偽りからの始まり
今日は何日だっけ。
この台詞のやりとりは一日に何回行われているだろうか。
ただ今日という日がいつか知りたいだけなのか、何か予定のある日だったか。
知ったところで何か変わるわけではないのだから知る必要がない。
桜が散っておそらく春が終わったあたりかな、と自分にとってはそれだけで十分だった。
友達も、予定も、希望もない。
すでに死人である自分には知る必要のない現実。
別にいいじゃないか、何にも縛られないということは。
「今日何日だっけ~?」
浩樹「21日だよ」
と初対面の女に言っている本人が今、どういう状況にいるのか。
とある大学の鈴木遥という女性の恋人役を演じ、周りを騙して彼女に男が寄ってこないようにする、なんていうめちゃくちゃなミッション。
それを提案したのは幼馴染の坂上大志、その恋人の江田夏美。
彼らの通う大学の仲のいいメンバーで遊園地に行くこととなり、本日がその当日。
初対面なのは、ガタイがよく明らかに体育会系の男、幸田孝
茶髪で少しチャラい感じの男、木下宗太
遥や夏美とまではいかないが素直に可愛いと思える女、井上優
大志、夏美、遥、孝、宗太、優、このメンバーは全員同じ大学。
そして上記の三人とは全く面識のなかった自分、東田浩樹の計7人。
二十歳になったばかりの大人たちが遊園地。
もう一度言っておこう。
自分は他人恐怖症で、普通なら会話すらできない。
優「ねね、浩樹君は何してる人?」
浩樹「フリーターだよ、とある喫茶店でバイトしてる」
孝「接客業か、大変じゃないか?」
浩樹「慣れたら大丈夫だよ」
普通なら会話できない。
それは大志も夏美も知っている。
宗太「どっちからコクったん?」
優「あ、それ聞きたいー、何て告白したのか、とかー」
遥「えー、んーっと私から、かな」
照れながら答える彼女はきっといい女優になれると思う。
遥「好きです、あなたの傍にいさせてくださいって…」
優「きゃー!」
浩樹「お、おい遥、恥ずかしいからやめろってっ」
大志「……」
照れながら会話を止めに入る。
遊園地に来ているのに恋の話に大盛り上がりである。
しかしさっきからずっと不信な眼をこちら向けている大志と夏美。
大志「あ、足が滑って靴が飛んで…、まるで俺の靴に生命が宿ったかのようにぃ!!」
突如に後頭部に衝撃が走る。
何かは言うまでもない、アホみたいな言動を吐きながら大志が靴を飛ばしてきたのだ。
浩樹「いてぇ…、ったく、いつまでたっても子供だな大志は」
大志「誰だこの野郎!!!」
夏美「いや、気持ちはわからなくもないけど今のは大志が悪い」
子供に対して大人の対応をした自分に怒りをぶつけられても困る。
優「大ちゃんは子供だねー」
浩樹「昔っからだよ」
大志「…ぐっ」
計画した本人が邪魔をしてきたのは置いておくとして、本当のことは言えないのはさぞ悔しいだろう。
本当のこととは、浩樹の本性のこと。
浩樹「あーまだいてぇ」
なかなかの衝撃だったため未だに痛みが引かずしゃがみ込んでいた。
それを心配したのか、遥が隣に座り優しい表情で頭をさすってくる。
遥「浩樹、大丈夫?」
浩樹「……」
遥「浩樹?」
浩樹「へんスっ!」
言葉にならない言動が口から出た。
それを見た大志と夏美は周りに聞こえないよう小声で呟き合う、
大志「(はるちゃん、今の行動はアドリブだったんだな)」
夏美「(平気、と言いたかったけど敬語が出そうになったんだね…)」
宗太「あはは、何それ」
浩樹「いやーちょっと気合い入れたら変な言葉でたよ」
孝「あはは」
大丈夫、他のメンバーには冗談にしか思われていない。
そう、今はすぐ目の前には誰かがいて、
大したことのない理由で笑いあって、
どうでもいい話題で盛り上がっていた。
ジェットコースターで強がっていたのに腰を抜かし、
コーヒーカップでは男達が調子にのって回しまくり、
お化け屋敷では笑いながら叫び合う。
遥「浩樹、怖がり~」
浩樹「バ、バカ野郎、驚かされるのが嫌なだけだっ」
どう見ても仲のいい恋人同士。
浩樹「あ、遥、それ取ってくれ」
遥「それって何かな~?」
浩樹「お前、わかってて言ってんだろ…」
誰もが認めてしまうほどの二人。
邪魔をする隙間などないくらいに。
優「あ、お土産買わなきゃ」
孝「しかたない、妹に買って行ってやるか」
全ての乗り物には乗れなかったとはいえ、よく一日でここまで遊べたものだ。
小さな子供連れの大人たちは次々に出口へと向かっていた。
宗太「んじゃ30分ほど別行動にしますか」
浩樹「そうだな、それじゃ30分後またここで」
そう言ってそれぞれがそれぞれの目的の場所へと歩いて行く。
自分と遥は手を取り合って少し離れたグッズ売り場へと足を運ぶ。
夕日はそんな残酷な二人を祝福するかのように照らしていた。
夏美「ねぇ大志」
大志「ああ」
ただこの二人だけがその場を離れようとしなかった。
仲良く手を繋いで歩いている友人達の背中を眺めて。
夏美「あれ演技…なんだよね」
大志「そうだな、ハルちゃんに男が寄ってこないようにする為の芝居だ」
夏美「わかってる、わかってるけど…」
誰でもない、それを提案したのはこの二人。
夏美「もしあれが演技じゃなかったら」
大志「…」
夏美「なんて幸せだろうって」
男に興味がない親友に彼氏ができて、その親友の彼氏は自分の恋人の親友で。
このミッション、始めは遥の為でもあったが、正直な話おもしろそうという気持ちも半分あった。
大志「泣くな」
夏美「だって…」
――――全部。
あれは何もかも全部。
夏美「残酷すぎるよ」
大志「ああ、わかってる」
大志もまた同じ気持ちだった。
浩樹という男がどういった人間なのかをよく知っている。
そして夏美も知らない真実。
―――――あいつはもう死んでいて、もう時期消えること。
空を見上げて神を呪いたかった。
なんでアイツはこんなにも報われないのか、と。
この時間帯はお土産が売っているショップはどこも人だかりがすごかった。
欲しいわけもなく、興味もない小さなクマのキーホルダーを手にとって眺めていた。
遥「疲れたね」
浩樹「…」
遥「ごめんね、無理言って」
浩樹「…いえ、大丈夫です」
人見知り、他人恐怖症。
自分も限界に近い状態だった。
遥「んーっ、でも遊園地なんて久しぶりだった」
浩樹「そうですね、中学の遠足以来です」
遥「うん、本当に…楽しかった」
浩樹「そっスか…」
全く表情を変えない自分はただ下を向いているだけだった。
遥「うわ、それ欲しいの?」
無意味に手に取っていたキーホルダーを見て驚いていた。
浩樹「あ、いやそういうわけでは」
遥「なんなら買ってあげようか?お店ごと」
浩樹「さらっとすごいこと言わんでください…」
この金持ちのお嬢さんなら頼めば普通にやりそうで怖い。
遥「あ、ちょっとお手洗い行ってくるね」
浩樹「わかりました、時間もあれですし外で待ってます」
遥「うん、わかった!」
先輩、何買えば喜んでくれるかな?
昔吐いたことのある言葉が脳裏を過ぎった。
こんな現在をあの頃の自分が見たらどう思うだろうか。
汚点でしかない過去なんて消えてしまえばいいのだ。
――――いや、汚点なのはきっと現在だってことわかっているんだ。
遥「あ、いたいた、ごめんね」
浩樹「いえ」
遥「え、あ!買ってるし!」
何となく買ってしまったクマのキーホルダー。
無愛想で無表情な男が持つにはミスマッチすぎるアイテム。
浩樹「いや、何か買ってしまったんですが…」
遥「でもそれデザインいいよね、可愛い」
浩樹「…」
遥「どうしたの?」
浩樹「あげます」
遥「え?」
記憶ではなく、何かの感情を思い出すかもしれない、と買ってしまったものの冷めた心は全く動く気配はなかった。
浩樹「何となく買ったんですけど、よく考えたら俺が持ってても気持ち悪いし」
遥「そ、そう?」
浩樹「いらんなら、捨ててください、それで結構です」
遥「あ…ありがとう」
そう言って手を伸ばすと、恥ずかしながら遥はそれを受け取った。
浩樹「早く行きましょう、もう時間ギリギリですよ」
遥「うわっ、やばい早く行こう!」
こんなくだらない、地獄のような一日もやっと終わるのだ。
待ち合わせ場所ではすでに皆集まっていて、それぞれが誰かに渡す物を手に持っていた。
孝「それじゃぁまたな!」
宗太「また遊ぼうぜっ」
優「浩樹君もたまには大学に遊びに来てね」
浩樹「はは、わかった、行かせてもらうよ」
手を挙げて別れを告げる。
三人が見えなくなり、そしてやっとミッションが終わった。
残ったのはその事実を知っている4人だけ。
大志「いよう少年、お疲れさん」
浩樹「オルァ!!」
大志「ぶへあ!」
瞬間、その一日の恨みを友人にぶつける。
浩樹「あ?コラてめぇ、靴飛ばしてくれたり、いろいろお世話になったなぁボケ」
大志「ちょっと待て、あれはお前が偽者かと思っ…アハァン!」
浩樹「嘘の彼氏なんだから偽者もクソもねぇだろうがコルァ!」
大志「ひぃぃいいいいぃ!」
夏美「お疲れ様、ハル」
遥「…」
夏美「ハル?」
遥「え?あ、うん、ありがとうね」
大志「よし、あとは浩樹がハルちゃんを自宅まで送ったら終わりだな」
浩樹「…あ?」
夏美「大志、とりあえずその鼻血拭きなさい」
さっさと立ち去ろうとしたところを大志に止められてしまう。
役割は終えたはずだ。
浩樹「いや、ふざけたこと…」
大志「今の時間、電車とか人多いしな」
浩樹「俺の役割はもう…」
大志「遠足は家に帰るまでが?」
浩樹「遠足」
大志「はい、その通り、俺は夏美と寄るとこあるし」
よく聞く言葉に咄嗟に答えてしまった。
確かに帰宅ラッシュがすごいとはいえ、二人きりというのはもう勘弁してほしい。
夏美「ヒロ君よろしくね」
浩樹「え、あ、ちょっと待って下さいっ」
夏美「それじゃハル、また明日」
遥「うん、ありがとうね」
大志「それじゃ浩樹、また明日」
浩樹「うん、滅びろクソが」
あの二人の自分勝手さにはもう慣れてきていた。
まぁ会話をしなければいいだけの話、大志は明日3発くらい殴っておこう。
無言が続く時間。
駅のホームでも、電車の中でもそれぞれは口を開こうとしなかった。
当然だろう。
男が寄ってこない為に彼氏がいるという嘘を付く彼女と、
人との交流を苦手とする他人恐怖症の自分。
もうお互い役割を終えて、会話をする必要がないのだ。
自分はもう一つ先だが、彼女の目的地の駅で降り遥の後ろを黙って歩いていた。
ちゃんと送らないと後々怖いのだ。
あのバカの彼女が。
遥「ねぇ東田君」
浩樹「はい?」
遥「迷惑だったよね、ごめんね」
浩樹「…いえ、もう終わりましたし構いませんよ」
遥「…そだよね」
歯切れの悪い返答。
駅から彼女の家までは静かな道だった。
店もなく、今はただそこらに立つ電灯で辺りを照らし出すだけ。
遥「あっ、ちょっと待ってて、何か飲み物買ってくるよ」
目の前にある自動販売機へ小走りで向かう遥。
遥「はい、コーヒーの微糖でよかったよね?」
浩樹「あ、はい、ありがとうございます」
演技の訓練を共にしてきたとはいえ、よくたった一週間で人の好みを覚えたものだ。
遥「あ、ここ左に曲がったらもう家だから」
浩樹「そうですか、それじゃ俺は帰ります」
遥「…待ってっ」
浩樹「はい?」
遥「えっと、その…」
浩樹「…鈴野さん?」
もうありがとうは聞き飽きた。
その度にこちらも口を開かないといけないのでもうやめてほしかった。
遥「お、お礼!」
浩樹「え?」
遥「何かお礼するって言ってたよねっ」
浩樹「…あ~」
そう言えばこのミッションを頼まれたときにそんな事を言っていた気がする。
この女性は相当な金持ちだ、高額なものでも簡単にOKを出すだろう。
きっとここを左に曲がれば自分とは全く違う世界が見えるに違いない。
遥「な、何がいい?欲しいものある?」
浩樹「…」
遥「それじゃ、今度一緒に何か買いに…」
浩樹「もう、もらいましたよ」
遥「…え?」
手に持つ冷えた缶を開ける。
少しだけ口に流し込む、甘すぎず苦すぎず、それは自分好みの味。
浩樹「それじゃ」
遥「で、でもそんなんじゃ…」
浩樹「俺、コーヒー好きですし、ちょうど欲しかったから」
遥「…っ」
彼女に背を向けて歩き出す。
足音は自分だけ、きっと彼女はまだその場に立っているのだろう。
決して振り返らず、何の感情もなくただ歩いていた。
カッコ付けたわけじゃない。
優しさでもない。
彼女のためでもない。
彼女との関わりをなくすため。
――――構わないでくれ。
いわば自分のため、それが現在の東田浩樹にとって一番のお礼なのだから。
今日もまだ自分は消えていなかった。
いつか来る終わりに恐怖すら感じない。
バイト先の扉の鍵を開けて中へ入る。
ここのオーナーは塾の先生もやっている為、実質この店を管理しているのは自分なのだ。
店内の清掃をし、冷蔵庫を開けて材料チェックをする、それが毎日の日課。
浩樹「あ、やっべ、結構少ないな」
開店まで結構時間がある、紙に必要なものを書いて買い出しへ。
別に開店中でもお客さんがいなければ自分の都合で閉店にできるなんて自由すぎる喫茶店。
行きつけのスーパーは駅周辺にあるため賑やかな場所を通らなければいけない。
ため息を付きながら嫌々扉を開け向かった。
一時間目が始まった頃だろうか。
私は大学に行かず、とある場所へと足を運んでいた。
駅のホームから改札口を出て外へ出る、それまでに3人にナンパされた。
遥「いい天気」
クマのキーホルダーが付いたカバンの中に入っている携帯を取り出し今の時刻を再度確認する。
彼はもう出勤しているだろうか。
止めた足が前に出ようとしない。
緊張?不安?わからない。
わからないのはこんな気持ちが初めてなのだからしかたない。
「うわ、あの子超カワイイ」
「モデルかな?」
「足ながっ」
「ちょっとお前声かけてこいよ」
自然と耳に入る周りのこんな会話の内容も慣れてしまった。
突き刺さる視線も、日常と思えてきていた。
そんな光景の中、
数メートル離れたところを片手にスーパーの袋を持って無表情で紙を眺めながら歩いている男性を見つける。
今日という日を楽しもうと賑わうこの場所で、溶け込むこともなく買い出しをする男性。
胸の中を何かが大きく叩いた。
間違いない。
彼に会いに来たのに足が動いてくれない。
――――行ってしまう。
携帯をカバンにしまった時、付けているキーホルダーが手に触れる。
遥「…っ」
その瞬間全ての感情を勇気に変え、駆け出していた。
浩樹「ちくしょう、割り箸買うの忘れた」
まだ在庫はあるが、いちいち買い出しに行くのもめんどうだと思い紙に記入していたのにも関わらず忘れてしまった。
安売りしていた缶コーヒーを袋から取り出して、噴水前で腰を下ろす。
餌をもらえるのかと期待をしたハト達が群がってくる。
平日というのに人多すぎだろ、と本日何度思っただろうか。
冷蔵庫の中身を思い出しながら、ただ紙を見つめていた。
遥「東田君!」
その大きな声と同時にハトが一斉に飛び去っていく。
通る人々も何事かとこちらに視線を向けていた。
浩樹「鈴野…さん?」
遥「はぁはぁ、えっと、えっとね」
遠まわしにもう関わるなと言ったはず。
この状況からしてただ自分を見かけた、というわけではないだろう。
遥「私は貴方が好きです!」
手に持っていた開けたばかりの缶コーヒーを落としてしまう。
いきなりの発言、半端じゃないくらいの声量。
浩樹「い、いや…ちょっと待ってください、俺は…」
遥「わかってる!だから私は…」
一度間をおいて深呼吸し、
遥「浩樹が、私を好きになるようにする!」
浩樹「えっ、え、っと、何かおかしいですし、しかも浩樹って…」
ツッコミどころが多すぎてどうしたらいいかわからない。
割り箸を買い忘れた罰だろうか、と意味のわからないことも考えてしまう。
遥「だから、ね」
浩樹「…」
遥「これからもよろしくね」
浩樹「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ鈴野さん…」
遥「遥、だよ」
浩樹「鈴野さん、俺はただ偽の彼氏をして…」
遥「遥」
浩樹「あ、いや…」
遥「遥、って呼ばなかったら」
浩樹「…呼ばなかったら?」
遥「大声で浩樹への愛を叫ぶ」
浩樹「意味わかんねぇ!!!」
両手で頭を抱え、今度は自分が叫んでしまう。
一人でいたい。
人と馴れ合う?冗談じゃない。
信用や信頼はいつか裏切りへと変わる、そうや言い聞かせて生きてきた。
だったら初めから人を信じるな、馴れ合うな、と。
浩樹「だから俺は他人恐怖症だって鈴野さんも…」
遥「私!鈴野遥は、ここにいる東田浩樹の事を心から愛し…」
浩樹「ひいいいぃいいい、遥!」
遥「ん~なに?」
浩樹「…だから俺は他人恐怖症だって、は、ははは遥も知っているでしょう…?」
情けない自分に涙が出そうだった。
遥「知ってるよ」
浩樹「だったらっ」
遥「もう他人じゃないよ」
浩樹「…はい?」
遥「私は浩樹の恋人候補」
浩樹「あぁもう…死にてぇ」
あ、そういえば死んでた。
遥「大学は昼から行こっと、それまで浩樹の店にいるね」
浩樹「……」
遥「ほら、行こ浩樹」
浩樹「え、ちょっ…あああぁああぁぁぁ…」
手を繋ぐというより、引っ張られる感じで走り出す二人。
彼女のカバンに付いているクマのキーホルダー。
これが原因か、それとも帰りのお礼がどうとかの時か。
どれに後悔したらいいのかわからない。
ただ自分は満面の笑みで走る彼女に引っ張られていった。