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Ⅻ.スノードロップが口笛を吹く

 後悔はしない。けれども謝罪は口にした。たったひとりの友人が、きっと望まないとしても彼女はもう引き返すつもりがないからだ。策謀によって罪人の扱いを受け、自らがなによりも愛してきた者を失い、人々に絶望した彼女には。


 廊下を出て、人目を避けながら明確な目的を持って移動を始める。過去にリコリスが城の巡回をしていた頃、よく女中たちが集まって洗濯場で駄弁っているのを見かけたことがあった。そういう習慣なのだ。彼女らにはのんびり世間話をするほど休める場所もなく、誰に見つからないで自由でいられる時間が欲しかったから。


 その習慣は続いていた。扉からうっすらと漏れる明かりを見つけてにやりとする。洗濯場など深夜に使わない場所にひとが寄り付くことはまれであり、巡回する兵士も後回しにしがちで、それはダリアが殺されたあとも変わっていなかった。


「まったく、困ったもんよねえ」と声が聞こえてくる。彼女は聞き耳を立てた。


 どうやら数人が昼間のことで話をしているのだと分かる。


「中庭で死んでたらしいじゃない。しかも背中から刺されて」


「あれでしょ、自分のお茶会用のスペースでって話」


「ええ、ほんとに。ってことは自分で招き入れた誰かに刺されたってこと?」


「かもしれないね。大貴族の令嬢だからって偉そうだったもんねえ」


 彼女たちが話しているのはダリアの悪口ばかりだ。彼女は舌打ちをして、扉を静かに開け放つ。異変に気付いた女中たちがざわついたのを扉の影で聞きながら、そっと剣の柄に手を伸ばして握りしめる。しぃ、と小さな呼吸をしながら近づいてくる足音を聞く。


「なによ、誰もいないじゃな――」


 すっ、と何かが光に反射した。誰もが目撃したそれに訝し気な視線を向けていると、洗濯場の外に出たメイドが突然前のめりに倒れて「ひっ」と短い悲鳴があがる。首が半分切り裂かれ、血がどっぷりとあふれ出す。びくびくと痙攣する体を足蹴にして、部屋の中に入ったリコリスは剣を振って滴る血を払い、部屋に残っていたふたりの退路を断つ。


「やあ、ずいぶんと楽しそうに話をしているね」


 ひとりが叫び声をあげようとしたのに気付き、リコリスは踏み込んで間合いを詰め、喉目掛けて剣を深く根元まで突き刺す。血を浴びても表情ひとつ変えずに。


「時間を考えたほうがいい。皆の迷惑になるだろう?」


 一分も経たないうちにリコリスはふたりを殺した。部屋にはもうひとり残っていて。悲鳴すらあげられず恐怖から腰を抜かしてしまっている。残った女中は城の入り口で『仕事が減って楽になった』とへらへらしていた女だと気付き、彼女は視線を鋭くする。


「幸先が良いな、私は。もう少し時間が掛かるかもしれないと腹をくくってはいたんだけど、探す手間が省けてよかったよ。さ、立ちたまえ。他のふたりみたいになりたくはないだろう? 言葉も話せないほど怯える気持ちはわかるよ。怖いよね、でも」


 するりと指を女中の顎に這わせて持ち上げ、目と鼻の先まで顔を近づける。吐息が掛かり、狂気に満ち満ちた瞳が見つめた。


「君に選択肢はない。わかったらさっさと立て、あまり私を感情的にさせるな」


 手を離し、女中の髪を掴んで引っ張る。「痛い!」と叫んでもお構いなしだ。


「よく騒ぐやつだ。それくらい大きな声が出せるなんて感心するよ。……ま、いいか。それよりも歩け、外に地下倉庫があっただろう? あそこには見張りがいて中に入れない。君から声を掛けてもらいたいんだが、それくらいはできるよな?」


「で、できる……できます……! だから殺さないで……」


「それは君の頑張り次第だ。行こう、あまり時間を使いたくない」


 転がった死体を部屋のなかに押し込み、部屋の灯りを消して手燭ひとつを女中に持たせて廊下に出る。自分は洗濯場にあった布を一枚羽織り、いつでも隠した剣を引き抜けるように柄を握ったままにして先を歩かせた。


 途中、巡回中の兵士ひとりと出くわしても、リコリスは何食わぬ顔をする。火の灯りだけでは、布を羽織った彼女の血だらけの姿も確認し辛く、女中にも冷静に対処しなければ殺すと伝えて、「道に迷っていらっしゃったので、お部屋に案内していただけです」と答えさせ、城の外へ向かう。


 地下倉庫への階段前には大きな篝火が焚いてあり、見張りがふたり立っている。中にあるのは使わなくなった農耕具や兵士たちの訓練用の道具がしまわれている。あまり用はなかったが、リコリスはそこに入ろうとしていた。


「……声を掛けて気を逸らすだけでいい。妙な動きを見せれば他の兵士たちよりも先に君を殺すつもりでいるから覚悟しておくんだ。分かったら行け」


 指示を出すと女中は恐る恐る見張りの兵士たちに近づいていく。その隙に彼女は足音を最小限に抑えて地下倉庫入り口近くの植木の傍に身を隠す。


「おい、こんな時間に地下倉庫へいったいなんのようだ?」


 兵士の声がする。女中は緊張を抑えるように胸の前で拳を作った。


「さきほど城内で騎士様にお会いして、地下倉庫で落とし物をしたと。しかし、どうしても外せない用があると仰ったので、いちどこちらを訪ねてみたのです」


 ふたりの兵士が顔を見合わせて困った様子を見せる。危険なものも保管されているため、昼間に起きた事件から誰も通さないよう指示が下りている、と。


「ったくよお。メイヴィス家だかなんだか知らんが馬鹿な騒ぎになっちまって、おかげで俺たちは寝る間も惜しんで警備と来た。家のベッドが恋しいよ」


「ああ。ま、嫌われ者の貴族様だったんだろ? 明日にはみんないつも通りさ」


「はっはっは、違いねえ! 二年前の事件みてえにみんな忘れて――」


 男の言葉が止まった。振りぬかれた剣が首を刎ね、傍にいたもうひとりの兵士が咄嗟に腰につるしていた剣を引き抜いたが反応が間に合わない。リコリスの俊敏さは次の動作まで極端に短く人間離れしている。風が吹いたかと思うような速さで両手首を切り落とし、蹴り飛ばすと倒れた兵士の喉へと剣を突き立てる。皮膚がぶつりと音を立てて裂け、切っ先は首を貫いて地面に刺さった。


「それ以上喋らなくていい。眠いのならゆっくりそこで寝ていろ」


 なんの感情すら湧いてこない。ただただ滾った怒りに突き動かされるばかりで、地を這う虫を踏み潰すよりもずっと躊躇いなく殺した。そして剣をしまうと倒れた男たちの足を掴んで引きずりながら、女中を連れて地下倉庫へと進んでいく。


「あ、あぁあ、あの、ここでなにを……」


「何をするのか聞いてどうする? その質問に意味があるのか?」


 強く言われて押し黙ってしまうのを見て、リコリスはふいっと背を向ける。倉庫の奥には木剣や錆びた薪割り用の斧、切れた革のベルトなどが散らかっていて、彼女の興味はそちらへと注がれた。あれこれに手を触れて、爬虫類の表皮を思わせる錆びたざらつきのある感触には、背筋がぞくりとさせられた。


「さて、色々道具があるが……ん? これは?」


 布をかぶせられた小さめの樽がいくつかある。中身を尋ねると女中は「油樽です」と答えた。料理用などではなく、籠城の際に熱して使うために保存している質のあまり良くない油であるらしく、リコリスは使えると踏んだ。


「なるほどね、中身が分かってよかった。君も疲れただろう、椅子に座ったらどうだ? 少しぼろっちいが、いきなり足が折れたりはしないはずだ」


「い、いいんですか……ありがとうございます……」


 精神的に疲弊していたのか、すぐに椅子へ腰かける。言った通り椅子はひどく軋んで悲鳴をあげたが壊れることはなく、ホッとひと息ついた――瞬間だった。


「ゆっくり休むといい。おやすみ」


 手にした木剣を思いきり振りかぶって、女中の頭を側面から殴った。ばき、と折れる音がして悲鳴をあげることもなく彼女の首はだらんと傾いて動かなくなり、ずるりと椅子から転げ落ちる。リコリスは傍に木剣を転がして、油樽に切れた革のベルトをいくつも縛って持ち上げると、地下倉庫をあとにした。


 満足したように口笛を吹きながら。

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