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ⅩⅢ.チューベローズが嘲笑う

 外に出たあとは、動き通しで火照った彼女の身体を夜風が労う。すとんと油樽を置き、大きく深呼吸をする。肌に張り付いた血の感触はざらついていて、普段ならば気味の悪いはずなのに、今はとても心地よくさえ感じていた。


「そこにいるのは誰だ?」


 ハッとする。見張りがいつまでもいるわけではない。交代でやってきた誰かが手にした松明をかざして彼女を照らす。二人組らしく、どちらも騎士団員と分かる装飾ある甲冑姿にリコリスは目を細めた。ひとりはずいぶん若く、成年になったばかりと思しき男。それが前に立って松明を持ち、血だらけの彼女を見つけるなり、背後にいたもうひとりに「ここは俺に任せて団長たちに伝えろ」と素早い判断で走らせた。


「悪いけど、行かせるわけにはいかないんだ」


 剣を引き抜き、背中を向けた兵士へと投げつけた。駆ける馬車の車輪もさながらに高速で回転し、成年の男の傍を通り過ぎて伝令に向かおうとした男の体に突き刺さった。「うぐあっ」と悲鳴が上がる。同時にリコリスは地面を蹴って突っ走り――。


「よそ見をしている余裕はないよ」


「し、しまった……うわっ!」


 体当たりされた若い男が、しりもちをつく。リコリスは容赦なく続けざまに、あご目掛けて勢いよく蹴りを放った。首の骨を折るつもりだったが、間一髪で避けようとした動作が強烈な衝撃による痛みを与え、意識を混濁させる程度に済ませた。


「惜しい、もう少し動くのが遅ければ痛みを感じる前に死ねたのに」


 ひとまず放置して彼女は自身の剣を回収する。突き刺された騎士の男は既に絶命していて、ぐったりして動かない。邪魔な石ころをよけるように彼女は死体を足で転がし、まだ生きている男のほうへと振り返り、剣を手に持ってぷらぷらさせながら近づく。


「生きて帰れるとは思わないでくれよ、残念だけど」


「う、ぐ……! それはこちらも同じだ、殺人鬼め!」


「へえ、立つのか。意外とタフだな。そのまま気絶するかと思った」


「あまり俺をなめてくれるな!」


 成年の男は自身の剣を支えにしながらもなんとか立ち上がり、足元の浮遊感に苛まれながらも構える。そして彼女に向かって目つき鋭く宣言した。


「兄のようには行かないが、このレギネ・オーガスタは誉れ高きユニフロラ騎士団が副団長! たとえ死に直面しようとも決して怯んだりなどするものか!」


 胸がざわついた。レギネ・オーガスタ。その名を聞いただけで考える間もなく理解する。彼はあのニコライの弟(・・・・・・)なのだ、と。リコリスの剣を握る手に力が籠り、身震いをする。今、彼女は自身でも想像だにしえないほど興奮していた。口角がぐいっと上がり、喜びが隠せない。眼前の男レギネは彼女の計画で最も重要な存在になった。


「あはっ……あっはっはっは! なるほど、あのニコライの弟か! それはいい、実に都合がいい。最高だ、神とは、やはり意地の悪い御方らしい! そして私はこんなにも運がいいなんて! ああ、こんなにも最低で最高の日があるものか!!」


 憎しみが膨れ上がっていく。怒りが湧き上がっていく。狂気に支配されていく。最愛の者を失う苦しみから解放されることはないとしても、それ以上の苦しみを与えてやれる機会がやってきた。彼女はそれを天の恵みと形容して崇め、称え、そして――。


「くっ……貴様、いったいなにを笑って――」


 言葉は途切れる。最後に見た光景を理解できぬまま首は宙を舞い、地面に叩きつけられると同時に、立ち尽くす自分の肉体と狂気に満ちた女の歪んだ微笑みを脳に焼き付けてレギネは絶命する。幸いだったと言えるのは、彼がこれから起きることを知らず、傷みも苦しみもないままに逝けたことだけだ。


「ふふ、うふふ。いやはやなんとも嬉しいものだね。しかし申し訳ない、こんなことになってしまって。だが恨むなら自分の兄を恨むといい、私にはキミという人間の死体がどうしても必要になってしまったんだ。これから面白いことが起きるぞ。君も喜んでくれたまえ、レギネ」


 首のない体をまさぐって、腰の革ベルトに固定されていたナイフを引き抜く。手の中でくるりと回して弄び、転がったレギネの頭を仰向けにする。逆手に持ったナイフを突き立て、舌を切り落とし、眼球を抉り、ぽっかりと暗闇をつくる空洞を見つめて笑った。


「うん、悪くない。想像するだけでも気分がいい」


 身にまとっていた布で、ずたずたにしたレギネの頭部を包み、眼球を上着の胸ポケットに押し込む。切り落とした舌を油樽の蓋の上に置き、彼女は剣をしまってから、また油樽を運ぶ。城の中、点々とある燭台の灯りを頼りに今度は油をまき始める。廊下に敷かれた絨毯に染ませて口笛を吹きながら歩く姿は狂人そのものだ。誰かが自分を見つけてくれる、そのために彼女は口笛を吹く。


「こんな時間にどこの誰が騒いでいるんだ」と、部屋から顔を覗かせた貴族の男が、燭台の傍に立って振り返った血まみれのリコリスを見て「ひいっ」と声を上げて扉を閉めた。自分が襲われては敵わない。そうして閉じこもり、自室の窓から「誰か助けてくれ!」と叫んだのだろう、彼女はにまあと笑って扉に油をぶちまけ、燭台を扉の前に倒し、ついに火を放った。


 結果、しばらくして城のあちこちから声や足音が響き始める。


 誰かが火事だと叫び、パニックが起きると兵士も騎士も大慌てだ。避難をしようにも城の落とし格子の門は固く閉ざされていて、開けるためには複数人の力自慢な兵士たちが必要だ。それを見越して、彼女は既に通路にも火を放っていた。


(ああ、なんと愉快だろう。私を見れば逃げていき、しかし城からは出られない。袋のネズミも同然だ。彼らの恐怖する顔と来たら、思わず噴き出してしまいそうになる。いいぞ、もっと燃えろ。身も心も、何もかもを灰にして焼き尽くすほどに)


 炎の熱や黒煙をものともせずにリコリスは歩く。薬の影響だろう、グレープという魔女の恐ろしさが、腰に提げた剣や重ねてきた経験よりも遥かに頼もしい味方となるとは彼女も思っていなかった。残ったひとつの油樽を片手に城を歩き、鉢合わせた者は次々と切り伏せた。その途中で、彼女は待っていましたとばかりにニヤリとして、自分のほうへ向かってくる男の姿を見つける。


「お前、アマリリスか!? まさか、この騒ぎはお前が……!」


 白金の髪。美しく整った顔立ち。まるで貴族の男性のような衣装に身を包んだ彼女。昼間とは違う姿に驚きはしたものの、察するにはじゅうぶんだった。しかしリコリスはニヤつきながらまともな答えを返しもせずに胸に手を当てて、膝を曲げながら深くお辞儀をした。


「これはこれは、オーガスタ卿。お会いできるのを心待ちにしておりました」


「……? なんの話をしているんだ。この俺に会いたかったと?」


「ええ。まあ、とはいってもダリアがあなたに殺されたあとの話ですが」


 油樽と布に包んだ頭を置き、剣を手にする。ニコライも同様に剣を引き抜いて構え、彼女と対峙し緊張感のある強張った表情をみせた。何を言っているのか本当に理解できておらず、リコリスは手を広げて飄々とした笑みを浮かべながら。


「あなたがダリアを殺したのは知っている。プルメリアを殺害しただけは飽き足らず、愛したはずのダリアまで手に掛けるとは見下げ果てた男だ、オーガスタ。あなたには恥も外聞もないようだが、いったいなぜ彼女たちを裏切ったのか? 私はそれが気になって仕方がない。どうか真実を話してはもらえないだろうか?」


 もっと誠実な男だと思っていた。情に厚いと信じていた騎士団長が、自信はともかくとしてダリアまでも裏切ったことを彼女は許せずにいて、その冷たい視線が熱を帯びたものとなって彼へと向けられた。


「アマリリスは仮初の名か。二年前の復讐を果たしに来たのか、リコリス! これほどの騒ぎを起こした貴様に話すべきことなどありはせん! 剣を構えろ、ここで俺が罪人に然るべき処罰を与えてやろう!」


 正体に気付いたとたん対立を選び、言葉を交わす余地を握りつぶしたニコライに彼女はがっかりしたと肩を竦める。そして仕方なく油樽の上にのっていたレギネの舌を持って彼に投げつけた。べちゃりと足下に張り付いたそれの奇妙さに、彼は訝し気な顔をする。


「なんだこれは……舌、か……? いったい――」


「まあ、聞いてくれるかな。私のくだらない推察ではあるけれど」


 ふたりの距離は開いている。攻める気のないリコリスは話を始めた。


「あなたが情に厚いのは、いくらか事実だろう。アコニタムのように残酷に生きるのは得意じゃない。だから私を拾ってくれた。それは未だに感謝しているとも。ダリアを殺したのもきっと理由があったはずだ。それはきっと――家族、あるいは故郷を人質に取られていたんじゃないのか。たとえばそう……現副団長を務めるあなたの弟君とか」


 ニコライがぎょっとする。リコリスが「あなたの弟君」と口にした瞬間、その視線が一瞬だけ下に向けられたのを見逃さず、彼は理解した。いや、させられたのだ。わざと彼女は分かりやすいように瞳を動かしていた。彼に気付かせるために。


「お、お前、レギネにいったい何をしたというんだ!?」


「いやなに、ちょっといたずらをしただけさ。……こんなふうに」


 足下に置いてあった布を広げて持ち上げたものをニコライに見せつける。彼の顔色がみるみる青ざめていく。恐怖と絶望に彩られ、わなわなと震えた彼が叫ぶ。


「――──貴様よくも俺の弟をッ!!」


 怒り任せに踏み込む。侮っていたところもあったのかもしれない。所詮リコリス・ヴィクトリアは元副団長という地位であり、危険人物として認めながらも自分よりも才能の劣った相手と見下して、確実にここで殺すつもりだった。絶対に勝てる自信を持っていた。


 今のリコリスが想像を超えているなど、到底思考が辿り着くはずもない。接近した次の瞬間には視界がぐるりと回って、自分が床に倒れ伏している現実には疑問符が浮かぶだけだ。


「……あ、が……何が、起きて……」


 ぼやけた視界。力の入りにくい体を起こそうとしながら見上げた女が小さく「話はあとでゆっくりしよう」と薄笑いを浮かべた声で告げた。

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