ヤンデレ妹に包丁を与えてみたらどうなるか俺は知らない
目を覚ますと、鼻と鼻がくっつきそうなくらい近くに、美少女の顔があった。
あどけない寝顔だ。
「はあ、まったく」
俺は溜め息をつき、少女を揺する。
「こら、起きろ深月」
「んー、おはよう、お兄ちゃん」
少女は、一揺すりですぱっと起きる。
起きたばかりなのに眠そうな様子はなく、目はぱっちりと開いている。
桜緋 深月。
俺の妹だ。
「こらこら、涎垂れてるぞ」
「んー、拭いてー」
俺は、無駄につやつやした唇から、涎を拭ってやる。
垂直ではなく、なんだか俺の方に伸びている気がする。
「お兄ちゃんも涎ー」
「あ、本当だ」
俺の唇を妹の手の甲が拭う。
俺の涎もなんだか妹の方に伸びていたような……。まあいいか。
「また部屋を間違えたのか。駄目だろう、深月」
「えへへ、ごめんねお兄ちゃん」
「めっ、だぞ。まったく、次からは気をつけるんだぞ」
「はぁーい」
俺の妹は、少しおっちょこちょいだが、とても可愛らしい。
てててと俺の部屋から出ていく妹を目で追い、俺も起きるかと、のそりと立ち上がる。
口のあたりがやたらぬめぬめしているので、真っ先に洗面所にいく。
「あれ?俺の歯ブラシどこだ?」
いつも置いてある場所にない。
コップに、妹のピンクの歯ブラシと一緒に置いてあるはずなのに。
「あ、おにいひゃん」
シャカシャカシャカ
妹が歯みがきしながら、とてとてと寄ってきた。
「あ、それ、俺の歯ブラシじゃん」
「んー?あ、間違えちゃった」
またか。
妹が間違えて俺の歯ブラシを使ってしまっていたらしい。
色全然違うのに。
まったく、おっちょこちょいだなぁ。
「それにしても、なんで毎朝口の周りがぬめぬめしてるんだろ」
「さぁー」
俺の独り言に、妹は可愛らしく首を捻る。
シャカシャカシャカ
「おにいひゃんはわらひのつかったらー?」
「そうだな。仕方ない」
まあいつものことだ。
俺は妹が差し出してきたピンクの歯ブラシを手に取った。
★☆★☆
昼。
妹の強い要望で、妹と二人で外に出ることになった。
「お兄ちゃん。私、映画行きたい!」
「よし、じゃあ行くか」
しばらくして映画館についた。
ポップコーンの香りがする。
「どれ見たい?あれなんかいいんじゃないか?」
俺は、最近CMでよく流れているハリウッド映画を指差す。
だが、妹は首を横に振る。
「あれがいい」
妹は何気なく指を差す。
そのタイトルは、『ベッドの上の妹 ~それは、女の顔だった~』。
……アウトー。
「ちょ、ちょっとあれはやめようか。深月にはまだ分かんないと思うけど、あれは大人が見るやつなんだよ。うん」
「んー?なんで駄目なの?よく分かんない。一緒に見ようよー」
「と、とにかく駄目だ。他には?」
「えー。もう、仕方ないなー。じゃあ、あれ」
妹が指差したのは、ゾンビ系のホラー映画だった。
よし、セーフ。
★☆★☆
映画館から出たとき、俺はへとへとだった。
予想以上に映画が怖く、びびりまくっているところに、隣の妹がキャーキャー言いながら抱きついてくるのだ。
もうホラー映画は勘弁してほしい。
妹が、今度はカラオケに行きたいと言うので、近くのカラオケに向かう。
途中で何度か妹が間違えてラブホテルに入りそうになったりするハプニングはあったが、なんとか無事にカラオケについた。
「93点か。まずまずの滑り出しだ」
俺はいつも歌う、最近流行りのJPOPを歌い、まずまずの点数を出す。
さて、次は妹だ。
「――禁断の~愛~背徳的なの~~オーイエー……オーイエー背徳ぅぅ~」
どどん、98点。
流石、自慢の妹だ。
だが、俺も兄としての威厳を見せなければ。
「――憧れの~~あの人にぃぃ!」
どどん、97点。
くっ、勝てない……。
勝負曲だったのに……。
「――妹以外は~~ただのメス豚ぁぁ!」
どどん、100点。
妹よ。
……参りましたぁ!
★☆★☆
最後には妙な清々しさを感じながら、カラオケを出た。
次はショッピングだ。
妹も女の子なので、欲しい物はたくさんあるだろう。
「あ、会長」
「げっ」
道中、中学生らしき女子と出くわした。
背筋はぴんと伸び、黒ぶち眼鏡がきらりと光り、いかにも出来る女という感じだ。
そういえば、妹は生徒会長をやっていたな。
こんなにおっちょこちょいなのに、大丈夫なのだろうか。
「この子は誰だい?」
「書記の佐藤さんだよー」
生徒会役員だったか。
道理で妹のこと会長って呼んでたな。
「よろしく、佐藤さん。俺は桜緋 維月。こいつの兄だ」
「………ぽー」
「佐藤さん?」
「……はっ、よろしくお願いいたしまひゅ!」
佐藤さんは、会社の上司を相手にしているかのように深々と頭を下げる。
いつもこんなんなのか?と、ちらりと妹を見る。
「……」
妹は能面のような無表情だった。
今まで見たことのないタイプの顔だ。
「あ、お兄ちゃん。佐藤さんはねー、いつもこんな感じでお堅いんだよ」
すぐにいつものほんわかした顔に戻った。
「お二人は、今日はなにをしていたんですか?」
びしっという効果音のつきそうな早さで体勢を戻した佐藤さんが、機械的に聞いてくる。
「デー」
「適当にぶらぶらしてるんだよ」
しまった、妹の声をかき消してしまった。
まあ、言いたいことは同じなので、別にいいか。
「佐藤さんは?」
「私は、図書館にて書物を読んでおりました」
「へー、読書かー。他にどんなことが好きなの?」
「趣味は茶道愛読書は資本論です血液型はAB型星座はおとめ座彼氏はいません」
怒濤の勢いで捲し立てながら、佐藤さんが迫ってきた。近い近い。
「お兄ちゃん、そろそろ行こー 」
妹が割り込んできて、満面の笑みで手を引っ張ってきた。
こんな笑顔の妹は、なかなか見ないな。
前回見たのは確か、数ヵ月前に時雨の家に一泊して、一晩中ゲームして遊んで、朝に帰った時だ。
「あ、私もご一緒します」
佐藤さんがついてきた。
妹は満面の笑顔のままだ。
よほど嬉しいのだろう。
「ところで、それは何かの遊びですか、会長?」
「んー?」
「随分変わった喋り方をしてますけど」
「それよりお兄ちゃん!どっかお店入ろーよ!」
「ん?そうだな。母さんが、包丁買ってきてって言ってたな。あそこのスーパーで包丁買おう」
「うん!」
★☆★☆
「か、会長じゃないですか!」
「げっ」
スーパーから出ると、これまた眼鏡の理知的な男子と出くわした。
超やり手のビジネスマンみたいな雰囲気だ。
顔を綻ばせて、眼鏡をくいくいしながら近寄ってきた彼は、俺の存在を認識して、愕然とした表情になる。
「か、会長が……見知らぬ男と……」
しばし呆然とした彼は、きらりと光る眼鏡をくいっと押し上げ、刺々しい口調で妹に話しかける。
「会長。そこの、顔だけで中身空っぽでいかにも軽薄そうな、聡明で思慮深い会長とはとても釣り合いそうにない男は一体どなたですか?」
初対面からひでぇ。
「俺はこいつの兄だよ」
「なるほどお兄様でしたか。道理で会長に似て、知的で奥ゆかしく、見目麗しいと思いました。お会いできて恐悦至極」
言ってること真逆やん。
何が起きた。
「あ、副会長」
「これは書記くん。奇遇だね」
遅れて出てきた佐藤さんが、驚きの声をあげる。
へえ、君が副会長か。
「お兄ちゃん、袋持つよー」
「え、いやいいよ」
「いいのいいの。これは私が持つべきものなのー」
包丁などの入った袋を、優しい妹がニコニコ笑顔で持ってくれる。
何故か一瞬俺の本能が警鐘を鳴らしたが、気のせいだろう。
「か、会長。そのぽわんぽわんした喋り方は一体なんですか……」
眼鏡をくいっとやりながら、副会長君が頬をひきつらせている。
「ん?深月の喋り方、なんか変か?」
「あはは、お兄ちゃん、ちょっとジュース買ってきてくれない?」
「コーラでいいか?」
「いいよー。ゆっくりでいいよー」
「それです会長。いつものクールな口調はどこに行きました」
なんだか驚いている副会長君を完全に無視しているニコニコ笑顔の妹に見送られながら、その場を去る。
自販機を見つけた。
最新AI搭載?なんのこっちゃ。
『顔認証システム、スキャン完了』
すげー。
自販機が喋った。
『当機、未知の感情プログラムに当惑』
白かった自販機がみるみる赤くなっていく。
なにこれ。最先端科学技術?
『当機、貴方へ無償でドリンクを謙譲。どうぞご自由にお選びください』
え、なに、無料?
ラッキー!
「じゃあコーラを、うーん、4つ」
副会長君と佐藤さんもコーラでいいかな。
まあいいか。
ガチャンガチャンガチャンガチャン
『差し上げます………ぽっ』
★☆★☆
「あ、お兄ちゃんお帰りー」
「コーラ買ってきたぞ」
「やったーありがとー!お兄ちゃん……………………大好き」
まったく、うちの妹は可愛いなあ。
いつまでも兄離れ出来ないとお兄ちゃんコマッチャウゾー。
「ほら、副会長君と佐藤さんも」
「「ありがとうございます」」
プシュッ
二人は丁寧に、茶道を嗜むかのようにコーラを飲み始めた。
「はい、先に一口どーぞ」
妹はいつも通り、俺の分もあるのに、わざわざ先に俺に一口くれる。
まったく、よく出来た妹だ。
俺が一口飲んで妹に渡すと、妹はそれをちびちびと飲み始める。
「ところで、深月の口調がなんだって?」
ブゥッッッ!
副会長君と佐藤さんがコーラを吹き出した。
「な、なんでもありませんよ!ええ!断じて!」
「普段通りでございますでございますですよ!」
二人とも、この世の終わりのような顔をしながら、凄い迫力で迫ってくる。
あと副会長君は口調がおかしい。
「そ、そっか。うん、分かったよ」
俺が若干引きながら頷くと、二人は深い深い溜め息をつき、孫に看取られて死にゆくおじいさんのような、安らかな顔になった。
「あれ?副会長君、眼鏡に皹が」
「突如自分の未熟さが許せなくなり、一発殴った次第です!」
な、なんてストイックなんだ……。
俺も見習わなければ。
「あれ?佐藤さん、鞄がずたずた」
「突如現れた猪にやられました!」
こんな都会にも猪がいるのか。
うちのおっちょこちょいな妹が危険に晒されないよう、気を配っておこう。
さておき。
「それは大変だ。佐藤さん、どこか怪我はない?」
「あわわわ」
俺が顔を近づけると、佐藤さんは顔を真っ赤にして口をパクパクさせ始めた。
ガチャン
「「ひぃっ」」
突然の音に、佐藤さんと副会長君が悲鳴をあげる。
振り向くと、地面に包丁が落ちていた。
「あはは、落としちゃった」
妹はニコニコしながら、落とした包丁を袋に戻す。
まったく、おっちょこちょいだなぁ。
視線を戻すと、えらい遠くに佐藤さんがいた。
「あの、佐藤さん、遠くない?」
「な、なんのことでしょう。私は元より、会長のお兄様には一切近づいておりませんが」
これはまさか、ひ、ひょっとして……。
…………俺、嫌われた?
「もちろん会長のお兄様の半径2メートル以内に入ったことなどありませんし、今後ともその予定はございません」
………絶対嫌われたぁぁ!
なんでだぁぁ!
俺が絶望していると、妹がちょこちょこ寄ってきた。
「大丈夫。私だけは、いつもそばにいるからね。…………………いつまでも」
本当、うちの妹は天使だ。
………妹をこんなんにしてしまっていいのか、非常に迷いました




