サフィール邸にて ①
フルーエお嬢様と執事の私が冒険者として仕事に行くのは、どうやら確実なこととなりつつあるようです。
もちろん、私も昔は冒険者として働いていたこともありますから、多少の勝手というものは分かります。おそらくお嬢様の父君であらせられるサフィール卿も、そこのところを考えて、最終的にお嬢様のわがままをお許しになったのでしょう。
ですが、私が剣を振り回していたのは何十年も昔のこと。今の年老いた私では、どこまで動けるかは疑問です。
そもそもの始まりは、二週間ほど前の夕食の席でのことでした。サフィール卿とお嬢様がお食事を終え、卿が食後の葉巻を吸いに喫煙室に立とうとしたところで、お嬢様が出し抜けにこう仰ったのです。
「お父様、私は冒険者になるわ」
何か不吉な予言を聞いたかのように、サフィール卿のお顔は瞬く間に真っ青になり、倒れるようにして椅子へとその身をお沈めになりました。
「す、すまない、フルーエ」サフィール卿は震える手足を気力で何とか押さえ込み、お嬢様に力なく、儚げに笑いかけました。「どうやら、パパはワインを飲み過ぎてしまったようだ。フルーエの口から、冒険者になりたいだなんて幻聴が聞こえてしまったよ。ハハハハ」
「冗談ではありませんわ」
「何だって?」
「ですから、私は冒険者になりたい、と本気で言ったのです」
お嬢様の力強い宣言をお聞きになりますと、サフィール卿は憂鬱な溜息を吐き、自らの頭を両手で抱え込みました。冒険者は一般的に言えば泥にまみれる賤業でありますし、それが伯爵家のご令嬢であらせられるフルーエお嬢様が目指すと言えば、最早狂気の沙汰と取られかねないものでした。
それから十分も経った頃でしょうか、私たち使用人がいつ食器を下げたらいいのだろうかと思い悩んでいたところで、サフィール卿はようやっとお顔を上げることに成功しました。そこにはさっきまであった陰気めいたもはなく、カラッと晴れた青空のような明るい笑顔があります。
「いやー、まいったまいった」サフィール卿はご自分の頭をポンッと叩きますと、さもおかしいかのように笑い出しました。「ドッキリだね、これは。いやー、パパは見事に騙されちゃったよ。さすがだなー、フルーエは」
「お父様」と、フルーエお嬢様は食堂に響くサフィール卿の笑い声を言下にさえぎりました。
「な、何かな、フルーエ?」
「私は冗談など、一言も発してはいませんわ」
お嬢様は、その奥に星を埋め込んだかのように輝く青い瞳で、サフィール卿を射抜きます。そこには、まぎれもない真実の光があったかと存じます。卿は、やおらテーブルに拳を叩きつけると、怒り心頭にお嬢様を怒鳴りはじめました。
「馬鹿を言うんじゃあない、フルーエ!! お前は自分の義務を何だと思っているんだ!! 私はそんなことをさせるために魔法学校へ通わせたのではないぞ!! 私は、そんなことは絶対に許さないからな!!」
その言葉を聞いて、私は思わず天を仰ぎ見ました。お嬢様は頭ごなしに否定されると、かえってご自分のお考えに固執する依怙地な部分がございました。ですから、サフィール卿の口から、あんな言葉が出た時点で、ことの趨勢はもう決まったようなものでした。
「絶対に私は冒険者になります!! お父様が何を言ったって、無駄なんだから!!」
お嬢様は卿にも負けぬ大声を繰り出しますと、勢いよく立ち上がって卿を睨みつけました。卿も下手を打った、と遅まきながら悟られたようですが、今更時の歯車を逆に回すことなどできません。卿はへそを曲げたお嬢様を相手に無駄な説得を続けなければならないのでした。
さて、それからお二人は顔を合わせるたびに、お嬢様の将来について口喧嘩をするという日々をせわしなく続けていましたが、一週間もした頃、サフィール卿は満面に笑みを貼りつけて、お嬢様の前に現れました。
「フルーエ、冒険者などどいう野蛮な職業が、どれだけ危険か分かっているのだろうな? 冒険者となれば死ぬことも稀ではないのだぞ」
「ええ、もちろん存じていますわ」
「ならば、その覚悟を試させてもらおう」
パン、と卿が手を叩くと、奥の部屋の扉が開かれ、そこからは鎧を身につけた屈強な剣士が出てきました。フルーエお嬢様がいきなりの展開に唖然しているのをいいことに、卿は口髭を指先でつまみながら、雄弁にお言葉を続けていきます。
「意地を張ったフルーエに言葉が無意味ということは、お前が子供の時分からよく知っている。だから、私は言葉以外のもので説得しよう。この剣士に勝ったなら、お前の冒険者になりたいという戯言を許してやる。だが、負けたのなら、今後は私の言うとおりにしてもらう。まさか、フルーエ、この勝負から逃げるなどとは言わないよな?」
サフィール卿はお嬢様を挑発するように見下しながら、にんまりとお笑いになりました。