危険な二つ名 その8
「とりあえず、クモは退治したからあとは卵をつぶすだけかな」
エセルが手をかざしながらきょろきょろする。
卵を壊してしまうなんてかわいそうな気もするけれど、あんな大きなクモが森の中をうろついていたら木こりの人たちも困ってしまう。食べられてしまう人も出てくるだろう。ここは裁きの神のように非情に徹して壊すしかない。
もう一度周りを探してみると、さっき戦った場所からさらに森の奥に入ると巨大な樹木にぶつかった。高さは二十フート(約三十二メートル)はあるだろう。幹は両腕を伸ばしたよりも太く、小さな家ならそのまますっぽり入ってしまいそうなくらいだ。正確な樹齢はわからないけれど、何百年という歴史を感じさせる。
その大樹の上に雷雲のような乳白色の糸が何重にも絡まり合っている。その中心に白く丸いものが何十個もぶらさがっている。
「間違いありません。十王グモの卵ですね」
ポーラさんが険しい顔でつぶやきながら槍を構える。
「どうします?」
木の上にあるから壊すのは面倒だ。さっきと同じ理由で火を付けるのはまずい。
「木でも切り倒しますか?」
「バカ言っているかな」
今度はエセルから小馬鹿にした口調でたしなめられる。いい考えだと思ったんだけどなあ。
「では、僕がちょちょいと木に登って壊してきます。みなさんは周りの注意とフォローをお願いします」
僕が木登りしている間に生き残りの十王グモや、別の魔物がおそってくるかも知れない。助け合わないとね。
「大丈夫なの?」
「僕は木登りは得意なんですよ。村でも三番目くらいですかね」
「それじゃあ、お願いします。気をつけて」
ポーラさんの了解も得たので、スノウを預けてから、木に手を掛ける。枯れかけているのか、木の皮がもろくなっていて、足を掛けたところが剥がれ落ちそうになっている。おまけに糸が枝や葉っぱにへばりついているので、登りづらいったらありゃしない。
それでもどうにか巣の上まで登り切る。立ち上がると、足下には白い糸がまるで雲のように広がっている。まるで天国にでも来たみたいだ。うっかり踏み出しそうになるけれど、僕の体重を支えきれるかどうかわからないのでガマンする。
さて、早いところ卵を壊して下りよう。
糸に絡まったたくさんの卵を見つけた時、僕は息をのんだ。
下からでは気づかなかったけれど、ほとんどの卵が割れていた。上半分の辺りが砕けて、小さなカラが糸に絡まっている。中は空っぽだ。カラの飛び散り具合から考えて、外から砕かれたのではなく、内側から破ったように見えた。
まずい。
「大変だ。もう卵がかえってます!」
「リオ君!」
僕が危険を呼びかけると、ポーラさんの叫び声が返ってきた。
かさかさかさ。
僕の頭の上、太く伸びた枝をつたって這い寄る気配がした。
一つだけじゃない。二つ、三つ、四つ……数えるのもバカらしくなるくらい、たくさんの気配に周りを取り囲まれていた。
「どうやら、一日遅かったようだね」
そうつぶやいた時には、何十匹もの小さな十王グモが姿を現し、十個の眼を光らせていた。
さっき倒したクモの子供たちだろう。体長は半フート(約八十センチ)程度で、目も小さいし、足もほっそりしている。一匹だけなら問題にもならないだろう。でも、この大群はその不利を補ってあまりある。はっきり言って、さっきの大グモよりずっと危険だ。
子グモたちは十個の目をばらばらに動かしながら僕たちを興味深そうに見つめている。この子たちからすれば、僕たちは両親のカタキということになるんだけど、怒りは感じない。
お父さんお母さんの敵討ちというより、むしろ、僕たちをぺろりと食べてしまいたいって気持ちの方がずっと強そうだ。
「兄弟が多くてうらやましいね。僕は一人っ子だからさ。君たち、何人兄弟? これだけ多いと、靴下とか大変そうだね。よく見たらその靴下、色違いみたいだけれど、はき間違えたりしてないかな」
何とか気を引けないかと話しかけてみたが、気にした風もなくかさかさと白い糸をつたいながら僕に近づいてくる。散らばっていたのが、僕たちを見つけて八方から集まって来ているようだ。やはり話の通じる相手ではなさそうだ。
木の下を見ると、十王グモの群れの何匹、いや何十匹かが木を下りてエセルたちに向かっていく。
素早い動きですでにみんなを取り囲んでいた。みんなの目は戦ってやるって決意に燃えている。でもその奥には、命の危機という緊張とおびえが隠し切れない。
参ったな。今はまだ様子を見ているみたいだけれど、何かの拍子に一気におそいかかってくるぞ。
こうなったら全員連れて『瞬間移動』で出直そうかと思った時、僕の近くにいた十王グモの一匹が、まだ中身のある卵を蹴飛ばしてしまった。たまたま糸が付いていなかったのか、かわいそうに、卵は地面へと落ちていく。生暖かい音とともに、どろどろの中身が割れた卵からはじけ飛んだ。
十王グモの群れが一斉にざわめきだした。がざがさがさ、と素早く足を動かしながら僕たちを食べたくて仕方がないようだ。卵が壊されたのを攻撃と判断したのか。
「自分たちで壊したくせに」
文句を言いながら僕は木の上からひらりと飛び降りた。くるくると前回りで勢いを殺しながら剣を抜くと、エセルに飛びかかろうとしていたクモの頭を切り落とした。
「ただいま」
「おかえり……って、そんな場合じゃないかな!」
「みたいだね」
返事をしながら後ろからのし掛かってきた、ちびの十王グモを切り捨てる。手首をひるがえし、続けてもう一匹切り捨てる。けれど、一匹二匹倒しても勢いは止まらない。
「逃げるぞ」
ジェシーさんの合図でほぼ同時に元来た道を駆け戻る。一呼吸置いて無数の足音が僕たちを追いかけてきた。
ジョンさんを先頭に、ひとかたまりになって坂道をひた走る。時折ジェシーさんが振り返って矢を射る。数が多いから命中はするのだけれど、走りながらだから急所にうまく当たらないようだ。十王グモは足を折られ、目をつぶされても平気な顔で追いかけてくる。
僕は一番最後を走りながら、追いかけてくる奴を『麻痺』でしびれさせ、上からおそってくる奴を『大盾』ではねのける。でも、仲間や兄弟がやられても全く気にした様子はなかった。しびれた奴をふみつぶし、はね飛ばされた奴を蹴飛ばしながら十王グモは進み続ける。僕たちを食べてしまうために。
「このままじゃあ、追いつかれるぞ!」
ジョンさんから悲鳴のような声が上がる。僕はともかくエセルは大分息が上がっている。ジェシーさんも走りながら額の汗を何度も面倒くさそうに拭いている。矢を射るために止まったり走ったりを繰り返しているせいで、体力の消耗が激しいようだ。
「もう少しです、がんばってください」
ポーラさんが切羽詰まった声ではげまそうとする。汗も少ないし、足取りもしっかりしている。この中では一番余裕がありそうだ。僕? 僕はね、ちょっとまずいかもしれない。
エセルが遅れそうなのでさっきから手を引いてあげているんだけどさ、「ハア、ハア……」とエセルの苦しそうな切なそうな息がとぎれとぎれに僕の首の後ろに当たってね。うなじの辺りをくすぐるものだからそのたびにぞくぞくっと、まるで桃色のカミナリが僕の背中を駆け抜けていってさ。うん、走りながらぽーっとなっちゃいそうだ。
もちろん、そんな場合じゃないのはわかっている。よそ見をしたり、別のことを考えていたら食べられてしまうかもしれない。そう、危険なんだ。だから、かしこいスノウも僕の目を覚まそうと、さっきから僕の耳にかじりついている。大丈夫だよ、僕はちゃんとしているから。
「あそこに逃げ込みましょう」
ポーラさんが走っている道から少し離れた洞穴を指さす。小さな斜面にできた半月型の穴がぽっかりと空いている。入り口が狭い上に枯れ葉で半分埋まっている。大人一人が四つん這いになって入るのがやっと、というところだろう。あそこなら十王グモの追撃を防げるかも知れない。
「飛び込め!」
相談しているヒマはなかった。ジョンさんを先頭に次々と穴の中へと這いずりながら潜り込んでいく。僕は、『大盾』をめいっぱい広げながら時間を稼ぐ。一歩遅れて十王グモたちは半透明の壁に飛びかかり、よじ登ろうと足を動かし、仲間を踏みつけながら数を増やしていく。
ちょっとやそっとで『大盾』が破れるとは思わないけれど、虫のおなかがうごめく様子は気持ちが悪い。
「リオ!」
穴の中からエセルが呼んだ。全員潜り込んだのを確かめてから僕もゆっくりと後ずさり、穴の中に足から滑り込んだ。僕の頭が入ると同時にジョンさんが丸い盾を掲げて穴をふさぎ、その後ろから重し代わりに手近な石ころや岩をみんなで置いていく。
ガンガンガン。固い物が当たる音がする。盾の隙間から十王グモがもどかしそうに穴の中を覗き込む。
「ひっ」
目が合ったのか、エセルが青い顔で後ずさる。
洞穴の中はちょっとした小部屋程度の広さだ。すぐ行き止まりになっていた。ほかに出られそうなところはない。真っ暗闇とまではいかないけれど、唯一の出入り口をふさいでしまったので、お互いの顔もわかりにくい。
僕はカバンの『裏地』からランタンを取り出し、火を付ける。
薄暗い穴の中に小さな明かりが灯ったことでほっとした空気が流れる。
その間にケガをした人がいないかお互いに確かめ合う。大きなケガをした人はいなかった。逃げるときに葉っぱで顔を切ったとか、転んだ時にすりむいたくらいだ。よかった。
「これからどうしましょうか?」
外にはまだ十王グモの気配がうようよしている。当分は出られそうにない。
「まさか、ここで持久戦とか言わない、かな?」
エセルがうんざりした顔で言った。
短期決戦の予定だったからみんなたいした食料の準備もしていない。僕の『裏地』には干し肉も干しぶどうもたんぽぽコーヒーもあるけれど、この人数では三日と保たないだろう。何より、外の十王グモがそうさせてくれるとは思えない。
さっきからがんがんと盾や石を叩く音がひっきりなしに聞こえる。僕たちがこうしている間にも十王グモは隙あらば穴の中に入り込もうと、意地になっているようだ。
「一か八か打って出るしかないな」
そう提案したのはジェシーさんだ。弓矢を岩壁にもたれさせると、腰から細身の剣を抜く。業物みたいだけれど、僕の剣ほど頑丈ではなさそうだ。多分、十匹も切れずに折れてしまうだろう。向こうはその十倍はいる。
「切って切って切りまくれば、あのクモも恐れをなして逃げるはずだ」
「危険です。まだ夜まで時間もありますし、チャンスを待つべきです」
反対したのはポーラさんだ。時間が経てば、十王グモたちもあきらめてどこかへ行くかも知れない。
ジェシーさんは鼻で笑った。
「あきらめなかったらどうするつもりだ。お前も気づいているだろう? ここに来る途中、鹿やイノシシどころか、熊もゴブリンもコボルトも出てこなかった。連中のエサはここにしかないんだよ」
「この人数で飛び込んだところで、それこそエサになるだけです。考え直してください」
「そうでもないさ、そこのボウズがいるからな」
そう言いながらジェシーさんは僕の方を見た。つられて僕も後ろを振り返る。ごつごつした岩壁があるばかりだ。
「誰もいませんよ?」
「お前のことだよ、リオ。お前だ」
ジェシーさんが呆れた口調で指摘してきた。
「そうでしたか。ボウズなんていうからてっきり子供でもついてきたのかとびっくりしましたよ」
僕はオトナだからね。
「で、オトナの僕に何の御用ですか?」
ジェシーさんはこめかみに青筋を浮かべた後、二度ほど深呼吸をしてから言った。
「一か八か打って出る。お前はさっきのバリアで外の連中を追い払ってくれ。その間に外に出る」
「良い作戦とは思えませんね」
ジェシーさんの腕前は相当なものだけれど、あれだけの大群相手に弓矢で対抗できるとは思えない。第一、矢筒に残っている矢はあと二本だ。勇気というより無謀だろう。
「なら、お前にはほかに策があるというのか?」
ジェシーさんが凄みながら食ってかかる。
「あります」
逃げるだけなら虹の杖の『瞬間移動』で町まで戻ればいい。でも、僕の『瞬間移動』では大人数は運べない。
あくまで体感だけれど、人数が増えれば増えるほど、どうも正確な場所に移動しにくくなるようだ。これだけの人数と同時に移動したことはないし、この真っ暗な洞窟ではイメージがしにくくて、また戻って来られるか自信がない。
それに、町に戻っても応援が来てくれる保証はない。何よりもっと手っ取り早い方法がある。
「僕が外に出て、あいつらを退治してきます」
あれだけの数だから少し時間はかかると思うけれど、何とかなるだろう。
「お前、正気か?」
「よく言われます」
みんなして僕のことを頭のおかしい人みたいに言うんだからイヤになるよ。僕だってちゃんと考えているのに。
「死ぬ気なの?」
「危険です」
エセルやボーラさんも僕を引き留める。心配してくるのはうれしい。
扉代わりの盾ががたがたと音を立てて震えている。ジョンさんがあわてて押さえにかかるけれど、あの分だと入ってくるのは時間の問題だろう。話をしているヒマはなさそうだ。
「まあ、心配しないでください」
僕は虹の杖を掲げた。そのとたん、スノウが僕の胸元に飛びついてきた。きっと僕の意図を悟ったのだろう。びっくりしてのけぞった時には、僕たちの体は穴の外に出ていた。
僕とスノウがいるのは穴のすぐ真上、何もない空中だ。見下ろすと、十王グモが穴の周りを何重にも覆い被さりながら取り囲んでいる。もう地面が見えないくらいだ。たくさんの足がうねうね動いているのが気持ち悪い。
「よっと」
僕はとっさに手近な木の枝にしがみつく。左手一本でぶら下がりながらスノウが肩の上までよじ登ってくるのを待つ。
「にゃあ」
「ダメじゃないか。スノウ」
虹の杖を持っているので撫でてあげられないのが残念だ。代わりに顔をすり寄せる。ふわふわの白い毛が気持ちいい。一度戻ろうかとも考えたけれど、またジェシーさんたちに引き留められるだろう。何より、スノウは頼りになる。誰も見ていないのならちょうどいい。
「いいかい、僕から離れちゃダメだよ」
「にゃあ」
お読みいただきありがとうございました。
次回は10/31(火)午前0時頃に更新の予定です。




