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Ⅹ.アマリリスは似合わない

 もうダリアは息をしていない。全身から力は抜け、少しずつ血色が消えていった。うずくまっていても仕方ないからと抱き上げ、誰かに伝えようとしたときに、彼女の片手だけが未だに強く握りしめられているのに気付く。そのすき間から植物が見えた。


「これは花か? どうしてこんなものを……」


 まだ硬直の進んでいない手を開いて出てきたロベリアのつぼみ。リコリスは彼女がプルメリアと同じように、何かを伝えるために残したものだと察して、その花をズボンのポケットに押し込んだ。


(……今は考えない。とにかくダリアを連れて行かないと)


 当然、騒ぎは起きた。あのダリア・メイヴィスが何者かによって暗殺されたのだとなれば、誰もが驚愕する。結婚祝いのパーティに昨晩訪ねたばかりだった貴族たちも普段なら陰口のひとつでも叩きそうなものだったが、口を開いて呆然とするばかりだ。


 その事実は瞬く間に城内に広がり、そしてルピナスのもとまで報せが届くまで時間は掛からなかった。昼になる頃、ベッドの上で静かに眠るダリアの傍には、ぼんやりと見つめるだけの彼とリコリスだけが部屋にいて、ニコライたちは現場の調査へ向かっていた。


「申し訳ありません、私が傍にいながら」


 沈黙に耐え切れずリコリスが謝罪を口にする。全て自分の責任だと思わずにはいられなかった。ダリアの行動に違和感を覚えていながらもしばし離れ、周囲に話を聞いているうちにやはり気になって彼女は引き返したのだ。女中にどこへ向かったかを尋ねたとき、ニコライとふたりで仲良さそうに話したあとで、中庭に走っていったのを見たと言われ、最初は疑いさえ持った。本当は彼女が自分を裏切ろうとしているのではないか、と。


 それが間違いだったと気付いたときの後悔の念が胸のなかで渦巻き、今に膝から崩れ落ちてもおかしくないほど精神的に憔悴している。


 だが、ルピナスは彼女を責めなかった。


「家を出る前、ずいぶんと嬉しそうな顔をしていたんだ。いつになくご機嫌でね、どうしたのか尋ねたら『どうしてもやりたいことができた』と言っていたよ」


 リコリスがグレープと会っていた頃だろう、馬車を用意して待っているあいだにダリアはなんともわくわくした様子だったらしく、送り出すときには普段あまり感情を表に出さないルピナスも微笑んで手を振るほど。


『ねえ、パパ。いつも言わないんだけど、今日は言わせて。――いつも気にかけてくれてありがとう、いっぱい楽しんで来るね。いちばん大事な友達と!』


 いつもと雰囲気が違う彼女の姿。太陽のように明るい笑顔。よほど友人が訪ねてきてくれたことが嬉しかったに違いない、と『ああ、今日は遅くなっても構わないよ』と伝えたのが、最後に交わした言葉だった。


「だから聞かせてほしい。君はいったい何者なんだ、ラジアータ。いや、アマリリスと呼べばいいのか? それとも本当はまた違う名前なのか? ダリアが信じた君を私にも信じさせてくれ。彼女を殺したのは君か、それとも別の誰かなのか」


 どきりとした。ダリアが殺されたことで意識はせずとも動揺のあったリコリスは、自分が名乗りが彼とその他では違うことを失念していて、問い詰められたときに『しまった』と気付かされた。彼は自分を疑っているのだ、得体の知れない何者かである彼女を。


 なにをどう答えるべきか。そう考えたとき、リコリスはひと息をついて。


「私の本当の名はリコリス・ヴィクトリア。二年前、国王暗殺未遂の罪によって国を追われた者です。そして少なくとも、昨晩まではダリアを殺そうと考えていました。あの子がひとりで泣いているのを見つけるまでは、ですが……」


 二年前の事件でダリアの証言を受けて、彼女に復讐しようとしたこと。そのことを彼女が後悔し続けていたこと。そして、ふたりで二年前の事件の真相に近づくために、今日は城へやってきていたとリコリスはすべてをルピナスに語った。


「……私は妹たちを奪ったすべてが許せなかった。だから、最初はメイヴィス家そのものをめちゃくちゃにしたうえで彼女を殺すつもりだった。でも、あの子の本心を知って少しだけ……昔の自分を取り戻した気がしていました。……憲兵を呼ばれますか?」


 生きる気力を失いかけていた。復讐心も再び訪れた絶望感にべったりと塗りつぶされてしまって、もし彼が望むのならこのまま憲兵に差し出されて、処刑を待つのも構わない。心はすっかりひび割れ、傷ついていた。もう終わりにしてしまえば楽になれる、と。


 ダリアの手を静かに握ったルピナスは相変わらずの無表情をして。


「私はこれまで誰かを憎んだことがない。この身が引き裂かれる思いをしたこともない。だがよくわかったよ、何かを奪われる痛みと苦しみが、今は死にたくなるほどに。……リコリス、私は無力だ。大貴族という肩書きを持つだけの民のひとりでしかない」


 ルピナスは泣いていた。声も上げず、頬を伝うものの温かさが今はただ悲しさを背負っている。どうあっても戻らないものに縋りつくように。


「この子の母親は病弱でね。少し遠い空気のきれいな小さい村で療養していて、長く会えていないことを寂しそうにしていたから……この子を連れて帰るよ。こんな形だとしても最後まで会わないままなのは、あまりにも残酷だろう?」


 うつむく。何も言えない。ダリアが亡くなった今、ルピナスは誰よりも傷ついている。かける言葉などないことは、リコリスがいちばんよく理解していた。


 沈黙が続く。どちらも会話をする気力もない。ルピナスはリコリスが決して殺していないのだと理解はしていた。彼女の口ぶりやダリアを見つめる視線。今にも泣きそうなのを我慢して唇をかむ仕草。愛娘が『いちばん大事な友達』とまで形容した相手だから。


「こほん……失礼します。調査が終わりましたので報告にあがりました」


 部屋の扉がノックされ、声がする。ニコライが数名の部下を連れてやってきた。すでに他への報告も済ませていて、最後に今回のダリア殺害の件について父親であるルピナスにも伝えにやってきたのだという。


「ああ、えっと……そっちはたしかダリアの友人の……アマリリスだったか」


 退席してほしそうに歯切れの悪い素振りをみせるニコライに「彼女にも話してあげてほしい」とルピナスが言った。彼は仕方なさそうに頭を掻く。


「ま、いいでしょう。ずいぶんと親しかったみたいですから」


 そういってニコライは懐から丸めた紙を取り出した。


「これが中庭のプランターに。とある人物からダリアに宛てられた手紙かと」


 リコリスの表情がわずかに変化する。感情的になりそうだったところを寸でのところで留め、誰に気付かれることもなかった。そのままニコライが手紙を読み上げるのを冷静に聞き、彼が「プルメリアという女中が殺された可能性がある」と話し、ダリアとの関連性が二年前の国王暗殺未遂に繋がっているとルピナスに伝える。遺されたはずの花がなく、キスツスについての記述のみがある手紙の内容だけを知ったふうに語ったあからさまな嘘だったが、リコリスは何も言えなかった。


(ロベリア。そうか、やはり君を殺したのはニコライなんだな。可哀想に、本当に彼を愛していたからこそ、君は話したんだろうに……絶対に許せない)


 今すぐにでも剣を引き抜きたい気持ちでいっぱいだったが、部屋は広くなく多勢に無勢、そのうえルピナスもいるとなると今は耐えるほかない。彼の言葉に黙ってうなずき、残念そうにしながらも胸中ではとてつもない怒りが煮えたぎっていた。


「報告ご苦労。もう下がっていい。その下手人がリコリス・ヴィクトリアならば城に忍び込んでいることだろう。早く見つけ出してくれ、次の犠牲者が出ないうちにな」


「ええ、もちろん。それでは失礼いたします、ルピナス殿」


 ニコライたちが部屋を出ていき、その足音が遠ざかって消えるとルピナスはホッと胸をなでおろして「落ち着きがない子だな」とリコリスを窘めた。


「彼らの話の真偽がどちらであれ、感情を抑えるのに手が震えていたのでは危うく気付かれるところだ。もう少し冷静になりなさい、どれだけ悔しくても」


「……すみません。でも、私を信じてくれるんですか?」


 ニコライたちに突き出すことだってできたはずだ。ダリアを殺した犯人はここにいるぞ、と。話を聞きながらもそれを選ばなかったのには驚かされた。だが、彼は当然だとばかりに首を横に振った。


「あの男はアコニタム卿の駒だ、最初から信用など値しない。私は自分の娘が信じた者を信じるとしよう。たとえそれが間違いでもね。……さ、君のことは助けてやったのだから、あとは好きにするといい。私はこの子を連れて帰るとするよ」


 城にいる兵士や女中たちに声を掛けて目覚めることのないダリアを馬車に乗せ、彼は邸宅に一度戻り従者たちに休暇を告げてから町を出ると言った。準備には二時間ほどを要し、用意された棺桶の中で眠る彼女の頬を撫でて、そっとふたを閉じた。最後に見送りに出たリコリスのモノ悲しそうな表情に彼はフッ、と笑みを浮かべる。


「アマリリスのように誇らしげな生き方は、今の君には合わなさそうだ。……何もかも終わったら、ここから離れた〝カウベリー〟という村を訪ねなさい。そこで待っている」

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