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キャルム湖にて ③

 お嬢様の身勝手さに、正直なところ、私は嫌気が差しました。これでフルーエお嬢様がお亡くなりになっても、自業自得のこと。私には何の責任もない。


 それはまぎれもない私の本心でしたし、そう思っても仕方のないことを、お嬢様がしたと存じます。実際、私の足は一度はお嬢様とは違う方向に向けられました。


 しかし、お嬢様の子供のようなわがままに合わせて、こちらも感情的に振舞うというのは、いかにも大人げありません。それになんといっても、私はサフィール卿に仕える執事です。卿の顔を曇らせぬように努める責任が、私にはあるのです。


 私は覚悟を決めると、急いでお嬢様の後を追いました。


「きっとクゥトーなら、私を追ってきてくれるって信じてた」


 私が追いつくと、お嬢様は笑顔でのたまってくれました。能天気な発言に些か以上に腹立たしく思いましたが、大人としての、また執事としての矜持を持つ私は、何とかそれを堪えて申し上げます。


「ご無事なようで何よりです、お嬢様。しかし、私を戦力の当てとして数えられても困ります。ここは大人しく撤退しましょう」


「クゥトー、私だって馬鹿じゃないわ。何も無策で戦おうってわけじゃない」


「と、仰いますと?」


「不意打ちで、あの大きい奴を仕留めて、それで周りの奴らが怯んでいる隙に、ノールアヴォンに行くの」


「おそれながら、お嬢様、それは策ではなく、素人の浅知恵というものです」


「クゥトーが私を心配して、そういうことを言ってくれるのは分かるわ。でも、私の魔法を見れば、少しは考えて改めてくれると思う」


 言うが早いか、お嬢様は盾を掲げてヘルハウンドの群れの前に飛び出しました。そして巨体のモディ・ドゥーに向けて、お嬢様はご自身の自信の正体を見せてくれました。


風の狂乱(フレネズィ)!!」


 お嬢様が華麗に言葉を紡ぎますと、昨日、お嬢様が木を切断してみせた風の刃とも言うべきカマイタチが同時に幾重にも放たれ、モディ・ドゥーに殺到したのです。


 巨大な魔物の口から、その大きさには似合わない甲高い悲鳴が響きます。ですが、それでモディ・ドゥーが倒れるということはありませんでした。


 確かにおびただしい血は流れて、地面を真っ赤に染めていましたが、その傷は絶命させるには至らなかったのです。おそらくは、体格に見合ったヘルハウンドの体毛と筋肉によって、魔法の威力が阻まれてしまったのでしょう。


 手痛い傷をこしらえ、見る見るうちに怒りを滾らせたモディ・ドゥーは、即座に報いを、とお嬢様に飛びかかります。ですが、お嬢様が咄嗟に盾を掲げた瞬間、先の怒りはどこへやら、その巨体を軽々と横に飛ばし、それから距離を取りはじめたのです。


 明らかに魔法を警戒しての行動でした。魔法の存在と出所を瞬時に看破するその能力は、確かな知性を感じさせます。


 そしてその頭脳が次に導き出した行動は、実に悪辣なものでした。モディ・ドゥーは空気を震わすような咆哮を合図にして、周りにいたヘルハウンドたちを、いっせいにお嬢様に襲いかからせたのです。


 実際に戦闘を経験した方なら分かることと思いますが、人間にとって、大きな魔物一匹を相手にするより、小さな魔物を複数相手にする方がよほど困難なものです。その答えは単純で、戦闘という極限状況の中で、意識を幾つもの方向に割くのは難しく、注意が疎かになってしまうからです。


 そして案の定、お嬢様は多方向から押し寄せるヘルハウンドの攻撃に対処しきれず、そのお身体を地面にとお倒しになられてしまいました。そこに間髪入れずにヘルハウンドの群れが大口を開けて、お嬢様に飛びかかります。


「風の狂乱!!」


 お嬢様も反射的に身体を丸め、盾を掲げて身を防ぎますが、そこから放たれた魔法は悪手ともいえるものでした。というのも、魔法によって切り刻まれたヘルハウンドが、その内にあった血と臓物を飛び散らせ、お嬢様と、その腕にある盾に容赦なく降り注いだからです。


 神々とは厳格にして高潔な存在。彼の方々の恩寵を賜るための魔法円には、どんな傷も汚れも許されません。お嬢様は今の戦いのやり取りで、魔法を使うことができなくなってしまったのです。


 

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