元の世界に帰りましょう。
『……ほら、意味わからないでしょう』
顔を上げたリーマン君は、先程の謝罪は何処へやら、憮然としたような表情でそう呟いた。
いや、そりゃ仕方ないよね?普通に考えてわからないよね?
『ですので、順を追って説明させて頂きたいと言ったんですよ。まあ、結論は言いましたし、説明しつつこれからのことをお話しますね?』
こくこくと頷く。いや、ホント全く意味わからない。
と、リーマン君は、長くなりますので、といつの間にやらそこにあった椅子に腰を下ろした。どうぞ、と促されて、私もその前、テーブルを挟んだ椅子に腰掛ける。
……というか座る、と認識したから座ったのだけども、それまで自分が立ってたのかなんなのか、よくわからん。そもそもここ何処。三途の川の一歩手前……かな?
『いえ、ここは全く別の場所ですよ。というか、普通は、死んだらお迎えと一緒に即座に三途の川にゴーです。臨死体験は、お迎えが来る前にふらっと三途の川に行ってしまって、慌てて引き返したというパターンですねえ。お迎えが来たら、もう有無を言わさずあの世行きですから』
へえ。じゃあお迎えが来なかった私は、三途の川に行く手前で引き返せるのかね?
『できません。あなた死んでるので』
にっこりとリーマン君。はいはい。死んでますよー。
ちらっと思っただけじゃないか……
『それで、話を本題に戻しますが…あなたは死にました。これは事実です。生き返ることも出来ません。そして、あの世に行くことも出来ません。なぜなら、あなたはこの世界の方ではないからです』
うんうん。
まとまった。とりあえず理解した。
『そもそもこの世界は、似たような並行世界……パラレルワールドですか?そんなものがたくさん、たくさん積み重なっている、その中のひとつです。この辺りの概念は、まあ詳しくは省きますが、なんとなくはわかっていただけますか?お好きでしょ、そういう話』
やかましい。
好きですよ?ええ大好きです、雑学って楽しい。
ビバ広く浅く。なんか文句ありますー?
じろっと睨むと、リーマン君は困ったように笑ってパタパタと手を振った。
『いえいえいえ。……ご理解いただけて何よりです。で、まあその世界ひとつひとつの中で、先程言った輪廻は回っております。その境界を越えることはない。世界の魂には総量があって、境界を越えて巡ってしまうと、そのバランスが崩れますからね。……ただ、なぜか越えちゃった。生まれるはずのない、魂が定着しなかった胎児。そこに……』
……はあ。私が入っちゃった、と。
『その通りです』
頷くリーマン君。つまり、私は、別の世界に居たはずの魂であって、この世界に生まれたのは何かの手違い。それでも半世紀生きた理由はわからないけど、死んだ後までこの世界にいることは出来ないと。
『ご理解が早くてありがたいですねえ。そういうことです。ちなみに短いながらもーー短くしたのはあなた自身の不摂生ですけどねえ、この年までこちらの人生を送ってこられたのは、なんのことはありません。生まれたからには見守る。それが私達のスタンスだからです』
うあ、やっぱり不摂生がたたったか。もうちょい健康的な生活送ればよかった。
まあでも、生まれたからには、か。要らない子だからってサクッと人生終了しなくて良かった……かな。うん。
両親、姉、姪っ子たちの顔を思い出しながらほっと溜息をつく。私の大好きな、大切な家族。間違って生まれたかも知れないけど、それでも生まれてすぐ死んでれば、悲しんだだろうし。……というか現在進行形で姉のことは悲しませるか。先に死んじゃったしなあ。
『大して変わらないとは言え、年の順にあの世に行きたいと思われるのがこの世界ですからねえ』
頷くリーマン君に、私も小さく頷く。
『……まあ、それはそれとして。とりあえず当面の懸念を先に晴らしておきましょう。気になさってなければいいですけども、後から思い悩まれても困りますのでね?』
こほん、とわざとらしく咳払いをし、リーマン君はぴっと人差し指を立てる。ひとつ、と数えるように。
『まず、南條さん。今回の問題ーー主に私達の方での、ですがーーは、あなたが生まれた、そのことではありません。あなたの転生はきちんと予定通りですし、ヒトに生まれることも予定通りです。罷り間違っても、生まれたことが悪である、あなたに責任があるなどとは、勘違いされないようにお願いします』
は、はい。急に真面目な話っぽい。
気にしてなかったけど、確かにそうか。別の世界に生まれるってのが、理由は今ひとつピンと来ないけれど、何だかとても大変そうなことというのだけはわかった。そのことに対して、私に問題はないよと。ちょっと安心。
『あなたが境界を越えてしまった理由は、引き続き調査中です。……が、終えるまで待っていただくにはちょっと時間がかかりすぎます。なので、……ここからは今後の話になりますが……あなたを、元の世界に、戻します』
うんうん。今どうなってる状況なのかはわからんが、それが良かろうとは思うよ?
魂の総量とリーマン君はさっき言った。たかだか私ひとりがそれにどう影響するのかはわからないけども、おそらくそれなりに大きな影響なのだろう。じゃないとわざわざ、こんな風に事情説明しに来る意味がないと思う。
ならば、私がこうやって死んだからには、その魂は元に戻るべきだ。両親がお迎えに来てくれないのも、あの世で会えないのも残念だけど、それはこの52年生かしてくれたから仕方ない……と割り切るしかないか。
そんなうっすらとブルーになった私の気持ちを、リーマン君がぶち壊す。
『あ、あの世に行っても親しい人とは会えませんよ?死んだ後も手続き手続きですからね、余程同時に死んだとかでない限りは、皆さんバラバラのとこにいらっしゃいます』
ちなみにお迎えも、親族やらの姿を借りただけの偽物ですよーとあっさり言われて、私はテーブルに突っ伏した。まじかー。悲しんだ分なんか返せー。
『すみません返せません。……それに、三途の川を渡る時に、基本的に全ての記憶が浄化します。ただの魂、生命エネルギーに戻るんですね。なので、その後の死後の裁判とか地獄とか天国とかはありませんのでご了承ください』
ご了承……したくないやい。ほんともう、情緒もへったくれもない。
『少し話が逸れましたが、寧ろここからが本題なんですよ。……しっかり聞いていただけてます?』
聞いてます聞いてます。突っ伏したまま、片手を上げてひらひらと振る。
『……ほんとーに大丈夫ですね?……えー、あなたを元の世界に戻します。が、ここでひとつ問題がありまして。あなたがこちらの世界で過ごしたことで、なんと言いますか……あなたの魂が、ちょっと色が変わってしまったんですよね。このままだと、向こうに戻しても馴染めないんです』
……えーと、……戻れない?ってこと?
『いえ、戻っていただきます。現状で原因がわからない以上、このままには出来ませんので』
ただ……とリーマン君が困ったように私を見る。まじまじと見て、そしてため息。
『本来なら……ヒトに転生予定なんですけどねえ……』
ぼそりと呟いて、懐から取り出したのは一枚の書類。とはいえ、なんかうっすら光ってるしツヤツヤしてるし、折り曲げてたはずなのに折り目はないし、多分普通の紙ではない。
リーマン君はそれを、すっとテーブルに滑らせるように私の前に差し出して、一番上を指差した。
『これが、あなたの〈戻る〉方法となります』
なになに……〈異世界転生魂魄脱色方法について〉?
まんまだな。
甲が乙がなんたらかんたらと書いてあるのは正直読みづらいし意味がわからない。が、一番上に書いてある文字を見て、私は絶句した。
顔を上げて、多分死んで初めて(というのも妙な話だが)、はっきりと言葉を発する。
「心の底からお断りします」
書類に書いてある一文は以下の通り。
[転生生物]1.アメーバ
ゾウリムシと悩みました。