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第五章・扉の向こう -3

 山道の終わりがやっと見えた、と思ったところで気がゆるんだのか、もはや力の限界だったのか、俺の足はついにもつれた。

 がくんと膝が折れて、身体が前に投げ出される。

 くるんと世界が回転して、俺はとっさに両手を突き出して、頭が地面に激突するのを防いだ。下手なでんぐりがえしをしたような格好で背中から落ちて、一瞬息が止まる。

 それでも勢いは止まらず、俺は尻で石ころだらけの坂道を滑りおりていった。

 いで、いで、いでででで……。

 転んだ俺の頭の上を、バケモノがごが──っと通り過ぎていく。

 ああ、そのまま宇宙の彼方まで行っちまってくれー!

 坂道がようやく終わって、俺の尻もやっと火を噴くような痛みから解放される。

 あたりは神社の境内ではなく、山の中と同じ雑木林の中だった。

 見渡す限り、緑だらけ……。

 いや、ここで呆然としてる場合じゃない。

 顔をあげると、前方三メートルの空中で、ぬめぬめした黒いカタマリが、おっとっとと方向転換しているところだった。

 間に合わね──っ!

 尻餅をついた格好のまま、両手を前に突き出す。トナエゴトを唱える暇もない。

 消えてくれ────っっ!!

 ぜんっぜん精神統一なんかできてない。白い光も発射できてない。バケモノは速度を増しながらこっちに迫ってくる。

 いつもなら、ここらでなんやかんや言いながらも助けてくれるシナツヒコもワカサヒコも、ここにはいない。


 ああミトちゃん、ごめん。帰れそうにないよ。

 やっぱ、違う世界なんて来なきゃよかった。どんな場所かもわからないうちにバケモノに喰われて、ジ・エンドなんて。俺の人生なんだったんだろう。それもこれも親父が悪いんだ。妙なヒント散りばめやがって、俺がこっちに来ざるを得ないように仕掛けてたんだきっとそうだ。自分の息子をこんな危険な目に遭わすなんて、なんて父親だよ。あ、親父はあれかな? 八年たって俺もちょっとは強くなったと思って、そんで入り口を教えることにしたんかな。残念でしたー。見込み違いですー。俺はそんなに強くなんてなってないんですよ。八年前とおんなじですよ。だって教えてくれる親父がいなかったんだもの。どうしていいかわからなかったんだもの。ごめんよ親父。期待に添えなくて。俺はこのままなんだかわからない世界でバケモノに喰われて人生を終わります。向こうの世界にとっては、高木家の行方不明者第二号。願わくば、生きているなら親父だけでも早めにおふくろのところに帰ってあげてね。俺の遺言。誰が聞いてくれるのかわかんないけどさ。あとミトちゃん、俺のことは早く忘れていい人を見つけてくだサイ……。

 ……………………………。


 ??

 バケモノに喰われる衝撃に備えて、かたく目をつぶり、身体を丸くしている俺なのだけれど、噛みつかれる痛みも潰される衝撃も、いつまでたってもなにも感じない。

 子供のころからバケモノ相手にはさんざん危ない目には遭わされてきたけど、幸い今まで喰われたことはないもんで、実際バケモノに喰われるとどんなことになるかということを、実は俺、知らないんですよ。

 「喰われる」という言葉から、がぶっ、ぐさっ、がりがり、ばりばり、しょりしょり、もぐもぐ、へちゃへちゃ、ごっくん……という状況を想像していたし、たいだいバケモノってやつは真っ黒の胴体にでかい口だけって姿のことが多くて、「あの口で噛みつかれたら痛いだろうなあ。一発であの世行きだよなあ…」と昔から思っていた俺なんですけどね。

 考えてみれば、バケモノってのはそこらに漂っている邪悪な気配という実体のないものが凝り固まって、見える俺に対してだけ実体化しているモノなわけだから、「喰われる」っていっても観念的なもんで、肉体的な痛みとかは伴わないものだったりするのかも……。

 するってえと、もしかして、俺はもう死んでいる?

 うひー。

 観念的な存在に喰われて死んじゃうって、一体どうなっちゃうんだろう。目を開けるのが怖いですよ。

 でもでも、自分の身体と魂がどうにかなったって感じはちーともしない。地面につけたまんまの尻からはじわじわ湿り気が染みこんできているのを感じるし、なんかさわやかな風が頬をなぜていくのも感じちゃうんですけど……。

 ほら、サク、サク、とかいう足音も聞こえるし……。

 ん? 足音?


「あんた、一体いつまでそんなんしてるつもり?」

 恐る恐る目を開けてみる。

 最初に見えたのは、草を踏みしめている足だった。紐でぐるぐるまきにしてある革靴のようなものを履いている。臑にも同じものが巻いてある。膝丈の薄緑の前合わせの着物を着ていて、帯は着物よりも濃い色のやはり緑色だ。エスニックな細かい刺繍がしてあるようだ。腰の両側に当てられた手にもなにか巻かれていて、肘までの袖は、ちょっと幅が広がっていて、フチには帯と同じ模様の刺繍。

 顔は、下から見あげているこの位置からだと、逆光になっていてよく見えない。声と体型から、中学生くらいの女の子のようだ。

 これは、なんのコスプレですか?

 そして、こいつは誰?

 もしかして、あの世からのお迎え? 天使? こんなカッコしてるけど。

「おい、大丈夫か? どっか、怪我でもしたのか?」

 天使がかがみ込んで、俺の肩をつかんで揺する。

 いや、怪我っていうか、俺は死んでるんで、もう怪我とか関係ないんじゃ……。

「おいってば!」

 さらに肩を揺すられる。

 角度が変わって顔が見えた。結構かわいい。彫りの深い目鼻立ちをしていて、沖縄の人みたいだ。

「バケモノに襲われて、ふぬけになっちまったか? あいつはあたしが倒したからもう大丈夫だよ」

 え? そうなん? 今のあれ、キミが倒したの? んじゃ俺まだ死んでないのかー。よかったー。

「あ、ありがとうございますー」

 ありがとうとごめんなさいはコミュニケーションの基本。どこのどなたかナニモノか存じませんが、私はあなたに敵意は持っておりません。あなたはどうか知りませんが。


「なんだ。口きけんじゃんよ。魂飛んじゃって口もきけなくなったのかと思ったよ。しっかしあんた、あのバケモノ見えてたんでしょ? なのに、浄化のトナエゴトも知んないの? どっから来たの? バケモノに襲われたの、もしかして初めてとか? たまに急に見えるようになっちゃって、襲われるやつとかもいるみたいだけど、そうなの? じゃあ、結界のトナエゴトも知らない? あ、ここはもうあたしが結界張ったからしばらくは大丈夫だよ。ヘンなかっこだね、あんた。ここらのムラじゃ、それ普通? あー、ここらの人なら教えてほしいんだけど、あたしトリカミってとこに行きたいんだよね。ヒノカワの上流だってんだけど、登り口が見つかんなくてさー。地元の人だったらわかるでしょ? バケモノから助けてやったお礼に案内してくんないかなー」

 えーと、その。一体どこからお答えしたらよろしいのでしょうか。

 なんか、よくしゃべるやつだなあ。口がよくそんなに動くなあ。まあ、女の子ってのはよくしゃべる子が多いけど、最近身のまわりにこんな早口でしゃべる子っていなかったからなあ。ちょと新鮮かもー。ミトちゃんはおっとりのんびりだし、ツキミは言いたいこと言ったらあとは黙ってるタチだしな。まあ、初めてのチューの相手のユイはよくしゃべるやつだったけどな。あ、中学生だったからか。中学生くらいの女の子ってのはよくしゃべるもんなのか? こいつもどうみても中学生だよな。それも一年生くらい。下手したら小学生かもしれん。この世界に小学校や中学校があるとしての話だけど。

「おい、なんだよ。口きけるんじゃなかったのかよ。なんとか言えよ」

 だからその……。

「サギリ~。そいつ、目ぇ白黒させてるぜ」

「質問は、一回につきひとつにしませんとー」

 仁王立ちになったコスプレ女子中学生の後ろからフワフワと漂ってきたやつらを見て、俺は文字通り飛びあがった。ビヨーンと立ちあがって、指を突き出す。

「シナツヒコ! ワカサヒコ!」


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