体育の授業のドッジボールに潜むラブコメを俺は知らない
「さて、今日の体育の授業は、男女混合ドッジボールだ!」
男子がざわつき、女子がひそひそし始める。
数分後、クラス全員で体育館に集まっていた。
「男子諸君!女子に己を見せつける絶好の機会だ!死力を尽くせ!」
「「「おおおおお!!!」」」
ここで姫川さんに俺の存在をアピールしなくては!
「では、始め!」
最初にボールを持っていたのは、おかっぱ頭の小さな女子だった。
彼女はおどおどしながらとてとてと走り、白い線の手前で止まる。
おいおい、助走の意味が無いぞそれ。
彼女はきょろきょろと敵を見渡し、俺と目が合うと、目を輝かせた。
………え、なんで?
「桜緋くん……受け取って!」
女子はちっちゃな手で精一杯ボールを投げる。
轟音をあげながら、空気の渦を後ろに起こしながら、弾丸のようにボールが迫る。
「俺に死ねと!?」
あの投げ方でなんでこの速度が出んだ神の意思か!
俺は、キャッチとか無理なので避けた。ボールは壁に埋まり、壁には放射状にヒビが入る。
女子って怖えぇ!
「えいしょっと!」
外野の女子が壁からボールを取り、助走をつけて投げる。
……俺に。
「なんで俺狙われてんの!?」
俺、女子に嫌われることしたか!?
て言うかボール燃えてるよ!これ本当に体育の授業かよ!
俺はさっとしゃがむ。
ゴオオオオ!!
俺の上を炎のボールが通りすぎる。
なんだこの殺人ドッジボール!
冷や汗とまんねーよ!
ドガアアアアン!
敵のコートの女子が、男子を盾にしてボールを止めた。
男子は魂が抜けたように倒れた。
マジ女子怖えぇ!
可愛い顔してなんて恐ろしいことしてんだ!
その恐ろしき女子は、即座にボールを投げる。
「届け、私の想い!」
なんでまた俺なんだ!
ボールは炎の虎を纏い、空中を走るように俺に迫る。
「物理法則どこいった!」
ここは……田中だ!
「え、なに?……ぐえぇぇぇあががががががが!!!」
俺は呆けている田中を盾にし、なんとか事なきを得た。
田中は気持ち良さそうに気絶した。
田中が変態で良かった。罪悪感が全く湧かない。
「きゃあああ!!私の想いがブロックされたぁぁ!!」
騒いでる騒いでる。
よっぽど俺に当てたかったんだろう。
俺も嫌われたものだ。
まあ、俺は姫川さんにさえ好かれればいいんだ。悲しくなんか……悲しく、なんか……あれ、目から汗が……。
俺はやけくそにボールを投げた。
「うおおお!!」
見ててくれ、姫川さん。
俺の渾身の一球を!
「桜緋様からの愛のボール!なんとしても私が!」
「させないわ!」
「抜け駆けは駄目よ!」
運の良いことに、俺が投げたボールの軌道上に女子が集まり、その一人にボールが当たった。
よっしゃ!一人仕留めた!
「うふふ」
ボールに当たった女子は、やけに得意顔でこっちの外野にくる。
一瞬目が合うと、パチリとウインクをしてきた。
仕返しをするという意思表示か。
くっ、やはり女子は恐ろしい。
「やっとボールが回ってきた!見ててくれ姫川様!」
初めて男子がボールを持った。
投げられたボールは、普通のスピードでこっち側の男子に当たった。
だよな。普通このくらいのスピードだよな。女子達がおかしいんだよな。
「くっ」
当たった男子は悔しそうに外野に行く。
なんでだろう。初めて体育のドッジボールをしてる感覚がした。
男子に当たったボールはコロコロ転がり、姫川さんの足下で止まった。
姫川さんは戸惑いながらボールを拾う。
ああ、可愛い。
姫川さんは白い線ギリギリでボールを構え、女の子らしいフォームで弱々しくボールを投げた。
「えいっ」
ボールはゆるゆると半円に近い放物線を描き、誰にも当たらず落ちた。
ああ、可愛い。
「か弱い乙女アピールですかNo.2!」
「本気で投げてくださいNo.2!」
その可愛さで緊張が解れたのか、女子達がいろいろしゃべり始めた。
相手チームの女子が落ちているボールを拾う。
「いつもいつも勇気だして桜緋君に話しかけようとすると邪魔してきて………日頃の恨み!」
「やっちゃえ怜香!」
「前から気に食わなかったのよ、なんか胡散臭いし!」
彼女は凄まじいオーラを放ちながら白い線ギリギリに立つ。スラリとしたモデル体型の美人だが、赤黒い禍禍しいオーラで真っ黒な髪が揺れていてとても怖い。
その視線は姫川さんで固定されている。
……まさか、姫川さんを狙うつもりなのか!
その女子はプロ野球選手のようなフォームで構える。白くて長い脚が上げられ、目のやり場に困る。
「死ねぇぇぇ!!」
放たれたボールは黒い炎を纏い、その黒い炎は龍の形を成して大口を開けてうねりながら姫川さんに迫る。
さっきから思ってたけどこれ、ほんとに体育のドッジボールだよね!?
姫川さんは怯えてビクビクしながら固まっており、このままでは龍の餌食だ。
姫川さんを守らないと!
「姫川さんは俺が守むぐっ」
走り出した瞬間、何か柔らかいものにぶつかった。
そしてそのまま地面に倒れる。
「あんっ」
何今の艶かしい声!
「あんっ!いやぁん!あぁん!」
俺はその柔らかいものを引き剥がそうともがくが、もがく度に変な声が聞こえてくるので、もがくのを止めた。
「お、桜緋君の……えっち」
その声を聞き、俺は即座に立ち上がる。
この声……神宮アリス!
「もうお嫁にいけないよ……」
神宮アリスは胸を抱くように座り込んだ。
その照れた表情は、まさに天使。
白い頬は赤く染まり、潤んだ瞳で見上げてくる。
「ご、ごめん」
「責任……とってよね」
神宮アリスはぷいっと顔をそらした。
……そういえば、姫川さんは大丈夫か!?
姫川さんは右腕を横に伸ばしたまま能面のような無表情でこちらを見ていた。無事で良かった……。
その右手にはボールが握られていて、怨嗟の声をあげる髑髏のようなものが凝縮されている禍禍しい煙が立ち上っていた。
姫川さんは腕を下ろし、無表情のまま右手のボールをぎろりと見下ろしてその白魚のような指に力を入れると、怨嗟の声をあげる髑髏達はもがき苦しんで消えていき、その煙は消滅した。
……ねえ、なにが起きてるの?これ体育のドッジボールだよね?
相手コートを見ると、皆凄まじい形相をしていた。
「桜緋てめぇ、何我らが天使の胸を揉みしだいてくれてんだ」
「男子全員を敵に回したなてめぇ、生きて帰れると思うなよ!」
「桜緋様への色仕掛け……死刑ですね」
「No.2、あの女狐に制裁を!」
あーヤバい。
みんな一斉にガミガミ言ってて聞き分けられないけど、なんとなく罵倒する言葉なのは分かる。嫌われた。
もう泣きたい。姫川さんを助けたかっただけなのに。
姫川さんは少し俯いて前髪で目の隠れたままゆっくりと白い線まで歩いていき、ものすごい覇気を発しながらボールを構える。
そして
「えいっ」
姫川さんの投げたボールはまたしても放物線を描き、誰にも当たらず落ちた。
ああ、可愛い。
「またですかNo.2!」
「いい加減にしてくださいNo.2!」
ボールは相手コートをころころと転がり、ゴリマッチョな男子がそれを拾った。
ゴリマッチョはものすごい形相で俺を睨んでいる。
………やっべ。
「死ねぇぇぇぇ桜緋ぃぃぃぃ!!」
「ぐぼべぇぇぇぇ!!」
俺は死んだ。