妹は突然に
自分がバイトしている喫茶店<リトライ>
誰も利用しなくなってきている商店街の中にある小さな店。
静かな場所で自分にとって安らげる職場といえる。
宗太「んでよー、その女のシャツが透けてたのよ!」
考「お前…授業中どこ見てんだよ…」
とても穏やかな時間が大好きだ。
宗太「目の前だぜ?見てしまうだろっ、なぁ浩樹!」
とても…穏やかな時間が…大好きだった。
浩樹「俺、大学生ではないので…」
カウンターには大志の友人の男が二人座っている。
茶髪の明らかに遊んでそうなのが木下宗太。
<あの一件>以来彼女とはうまくやっているらしい。
考「大学行こうとか思わなかったのか?」
浩樹「金なかったですし、何より学力不足です」
宗太とは違い、落ち着いた口調と判断力を持つラグビーでもしていたかのような体つきの幸田孝。
宗太「へぇ、浩樹ってバカなのか」
グーで殴ってやろうか。
浩樹「あんまし高校行ってなかったんで」
宗太「引きこもりのぼっちだもんなっ」
パーでも可。
孝「なぁ浩樹」
浩樹「はい?」
孝「いい加減その敬語どうにかならないのか?」
浩樹「いえ…ちょっとそれは」
知り合ったばかりの人間にフレンドリーに接することができるのならぼっちはやっていない。
人とのコミュニケーションが嫌いであり、また直そうとも思わない。
宗太「つれないなぁ、もう俺達友達だろ?」
浩樹「違います」
孝「即答だな…」
この二人も最近こうしてこの店に顔を見せるようにはなっているが、馴れ合おうという気が起きない。
孝「まぁ焦らず仲良くなっていこうぜ」
浩樹「いや…焦ってもないんですが」
こちらが失礼なことを言っているにも関わらず、孝は笑って肩を叩いてくる。
宗太「よし、じゃあそろそろ大学行くか」
孝「だな」
それぞれが注文した分の料金を受け取り、二人はリトライから出て行った。
というかもう午前10時なんですが。
やっと自分の求めていた静かな時間が訪れる。
例え客が来たとしてもここは喫茶店、彼らのように騒いだりはしない。
この時間、この空気が自分はとても好…、
「こんにちはー」
どうしてか、最近あの扉が開くと身構えてしまう。
にしてもこの時間帯にお客さんが来るなんて珍しいこともあるものだ。
浩樹「いらっしゃいませ、空いている席へ…」
その来客には見覚えがあった。
肩くらいまでの黒髪に制服、とてつもない笑顔でこちらに手を振る女の子。
「やーお兄ちゃん、久しぶり!」
東田 葵
そう、同じ血が流れているとは思えないその眩しい笑顔を見せる彼女は自分の妹。
中学二年生の葵は自分の通っていた中学とは違う制服を着ていた。
浩樹「何しにきたのよ、お前」
葵「ちょ…可愛い妹が会いに来たのに何それ!」
二年前に両親が離婚し、自分は一人暮らしで葵は父親と一緒に暮らしている。
離れ離れになってから遠いとはまではいわないが、中学生がしょっちゅう顔を出せるような距離ではない。
葵「全く顔出さないんだもん」
浩樹「なんで顔出さなきゃなんねぇんだよ」
葵からは週に一回くらいのペースで連絡はあるが、両親とは全く連絡を取っていない。
葵「お父さん、心配してたよ」
浩樹「しるか」
――――他人に心配などされてたまるか。
浩樹「まぁ座れ、何か飲むか?」
葵「焼酎」
浩樹「牛乳な」
カウンター内に戻り、冷蔵庫から飲み物を取り出してグラスに注ぎ葵に渡す。
葵「ぷはぁ!骨にしみるー!」
浩樹「はっ、なんだそれ」
葵「…ん?」
浩樹「どうした?」
何か珍しいものを見つけたかのような視線をこちらに向けてくる。
葵「お兄ちゃん、変わった?」
浩樹「変わった人とはよく言われるが」
葵「そういう意味じゃないっ」
浩樹「くだらんこと言ってんじゃねーよ、ってかお前学校は」
葵「創立記念日」
浩樹「創立記念日に制服着て外出する中学生がいてたまるか」
葵「なはは」
子供にとって引越しは本当につらいと聞く。
だが見たところ、新しい土地でもうまくやっていけているみたいだ。
そこが兄と違うところか。
大志「俺、参った!」
浩樹「帰れ将軍」
例のごとく勢いよく扉を開けて現れる大志。
葵「あっ、大志さん!」
大志「ん?おぉ葵ちゃんじゃないか!」
当然幼馴染である大志と葵は面識があった。
大志は昔から誰とでも仲良くできる性格をしていた。
夏美「だからなんでアンタまで来てんのよっ」
アリサ「た、たまたま近くまで来ていたからです」
遥「たまたま商店街にくるお嬢様ってどうなのよ」
自分の穏やかな時間というものは一瞬で去っていった。
ここ最近のんびり過ごせる日というのがない気がする。
遥「こんにちはー、来たよ浩…はっ!」
手を挙げてこちらに挨拶をしようとした遥が何かを見て驚いた表情を浮かべていた。
夏美「ちょ、ハル邪魔」
アリサ「どうしたんですか、急に」
遥「ひ、浩樹が…ロリコンしてる」
浩樹「思い込みの激しさ半端ないですよねアンタ!」
店長の雪さんの時といい、誤解が過ぎる。
葵は目の前に現れた美女三人に大口を開けて驚いていた。
葵「…ねぇお兄ちゃん」
浩樹「違う」
葵「…ねぇ大志くん」
大志「ああ、彼女たちは浩樹ラバーズだ」
浩樹「だから違う!というか一人お前の女だろうがっ」
葵はゆっくりと椅子から降りて、彼女達の元へと歩き出す。
そして満面な笑みで小さく頭を下げる。
葵「初めまして、浩樹の妹の葵です」
遥「え、あ、妹!?遥です!こここちらこそよろしくどうもです!」
クール系美女と言われた彼女は、それは見事な頭の下げっぷりだった。
葵「兄がいつもお世話になっています」
アリサ「藤堂アリサです、私の方こそお世話になっています」
さすがは大金持ちのご令嬢アリサ、挨拶というのには慣れているのだろう。
夏美「大志の彼女の夏美よ、こちらこそよろしくね」
葵「わぁ、大志君の彼女だったんだね~」
律儀に一人ずつ挨拶をしていく葵。
葵「今後とも兄のことよろしくお願いします」
遥「…」
アリサ「…」
夏美「…」
大志「一同、気持ちはわかるが本当に浩樹の実の妹だ」
浩樹「失礼な一同、もう帰ってくれ」
明るくて、元気、そして誰とでも仲良くなれる妹。
根暗で、無口、そしてぼっちの兄。
そりゃ疑うのもしかたないだろう。
遥「へぇ、葵ちゃん結構浩樹と歳離れてるんだね」
アリサ「それにしてもしっかりしていますね」
葵「そんなことないですよ~」
この通り、すでに馴染んでいる。
夏美「にしても電車に乗ってまでして会いに来るって、ブラコンなんだねぇ」
大志「違うぞ、夏美」
夏美「うん?」
大志「なぁ浩樹?」
浩樹「ん?」
大志「あの歳になるともう彼氏とかいるんじゃないのか?」
浩樹「なんだ、その彼氏とやらは早死にしたいのか」
夏美「…シスコンなんだねぇ」
葵「ところで、お姉さん達は…そのお兄ちゃんとはどういった関係なの?」
その言葉で女性一同の動きが止まった。
しばしの沈黙、そして一番にそれを破ったのはもちろん、
遥「どうも、未来の姉です」
葵「…え?」
アリサ「ちょっと遥さん!何嘘を教えてるんですか!」
遥「嘘?嘘って何よ」
アリサ「付き合ってもないでしょう!」
葵「つ、付き合…」
遥「今はね、ってかあなたには関係ないでしょ」
アリサ「か、関係ない…って」
葵「…もしかして二人ともお兄ちゃんの事好きなの?」
遥「大好きよ」
アリサ「あ…いや…東田さんにはいろいろとお世話になりまして…その」
葵「え!こんなんだよ!?何でよ!もったいない!もったいない!」
大事なことなので二回言ったようだ。
しかし妹よ、兄の前だよ?
葵「大志さん!これなに!?」
大志「驚くのもしかたないだろう」
浩樹「…」
大志「言ったとおり、浩樹ラバーズだ」
葵「えええぇえええ!?」
浩樹「状況を悪化させるのやめてくれますか」
葵「ま…マジ?」
兄という存在を詳しく知っているからこそ取ってしまう反応なのだろう。
葵「あんなクソみたいなお兄ちゃんにこんな美女が…」
大志「残念だが…みたいじゃなくクソだ」
浩樹「なんなの君たち」
前方では遥とアリサが口論している。
葵「…」
それをじっと見つめる葵。
目の前の光景と状況に未だ信じられないのだろう。
葵「いいわ」
浩樹「あ?」
葵「今から、東田浩樹争奪戦クイズを開催します!」
浩樹「どうしよう大志、妹が変なこと思い付きました」
大志「面白いので観戦しましょう」
遥「いいわ、それで誰が浩樹に相応しいか決めよう」
アリサ「わ、私は別に…」
遥「あら、藤堂家の人間ってそんなに腰抜けなのかしら」
アリサ「なっ…、いいでしょう受けて立ちます」
チョロすぎるアリサはまんまと遥の話術にのせらてしまう。
大志「さぁ!始まりました浩樹争奪戦!」
浩樹「お前な…」
葵「では第一問!」
大志「てーれん!」
浩樹「効果音やめろ」
同時に遥とアリサがにらみ合い、そして身構えた。
葵「お兄ちゃんの血液型は?」
遥「AB」
葵「お兄ちゃんの携帯番号は?」
遥「090××××××××」
葵「お兄ちゃんは高校二年の時何組だった?」
遥「3組」
葵「お兄ちゃんが家に帰ったらまず何をする?」
遥「冷蔵庫に入っている缶コーヒーを取り出す」
大志「おーっと!遥選手これはすごい!いやぁどう思いますか浩樹さん」
浩樹「恐怖で漏らしそうです」
なんで高校のクラスまで知っているんだ。
葵「お兄ちゃんの特技は?」
遥「えん」
アリサ「演技?」
大志「うおおお!藤堂アリサのカウンターが見事に決まったぁ!」
遥「…」
アリサ「当たったっ」
遥「ねえ、何で浩樹が演技得意なの知ってるの?」
アリサ「…え?」
大志「今のは見事なカウンターでしたねっ浩樹さん!」
浩樹「とりあえず遥が握り締めているフォークをどうにかしましょう」
その時テーブルにフォークを置くのはやめておこうと決めた。
夏美「面白そうじゃない、私も入るわ」
大志「おおおおっと!ここで一般系美女、江田夏美参戦だぁ!!」
浩樹「いや、あれお前の女だ」
もうすでにツッコミがただの囁きでしかなかった。
遥「何で夏美が入ってくるのよ」
アリサ「そうですよ、あなたには…」
夏美「私の方がヒロ君とは付き合いが長いわ、それとも何?自信ないの?」
遥・アリサ「あ?」
大志「これはすさまじい戦いが予想されます!」
浩樹「いや、だからあれお前の女だろって」
葵「では…気を取り直して」
妹はもうヤケになっていた。
葵「お兄ちゃんのH本の隠し場所は?」
アリサ「え、えっちな…」
遥「冷蔵庫の下」
夏美「残念、今は洗濯機の下よ」
浩樹「ひぃいいいい!!」
腰に手を当ててどや顔を見せる夏美。
もちろん最近彼女に発見されたから知っていることだ。
遥「…」
夏美「残念だったわね」
遥「ねぇ」
夏美「うん?」
遥「ナンデ、シッテルノ?」
夏美「…え」
大志「これはすさまじい戦いだ!彼女達のこの熱い戦いをどう思いますか浩樹さん!」
浩樹「一人おかしいのが…、とりあえず遥さんフォーク置きましょう」
そんなくだらないやりとりは夕方まで続いたのであった。
兄という存在をよく知っているつもりでいた。
店の片づけをしている浩樹を遥とアリサが手伝い、大志はカウンターの席で気持ちよさそうに寝ていた。
あんなに他人を拒む兄に何故、という言葉が何度も過ぎっている。
夏美「不思議?」
その光景を眺めていた私に大志の彼女が声をかけてきた。
葵「そうだね、うん、お兄ちゃん人嫌いなのに」
夏美「まぁね~、そこは今でも曲げてないかな」
葵「じゃあなんで?」
夏美「ん」
遥がここぞとばかりに浩樹の腕に絡み、それを引き離そうと必死になるアリサ。
この光景が信じられないんだ。
クズでバカでどうしようもない人間ということは妹である私が一番よく知っている。
理解しているのに、理解していない。
夏美「ね、葵ちゃんはお兄ちゃん嫌い?」
葵「え…」
そんな兄を私は一度も嫌ったことがなかった。
あんなんだけど、実は優しい面があることを知っている。
夏美「ふふ、同じなのよ私達も」
葵「同じ…」
彼に嫌われていても自分達は彼が好きなんだ、と。
夏美「人嫌いだけど、人を寄せ付ける人」
勝手に涙が流れ出していた。
不幸せそうな兄がとても幸せそうに見えてしかたなかった。
葵「…あり、がとう」
夏美「うん、こちらこそありがとう」
温かくて。
夏美「ヒロく~ん、妹さん泣いてるよ~」
浩樹「なんだってぇええええ!!!」
眩しくて。
浩樹「え、あ、どうしたんだよお前っ」
遥「ちょ…葵ちゃん、ヤ、ヤクルト飲むっ?」
アリサ「ハ、ハンカチどうぞっ」
胸を締め付けるくらい嬉しかった。
彼女達は暗闇の中でポツンと立つ兄の周りを照らしてくれていた。
夏美「大丈夫、絶対失わないから」
真面目な表情で呟いた夏美の言葉にはいろいろな意味が含まれているような気がした。
私まで温かい気持ちにしてくれた彼女たちに感謝を込めて、
葵「皆さん、これからも兄をよろしくお願いします」
泣きながら、最高の笑顔を彼女達に向けた。