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狂犬の苦悩にキツネは笑いけり  作者: 夏炉冬扇
レトロスペクション2
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狂犬になった日

 筑波ミコトという女の子は、寂しがり屋の甘えん坊で、その上、かなりの泣き虫だった。少なくとも、僕が彼女に出会った頃はそういった女の子だったはずだ。

 おおよそ喧嘩とは無縁の穏和な性格……。

 そんな彼女が本気で怒っている姿を僕が初めて目にしたのは、丁度、彼女が九歳の誕生日を迎えた日の事だった。

 例によって、僕とミコト、京華の三人は近所の公園で遊んでいた。

 そこそこ広い公園で、大人でも公園を端から端まで歩くと十分くらいはかかる。そんな公園だから、幼い僕らには、そこが世界の全てであるようにも感じられた。

 夕方のチャイムが鳴った頃、僕らが公園を出ようとすると、公園内にあるトイレの隅で数人の男の子たちが何やら揉めているようだった。

 彼らの姿を見た瞬間、僕は反射的に目を逸らした。そこに群がっていたのは、近所でも札付きの悪ガキと知られていた少年たちで、僕らよりも三つ年上の六年生だ。

 当然、目を付けられれば、こっぴどく痛めつけられる。関わり合いにならないのが一番だった。

 でも、その時だけは嫌でも関わり合いにならなければいけない状況である事に、すぐに気がついた。

 一人の幼い男の子が彼らに袋叩きに遭っていたのだ。

 その幼い男の子……それは筑波リュウト。ミコトの三つ下の弟だった。

 その光景を目の当たりにしたミコトは豹変した。穏やかで、甘えん坊で、泣き虫だったミコトがこれまでに見せた事もない顔でわなわなと震えていた。顔を真っ赤にし、怒りに満ちた形相……。

 それだけ弟を可愛がっていた事は言うまでも無い。そして「あたしの弟に何してるのよ!」

 果敢に立ち向かった。

 不意をつかれたのだろう……最初に繰り出した拳は群がる六年生のうちの一人の顔に命中した。が、それまでだった。


「なんだ、このチビ!」


 それまで喧嘩とは無縁の世界で生きてきた少女だ。到底、上級生の、しかも男の子に勝てるはずも無い。

 為す術もなく、結局、散々な目に遭い、弟の前で大泣きしていた。

 でも、その日を境に、ミコトは変わった。大切な弟の仇を何としてでも討とうと、毎日のように勝ち目の無い喧嘩に挑んだのだ。

 確かに最初のうちは、いいように返り討ちにあっていた。が、単に運動や喧嘩など、今までほとんどした事が無かったというだけで、元々持っている身体能力は高かったのだろう。日に日に抵抗できるようになっていったかと思えば、数ヶ月後には、


「悪かった! 謝るから、もう勘弁してくれよ!」


 相手がとうとう降参をするまでに成長したのである。

 そのときのミコトの顔は満ち足りていたと言っていい。でも、それからというもの、さらにミコトは変わって行った。

 自分より強い相手に勝った事で自信を付けたのだろう。もっと強く、そして悪さをしているような相手を見つけては喧嘩ばかり挑んでいった。

 いつしか、ミコトの顔つきも変わっていった。それまで優しげで、誰からも愛されそうな笑みを携えていた顔とは打って変わり、ギラギラした殺伐とした表情になり、笑い方も悪魔が高笑いをしているような、周囲を圧倒するかの笑み。尊大で、今につながる「狂犬」の異名を持つミコトが、この頃に誕生したのだ。

 そして中学に上がる前のある日……僕が質の悪い連中に絡まれていたときの事だ。


「おまえらぁ!」


 僕を囲む不良学生たちの前に颯爽と現れたミコト……。

 一対六くらいだったと思うが、彼女は二、三分の乱闘を繰り広げた挙げ句、ほとんど無傷で彼らをノシてしまった。そして呆然とたたずむ僕に向かってひと言……。


「これからはあたしがおまえのことを守ってやる」


 そう告げるとキラリと光る八重歯を見せ、まるで悪魔が悪巧みをするかのような笑みを浮かべたのだった。

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