように彼を見つめて男の子は死んだ。
「何か言いたげだな。口の縄だけ外してあげようか」
ぶはっと息を吸い込んだニコライが、彼女をぎっと睨みつける。
「なんて惨いことを……お前は自分が何をしているか分かっているのか!?」
「そんな怒らないでよ、私だって残念だと思ってる。まだ小さいのにね」
立ち上がり、彼女は男の子の頭を足で踏みつける。何度も、何度も硬いブーツの底で。ぐしゃぐしゃになって形も分からないほど潰しながら叫んだ。
「だけど私の妹もお前たちに殺された! いつかは愛した誰かと手を取り合い、子を作り、幸せに暮らしていたかもしれないのに! お前たちが保身に走ったがために私の欲しかった未来は踏み躙られた! こんなふうにだ、分かるかニコライッ!?」
ぜえぜえと息を切らす。ニコライの言葉に彼女は鬼の形相をした。彼の足を掴み、引きずり始める。今度は村の中まで連れて行こうと言うのだ。そのとき、少しだけ重たく感じた。どうやら薬が切れてきたようで、グレープがいない以上、急ぐ必要が出た。
ずらりと並ばされた村人たちは、どこに逃げも隠れもしていなかった。だが子供が戻らなかったこと、それからリコリスが血まみれになって戻ってきたので何が起きたかを察して、男の子の両親は悲鳴と絶叫をあげたが。彼女はそれを「耳障りだ」と一蹴する。
「不愉快にも程がある。これから話をしようっていうのに」
泣き叫ぶ両親のもとへ歩み寄り、剣を振るった。だが飛んだのは彼らの首ではなく、その隣にいた村人の男。誰もがどうして、と何が起きたのかまるで理解できなかった。彼女は剣を鞘にしまい、わざとらしく肩を竦めて言う。
「ほら、君が静かにしないから関係ないヤツの首が飛んだ。別に泣き叫びたかったら続けてくれて構わない。かわいそうに子供を失ったんだからね。その代わりに誰かの首が飛ぶだけだよ。さ、馬鹿じゃないんだ。どうするべきか結論は出しておけ」
とたんに静かになる。悲しみに暮れている時間さえ与えない。
「よし、お利口さんだね。では話をしようか、まずは……そう、なぜ君たちの前にニコライが連れてこられているか。どうして君たちが私に捕らえられ、死を恐れなくてはならないのか。単純な話が二年も前に遡らなければならないのは反吐が出そうだけど」
思い出すだけで胸が詰まりそうになる。目の前で串刺しにされた部下。腕を落とされ、胸を刺され、頭を叩き割られて死んだ妹たち。だが二年間、一日たりとも忘れたことはない。何度も苦しんできた。何度も魘されてきた。毎夜毎夜、泣きわめく日々だった。多くの人間に裏切られ、その二年後にようやくひとりの友人が出来た。最初は恨んだ相手でも、メイヴィス家は貴族らしからぬ心優しき者たちであった。それを平然と殺し、保身に走り、まるで正義の執行者ぶった物言いをするニコライへの恨み。その矛先を彼の故郷にいる人々に向けることで、彼には理解してもらうのだ、と涙を流しながら。
「かわいそうに、残念ながら君たちは全員ここで死ぬ。それもすべては彼が自分を正当化し続けたゆえにだ。恨むなら彼を恨むといい。死んでからもな」
悪魔にも勝る微笑。恐怖が伝播していくのを眺めながら、彼女は近くの小屋にあった椅子を運んできてニコライを座らせた。もう彼に発言を許すつもりはなく、ロープを噛ませ、彼の目の前にひとりの女性を座らせる。村では宿の経営をしている若い女性。以前はリコリス自身も話したことがある、ニコライには妹も同然の親しい間柄。恐怖に全身を震わせ、命乞いをするも何も聞こえていない素振りで首に剣をあてがう。
「よおく見ておけ、ニコライ。お前がダリアを殺したように私も彼女を殺してやろう。目を閉じるなよ、その目に焼き付けるんだ――さあ、見ろ!」
ばっさりと首を斬る。血が噴き、流れ、びくびくと痙攣しながら絶命していく姿にニコライはロープを噛み千切らんばかりの勢いで食いしばり、喉を震わせて唸り声をあげるだけで何もできない。夢なら醒めてくれと祈りを捧げるだけが彼に許された行いだ。
刻々と時間は過ぎていく。悲鳴もひとつずつ減って、ついには静まり返った。うなだれて気力もなくなったニコライの前にはいくつもの死体が積み上げられている。死者たちを椅子代わりにリコリスは彼を見下ろした。
「どんな気分? 目の前で死んでいくのに何もできないのは」
ごろりと転がされた最愛の家族の首を呆然と虚ろな目で見つめる彼に返事をする余力はない。か細くヒュウと呼吸をして、自分がしてきたものが消し飛んでいくのに打ちのめされて、生きている意味がわからなくなるほど心に空洞が出来ている。
「ダリアは私が見つけたとき、まだ息があったんだ。もう助からないくらい血を流して苦しんでいた。……なあ、ニコライ。あれだけ苦しんで辛そうにしている彼女を置いていくのはさぞや気分が良かっただろう? 私も今、きっとお前と同じ気持ちだ。こんなにも邪悪で醜いものなんだと自分に震えさえするよ。でもこれからはもっとひどい」
剣を彼の足先に突き刺した。痛みが走ったニコライが「うぐあああっ!」と叫んだ。強烈な刺激が彼を現実へと引き戻した。
「そうそう、そういう顔が見たかったんだ。でもこれは序の口。もっと痛み、苦しみ、悶えて、叫んでよ。その喉が引き裂けるくらいの絶叫をして? もっと楽しいことをしてあげるから、その歪んだ表情を私にもっと見せてくれよ」
少し離れて、彼女がいそいそ持ってやってきたのは裁縫針がたくさん刺さったピンクッションだ。村人の誰かが縫物をするのに使っていたモノだろう。「これからなにをすると思う?」と子供を相手でもしているかの声色で問いかける。ニコライは虚ろな瞳で彼女を睨みつける。それが返事だとばかりに。リコリスはつまらなそうに針を一本手に取ってから、彼の髪を掴んだ。
「さ、口を開けてごらん。別に開けないならそのまま刺すけどね」
一本。二本。三本。次々と歯茎に突き刺していく。薬が切れかけとはいえリコリスの異常な腕力はまだ健在で、どれだけもがいても頭を動かすこともままならない。全身が痛みに硬直し、目は飛び出そうなほど見開いている。彼女は嬉しそうだった。
残った針が二本になれば「仕上げといこう」と瞳に目掛けて――。
「――おやすみ。くたばれ、クソ野郎」




