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 珍しくウィルに会わなかった午後。居候をしている叔父の家の前に、やたらと豪奢な馬車が停まっていた。

 来客は珍しい。この時間に女中はもういないはずだが、果たして叔父はお茶のひとつも出せただろうか。

 そんなことを思いながら図書館から借りて来た数冊の本を抱え直し玄関を開ける。


 狭いホールには従僕らしき人が壁際に立って待っていて、私を見ると軽く目を見開いた。

 こういう時は何て挨拶をすればよかったのかしら。帰って来た家に先に客人がいて、ああ、でも私も居候だし――そんな逡巡がおかしな間となって出て来た言葉は、結局ありふれたものだった。


「……こんにちは」

「失礼ですが、ミス・コーデリア・バロウズ?」

「ええ、そうです」


 従僕の彼はひとつ頷くと、あまり使われていない応接室の方へ行く。

 私は取り敢えずキッチンへ入り、茶器がそのままで使われた形跡がないことを確認すると、お湯を沸かし始めた。

 作り置かれていた菓子はショートブレッドくらいしかない……あの馬車に、従僕。家庭菓子だが何もないよりマシだろう。


 手早く茶葉の支度をしていると、先程の従僕がキッチンへ姿を現した。


「どうか向こうの部屋へ。貴女の叔父上と主人がお待ちです。いいえ、それは私が」


 胸に小さな疑問符を浮かばせながらも用意の出来たトレイに手を掛ければ、従僕の彼に持たれてしまった。

 お仕着せにも関わらず、明らかに仕立ての良い服を纏った青年に紅茶カップの乗ったトレイを持たせて、その前を着古したドレスの自分が歩くという構図に目眩がしそうだ。


 有無を言わせない雰囲気に、ためらいつつも応接室の扉を開けると、いつもと同じ、人間には興味のない叔父の顔がまず目に入る。

 振り返った初老の男性はまさに貴族といった品と威厳のある風格で――あの人と同じ、鳶色の瞳をしていた。


「お呼びとのことですが」

「ああ、お帰りコーデリア。こちらの紳士がお前に話があると」


 そう言って、空いている席を示す。黙って従えば、その男性からは上から下までまるで調べられるような視線を感じた。

 私が腰を下ろしたことで叔父は自分の役目は済んだと言いたげに、ちょっと失礼すると隣りの続き間へと移った。

 残されたのは、私と目の前の紳士と彼の従僕の三人。


「君がミス・コーデリア・バロウズ、本人かね?」

「お探しの方と同名の可能性もございますが、ええ、それは私の名前です」

「ウィルフレッド・ラティマーの恋人だろう」


 ああ、やっぱり。

 最初に浮かんだのはその一言だが、しかし今この人は『ラティマー』と言ったのか。


 ――その、家名は。


「……ただのウィル、という男性ならば存じ上げております」

()()は君に名乗っていないと?」

「伺っておりません」


 あの雨の日に偶然出会って恋に落ちた。

 そのまま流されるように逢瀬を重ねたけれど、家の場所も家名も教えなかった。


 だから彼も知らない、はずだった。


 私の返答に、目の前の紳士は額に指を当てて眼を閉じる。


「……なるほど。お嬢さん」

「はい」

「君の言う『ウィル』は私の息子だ。大人しく身を引いてくれるなら、ことを起こさずに済むのだが――あれにはもうじき妻を娶らせるつもりなのでね」


 低く通りの良い声が耳から入ってゆっくりと身体に染みる。

 なんとか息をしようとするけれど、ああ、もう、全部ため息になる。


「あの、誤解されているようですが。私は彼と結婚を、などと」

「ほう?」

「……ラティマー家の方とは存じ上げませんでした」

「それを信じていいものかね」

「望んで()()()の方に関わるような心意気は、持ち合わせておりませんので」


 普段は気付かないが、こう、気を抜いた時やまどろみかけている時に、なんとなく隠しきれない品の良さを感じることがあった。

 指先の動きとか、頷く時の首の角度とか……纏う雰囲気とか。

 思い返せばそれと分かるのに見ないふりを続けて来たのは、私が恋したのは『新聞記者のウィル』だと思いたかったから。そんな『公爵家のウィルフレッド・ラティマー』なんて、知らない。


「そのような身分の方だと初めから存じ上げていれば、何度もお会いすることはなかったと、誓って申し上げます」


 真偽を確かめるような眼差しで、指先を組んで淡々と返される。


「あれが記者をやっているのは本当だ。実際の身分を知っているのは、社主だけだが。最近、入れあげている女性がいると聞いて調べてみたらミス・バロウズ。君に行き着いたわけだ」

「……左様で、ございますか」

「宝飾店に注文を入れていたよ。近く婚姻を申し込む心積もりのようだ」


 驚きのあまり立ち上がりそうになった。だって、そんなこと、そぶりだってひとつも。


「……ああ、なるほど。言えば逃げられてしまうと思ったのか」


 面白そうに喉の奥で笑われてしまう。

 ここにきてようやく紅茶に手を伸ばし、最高に優雅な動作でカップが傾けられるのをただ眺めていた。


 ふと視線を移すと、窓の外のボーダーガーデンには淡青色のクレマチス。

 もうじき、夏も終わる。


「さて、話を元に戻すよ。今日会って君自身に対しては好感を持ったがね。いくら嫡男ではないといえ、高位貴族の結婚となれば色々とあるのは分かるだろう。やはり私は君にここから去ってもらいたい。ミス・コーデリア・バロウズ、君は?」

「――今日にでも」

「馬車を貸そう。私の知り合いの領地に向かうがいい」


 ほら、やっぱり虹は消えるもの。

 私は詰めていた息をゆっくり吐くと、そっと眼を閉じた。





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