サフィール邸にて ③
「マドモアゼル、もう準備はよろしいですか?」
アンフェミ様は白刃を鞘から抜き放ち、太陽の光に輝かせ始めました。その鈍いきらめきがご自分に向けられたのを理解したお嬢様は、ハッと息を呑みます。
「どうかご安心ください、マドモアゼル」お嬢様の様子の変化にお気づきになられたアンフェミ様は肩の力を抜いて、優しく声をかけました。「未来の花嫁の顔には、決して傷つけません。一人の騎士として、また一人の男として、ここに約束いたしましょう」
「花嫁? どういうことですか、ムッシュ?」
「おや、お聞きになられていないのですか? この勝負、私が貴方に勝てば、マドモアゼル・フルーエは私のものとなるのです。サフィール卿とは、もう既にそういう形で話はついていますよ」
「お父様!!」
フルーエお嬢様はキッとサフィール卿を睨みつけます。それに一瞬ほどたじろいだ卿ですが、ご自分の方に非はないとすぐに声をまくし立てました。
「フルーエ、結婚が嫌というのなら、すぐにこの勝負を降りて、冒険者だ何だという戯言を言うのはやめることだ。そうすれば、お前の結婚の話は、もう少し先にしてやってもいいんだぞ」
「だから、私はお父様が嫌いなんです!」
「なッ! ななななな何を言うか!? 親に向かって、その口の利き方は何だ!?」
「子供の考えを全く聞かずに、自分の考えを押しつけるばかりの人は親ではありません。そういうのは、ペットの飼い主というのです。そして私はお父様のペットではありませんわ!」
「馬鹿者! パパはお前の将来のことを真剣に考えてやっているんだぞ! それを何だ!?」
「言い訳は結構。言葉も不要です、お父様」
「何?」
「この勝負、受けます。私が負けたのなら、結婚でも何でもしましょう。ですが、私が勝ったなら、前にも言ったとおり、私は冒険者になります。そして結婚の話もなかったことにさせてもらいます」
「もちろん、それで結構ですよ。元より、そういったお話でしたので」
サフィール卿に代わって、アンフェミ様がお答えになります。サフィール卿も、この段になっての言葉の無意味さをご理解されたのでしょう。卿は、ただ黙ってお二人に頷きました。
「さて、お互いに準備はよろしいようなので、そろそろ決闘を始めませんか、マドモアゼル」
「ええ、そうですわね、ムッシュ。それでは、クゥトー、決闘の開始の合図をお願いできるからしら?」
「はっ」と、私は頷きますと、急いでお二人の間に立ちました。そして両者の距離が不公平にならないくらいに離れますと、私は審判として厳かに決闘の開始を宣言しました。
「不詳、このクゥトー・アッシエが、こたびの決闘の音頭を取らせてもらいます。それでは、はじめ!!」
決着は一瞬でつきました。アンフェミ様が矢のような勢いで素早く間合いをつめ、剣でお嬢様の盾を攻撃しようとする。そしてお嬢様はその動きに合わせて、サッと後ろに飛び退き、魔法を発動させたのです。
盾から発射された風の固まりが容赦なくアンフェミ様のお身体に直撃。アンフェミ様は「ぐああぁぁぁーーッッ!!」という悲鳴と共に瞬く間に遠く吹き飛んでいきました。
「ア、アンフェミ様!!」
私は慌ててアンフェミ様のもとに駆け寄り、容態を確かめます。幸いなことに、お怪我はないようでしたが、不幸なことに、意識もそこにはないようでした。
私に続いて後を追ってきたお嬢様は、アンフェミ様が気絶なさっているのを確認すると、飛び上がって無邪気に喜びをあらわになさいました。
「やったー!! 私の勝ちよ!! これで結婚はなし!! そして私が冒険者になってもいいってこと!! ちゃんと見ていたわよね、クゥトー、それにお父様!?」
そこに答えは返ってきませんでした。お嬢様の勝利という現実を受け止めるのが、よほどの困難だったのでしょう。見てみると、サフィール卿は泡を吹いて、気絶なさっていました。