サフィール邸にて ②
「その勝負、喜んで引き受けますわ、お父様」
お嬢様は晴れやかに口元を綻ばせると、何の迷いもなくサフィール卿のご提案を受け入れました。その反応は卿も意外だったようで、つい言葉を失ってしまいます。
「それでは、お父様、服を着替えてくるので、今しばらくそちらの殿方と、お待ちになっていてください」
戸惑うサフィール卿を尻目に、お嬢様はくるり、と軽やかに踵を返して、ご自分のお部屋に向かわれました。そのお背中を見て、卿は疑問を隠さずに私にお言葉をおかけになりました。
「クゥトー、フルーエのあの自信、どう思う?」
「何か、お考えがあると存じます」
「それはそうなのだろうが、魔法学校というのは、戦闘についても教えているのか?」
「申し訳ありません。分かりかねます。しかし、身を守るために、ある程度のことを教えていても不思議はありません」
「うーむ」と、サフィール卿が手を顎に当て思い悩んでいるところに、鎧の剣士が卿の肩に手をかけてきました。
「大丈夫ですよ、サフィール卿。どうか大船に乗ったつもりで、ご安心なさってください」
「頼もしいな、アンフェミ。フルーエのために、お前の勝利を祈っているぞ」
「お任せください」
アッシュブロンドの髪に美質な顔立ちから、揺るぎない自信をのぞかせるのは、サフィール卿のご友人クゥァルツ様のご子息、アンフェミ・クゥァルツ様でございました。
アンフェミ様は昨年、王都で開かれた剣術大会で優勝されたお方。その大会には十八歳未満という出場制限がありましたが、それでもアンフェミ様の確かな実力に疑問を抱く者はございません。サフィール卿がフルーエお嬢様に勝負をけしかける理由は、そこにございました。
「お父様に、ムッシュ、お待たせしてすみません」
サフィール邸の敷地内の一角にある東屋で、私がサフィール卿とアンフェミ様に紅茶と軽食を給仕していると、フルーエお嬢様が満を持してご登場なさいました。
その格好は黒と白の乗馬服で、金糸のような長い髪は緋色のリボンで後ろに纏め上げております。日頃、お召しになっていらっしゃる婦人服とは違って、随分と動きやすそうになっていましたが、そこには一際異彩と思えるものがありました。
何とお嬢様の左腕には盾が装着されていたのです。その盾もまた異様で、盾の表面には所狭しと模様が描かれています。
「それは魔法円ですか?」アンフェミ様が感嘆の息を漏らしながら、ゆっくりとお嬢様に話しかけました。「美しさすら感じさせる見事なものです。さすがは魔法学校の才媛ですね、マドモアゼル」
「お褒めに預かり光栄に存じます、ムッシュ。一つ確認しときますが、この盾の意味はお分かりになりますよね?」
「ええ、もちろんです、マドモアゼル。油断はできないということですね」
アンフェミ様が警戒をあらわにした魔法円とは、ご存知の通り、神々の恩寵を賜るための符丁です。その形により種々様々の魔法が発現するのは、小さな子供でも知っていることでしょう。
しかし、その種類の多さと図形の複雑さから、魔法円を一目見ただけでは、どんな優秀な魔法士でも、その意味を判別することはできません。故に、魔法円に相対するものには、どんな魔法がくるか、とそれ相応の警戒と覚悟というものが必要となってきます。
ですが、アンフェミ様は涼やかな笑みのまま、お嬢様の前にお立ちになりました。それも当たり前のことでしょう。現代において、魔法が戦闘にではなく、生活の方に多く根ざしているのは、別に理由がないわけではありません。
魔法円は緻密な図形。そこに僅かな傷でもできれば、神々へ慈悲を乞うことはできません。即ち、魔法を使うことができなくなるのです。