綺麗な花には棘がある?
「一緒に来てもらうわよ、賢者さん?」
どこか大人びていて優雅な女性はそう言った。黒く艶やかな長髪に、紫を基調とした大人しめの色をしたドレス。おっとりとした眼差しとは裏腹に彼女の纏う雰囲気は鋭く、そして冷たい。スマートな体つきとはアンバランスな豊満な胸元が大人の魅力を嫌という程伝えてくる。
それより、今彼女はなんて言った?賢者?シグレが?
「どういう事だ?シグレが賢者って」
「貴方達には関係ないわよ。私は賢者にしか用は無いんだから」
「ま、待て。賢者とは何じゃ?」
シグレがイマイチ理解していないという感じで説明を求める。
「説明する義理は無いんだけど、可哀想だから教えてあげるわ。『賢者』っていうのは、かつて魔王を倒した8人の英雄が持っていたとされる固有スキルの一つ。この世の理を改変し得る唯一の力。魔法を扱う者なら誰もが憧れるスキルだわ」
この世の理の改変……なんか凄そうだな。
「その力さえあれば、過去を変えたり未来へ飛んだり、この世界、『フロンレギオン』とは違う異世界へ移動する事だって出来るんだから」
異世界だと!?それって俺が住んでた日本の事だよな?マジか。そんなすごいスキルをシグレが持ってる……
「膨大な魔力を持ち、自身に害をなすあらゆるスキルに対する耐性が極めて高いと言うのが所有者の特徴らしいのだけれど……目の前にいるじゃない、その条件を満たしてる子が」
確かにシグレが膨大な魔力を持っている事はステータスを見たから分かるし、スキルに対する耐性も、あの女の妙な力の影響を一切受けていない時点で察しがつく。
もしシグレが『賢者』のスキルの所有者だとしたら、それを狙い、かつ魔王に並々ならぬ愛情を持っているあの女は–––––
「お前、バティンの仲間か」
「あら、貴方バティンの事を知ってるの?」
どうやら当たりだったらしい。
「バティンの事を知りながら生きてる。それに獣人と一緒にいた人間……そう、貴方が……」
「バティンの仲間ならあんたも魔族だな。なら黙って見過ごすわけにはいかない。まぁ誰であっても勝手に仲間が連れていかれるのを見逃す訳ないけどな」
「貴方のせいで、帰って来てからバティンが凄くやる気になっちゃって、どうしてくれるのよ……やれあっちには骨のある人間がいるだの、面白いスキルを持ってるだの、愚痴を言われる方の身にもなって欲しいわ……」
この女はやばい。少なくともバティンよりは遥かに強い。
「でも、私も運がいいわ。暴走した剣を追いかけてここまで来たけど、まさか『賢者』に会えるなんて。ここまでお膳立てされたら連れて帰らない訳には行かないわよね?」
その瞬間、彼女の纏う気配が大きく膨らんだ気がした。臨戦態勢になったのだろう。武器らしき物は持っていないようだが、それでも簡単に勝てるような相手じゃないだろう。
「貴方達も彼女を渡す気が無いみたいだし、力ずくで奪っちゃうわね。あんまり強引にっていうのは好きじゃ無いんだけど……」
「シグレは下がっててくれ。あいつの狙いはお前だ」
「わ、わかったのじゃ」
「ユウト」
「あぁ………」
シグレを下がらせ、ティアと二人で魔族と対峙する。あっちの世界では感じなかった、命を取り合う殺し合い。全身で感じるプレッシャー。やっぱり何度味わっても慣れない。
「今からでもその子を差し出すなら、殺さないであげるけど?」
「そんな提案に乗ると思うか?」
「そう……じゃあせめて楽に殺してあげるわ。魔族軍幹部オセット、参ります」
そう言うと魔族の女性––––オセットは、不敵に笑った。
–––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
「魔族軍幹部オセット、参ります」
油断なんか微塵もしてなかった。というか、いつもよりも感覚が研ぎ澄まされていたと言ってもいい。なのに、目の前の相手がユウトを殴るまで全く反応できなかった。
「ぐッッ!!」
「ユウトッ!!」
「彼の心配をしてる場合?」
「ッ!!」
オセットが続けて私に殴りかかる前に後ろに飛んで距離を取る。しかし、気がつくと彼女は私の背後に立っている。
「な––––––」
なんで、と続ける前に私の身体は前方に殴り飛ばされた。
「ガハッ!!」
地を這いつくばる私達に、彼女は言う。
「貴方達って、スキルに対する耐性がまるで無いのね?面白いくらい引っかかってくれるから、お姉さん心配になっちゃうわ」
耐性?さっきも言ってたけど、あの速さには何か秘密があるんだろうか?
「どうせ死んじゃうんだから特別に教えてあげるわ。そうね、例えば……今この瞬間も反撃しようとしている生意気な坊や、『剣を鞘に収めて正座しなさい』」
いきなりこの人は何を言ってるんだろう、と思っていると、突然、後方に飛ばされていたユウトが、顔を歪めながら剣を鞘に収め、正座しようとしていた。
「な、なんで、身体が勝手に」
「あはははは!!傑作ね。戦闘中に武器をしまって正座してるわよ?」
「貴女、何をしたの!?」
「何って、見たまんまよ。私の命令は絶対なの。私がお願いすれば彼みたいに言うことを聞いてくれるのよ」
そんな!?それじゃあ勝ち目がない!スキルの耐性が高い人なら対等に戦えるけど、私やユウトじゃそもそも戦いにすらならない。
「まぁ本当は口に出さなくてもいいんだけどね。貴方達がわかりやすいようにしたって訳。じゃあ、貴女は『彼が殺されるまでそこで這いつくばってなさい』」
その瞬間私の身体は、まるで凍ってしまったかのように動かなくなった。
「な、動かない……!!」
私の状態に満足したのか、彼女はそのままユウトの方へ歩みを進める。ユウトの所まで行くと、おもむろに右手を上に掲げた。その瞬間彼女の指の爪が伸び、鋭さを増した。
あれで斬り裂かれたらユウトは、死ぬ!
「動いて!お願い!動いてよ!!!」
そうしてゆっくりと彼女の腕が振り下ろされ、彼の身体を縦に切断–––––––
「ユウト––––––––!!!」
キィィン!!!!
––––––されなかった。ユウトは先程の暗示など無かったかのように、背中の剣を抜刀し、振り下ろされる爪を受け止めた。
「な、なぜ!?私の力で貴方は動けないはず!」
「何って、ちゃんとお前の命令は聞いたぜ?剣を鞘に収めて正座したの、笑いながら見てただろ?」
そう、確かにユウトは剣を鞘に収めて正座していた。じゃあなぜ今、その命令を無視して攻撃を受け止められているのか。
「別にティアみたいにいつまでとかは言われてなかったからな。自分の中で『正座したら自由』ってルールを勝手に決めたらあっさり動けるようになったよ」
「そ、そんな屁理屈で!?」
「そんな屁理屈で解かれる位、お前の力は弱いって事だ、な!!!」
ユウトは彼女の手を押し返し、返す刃で彼女に斬りかかる。
そこからは怒涛の連撃。振り下ろし、斬り上げ、水平斬り、返し斬り、ありとあらゆる方向からオセットへ斬りかかった。
そして20合程斬り結んだ時、ユウトの気迫に圧倒されたオセットに隙ができた。その隙を逃さず、下段からの斬りあげで相手の体制を崩すと、
「鳴神流剣術初伝、『断滝』!!」
力強く右足を踏み込み、左から右への水平斬りで相手の左腕を肘から切断した。
「ぐっ、ギャァァァ!!!」
断末魔を上げながら、ユウトから距離を取るオセット。そんな彼女の顔色は変わり、先程まであった余裕は一切無くなっていた。
「ンフ、ンフフフフ。いいわ、貴方。バティンが気にかけるのも分かるわ。見るからに能力は中の下。魔力も人並み程度。それなのに絶対的強者を前にしてなお立ち続けるその愚かさ。あぁ、なんて楽しいのかしら!!!」
そう言うと、オセットは何やら一言呟く。すると、切断されたはずの左腕がいつの間にか再生していた。先ほどの負傷を感じさせない彼女の顔には、笑みが浮かんでいる。
その笑みは、新しいオモチャを見つけた子供のようにキラキラと輝いていた。
「バティンには悪いけど、ますます私の手で殺したくなってきたわ!」
そう言うと、ユウトを見つめるオセットの目が怪しく光る。何をしたのだろうか?
「くっ!またか!!」
そうするとまたしてもユウトは顔を歪めながら、剣から手を離し地面に膝をついた。
「獣人の女の子には話したけど、別に私の力は口に出さなくても発動できるのよ。せっかく解いた所悪いけど」
本人はあれこれ思考錯誤して暗示から抜け出そうと試みているようだが、全く効果がない。手は垂れ下がり、顔は悔しそうに彼女を見上げている。
「まだそんな顔ができるのね?四肢の動きを封じられている今の状態で何ができるって言うんだか」
「ある人が言ってたんだけどな、『諦めたらそこで試合終了』らしいぞ?」
「ふぅん、そう。じゃあ、最後に言い残すことはある?」
「言っておくけど、まだ終わってない。以前の俺なら諦めてる所だが、この世界に来てから考えが変わったみたいでな。勝負はこれからだ」
「変な事を言うのね?まるで自分が別の世界から来たみたいな言い方。まぁいいわ。それじゃ、また来世で会いましょう?出来れば今度は良い出会い方なら嬉しいわ」
そう言ってオセットは、先程と同じように爪を振り下ろした。




