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#00 もう一度、最初から

「いいかい、アイリス。よく聞くんだ」


 ぱちぱちと、焚き火の火花が踊る寒い夜の日のこと。


「はい、おじさま」


 男の声に、凛とした力強いソプラノの返事があった。

 古びた魔物の革でできた外套を纏い、フードを目深にかぶった大男。隠れた目元には仰々しい眼帯がつけられ、隻眼であることが伺えた。


 アイリスと呼ばれた少女は、そんな彼をただ『おじさま』と呼んでいた。


 実のところ、名前は知らない。幼少期より父や母代わりにあれこれ世話を焼いてくれた彼の名も知らぬことに、疑問すら抱かない。

 アイリスという少女は、そういう環境で生まれ育ったのだ。


 割った木を火にくべながら、『おじさま』は片方しかない目を細めて低い声をあげた。


「この世界は間もなく、滅びに向かう。もう間に合わん。此度も、失敗だった」


「……失敗?」


「そうだ。ここに来るまで、いくども負けた。だから、こうなる前に手を打つしかあるまい」


 アイリスは形のいい眉をひそめながら疑問を口にした。


「こうなる前……ですか?」


「ああ」


 率直に言おう、と隻眼の男はこう続けた。



「これから君を、20年前に送ろうと思う」



 ***



 澄み渡ったどこまでも青い空の下では、血の匂いが充満していた。

 太陽の光に反射して煌めく川は一筋の刺繍にも似た。せせらぎが張り詰めた緊張を柔くほぐしていき、ようやく男は大きく息を吐いた。


「……はぁぁァ、」


 グレーの外套を着た男の胸に、細長い棒のようなものが突き刺さっていた。

 それは、特殊な形状をした鍵のようにも、幾何学的なデザインの時計の針にも見える。


 だが、そうではない。武器として今一度見てみると、それはまごうことなき『槍』だった。


 さらに不思議なことに、男に『槍』を投擲した別の男は、まるで鏡合わせのように瓜二つであった。


 『槍』の穂先は斬撃の機能を有する尖った三角をしており、胸元に貫通した男の背中では、刀身全体がなにやら黄色く煌めいているのが窺えた。


 そして『槍』を投擲し男を殺したその持ち主は──長く長く息を吐きながら、今しがた殺した余韻を静かに噛み締めると、ゆっくりと男に近づき、『槍』を引き抜いた。


 傷口の栓がなくなった途端、男の胸から放水したかのように鮮血が撒き散らされる。


「誰、だ……あんたは……」


 かろうじて息があったのか、胸に穴を開けた男は、膝を折って地に伏しながらそう遺して、直後に絶命した。


「僕は────、」



 ***



 ──長い長い、夢を見ていた。そんな気がする。


 少年が草原で目を覚ました時、最初に思ったのがそれだった。


 固まった筋肉をほぐしながら、上体を起こす。どうやら、草の生い茂る道端で眠りこけていたらしい。


 ──ここはどこだ?


 いいや。そんなのは二の次だ。

 少年は自らの脳裏で思考を繰り広げる。やがて、ある疑問にぶち当たった。


 ──僕は、いったい誰だ?


 自らの名も知らぬ少年は、今一度辺りを見渡した。どこまでも続く草原の先には、立派な城塞都市が見えた。ほぼ円形にぐるりと囲われた背の高い壁の中には、恐らくこの国の都か何かがあるのだろう、ということくらいはわかった。


 言語能力はある。ものごとを思考するのにも問題はない。周りのものから情報を仕入れて推察する力もある。

 ただし、それ以外の、一切のエピソードが失われていた。


 思わず、両手を胸の前で広げて見やる。左は金属と革でできた籠手で覆われており、右手は自由だった。


「……僕は、眠る前まで何をしていた?」


 思わず、ぼそりと呟く。自分の声にすら違和感があった。そして当然、疑問に返ってくる声はない。せいぜい、鳥の鳴き声くらいだ。


 何をどうすればいいのか、少年はわからなかった。なんとなく近くにあった湖を覗いてみると、そこには、いまいち自分のものとは思えない顔があった。


「……誰なんだ、お前は」


 反射した自分の顔に、意味もなく問いかけてみる。返ってきたのは、やはり鳥のさえずりだけ。

 途方に暮れた。



 自分を知るために、まずは手荷物を確認してみた。左肩の、暗いねずみ色をした擦り傷の目立つマントにも似たローブには、やはり見覚えのない紋章がある。


 ローブは首裏をぐるりと囲うレールを通ってカーテンのように背中側全体に広げられるようなデザインになっているようだが、左側で纏めている方が邪魔にはならない

 一方、右肩まで伸びる金属の胸当てには無数の傷があり、さらに左手の籠手には細長い小型の鞘が装着されており、短剣が仕込まれていた。


 魔道具(マジックアイテム)と呼ばれるものが存在する。魔力を通すことで、ある機能を実行する単純な構造体を指す。この場合は、籠手のうち、前腕部分に隠された短剣を展開する機能を持った魔道具マジックアイテムである。


 少年は何となく左手に意識を集中する。

 血液の流れのようなものが一瞬感じられたかと思えば、「キィン」と金属が擦れるような音が響き、手首周辺から短刀がせり出した。


「……まさか、暗殺業でもしていたのか?」


 思わず溜息を漏らした。

 ──どうやら自分はロクでもない奴らしい。


 自らの知識について整理してみる。覚えていることは本当に少ない。たとえば、左の籠手に仕込まれた短刀は《鎧通(よろいどお)し》という名の暗器であることが、なんとなく知識で思い出せた。刀身は三段階にたたまれた状態で前腕の籠手、ベルトで括られた内側の鞘に格納され、魔力を通すと飛び出すような仕組みになっている。


 さきほどからチラリと見えている巨大な城塞都市の名は……確か、そう。アルス、テリア。そうだ。アルステリア王国。それがあの都市の名前のはずだ──と、少年は思考を続ける。


「……ともかく、人のいるところに行こう」


 このまま孤独に行き倒れる訳にもいかない。

 呟き、歩き出す。装備の重さはそれなりのはずだが、疲れのような気だるさはあれど、足取りは軽かった。体が相当に鍛えられているのであろう。




 そうして、馬の唸り声が聞こえたのは、街道と思しき砂利の道をしばらく歩いていた頃だ。


「ん……?」


 振り返る。砂埃をあげながら、馬に騎乗した男が三人、こちらに向かって全力疾走していた。


 格好は、小汚い。なんとなく、少年の頭の中に盗賊という単語が浮かぶ。誰が見たってとても好意的には見えない。みたところ、うち一つは荷物を運搬する車輪付きの荷馬車であった。


 盗賊のうち真ん中の男と目が合う。男が、にたりと顔を歪ませた。


「来る……、」


 脚を開き、わずかに腰を落とす。わざわざ意識するまでもなく自然と戦闘態勢を取る自らの体に、少年は僅かに畏怖した。()()()()()。記憶はなくとも体が覚えているのだ。


 数メートルほどの地点で、三頭の馬が停止する。少年は今一度、膝を曲げていつでも飛び出せるように態勢を整えた。


 右翼にいた男が最初に飛び降り、躊躇なく腰の革袋から刃が反り返ったダガーを引き抜く。突き付けられた刀身に反射した光が、男の鎧に閃いた。


「おお、見ねえ顔だなボウズ。冒険者か? 痛い目見たくなきゃ金目のものは置いて行きな」


(──やっぱりか。くそ、面倒なことになった)


 自分の名前もわからないのに、盗賊なんぞの相手をしている暇はない。

 走って逃走するか──いや、相手には馬がある。逃げられないだろう。


 少年が逡巡していると、盗賊のうちの一人が、唖然とした顔で頭上を指差しているのが見えた。

 釣られて、見上げる。


 一番小柄な盗賊が、思わずといった調子でこう呟いた。



「おい……あれは、なんだ?」



 空に、穴が空いていたのだ。


 比喩でなく、文字通り、なんの前触れもなく、空には突如として穴があった。全長にして5メートルはあるだろうか。淵から暗い紫色をした、もやのようなものが見える。どす黒い穴は、それだけで嫌悪感を覚えるほど不気味であった。


「なにかが来るぞ」


 盗賊が呟く。肌を撫でるような「何か」に《ぞわり》と鳥肌が立つ。それが、莫大な魔力の奔流であることなど、彼らには走る由も無い。


 吸われていく。

 得体の知れない何かが、穴の向こうへ飛んでいくさまを少年は感じ取っていた。なんと形容すべきか、他に言葉が見当たらない。


 ──()()()()()()()()()()


 そして更なる異常があった。

 少年の内側から、何者かの『声』が聞こえたのだ。


 やるなら、今。ああ、まさにその通りだ。逃げ道はなく、隙らしい隙も今しかない。思わず少年は、左の暗器に魔力を通していた。

 やり方は、やはり体がっていた。


 キィィン、と金属が擦れる音がこだまする。少年の左腕の内側、籠手に固定された《鎧通し》が、鞘から展開する。


 刃渡りは30センチにも満たない。

 ただし、威力は必殺のそれ。


 魔剣《鎧通し》。それがかの短刀の名だ。その固有技能パッシブスキルとして、防御力を無視するという特性がある。


 それは、即ち。


「まさか、()()()()()──」


 左手を構え、少年は揃って空を見上げながら何かを呟こうとした盗賊の一人に取り付いた。そのまま容赦なく《鎧通し》を突きつける。手首周辺から生じた短すぎる剣は、盗賊の胸当てを容易たやすく貫通して心臓を穿つ。どろりと胸当て周辺で鮮血が溢れ返り、血飛沫が飛び散った。


「──こいつ!」


 気付いた別の男が迷わず応戦する。脅してきた男とは違う。やや離れた位置にいたリーダー格の男だ。


 男が腰から直剣を取り出し、真上から一閃。しかし、少年の体もまた鋭く反応する。即死した男の胸から引き抜いた《鎧通し》が、真横に線を描いて振り抜かれた。


 「がきん」と耳に嫌な金属音が短く鳴った。

 そして、勝ったのは少年の短剣であった。膂力の違いではなく、武器の性能の差だ。《鎧通し》に接触した直剣が、接触した地点からぽっきりと折れ、刃先があらぬ方向へ飛んで行った。


「二人」


 少年が呟く。呟きながら、これは本当に自分の体なのかと戦慄する。少年の右目の視界には、あろうことか()()()()()()()()


 ──そうだ。その通りに振れば勝てる。


 ──あんたは誰だ?


 ──気にする必要はねえ。今は命の危機に集中しろ。


 『内なる声』に従い、左手が宙を踊る。あらゆる防御を無視する魔剣が、上から下へと、縦一文字に駆け抜けた。


 それだけで、折れた剣を握りながら驚愕に目を剥く盗賊の体が、直後には冗談みたいに真っ二つに切り裂かれていた。

 まさに、一刀両断。

 その断面から、思い出したかのようにどろどろと赤黒い血肉が溢れ出し、ようやくそこで三人目の小さい男が正気に戻ったらしい。


「ひ、」


 武器を取る暇も与えなかった。

 がしゃきん、と《鎧通し》が袖の鞘に収まり、間髪入れずに再展開する。その一動作で刃が磨かれ、こびり付いた血はまるで元からなかったかのように消失している。


 鯉口を切る音にも似た威嚇に、最後の盗賊が腰を抜かしてまともに倒れ込む。

 倒れて、頭を垂れながら言った。


「ま、待ってくれ。妻と子供がいるんだ!」


「……、」


「今もアジトで待ってるんだ。命だけは頼む……ほら、金ならある!」


 盗賊の最後の一人は、焦りながら懐から袋を取り出す。ジャラジャラという音は、硬貨だろうか。


 ──かまうものか。やっちまえ。


 少年の脳裏で何者かが囁く。

 やがて、少年は首を横に振った。


「二度と、僕の前に現れるな。行け」


「ひ、いひひ」


 死の恐怖によるものか、はたまた別の理由か……下卑た笑いを浮かべながら、袋を置いて平静さを取り戻した盗賊の生き残りは、慌ただしく二人の死体を荷馬車に乗せて足早に逃げて去っていった。


「……行ったか」


 一応男が置いていった袋を拾い上げる。そこで、内から発生する『声』が言った。


 ──おい。上から来るぞ。


「────、」


 ばっと頭上を見上げる。

 気付けば『門』はさらに拡大していた。


 次の瞬間、落下してきたのは、金色の美しい髪を持つ女の子だった。


「いやああああああ!!」


 甲高い叫び声を聞きながら、少年は少女に押しつぶされるようにもつれて倒れた。

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