八
それから数日後・・
俺の成績はいつも下位の方、運動神経がよいわけでもない、何か特技があるわけでもない。
そんな俺は、クラスでも全く目立たない存在だったはず・・だ。
しかし先日、芦田のボケを見事に返したことで、俺に注目が集まり始めていた。
よそのクラスからも俺を訪ねてくる者もいた。
「あの芦田と対等にやり合ったって」
「芦田が握手を求めたって」
そんな噂もあちこちで耳にするようになった。
「草加くん、今日のレッスンは?」
真城が食堂でそう訊ねてきた。
そう・・レッスンと言うのは芦田のボケに対して、無難な返し「なんでやねん」をこの間、真城に伝授したのだ。
「いいかい、「なんでやねん」は、いつも使えるとは限らないんだ。そこでだ・・「なんでやねん」を使うべき時に、俺は真城くんにサインを送るよ」
「サイン?」
「答えに窮した時は、必ず俺を見てくれ。「なんでやねん」を言うべき場合は人差し指を立てるよ」
「人差し指ね・・OK」
「それから芦田くんのボケに対して、軽くこけるような仕草も必要なんだ」
「ほう・・」
「その場合は二本指を立てるね。ピースサインみたいな感じ」
「わかった」
「他にも色々とあるんだけど、また必要があれば追加伝授するね」
「うん、ありがとう。助かるよ」
「汗ばむわあ~」
おおおっ・・芦田・・今日はお弁当じゃないのか・・
そう言いながら芦田が食堂へやって来た。
そう、これは新喜劇、山田花子が不細工な女性を演じる時、意中の男性を落とす際に突然「汗ばむわあ~」とエロモードになるギャグなのだっっ!!
「暑いの・・?ハンカチ貸してあげようか・・」
知らない男子がそう言って、芦田にハンカチを差し出した。
違うんだ・・芦田を見てみろ・・汗ばんでなどいないじゃないか・・
「きみたち元気かい?頑張っているかい?そうかいそうかい瀬戸内海」
ぬうおっ・・!!チャーリー浜のダジャレギャグ!!「そうかいそうかい瀬戸内海」じゃないかっ!!
「え・・僕・・ごめん・・」
そう言ってその男子は、芦田から離れた。
「いずこへ~」
おおお・・さすが芦田だ・・チャーリーでボケてチャーリーで落とすとはっっ!
そう・・これもチャーリー浜のギャグ!!団員が舞台のそでにはける時に発するギャグなのだっっ!!
「草加くん・・今の場合はどうすればいいの?」
「そうだな・・二本指かな・・」
「そうなんだ。軽くこけるんだね」
「うん」
それにしても不思議なのは、芦田は一度使ったボケはあまり使わない。
「坂田走り」のような例外もあるが、それだけに真城に伝授する突っ込みは難しくなるのだ。
芦田は何を食べるのだろう・・
厨房の前のカウンターでメニューを見ているが、まだ決まらないのか・・
「ちょっときみ、早くしてくれないかな」
決めかねている芦田に、列に並んでいた男子がそう言った。
こいつ・・芦田のこと、知らないのか・・
「ばかなこと、言っちゃあ~、あっ、いけないよ」
でたっっ!!またもやチャーリーを放り込んで来たかっっ!!
そう、これもチャーリー浜のギャグなのだっ!!
「なんだと!みんな並んでいるのだから、迷惑になってしまうだろう。きみは誰だ!」
おおお・・強気に出たな・・しかも何気に会話になっている・・
「アンドレと申します。おんどれは?」
うおおお・・ここはチャーリー、一本で行くつもりなのか!
そう、これもチャーリー浜のダジャレギャグなのだっ!
「ア・・アンドレだと・・それは・・ひょっとしてミドルネームか・・」
そんなっ・・そんなわけないだろう・・
「ぼ・・僕は・・船場だ」
なっっ・・なにをっっ!!
俺は一瞬、耳を疑った。
そう、船場というのは、かなり昔、新喜劇に在籍していた船場太郎という人物と同じ苗字なのだっ!!
しかも岡八郎と並ぶくらい、人気もあったのだ!
「せん・・ばたろう」
うん、芦田・・当然そう来るよな・・そう言いたいだろう・・
そう、今のは船場太郎のギャグ!自己紹介する時に「せん」で区切って「ばたろう」と言うのもなのだっ!!
「ばたろう・・?」
「別に」
おおお・・芦田・・そこでやめるんだな・・
そうだ、ここは早く注文するべきだ。
***
それから数日後・・年に一度の参観日を迎えた。
俺の両親は公務員で共働きだし、今日は来ない。
しかし他の生徒の親は、殆どが金持ちの経営者とか、弁護士、政治家という、いわば時間を自由に使える職業ということもあり、中には父親が参加している家もあった。
芦田の親は・・来るのだろうか。
俺は会ってみたいと思っていた。
あの芦田の親だ・・大変興味深いぞ・・
もしかすると・・ここで掛け合いとかするのではと、少し期待を抱いていた。
「本日は大変多くの親御さんにお越しいただきまして、深く感謝申し上げます」
太川先生が親たちに向かって、そう挨拶をした。
俺は改めて後ろを振り向いて見ると、真城のお父さんも来ていた。
わああ・・テレビで観る現職国会議員だ・・す・・すごいな・・
「それでは授業を始めます」
俺たちは国語の教科書を開き、姿勢を正した。
ガラガラ・・
授業が始まって十分くらい経った時、教室の後ろのドアを開く音がした。
俺は何気にそこを見ると、誰かの父親らしき人が遅れて入って来た。
え・・えっ・・なんだ・・あれは・・
その父親らしき人物は、ピンポン玉を半分に分け、それを自身の目に食い込ませていた。
しかし・・巧妙と言うのか・・なんというのか・・パッと見ただけでは目の大きい人にしか見えない造りになっていた。
いや・・俺にはわかるぞ・・それはピンポン玉だろう・・
いくら瞳を描いたところで、偽物だとわかるぞ・・
俺は一瞬で、その男性が芦田の父親だと見抜いた。
遅れて入って来た芦田の父親を見た太川先生は、全く気がついていない様子で平然と授業を進めていた。
太川先生・・もしかして近眼なのか・・
芦田を見ると・・特に変わった様子もない・・
父親を見るそぶりもない・・
俺は芦田の父親が気になって、時々振り向いていた。
はうあっっ!!なっ・・なんだ・・あれはっっ!!
そう、芦田の父親は、誰にも気づかれずに、おそらくポケットか鞄から出したであろう、たらこを乾燥させて作った唇を、マスクをつける要領で自身の唇と重ねていた。
これもなんと巧妙に作られているのだ・・
分厚くなく・・薄くもなく・・ちょうどよい頃合いの仕上がりだ。
しかし・・あれは完全にたらこだ。唇ではない・・
俺は声を出して笑いそうになったが、なんとか堪えた。
クラスのみんなといえば・・一切後ろを振り向くことなく、授業に集中していた。
そうだよな・・そりゃそうだ・・
俺はまた、芦田の父親の方を見た。
すると今度は、ハゲカツラを被っていた。
い・・いつの間に!!
というか・・隣にいる親たちは気がつかないのか!!
そのカツラも・・微妙というか・・全ハゲではなく、バーコードハゲなのだ。
いわば・・どこにでもいるような中年男性の「それ」なのだ。
しかし入って来た時は、髪がふさふさしていたのだから、誰か気がついてもいいはずなのに・・誰も気がつかないとは・・
目はピンポン玉・・唇はたらこ・・頭はハゲカツラ・・
こんな変なおっさん・・どこにもいないだろう!!
だれか気がついてくれ・・芦田・・何をしている・・今こそボケる・・いや・・突っ込むところだろう・・
あっ・・たった今、気がついたが、芦田の父親の服装は、スーツだと思っていたが、下は紺色のジャージを穿いていた。
これも一見、ジャージとは判別しがたいものだったが、俺は見抜いた。
そう思った次の瞬間、芦田の父親は、棚に置いてある俺たちが造った彫刻の人形を、片っ端からズボンに入れ始めた。
ううう・・なにを・・なにをしているんだ・・
そしてあっという間に、芦田の父親の下半身は、前も後ろも大きく膨れ上がった。
そうか!!これは・・間寛平扮する爺さんが、自身が穿いているパッチの中に物を放り込んでパンパンに膨れ上がらせて相手を威嚇するというギャグなのだっっ!!
芦田の父親も・・間寛平が贔屓の芸人だと見た・・
「えっっ・・!!」
そこで太川先生がやっと気がついたようで、芦田の父親の変貌を見て、そう言った。
先生のその反応で、みんなは一斉に後ろを振り向いた。
そして親御さんたちも見た。
「あっ・・」
「誰・・あの人・・」
クラスのみんなは口々にそう囁いた。
芦田は振り向くこともなく、教科書を見ていた。
「あの・・えっと・・」
太川先生は対応に困っていた。
どうすれば・・この場合・・どうするのが一番いいんだ・・
考えろ・・考えろ・・俺っ・・
「きみ・・その格好は・・」
そこで真城のお父さんが口を開いた。
うわあ・・現職国会議員だぞ・・どう反応するんだ・・芦田の親父!!
「頑張っとるかぁ~」
はあうっっ!!や・・やはり・・間寛平で来たかっっ!!
そう、これは間寛平が舞台に出て来た時、客席に向い、少し前のめりになって片足を上げ、腕を前後に振って放つギャグなのだっ!!
「ああ・・おかげさまで・・国民の皆様に支えられて日々精進しておるところでございます」
パチパチパチ!!
そこで教室内は誰からともなく、拍手が起こった。
なんの拍手なんだ・・これは・・
「素晴らしい・・これで我が国は安泰です」
なにを言ってるんだ・・先生・・
芦田の父親のことは・・いいのか・・
そして芦田の父親は、彫刻を元の位置に戻し、教室から出て行こうとした。
ああっ・・!!あ・・あれはっっ!
でたっっ!末成由美の定番ギャグ!
そう、これは末成由美が舞台のそでにはける時、足を大きく開いてガニマタ歩きしながら帰るギャグなのだっ!!
「足、足ぃ~~」
そこですかさず、芦田が突っ込みを入れた。
そう、これは末成由美の姿を見て、足がガニマタになってるぞと言う意味で発する突っ込みなのだっ!!
そんなこんなで・・何とも変な参観日になったのは言うまでもない。
***
「芦田くんのお父さん、衝撃的だったよね」
休み時間に真城が俺にそう声をかけてきた。
「うん。ある意味、さすがともいうべきものだったね」
「なんであんな格好していたんだろう」
違うんだ・・入って来た時は、目だけ変だったんだ・・
それは俺しか気がついていないことなんだ・・
「そ・・そうだね」
「でも芦田くんのお父さんらしいといえば、そうだよね」
「俺・・笑いそうになっちゃったよ」
「え・・どうして?」
「どうしてって・・面白くなかった?」
「うーん・・その辺がよくわからないんだよね・・」
そうか・・やはりお笑いに馴染んでいないと・・笑いのツボが違うのか・・
「真城くんって、どんなことがおかしかったりするの?」
「そうだな~。あっ、この間、僕ね、体操服の半袖と長袖、間違えて持ってきて、あれはおかしかったなぁ~」
え・・マジですか・・
そんなのが面白いのですか・・
「へ・・へぇ~そうなんだ」
「それとさ、母ったら、僕の靴下と弟の靴下、間違えてタンスにしまっちゃってて・・あれも笑っちゃったな」
ほ・・ほう・・そうなのですか・・
人々にとって「笑いのツボ」とは、かくあるべし、ではないのだと・・痛感する今日この頃であった。