第七章・俺ってナニモノ? -4
なんか、さっきから、後ろについた手につんつんさわるものがある。虫かなんかだろうと思って、その度に手をちょっと振って追い払ってたんだけど、すぐにまた戻ってくるみたいだ。ま、夏の山の中だからね。虫くらいいるよ。こんな自然いっぱいの世界だしー。それに、サギリの話の続きが気になって、たかが虫のために、わざわざ後ろを振り向いて話を中断するのもなんだかなあ、だったからほっといたんだ。
でもね……。手の甲をなんか冷たい柔らかいものでぺたーりとおおわれちゃったら、そりゃさすがに、振り向かないわけにはいかないでしょ?
動物? 動物になめられたとか?
……………………。
「ぎや────────あああっっっっ!!」
俺の斜め後ろの岩のフチから、鼻から上をのぞかせていたのは、人の顔だった。たき火の明かりに照らされてなんだか赤くてらてら光っている、おばあさんの顔だ。
うひ───っ。
そのおばあさんが手を伸ばして、俺の手をにぎっと握っている。
うわ────ん。
お、お、おばけ。
「おばけとはご挨拶ではないかえ?」
おばけ以外に、なんとお呼びしたらよいんでしょうかー。
皺だらけの顔に、ギョロッと大きい目。白髪まじりの髪は、一応後ろで括ってあるけど、ぼさぼさだ。
なんで、おばあさんの顔ってのは不気味なんだろうか。あ、いや、本物のおばあさんには失礼千万なもの言いだとゆーことは、重々承知でございますけどね。でもでも、ど────しても、不気味なもんは不気味なんだようううう。
「ほんに、失礼な子ぞな。これは親御のしつけがなっておらんな」
よいしょと声をかけて、おばあさんの外見に似合わない身軽さで、そのモノは岩の上にあがってきた。俺のそばに腰をおろす。
えーん。誰なんですかー?
「この山の山姥のおばあ……おばさんですか?」
サギリが、控えめに声をかける。
「そうさ。いかにもわらわは山姥ぞ。この山ができたときからここにおる。じゃが、おばさんじゃのうて、奥様と呼んでもらいたいものぞな」
なんか、言葉遣いはえらそうだけど、奥様ってカッコじゃないよな。身に付けている着物はボロボロで、帯なんかなにかの植物の蔓みたいだ。
ぺしーんっ!
側頭部を皺手ではたかれた。俺ってつくづくなぐられキャラだよな。
「あの、山の奥様は、そのーなんのご用で……?」
俺、なぐられてんですけど、無視ですかー、サギリちゃん。さみしいよ。
「ほほ。こんな山の中で人間の子供らが夜明かしをしておれば、そりゃ気になろうってものではないかえ? 道にでも迷うたか?」
こっちもなぐったことについて、なんかコメントはなしですかー?
「迷ったっていうか。トリカミノサトに行きたいんですけど、途中で日が暮れてしまって。あの、この道で間違ってないですよね?」
「間違ってはおらんが、難儀ぞ。トリカミのやつらは今、下界のものどもと交わりを絶っておるからの。道らしい道がないのじゃ」
「遠いですか?」
「それほどでも。明日の朝一番に発てば、日が天の中ほどにあるうちに着けようぞ」
「ああ、よかったー。また一晩とか、かかっちゃったらどうしようって思ってましたー」
「それほどの山ではないほどにな。かあいらしい山であろ?」
その、かあいらしい山で、俺ら大変な目に遭ったんですけどー。
「ところでの。山姥の錦はいらんかえ?」
なんか唐突。どこから取り出したのか、山姥の奥様はいつのまにか、手に反物を持っていた。筒に布が巻いてある、日本昔話の宝物の絵とかに出てくる例のやつだ。こまかい模様は暗くてよく見えないけど、たき火の灯りを反射して布の表面がキラキラ光っている。
訪問販売ですか? しっかし、こんな山の中で反物もらってもねー。
「いただきたいのは山々ですけど、こちらから差しあげられるものが、今はこれしかないんですー」
サギリは、さっき夕めしに食べた干し肉と味なしクッキーが入った袋をそのまま差し出している。
「餅はないのかえ?」
山姥は袋の中をのぞき込んで、贅沢なことを言う。
「ごめんなさい」
「持っているもの全部というなら、これでしょうがないかの」
「ちょーっと、待った──!」
いくらなんでも黙ってられなくなって、俺は話に割り込んだ。ええ、割り込ませていただきますよ。
「それ、俺らの明日の朝めしだろっ。そりゃもともとサギリの持ってたもんだけどさ。俺も一緒にそのトリカミってとこについてこいってんなら、俺にもちょっとは言う権利あんじゃねえの? 朝めしくらいは残しといてくれよっ! 山姥の錦とかが、どんないいもんか知んないけど、布は食えねえだろがよ」
「うわ、ちょっとスサノオ。あんたは黙ってて! 山姥の錦と交換するって、この意味わかってないの? スサノオー!」
え? 俺、なんかまずいこと言っちゃった? 山姥の錦と交換する意味って、そんなの知らないよ。サギリは大あわてにあわてて、「差しあげますからっ。全部、これ全部差しあげますからー」と叫びながら、手に持った袋を山姥の胸元に、ぎゅうぎゅう押しつけている。
山姥は、そんなサギリをうるさそうに押しやると、皺だらけの顔を俺に向けた。
にたーり。
こわい、こわいですよ。奥様ー。
「ほ。おぬし、スサノオというのかえ?」
はい。
「ほほほほ。スサノオ、スサノオとな? ほほ。おぬしがスサノオ、のう」
また、名前連呼だよ。俺の名前って、こっちでは大人気みたい。また人違いなんじゃねえの? 十中八九、親父のことだろ?
山姥は、スサノオスサノオとなんだか嬉しそうに言いながら、俺のことをじろじろ眺めまわしている。なんなんだよう。一体ようう。
「おぬしのことをさがしておるやつらがいるぞえ。気付いておるかや?」
お? 十中八九じゃなくて一、二の方だったか? 「スーサーノーオー」って、あれのことですかね?
で、やつら? 複数形ですかっ!? 俺をさがしてるのはチームなんですかっっ!?
「わらわにもやつらのことは、よくわからぬのじゃ。ただ、ここ何日か『スサノオー』『スサノオー』とうるそうての。よほど自分らの陣へ取り込みたいとみえる」
はあ。うるさかったですか。あっちの世界の俺にも聞こえたくらいですからね。
「なんで俺、さがされてんですかね?」
「さあて。わからぬのう。それはおぬしがナニモノかということによるのではないかえ?」
ナニモノかって、二十歳男子、大学生以外になんか必要なんですか? そんなん自分でもわかりませんよ。
「俺は普通の学生ですけどー、なんか他にあるんすか? 知ってんなら教えてくださいよ」
山姥は、ニタニタ笑いを引っ込めて、真面目な顔で俺をじっと見ている。なんか、そうしてると、若い頃は相当な美人だったんじゃないかって思えてきましたよ。不気味とか言って、すんませんでしたー!
「ふむ。まだ自分がナニモノかわかっておらんとな。よい。よいのう。それはよい」
なんだかひとりで納得すると、手に持った反物の端に歯を当てて、いきなりピーッと引き裂いた。
「これはな、わらわからの贈り物じゃ。大事にするがよいぞ」
十センチほどの幅に裂いた布の切れ端を、勝手に俺の胸ポケットにぎゅうぎゅう押し込める。そして、自分の手に残った反物を急に興味を失ったように見やると、ポンとサギリの手の食料袋の上に乗せた。
「これは、そなたにやろうぞ」
「え? じゃ、じゃあ、これを」
袋を差し出そうとするサギリを、すいっと優雅に手をあげて黙らせる。なんか、かっこいいんですけどー。
「対価はいらぬ。このスサノオとわらわが今、この状態で、会えたということがその錦の対価じゃ。明日の朝には、このオロカモノに腹一杯食べさせてやるがよい」
それだけ言うと、山姥はするっと大岩からすべりおりた。
「ちょ、ちょっとー。全然わかんないんですけどー。俺ってなんなんすかー? 教えてくださいよー!」
あわてて叫んだけど、暗い河原のどこに行ったのか、山姥の姿はもう見えなかった。
「自分でわからねば、意味はないぞよ」
そんな言葉とほけほけ笑う声が、川の音に混じって聞こえてきた。
そんなこと言われてもー。
取り残された俺とサギリは、しばらくの間ぽかんと顔を見合わせていた。
「スサノオって、ナニモノ?」
サギリが反物を抱えたまま、つぶやく。
「さあ……」
わかりません。全然。
「オロカモノ?」
それは今、痛感しております。




