ノールアヴォンにて ①
一頭立ての二輪荷馬車に乗って、私はお嬢様を冒険者の住まう町、ノールアヴォンにお連れしました。そこは城壁代わりに木杭を立て、建物も丸太や木の板を地面に突き立てただけのような、みずぼらしい佇まいが並ぶばかりの集落でした。
ですが、その時代に取り残されたような町並みの中は、大変な活気に溢れていました。武器や防具を身につけ、意気揚々にこれからどこに行くかを話している者、怒号を響かせながら喧嘩をしている者、また全てを諦めて路傍で酒をかっくらって、いびきをかきながら寝そべっている者、と、王都ではまず見られない光景が広がっています。
王都では、誰もが重大な用事があるかのような振りをして、急いで前を歩いていきます。道行く人々は誰にも迷惑をかけず、また誰をも相手にしないという暗黙の行動原則をひたすら遵守し、その肉体を町の喧騒に埋もれさせていく。
王都で、もしそのルールを破り、冒険者たちのように気ままに振舞えば、即座に敵対行動と取られ、衛兵を呼ばれることは間違いないでしょう。そうして牢獄の鎖へと縛り付けられて、その後の人生を全て棒に振ってしまいます。
しかし、それとは対照的に、ノールアヴォンは自由でした。道端に痰を吐き捨てようが、大声で歌いだそうが、いきなり喧嘩を始めようが、構いません。まさしく自由。誰もが笑って、他人を受け入れるのでした。
そしてそれを目の当たりにしたお嬢様の心は、いかばかりものでしたでしょうか。荷車から身を乗り出し、目を輝かせてご覧になるお嬢様の姿を見るに、よい影響を与えたようには思えません。私は今更ながらに冒険者というのは子供の教育に悪いのでは、と思うに至るのでした。
さて、ノールアヴォンのちょうど真ん中くらいにある一際大きな建物の前に辿り着きますと、お嬢様の興奮の度合いはいよいよ高まりだしました。そこの看板に書かれた文字はギルド。
よくある物語のように、冒険者が集い、情報交換し、また依頼を受ける場所です。中に入りますと、お嬢様は一目散に受付に駆け出しました。
「冒険者になるのって、ここでいいのよね? 私、冒険者になりたいの!」
「はぁ」
「私はね、冒険者になりたいの。私は悟ったの。人生を楽しむには、自由気ままに行動するのがいいんだって。さっきの通りにいた冒険者たちもそうよ。みすぼらしくて、惨めで、まるで人生の敗北者みたいなナリだったけど、そこにお父様がいつも浮かべているようなしかめっ面はなかったわ。ねえ、クゥトーも見てたわよね? きっとそれは自分のやりたいことをやっているからだと思うの。だからね、私もクゥトーと一緒になって冒険してみるって決めたの。それって、やっぱり楽しくて、素敵なことじゃない? ねえ、クゥトー?」
受付の女性が戸惑っているのをよそに、お嬢様は身を乗り出し、弁舌を振るっていきます。まるで先程の通りにいた冒険者たちを倣うかのように淑女としての嗜みを忘れた姿でした。
この時になって、私ははじめてお嬢様の向こう見ずさを知ったように存じます。いえ、そのことについては前から知ってはいましたが、ここまで周りのことが目に入らないとは思いもよらなかったのです。
私はお嬢様にそれとなく落ち着いて話をするように咳払いを何度かして、自制を促しました。それがようやくお耳に入ったのは、何度目の咳払いだったのでしょうか。
お嬢様は顔に朱色に染めたまま、慌てて威儀を正すと、恭しく受付の女性に言葉をかけました。
「そういうわけですので、よろしくお願いします」
「それでは依頼の発注ということでよろしいでしょうか?」
「違うわ。依頼を受注したいということなの」
「……なるほど」
と、受付の女性は答えながら、お嬢様の言うことをさっぱりと理解していませんでした。時折、目が注がれる私とお嬢様の格好からは、やはり説得力というものが感じ取れなかったのでしょう。それでも気を取り直すと、彼女ははにかむような愛らしい笑顔と共に口を開きました。
「えーと、では冒険者の登録を行いますので、こちらの書類の方にサインをお願いできますか?」
「これでいいかしら?」
お嬢様がそこにフルーエ・サフィールとお書きになりますと、受付の女性はひどく狼狽なさいました。私たちの格好は冒険者としては珍奇なことこの上ないですが、その服装はいずれも上等なもの。そこにもやはり説得力は伴います。
ここで下手を打ったら、まずいと思ったのでしょうか、彼女は「少々お待ちください」と言って奥に引っ込むと、代わりにそこから顔一杯に愛想笑いを浮かべたふくよかな男性が現れました。
「いや~、こんなむさ苦しいところに、ようこそおいでくださいました、マドモアゼル・サフィール。私はノールアヴォンのギルド長をしておりますラグレスと申します。ささ、こんな所でお話をするのは何なんで、どうぞ上の階の応接室にいらっしゃってください。すぐにコーヒーをお持ちしますので」