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 手を離したらまた居なくなられるからと、なぜか私の横に陣取ったウィルにがっちりと腰を抱かれている。

 逃げ出したいのは山々だが、領主の邸に招かれている現状で逃げるも何も出来るわけがない。


 ラティマー様、と呼びかけて拒否されて、今まで通り呼ぶことと話すことを強要された。


「……近すぎて、話しにくいわ」

「俺には待ちわびた距離だ」


 背けていた顔をぐいと向かされて、再び目が合う。嬉しそうに、少し苦しそうに私を見る鳶色の瞳には、珍しく濃い疲れの色が見えた。

 決して良いとは言えない顔色に気付き、感じていた動揺が少しだけ落ち着いて思わず、その頬に指が伸びた。


「寝ていないの?」

「そうだな、あんまり」

「どうして」

「リアを迎えに来るために」


 少し無茶もしたと、おどけて付け加える。驚く私を見て満足したのか目を細めた。


「仕事だって好きなことしている俺が、父親に言われたくらいでハイそうですかと引き下がると思った?」

「それとこれとは」

「同じだよ」

「公爵家とのご縁など家格も何もかもが足りませんし、そもそも望んでおりません」

「言葉」

「――無理よ」


 そう答えた次の瞬間、私の背中にはソファーの座面があった。

 のしかかるような体勢と耳の両脇についた手でまるで檻のように囲われて。これは駄目だと頭では分かるのに、視界の全てを彼で埋められて心の底が喜びに満たされる。

 ああ、もう、相反する感情に引き裂かれて自分がバラバラになってしまいそうだ。


「っ、ウィル……」

「言えよ、嫌いだと」


 強引に視線を絡ませられた瞳に映る自分は、酷い顔をしていた。

 無理に動かしたように歪む唇から絞り出された彼の声は、耳より先に身体に入ってくる。


「なあリア。俺たちは隠し事ばかりだったけれど、嘘はなかった。俺のことなど大嫌いだと言え。それ以外では納得しないし、できない」


 ずるい人。こんな時にそれを言うの。


「リア」

「私……き、」


 ――嫌いだと、言えるくらいの気持ちなら良かったのに。

 たとえこの先があろうとなかろうと、私の中に続くこの想いは悲しいくらいにどこまでも真実(ほんとう)なのだから。


 将来さきなど望まない、だからせめて過去を残して。

 この想いを否定させないで。


 初めて会ったあの時と同じ瞳で黙って見おろすウィルから、唇を噛み締めて目を逸らした。しばらくの間黙っていたけれど、やがて少しだけ体を浮かし頭の脇についていた右手をそっと私の頬に当てる。


 ――離れた体温が寂しくて、触れられた掌が熱いなんて、この期に及んで私は。


「……よかった」

「な、にが」


 大きく息を吐いて、見るからに表情を緩めたウィルに指先で目元を拭われた。そうされて、自分が涙を流していると初めて気がついた。

 瞳から次々と溢れてくるものを、自分では止められない。


「俺も、リアがいい」


 額に、瞼に落とされた唇は涙をすくい取り、やがて私の唇へとたどり着く。


「そんなこと、言って、ない」

「いいや、聞こえた」


 絶対に言っていない。そう誓えるのにまるで子供のような顔で笑って、もう一度否定しようとした私の口を甘く塞ぐ。

 リア、と何度も名を呼んでは返事をする前に合わされる唇と頬をくすぐる指先に、流されそうになる意識を繋ぎ止めるので精一杯。


 初めから、倒れていてよかった。


 涙が全部掬い取られて、挟まれた体の隙間からなんとか手を動かして彼の胸を叩けば、随分と不満そうに離れてくれた。

 ようやく身体を起こし、斜めに向かい合うように膝がぶつかる距離で坐り直す……手は離してくれないので諦めた。


「あのね、ウィル。どう考えても無理よ」

「何が」

「何もかもよ。身分だって釣り合わないし、能力だって足りない。私はそんな器じゃない」


 当たり前だ。裕福でもなく大した歴史もない、地方の男爵家の行き遅れ気味の三女がどうやったら公爵家の人間と一緒になれるというのか。

 人脈も作法も持参金もない、ただの平民の娘となんら変わりないのに。

 たかが恋だとか愛だとかで超えられない壁は、確かに存在する。それが現実。


「身分は、辺境伯のところに養女に入ってもらう」

「ええ?」

「悪いな、もう決まってる。それに、大分気に入られているようだ」


 しれっと言い返される。辺境伯が何かにつけ訪ねて来ていたのは、もしかして――確かに辺境伯のところへは王家の方が降嫁されたり逆に王家に嫁いだりと、王宮との縁が深いけれど、そんな。


 それを『仕事』の報酬がわりに申し出て許されたと聞いて気が遠くなる。

 仕事って何。新聞記者とは別のことをほのめかす言い方に、彼の身体に残る傷痕が頭を過ぎる。

 身分を隠して新聞社に勤める、公爵家の子息……すごく裏がありそうだから別に驚かないけれど。ついそう呟いたら、リアはそう言うと思ったと満足そうに笑われた。


「父親がリアを、何の考えもなしにここに送ったと思うか?」

「……王都から離れていて、あまり客人も多くないと。『子守役』も隠れ蓑としてちょうど良いから――」

「そう。それに警備も堅くてね、ここの情報は外からはまず探れない……探したさ、それはもう」


 だから私がいる確証も今まで取れなかったと悔しそうに目をそらす。初めて聞く話ばかり。

 そんな中、降ってきた大きな『仕事』を取引に使ったと言われては――、でも。


「ここの奥方様からも色々習っているんだろう。随分優秀だって聞いた」

「そんなつもりで教えて頂いていたわけじゃ……だって、無理よ、そんなの」

「リア」

「ウィルの足を引っ張るだけ。誰も納得しないわ、公爵閣下だって私だって」

「リア、俺のために苦労して」


 ぐ、と繋いだ手を引き寄せられて下がっていた顔が上がる。

 合わされた瞳はやけに真剣で逸らせない。


「面倒なことも多いし実際に嫌な思いだってたくさんする。命を狙われることだって無いとは言えない。穏やかで幸せな生活なんて保証できない。それでも、コーデリア・バロウズ、君には俺の側で苦労して生きて欲しい」


 ……なにそれ。


「酷くない?」

「これ以上なく真摯なのに」

「ずるい人、そうやって逃げ道を塞いで」


 心配することはないとか、君は何もしないでいいからとか。

 気休めの約束をしないこの人に、私が決して嘘をつけないのを知っていて、その上でこうやって、


「逃げ道なら開いている。『嫌いだ』と、ただそう言えばいいんだ」

「……やっぱり、ずるい人」


 少しだけ強張っていたウィルの瞳が和らいだから、私はきっと笑っていたんだと思う。

 そのまま抱きしめられて、耳元で何か小さく呟く声が聞こえた。何を言ったか言葉ははっきりしないが、声に滲んでいたのは安堵だった。

 ぎゅう、と一度強く腕に力が入ったと思ったら、肩に頭が乗ってくる。


「あの、ウィル?」

「さすがに限界……」


 その後聞こえてきたのは、安らかすぎる寝息。

 ずしりと重たさを増した頭は支えきれずにずり下がり膝の上に落ち着く。私のお腹に顔を埋めるようにした、そのダークブロンドの髪におそるおそる指を通せば、寝入っているはずなのに少しだけ口角が上がり、抱きしめるように腕が腰に回される。


 膝の上の重さ、少し汗ばんだ体温。

 静かすぎる呼吸に、そっと胸に触れたり顔を近づけたりして、ちゃんと息をしているかを何度も確かめてしまう。


 ――ウィルが、ここにいる。


 ぽろりと最後の一粒が左目からこぼれた。



 そうして私は結局、あまりに音がしないことに心配された奥方様が恐る恐る扉をノックされるまで、膝の上の重さを噛み締めていた。







 その後のことを事細かに話すのは、あまりに野暮だと思うから少しだけ。


 いつの間にか養子縁組が成立していた私は辺境に居を移したが、その後も同じ北の領地の子守として辺境領と行ったり来たりして過ごした。

 辺境領にいる時は領主夫人が、そして何がどう伝わったのか分からないが、ウィルの実母でいらっしゃる公爵夫人やそのご友人方が「教育係」と称して代わる代わる北の領地を訪れるようになったからだ。


 王都でも一目置かれる立場の方々ばかりで身にあまりすぎるほどだが、正直なところ教授される内容についていくのに必死で、そちらに気を回す余裕などない。

 出来の悪い子ほど可愛いということだろう、どの御方も熱心に教えてくださった。そのおかげで冬が過ぎ、春の頃には、何とか体裁を整えられるくらいにはなれた。


 婚姻の許可も下り、いつでもウィルの元へ行けるのだが――。


「リア、もうそろそろ……」

「駄目。お子様がお生まれになって、少し落ち着かれるまではここにいたいの」


 こんなにお世話になっておいてからに、産み月間近の奥方様を置いて行けるわけがない。

 せめて何か役に立ってから帰りたいと思うのは当然だろう。


「ごめんなさいね、ウィル」

「いえ、奥方様のせいでは」


 申し訳なさそうにしながらも少しだけ楽しそうな奥方様に言い返せないのは、どうやら何か貸しがあるらしい。

 私が残ることについてはこちらの領主夫妻も、義両親となった辺境伯夫妻も歓迎してくれている。


「息子も懐いているし、もう少しだけリアを貸して頂戴。そうね、シーズンの半ば頃までかしら」


 二人が出会ったのと同じ夏の時まで。奥方様のその言葉に、二人で顔を見合わせる。


「雨の日に迎えに来るか」

「……断れないじゃない」


 それが狙いだと、ウィルは悪戯っぽく笑いながら私のこめかみにキスを落とす。

 人前なのにと言いながらも、本心では怒っていない――だって、鳶色の瞳と目が合う度に、あの雨の日は私の中で鮮やかに蘇るから。


 突然の雨が連れてきた恋はこうして月日を重ね、そうしてまた、雨を待つ。





お読みいただきありがとうございます。


このお話は「恋に身を焦がす夏」企画に参加しています。

キーワード検索で、他の素敵な参加作品もお楽しみください!


2017/08/11 小鳩子鈴

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