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ⅩⅣ.燃えゆくアドニス

 鍛え抜かれた体に加えて厚い甲冑を着たニコライの重量は相当なものだ。リコリスはそれを涼しい顔をして足を掴んで引きずっていく。樽を片手に、あちこちで炎があがるのを虚ろな瞳に映して歩き、自分の行いの邪悪さに恍惚とした。


 そして彼女は、さらなる邪悪に身を堕としていく。


「壊そう、全部。何もかも恐怖で彩って。私から奪うすべてを」


 ひとつの部屋の前で立ち止まる。開け放たれた扉の向こうでは、まだ幼さの残る少年を避難させようと数名の騎士たちが集まっていた。その者をリコリスはよく知っている。いや、知らない者のほうがはるかに少ない。彼こそはロストラータ国王の息子、ジニアだ。子に恵まれない国王が最も愛する子であり、騎士たちが誰よりも優先して助けに来るのは当然のことだった。


「やあ、避難の準備かな。これからどこへ行くんだい?」


 気さくに話しかける。あきらかに狂気の沙汰にあるリコリスに怯える少年を庇おうと騎士たちが立ちはだかったが、彼らは彼女が掴んで引きずっているのがニコライだとわかって短い悲鳴を上げ、足が竦む。騎士団長のニコライは誰よりも強い。束になって勝てるかどうか、そんな実力をもった男を打ちのめし、ぬいぐるみを離さない子供のように掴んで歩いてきたのだ。状況が状況のなかで恐怖は増していく。


「き、き、貴様いったい……!」


「落ち着け! なんとしても王子を守るんだ!」


 約四名。元より副団長の地位にあるだけの腕を持つリコリスにとって、今の彼らは訓練用の木偶とそう変わらない。部屋の中に一歩、二歩と踏み入って、荷物から手を離す。油樽の底がごとん、と床を叩くと同時に、彼女は剣を引き抜いた。見た目にはいちどだけ、実際には数回も剣を振り、騎士たちが抵抗する間もなく殺されていく。


 返り血を浴びながら、リコリスはにんまりと倒れた死体たちを蹴りよけて、うずくまって恐怖にがたがたと震えるだけしかできない王子の頭にぽんと手を置き――。


「怯えないで、少し話が聞きたいんだ。君たち王族であれば緊急事態に備えて逃げ道くらい確保しているはずだ。護衛の騎士がいたということは彼らも知っていたかもしれないが、おそらく口は割るまい。だけど君なら協力してくれるだろう?」


 ジニアが怯えた顔をして頻りと頷く。そのさなかに小さな声でぶつぶつと「殺さないで」と繰り返したが、リコリスは興味もなさそうに玉座の間に隠し通路があると聞きだしてから、自分の羽織っていた布を丸めて、置いてあった油樽のなかに突っ込んだ。


「さ、君も行こう。玉座の間はそんなに遠くなかったよね?」


 油でべったりとした布を広げてジニアに前が見えるようにだけして頭から被せ、玉座の間まで彼を先に歩かせ、またニコライを引きずって歩いた。途中、中庭の前を通る際にあった壁掛けの金具に嵌っている松明を手にとった。準備が整った、と彼女は喜ぶ。


(……玉座の間へ向かおうとしていたのなら、きっとそこに国王がいて、当然の如くアコニタムもいるだろう。なおかつ王妃もいるのなら、これ以上ない絶叫が響くこと間違いなし、どんな音楽よりも素晴らしいものが癒しをくれるはずだ。ああ、いまから楽しみで仕方がない。私以上に苦しい思いをさせてやらなくては!)


 その予想は正しかった。玉座の間で待っていたのは国王と王妃、そして宰相のアコニタムに加えて護衛の騎士が三名。彼らの前にやってきたとき、リコリスは宝物を見つけた子供のように虚ろな瞳を輝かせて声を上げた。


「これはどうも、国王陛下。覚えていらっしゃいますか、この私を!」


 ロストラータが目を細めた。「覚えているとも」と低く唸るように答えて。


「いささかの変化とて見紛うはずもない。二年前このわしを暗殺しようと試みた娘、リコリス・ヴィクトリアであろう。やはりこの騒ぎの元凶は貴様であったか……」


「ええ、もちろん。ただし、この騒ぎはね。城門から逃げられないよう、わざわざ手間暇かけたんですよ。今頃たくさん焼け死んでいるかもしれません。良い匂いがしてきそうだ」


 いかに大変だったかを嬉々として語る彼女の歪んだ精神は実におぞましいものだ。同じ人間の所業とは思えず、ロストラータが最後に見た彼女と比べれば遥かに残虐で狂気に満ちていた。誰もが言葉を失うなかで、彼はつぶやく。


「なんと惨いことをするのだ、貴様は……!」


 その言葉に、リコリスから笑みが消える。目つきを鋭くして嫌悪と苛立ちをあらわにし、彼女は掴んでいたニコライの足から手を離し、鋭く睨みつけて「はあ?」と重たく響かせた。


「惨い……? それはあなただろう。彼らが今も逃げ惑い、恐怖し、血を流し、肉を焼かれて悶え苦しむあいだ、あなたはここで部下が王子を連れてやってくるのを待ってさっさと逃げる腹積もりだったのでは? 高みの見物はさぞや愉快だったはずだ。自分だけは安全な道を知っていのだから、たまらず笑いも漏れたでしょう?」


 気を失ったままのニコライを捨て置き、連れてきていたジニアに被せた布を掴むと彼を跪かせる。彼女は怒り任せに彼を蹴り伏せ、背中に足を乗せて逃げられないようにしてから松明を近づけた。


「貴様、なにをする! ジニアはまだ子供だぞ!」


「だから? 私の妹たちは有無も言わさず殺されたのに?」


 ロストラータは返す言葉もなく押し黙ってしまう。鼻で笑った彼女の視線は、動揺に包まれながらも沈黙を通しているアコニタムへ移る。


「まあいい、私が用があるのはそっちだ。話すべきことがあるだろう、アコニタム? もしあなたがこれ以上黙っていると言うのなら、彼を確実に殺す。さあ選べ! 保身か、告白か……私はどちらでも構わないが、さてどうするかな?」


 リコリスの言わんとしていることがアコニタムは理解できていた。二年前の国王暗殺の謀略から始まり、プルメリアを口封じに殺害。そして今度に至っては、大貴族、メイヴィス家の令嬢までも殺した。ニコライを操り、自身の手は汚さずに。


 そのすべてを明るみにしたなら、今の立場のままではいられない。かといって黙秘をしたならジニアは殺される。彼が辿り着ける正解などなく、最も敬愛するはずのロストラータ国王からも厳しい眼差しが向けられた。「どういうことだ」と問われて、鉄槌もさながらの無情さをしたアコニタムの表情が初めて不安に崩れ去る。


「ま……待て、ヴィクトリア。まずは落ち着いて話を――」


 リコリスは無言のまま、ジニアの足首を踏みつけた。ごきりと音がして、少年の「うああああああっ!」という悲鳴がけたたましく響く。余計な会話をするつもりなどない。彼がすぐにでも話さないのなら、さらに痛めつけるつもりだ。次はもっと勢いよく、と決めて。


「私があなたとするべき話はひとつだけだ。それ以外に何かを述べるつもりなら、」


 少年の折れた足が繰り返し踏みつけられる。ロストラータがやめるよう懇願しても彼女は何度も何度も踏んで、喉が千切れんばかりの悲鳴をあげさせる。ロストラータの厳しい目はアコニタムへと向けられ、彼は観念にしたように「わ、わかった、もうやめろ!」と叫ぶ。


「話す。全部話せばよいのだろう、わかった……だからもうやめろ!」


「やれやれ。態度がなっていないが、まあ大目にみてあげよう」


 松明からぱちぱちと火花が飛ぶ。リコリスは彼の言葉を待った。やがてアコニタムの口から語られたのは、彼女に罪をなすりつけるよりも少し前の話だった。


「誉れ高く由緒正しいはずのユニフロラ騎士団にどこの馬の骨とも分からぬ娘が座し、権力を持つことが煩わしかったのだ。家柄が良いとはいえニコライでさえ私には邪魔だった。彼の者の発言は陛下にも影響したからな。だからこそユニフロラ騎士団に初めて貴様という女が入り込めた。……このままでは私の地位が危うい。それが恐ろしかった」


 ニコライを含め、騎士団の多くは世継ぎであるジニアに好かれていた。とくに女性であったリコリスが彼と接する機会が増えれば、いつか高齢の現国王が退いた際には自分も同じく解任の危機を覚えた。そこで、どうにかしてニコライを共犯者に仕立て上げ、副団長の地位にあったリコリスを失墜させるかと悪知恵を働かせたのだ。


「……それで? そこまではいい、なんとなく想像がつく。その後に私の剣を盗み、誰に持たせた? あのときから二年、それなりに調べてきたつもりだが、ただそれだけが未だに分からない。あのとき証言をした兵士も、プルメリアも〝私に似た誰かを見た〟と言っていたはずだ。その正体をあなたは知っているだろう?」


 彼は問い詰められて俯き、「答えられない」と返した。視線を逸らしたことに彼女が腹を立てて「嘘を吐いていないだろうな」と言えば、彼は慌てて顔を上げた。


「ち、違う! 本当に答えられんのだ! 知ってはいる、だが名が分からぬ。そのときの私は、ただ自身の欲望に忠実だったとしか……ヤツの言葉はまるで花の蜜のような誘惑があった。それゆえ私は……嘘はついておらぬ。これが真実だ、ヴィクトリアよ!」


 いったい誰だったのか、とは彼にとっても不思議に感じるところがあった。悩みを抱えてからしばらくのある晩に、その者は彼の枕元に立っていたという。どこから入ったのかも分からず、兵士を呼びつけようとするとナイフを首にあてがわれ『とってもいい話があるのよ。あなたの悩みを解決するかも』と言った。その何者かが羽織っていたローブを脱ぎ捨てると、姿を現したのは白髪の女だった。ひと目見たときには老婆かとも思ったが存外にも若く、彼女は『あの騎士団の女のふりをして、私が王様の暗殺を未遂に終わらせてあげる。そうしたら、あとは――』と、そこからが例の事件のすべてだ。


「どうやって化けたのかは分からぬ。だが、その者は私に言ったのだ。『誰かのふりをするのは簡単だ』と。だから従った。今思えば魔性の女であった。どうして信じたのかも。しかしすべては現実となり、私はうまくいったのだと……」


 おそらくは城内でわざと誰かに後ろ姿を見せ、罪をなすりつけるための下準備もあったのだろう。アコニタム自身は計画に殆ど加わっておらず、最終的な判断は彼にあったとはいえ、その何者かがほとんどを仕組んでいた。その目的も何もわからずじまいで、全てが終われば二度と現れることはなかった、と。


 その必死さの宿る瞳は命乞いや誤魔化しが目的ではないことを懸命に訴えている。リコリスは少年から松明を離し、少し離れた場所へ投げ捨てた。


「もういい、わかった。……約束だ、王子は解放しよう。連れて行くといい。――だが、あなただけは逃がすつもりはない、アコニタム。ここで死ね」


 そう言って、彼女は剣を抜くと全力で振りかぶり、アコニタムに投げつける。高速で回転して飛んだ剣は正確に切っ先で彼の額を捉え、避けることも敵わないままに直撃して短いうめき声だけが響いて倒れた。


 同時にロストラータとその妃がジニアの傍へと駆け寄ろうとする。彼女はニコライを担ぎ上げ、国王の傍を通り玉座の裏側に隠された通路へと向かう。すれ違い、息子に縋りつく彼へわずかな憐憫をこぼして振り返り――。


「国王陛下。近しい者の言葉に耳を傾けるなとは言いませんが、必要なときはご自身で判断されるべきだ。誰かの言葉に流されるだけではただの飾り物。所詮は暗君に過ぎません。あなたがこれからも玉座に腰を落とすのならば、努々お忘れなきよう」

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