七
それからの校内はというと・・まさに「芦田旋風」が吹き荒れていた。
成績はダントツで超優秀。しかもマイナス二点の答えに、芦田を解明する鍵があると信じる者もいた。
それゆえか、「アンダラ~」と口ずさみながら、参考書を片手に勉強する者もいた。
そして今日は、体育の時間に100m走がある。
何秒で走れるかタイムを競うものだが、当然、みんなは体育など、そして何秒で走るかなど眼中になかった。
そう・・彼らは体育も時間の無駄と考えているのだ。
そんな中、陸上部である真城は例外だった。
彼は春の大会で、惜しくも予選通過を逃したこともあり、この100m走には力を入れていた。
「えー、それでは今から走ってもらいます。順番に並んで~」
体育の伊戸谷先生が、みんなにそう促した。
伊戸谷先生は、中年ではあるが、長身で体格もがっしりしてて、体育教師そのものという風貌だ。
成績もトップだが、出席番号も一番の芦田と、安藤が並んでスタートラインに立った。
安藤はとても小柄で細く、モヤシみたいな身体をしていた。
「いいですかー!じゃ、スタート!」
伊戸谷先生が号令をかけ、二人は一斉にスタートした。
すると芦田は例の「坂田走り」で、一気に駆け抜けた。
う・・嘘・・だろ・・
あんなカニのように横ばいで、しかも顔はあさっての方、向いてるんだぞ!
ゴールがわかるのかっっ!!芦田!
「うわあーー」
みんなの中から、驚嘆の声が挙がった。
「あの走り方・・実は・・これが最終形態なのか・・」
「こんな秘技が・・」
俺の横でそう囁く生徒もいた。
俺は実際のところ、まだ理解できないでいた。
ほんとにこれは理にかなった走り方なのか・・
真城を見ると、明らかに動揺した様子だった。
「芦田のタイム!10秒78!」
なっ・・なにい~~~~
嘘だろ・・このタイムって・・全国レベルじゃないのか・・
いや・・オリンピックに出られるレベルじゃないのか・・
芦田・・お前って・・どこまで可能性を秘めたやつなんだ・・
「よいとせの~こらせ~」
芦田がそう口にしながら、坂田走りで戻って来た。
「芦田!今の走りはどこで習った!?」
伊戸谷先生は、顔を輝かせながらそう訊ねた。
「飛騨の山中に篭ること幾星霜。あみ出したるこの技、名づけてカニバサミ。もがけばもがくほど身体にくい込むわ、どうや・・動けるもんなら動いてみぃ~」
そう言って芦田は、遅れてゴールして戻った安藤の足を掴んで倒し、すぐさま自分の足で挟んだ。
ぬうおっ・・!!こっ・・これはっっ!!
そう、これは池乃めだかの体を張ったギャグ「秘技、カニバサミ」じゃないか!!
池乃扮する男が、意中の女性に対し強引に自分ものにする場合に行われるギャグなのだっ!!
「芦田くんって・・飛騨まで行って・・修行してたんだ・・」
隣で近藤がボソっとそう呟いた。
違う・・違うぞ、近藤・・
芦田は飛騨にも行ってないし、修行もしていないんだ・・
「芦田くん・・痛いよ・・」
安藤が辛そうにそう言った。
「ごめりんこ」
芦田はそう言って安藤を解放した。
ちなみに「ごめりんこ」は、島木譲二のギャグだ!
「芦田・・なにをやってるんだ・・意味がわからないぞ」
先生は再び芦田に声をかけた。
「別に」
でたっ・・芦田が「別に」と言うと、そこで一旦終わりなんだ。
「そうか・・まあいい。じゃ次!」
こうして次々順番に走って行った。
俺のタイムといえば・・13秒05だった。
そして真城の順番が回ってきた。
真城は横目で芦田を見て立ち上がり、スタートラインに立った。
うっ・・まさにライバル視している目だ・・
まあそうだよな・・あんな走りでオリンピック選手並みのタイム出されちゃ・・真城の心中は穏やかではないな・・
スタートの号令が発せられ、真城は一気に駆け抜けた。
しかし・・タイムは芦田に及ばなかった。
結果、やはりここでも芦田はダントツの一位だった。
文武両道・・俺は改めてこの言葉を噛みしめる思いだった。
***
「あ・・あの・・芦田くん・・」
えっ・・!!真城・・どうしたというのだ・・芦田に声をかけるなんて・・
体育の授業の後、真城が芦田の席まで行き、それは起こったのだ。
「芦田くん・・きみってすごく速いんだね」
「別に」
「そ・・そっか・・よかったら今度、飛騨へ連れてってくれないかな・・」
なっ・・なんだとっっ!!真城・・違うんだ・・
芦田は飛騨なんて行ってないんだ・・勘違いするな・・
「イ~~ッ」
はあうっっ!!ここで仕掛けてきたか。
そう、これは新喜劇座長、内場勝則の鉄板ギャグ!
「イ~~ッ」とは、驚きを表す叫び声なのだが、驚きの事態を突きつけられているにもかかわらず、さんざんボケた後にやっと気がついて「イ~~ッ」と叫ぶギャグなのだっっ!!
どうする・・どうする・・真城。
俺は真城の後ろへ行き、小声で「みなさんもご一緒に」と囁いた。もちろん芦田に聞こえないように。
これは内場が何度も「イ~~ッ」と言った後に、落ちとして発する言葉なのだ!!
「み・・みなさんもご一緒に・・」
真城・・いいぞ・・それでいいんだ。
「イ~~~~ッ」
それを見ていたクラスのみんなは、一斉にそう叫んだ。
「ちょっと・・違うけど・・まあええかな」
おおおおお・・芦田・・「別に」以外の言葉を発することもあるんだな・・
「違ったの・・?」
真城が心配そうにそう言った。
「その落ちは、僕が言うねん」
「そ・・そっか・・ごめりんこ・・」
はあうっっ!!まっ・・真城・・ごめりんこ・・と。
芦田を見ると、とても嬉しそうに笑っていた。
おお・・こんな顔して笑うんだな・・芦田・・
「草加くん・・ありがとう」
俺と真城は席に戻り、真城が礼を言ってきた。
「そんな・・俺・・ちょっと間違ってたし・・」
「ううん。合格点みたいだったし」
「それにしても・・真城くん、ごめりんこって言ったよね・・」
「うん。つい出ちゃった感じ・・」
「謝りパターンとして「かかか・・堪忍な」というのもあるんだよ」
「へぇーそうなんだ」
そう、これは間寛平が発する、相手をバカにしたように謝るギャグなのだっっ!!
「かかか・・堪忍な・・」
横を見ると、そう呟きながら近藤がメモを取っていた。
あっ・・これを先に使われてしまうと、真城の効果が半減するな・・
もっと真城の引き出しを多くしてあげないとな・・
「チャッチャマンボ、チャチャマンボ、パキューンパキューンパキュンパキュンパキューン」
芦田を見ると、そう口ずさみ、腰を前後左右に動かしながら、教室を出て行った。
そう、これも間寛平の代表的なギャグ、「チャチャマンボ」なのだっっ!!
これは高校生には、やや刺激の強い動きをするので、俺はお勧めできない。
ましてや真城にそんなことはさせられない・・
***
それから数日後・・芦田はあるものを手にして教室に入ってきた。
ああっっ!!あれは「ドリザッパ」と言われている棒じゃないか!
そう、その棒は、色は茶色で、舞台で叩くシーンがあると用いられる、こん棒に見せかけた柔らかい棒のことなのだ。
作ったのか・・芦田・・
それを持って来たということは・・いよいよあのギャグを出すつもりなんだな・・
いつだ・・いつ、誰に出すんだ・・
これはかなりハードルが高いぞ・・絶対に誰も対応できない・・
できれば・・俺にくれ・・俺は完璧に対応して見せるぞ!
しかし芦田は、その棒を机の中にしまった。
油断できないな・・
「ねぇ、草加くん・・あの棒ってなにに使うんだろうね」
「う・・うん。なんだろうね・・」
真城・・お前は「ごめりんこ」は言えるけど、さすがにこれは教えることができない・・
それほど高度なギャグなんだ・・
リズム感、掛け合いの間がとても大事なんだ・・
どちらか一方でも外すと、全て台無しになってしまうんだ・・
そして休み時間になり、芦田はとうとうその棒を取り出した。
来たか・・さあ・・いつでも来い。芦田!
俺はわざと芦田の傍へ近寄った。
すると芦田は俺を通り過ぎて、平のもとへ行った。
あっ・・!!平はお前を不良だと今でも勘違いしているんだぞ。
優秀なやつだとは認めているが、不良だということも信じ切っているんだぞ!
平は芦田を見て、怯えていた。
そりゃそうなるだろ・・しかもこん棒と思しきものを手にしているんだ・・
平にすれば、ボコボコに叩かれると勘違いしても、仕方のないことなんだ・・
そして芦田は平の胸元に棒を当て、グリっと回した。
きっ・・来たっ!!ついに・・来たぞ!!
現在、新喜劇で最も流行っている「ドリルすんのかいせんのかい」ギャグだ!!
前段として、つま先、顎、腋を叩くのだが、そこは難しいと読んで割愛したな・・芦田・・
そう、これはすっちーこと、須知裕雅扮する女性が、ヤクザに扮する吉田裕の乳首をドリザッパでドリル・・つまり回して相手を攻撃するギャグなのだ!!
その間、吉田が「乳首ドリルすな」と何度も言うが、それを無視してすっちーはドリルを続ける。
この掛け合いは、互いの息が合わないと絶対に成立しない高度なギャグなのだ!
「あ・・芦田くん・・なにをしているんだ・・やめてくれ・・しかも武器を使うなんて・・」
平は小さな声で、怯えながらそう言った。
「別に」
芦田はすぐに止め、席に戻った。
当然だ・・できるはずがない・・
俺にして来い・・芦田・・
俺はもう一度、芦田の前に立った。
「じぶん、なに見てるん」
おおっ・・とりあえず反応があったぞ・・
クラスのみんなは、俺と芦田がケンカでも始めるのではないかと、心配そうに見守っていた。
この場合・・俺はどう返せばいいのか・・
俺は暫く考え込んだ。
はっっっ!!そうだ!あれがあるじゃないか!
俺はあることを咄嗟に思い付いた。
「じぶん、なに見てるん」
俺は芦田の言ったことをオウム返しした。
来るか・・来るか・・
「見てるん、じぶんやんか」
「見てるん、じぶんやんか」
そこで芦田は俺の顔をじっと見つめた。
うむ・・今のところは様子見ってことか・・
「ちゃうって、そっちやん」
「ちゃうって、そっちやん」
「真似しなや」
「真似しなや」
「笑わしよんの」
「笑わしよんの」
この辺りでクラスのみんなから、ヒソヒソと囁く声が聞こえ始めた。
「もうええって」
「もうええって」
「俺は今忙しいんや」
「俺は今忙しいんや」
「草加くん・・どうしたの・・」
そこで心配そうに真城が声をかけてきたが、俺は手で真城を制した。
そして芦田は更に続けた。
「はっは。笑わしよんの」
「はっは。笑わしよんの」
「だから真似しなや」
「だから真似しなや」
ううう・・いつまで続けるつもりだ・・芦田・・
「あっはは、笑わしよんの」
「あっはは、笑わしよんの」
「だからええって」
「だからええって」
「わからんやっちゃな」
「わからんやっちゃな」
「じぶん、名前なんていうんや」
「じぶん、名前なんていうんや」
「はっは・・笑わしよんの」
「はっは・・笑わしよんの」
「お前アホちゃうか」
そう言った後に、芦田はニヤリと笑った。
「あんたよりマシや」
はぁ~~・・やっと落ちた。
そう、これは池乃めだかと間寛平が無限ループで真似をし続けるというギャグなのだっ!!
「お前アホちゃうか」が、落ちの合図なのだっ!
「じぶん、草加っていうんやな」
「うん、草加慎之輔」
「じぶん、ええやん」
「ありがとう」
そして俺たちは握手を交わした。