ノールリミトにて ①
私とお嬢様は王都を出て、冒険者の賑わうオー・ド・ソント帝国のノールリミトにやって来ました。城壁に囲まれたその町は、王都のように整然と並び立つレンガや石造りの家とは違い、木組みの家が所狭しと縦横無尽に立ち並んでいます。
見慣れぬ光景に、お嬢様は早速胸を弾ませ、足を弾ませ、町の中にあるお店を行ったり来たりして、今回の旅立ちをお楽しみになっていました。やはり外国に来たという興奮もあったのでしょう。足を休ませる暇さえ見せません。
今回、お嬢様が冒険者になりたい、とご無体なことを仰った理由の一つに、それがあります。何でも生まれてこの方王都を出たことないことを、ご学友にひどくからかわれたとのことでした。
「まぁ、マモアゼル・サフィール、王都を出たことがないって本当のことかしら? そんなのが許されるのは、子供までよねえ? あら、そういえばマモアゼル・サフィールって、お幾つだったのかしら? うふふ」
などと、お嬢様はご学友の身振り手振りをマネしながら、魔法学校でのことをお話になってくださいました。
もちろん、それを聞いた時、私は「それでしたら、普通にご旅行をされたい旨をお告げになれば、サフィール卿も快諾なさったのでは」と僭越ながら申し上げたのですが、それはけんもほろろに突き放されました。
「あら、クゥトー、それしか理由がないのだったら、私だってそうしたわよ」
「さようにございますか」
「そう、さようよ。私だって、そこまで馬鹿ではないもの」
「さようにございます」
「クゥトーは『世界の中心で恋を願う』って小説を知っているかしら?」
「寡聞にして詳細は存じませんが、若者たちの間で流行っているという話は、よく耳にします」
「そう、それよ! その本! それを読んで、私、感動したの! 愛する恋人が重い病気にかかったって話なんだけど、主人公はそれでね、恋人の最後の願いを叶えるために一緒に冒険に出るのよ。病院の薄暗い部屋で一生を終えるのは嫌という恋人の話を聞いてね。それで外に飛び出し、町にはなかった雄大な景色を前にして、二人は確かな愛情を確かめ、最期の時を過ごすの。はぁ~、ロマンチックだわ~」
入院を余儀なくされている重病人が冒険に出るなどという荒唐無稽なお話に、私は一瞬ほど頭を抱え込みそうになりましたが、それをお嬢様の前でするのは、幾らなんでも失礼に過ぎます。
お嬢様の感動に水を差すのは、使用人の分を超えた振る舞いと言えるでしょう。私は何とか愛想笑いを浮かべながら頷きました。
「さようにごさいますか」
「……クゥトー、今、私のことを馬鹿だと思ったでしょう?」
「滅相もございません」
「本当かしら?」
「……しかし、お嬢様」と、私は話題を変えるために急いで口を開きました。「そのような恋愛に憧れるのでしたら、なおさら冒険に出る必要はないのでは? 王都にいれば、いずれお嬢様に相応しいお方が現れ、素敵な恋を見つけるものと存じます」
「クゥトーは勘違いしているわ」
「と、仰いますと?」
「私が憧れたのは恋人の女性ではなくて、その病気の恋人を容赦なく連れまわす主人公の方よ。彼を見て、私は悟ったの。人生には、時にはそういった思い切りが必要だって。何も考えずに、わがままに振舞った方が、人生は楽しいんだって」
「……さようにごさいますか」
「クゥトー、また私のことを馬鹿だと思ったでしょう?」
「滅相もごさいません」
「ふ~ん、でも、何にしても私にそういった評価を下すのは早いと思うわ」
「さようにございますか」
「あと一つ、私が冒険者になりたいって言った理由があるの。そこで、クゥトーに質問。その理由って何だと思う?」
「申し訳ありません。分かりかねます」
「も~う、そんな簡単に考えることを諦めないでよ。今の問題を解けたら、ちゃんとした賞品をクゥトーにあげるわ」
「賞品ですか?」
「ええ、それはこの世にたった一つしかない大切なもの」
「何でしょう。宝石でしょうか?」
「宝石は幾つもあるでしょう。まぁ、大きさとか、輝きといったものを考慮に入れれば、この世に二つとないって言えるのもあるかもしれないけど、今回は違うわ。その賞品は、何と生き物なの」
「生き物ですか。しかし、ペットを飼う余裕は、残念ながら私にはないかと存じます」
「も~う、そういうんじゃないの。賞品は私! 私が冒険者になる理由を見事に言い当てられたら、ご褒美として私がクゥトーと結婚してあげるわ!」
お嬢様は胸を張り、誇らしげに私の前に立ちました。どうにもお嬢様は子供の時分から、よくこういうことを仰って、私をからかう悪癖がございました。
察するに、使用人がどう受け答えたらいいか戸惑っている様子を見て、楽しんでおられるのでしょう。だとしたら、今ここで私に期待されている役回りは、ピエロに他なりません。
そして執事の務めは、雇用主の生活を支えるものと決まっています。私は困惑した色を精一杯に顔に映し、お嬢様の生活が明るく彩られるように、進んで笑い者となりました。