まわりまわって…… その9
というわけでやってきたのは領主様の館である。やってきたのは僕一人だ。
ニコラも嫌がっていたし、もしかしたら荒事になるかもしれない。その時にニコラを危険な目にあわせないためにも今回は僕だけで行くことにした。
館は白い漆喰塗りの二階建てだ。あまり大きな建物ではない。その代わりに石塀があって、周りを囲っている水堀はアビゲイルさんの屋敷よりも深い。大人がすっぽり入ってもまだ余るくらいだ。おまけに門の前には跳ね橋になっている。
領主様だけあって飾りっ気よりも質実剛健、お城に近い作りのようだ。ただ残念なのは、高い塀も深い堀も、僕が忍び込むのは防げないってことだろう。
ひまそうにしている門番さんの横をすり抜けて、館の玄関から中におじゃまする。中にも鎧とか剣とか、斧と槍が一緒になったような武器も飾ってあって、倉庫にも剣や弓矢が保管されている。よっぽど武器が好きなんだな。
働いている人もいるけれど、書類を運んだり掃除や洗濯をしたりとあまり忙しそうではない。徳政令を出すというからその準備に追われているのかと思っていた。
さて、領主様はどこかな。
多分、執務室とかそういうところにいるのかと思っていたけれど、二階のそれらしい部屋には書きかけの書類があるばかりで誰もいなかった。もしかして留守なのかな、と思ったところで窓の下からかけ声が聞こえた。気合いを入れながら短く、腹の底から発しているようだ。空気を切り裂く音もするから多分、素振りでもしているのだろう。
僕は窓から裏庭を見下ろすと、上半身裸の男の人が剣を振っていた。年の頃は四十歳くらいだろう。手足も長く、骨太で筋肉も引き締まっている。胸や背中のあたりなんか猿みたいに毛深い。でもズボンとか金糸が縫い付けてあるし、振っている剣も柄やツバの辺りは豪華だ。さぞお金もかかっているのだろう。
騎士様かな。
近くで確かめようと、窓から飛び降りる。着地したときに砂埃が立ったけれど、『贈り物』を使っているから気づかれた様子はない。
「風がきついな」
うっとうしそうに男の人は顔に付いた砂埃を払い落とす。間近で見ると、四角い顔に短く刈った金髪。まばらに生えた無精ひげ、まるで大工さんって感じだ。
でも剣を振っている型はきれいだし、剣筋もしっかりしている。きちんと剣術の訓練を受けた人だ。
「あの」
僕は『贈り物』を解除してから声を掛ける。
「何者だ、貴様?」
男の人はうさんくさそうな目をしながら剣を構える。
「僕はリオ、旅の者です。決して怪しい者ではありません」
両腕を広げて害意のないことをアピールする。
「実を言うと領主様にお願いがあって参りました。領主様は今どちらにいらっしゃいますか?」
「パーシバルのことか」
「そういうお名前でしたかね。とにかく領主様です」
「何の用だ? 士官が望みか」
「いえ、徳政令の件です」
すると男の人の目つきが鋭くなった。同時にさっ、と前に踏み込み、持っていた剣の切っ先を僕の喉元に突きつける。
「貴様、どこでそれを知った?」
「それは言えませんが、できれば取り下げていただくようお願いに」
ぴかぴか危なく光る切っ先を手で押しのけながら返事をする。
「ほう」
男の人は面白そうにまた剣の切っ先を僕の喉元に近づける。
「なら一つ俺と勝負といかないか」
挑戦的な笑みを浮かべる。僕はこういう顔を何度も見たことがある。昔、ジェフおじさんから勝負を仕掛けられた時もこういう顔をしていた。最初から自分の勝ちを確信できる勝負を仕掛けるずるさと、ちょっとの賭け事の楽しさを楽しむような顔だ。何より悔しいのは、たいていがジェフおじさんの思い通りになってしまうことだ。おかげで僕はおやつのバタークッキーを何度も横取りされてしまった。
「俺に勝てたら話を聞いてやってもいい」
「どうしてですか?」
騎士様かと思っていたけど、どうも様子が違う。
「簡単だよ」男の人は平然とした口調で言った。「俺がここの領主だからだ」
返事と同時に腕を伸ばし、大きく踏み込んできた。そのまま棒立ちになっていたら鋭い切っ先が、僕の喉を突き破っていただろう。突っ込んでくることは、ぎこちない膝の動きからわかっていたので、足の裏が地面に付く前に僕はくるりと回り込み、領主様の後ろに立つ。
「えい」
さすがに切りつけるわけにはいかないので、代わりに指先で首の後ろをつんとつつく。領主様が体をこわばらせて背中をのけぞらせる。お尻もきゅっと締まってなんだかかわいい。
「えーと、これでよろしいですか」
僕が話しかけると、領主様は信じられないって顔で振り返る。
さっきの素振りを見る限り、領主様も腕に自信があるのだろう。でも誤算が二つある。僕の方がちょいと腕が立つこと。領主様はジェフおじさんじゃないってことだ。
「も、もう一度だ」
領主様は剣を構え直すと、斜め上から振り下ろしてきた。僕が後ろに下がってそいつをかわすと、我が意を得たりとばかりに連続して斬りかかる。
一撃一撃は鋭いが、さっき回り込まれたのを警戒してか、剣の長さを生かしてあまり踏み込んでこない。どうやら間合いと手数で勝負するつもりらしい。空気を切り裂く音が耳たぶを何度も叩いていく。
さて、どうしようか。ケガをさせるわけにはいかない。剣で防ごうかとも思ったけれど、抜いたら敵意ありと見なされて、この後の話がしづらくなるだろう。でも領主様の剣は存外に素早く鋭い。二十番というのもウソではなさそうだ。
近づくのはちょっと難しいかも。
なら、この手かな。
「どうした? さっきのは偶然か」
「なんでしたらもう一度やりましょうか」
僕は自分から近づくと、マントを外す。間合いを目で測りながら大上段に斬りかかる領主様の剣めがけてマントを大蛇のように巻き付ける。僕のマントはとても丈夫に出来ているから鉄の剣くらいで破れるものじゃない。絡みついたのを確認すると、マントごと領主様の剣を引っ張る。
領主様の顔が焦りでこわばる。とっさに奪い取られまいとして、ぐい、とのけぞりながら踏ん張った。ここだ。
僕はマントをぱっと手放した。
バランスを崩して後ろに倒れ掛かる領主様の背後に回り込み、首筋をつついた。ふひゃ、と可愛らしくも気味の悪い悲鳴を上げて領主様はしりもちをついた。
「えーと、まだ続けますか」
「貴様……何者だ?」
「先程も言いましたが、旅の者です。徳政令の件で来ました」
僕はにっこりと笑顔で手を差し出す。
「話を聞いていただけますか?」
しばらくしてから僕たちは領主様の執務室にいた。領主様も裸ではなく、白いひらひらの付いたシャツを着て、緑のビロード地のイスに座っている。机の上に肘をつき、両手をあごの下で組み合わせた姿勢だ。そこで僕は領主様と向かい合っていた。僕はテーブルの前で立ったまま弁舌さわやかに徳政令の危険性を説明する。
「ふむ、徳政令がな……」
「ええ、大変にまずいんです」
僕は大げさにうなずいてみせる。
「徳政令を出せば結果的に町の人たちが大勢困ることになります。それでは本末転倒ではないでしょうか。是非、ご再考いただけませんか」
「お前の言いたいことはわかった」
領主様は重々しく首を縦に振る。
「でしたら」
「ならん」まるで斧で首をはねるようにばっさりとした断り方だった。
「どうせ、アビゲイルの言うことを真に受けたのだろう。あるいはあやつから頼まれたか? いずれにせよ、お前の言うことは全て金貸し側の理屈だ。町の者がかえって貧しくなるなど、全て推測だ。必ずそうなるとは限らない。確かに、金貸しの多くはつぶれるかも知れないが、それは自業自得というものだ。散々暴利をむさぼってきたのだからな」
「それは違います」
僕はきっぱりと否定する。
「世間の人が思っているほど、高い利息を取っているわけではありません」
ニコラから聞いたり、自分でも見た限りだと、世間の人が思っているほど金貸しは暴利で丸儲けなどしていない。偏見というものだ。事実、ニコラはかつかつでやっている。
「なら、俺が間違っているというのか?」
領主様が凄んだ声を出す。ここでそうです、と言えば領主様を非難したことになる。
「利息にかかわらず、この町の金貸しにとって徳政令は、悪夢となるでしょう。金貸しという商売自体がこの町では成り立たなくなります。金貸しもまたこの町の民です」
だから僕は別方向から攻めてみる。
「だが、金貸しからの借金で苦しんでいるのもまたこの町の民だ」
そうつぶやいた領主様の言葉には哀れみがこもっている。自然な手つきで握られた拳が演技ではないことを物語っていた。
「利息が利息を呼び、すでに元金を超える額を納めているのにいまだ借金に苦しむ者たちがいる。利息を納めるために働いているような状況だ。借金さえなくなれば、新しい道を歩ける者もいるだろう。徳政令を出すことでつぶれる者、助かる者。どちらが多いと思う?」
「ですが、出してしまえば取り返しが付かなくなります。せめて少しの時間をいただけませんでしょうか。あるいは期日を決めて徳政令を出すよう民に伝えるとか」
「今こうしている間にも首をくくる者がいるかも知れないのにか?」
「……」
「大体、この町の金貸しとして認めているのはアビゲイル一人だ。それをごまかしのような手口で金貸しを増やしているのも気に入らないのだ、俺は。それに、出す日を事前に伝えれば、ムリな取り立てに走る金貸しも出て来るだろう。無用の混乱を広げるだけだ」
ダメだ。人の命を盾にされるとどうしても説得力が弱くなる。
話してみてよくわかった。領主様は金貸しを苦しめてやろうというつもりはない。徳政令も純粋に民を思ってのことだ。自分の行動が正しいことだと信じている。だからこそ、余計に困る。
結局のところ、徳政令を出した後の混乱なんて実際に起こってみないとわからないものだ。アビゲイルさんの予測だって外れる可能性もある。もっと軽く済むかも知れないし、ものすごい大混乱が巻き起こるかも知れない。
「とにかく徳政令はもう決めたことだ。撤回するつもりはない」
説得はムリ、か。どうやら徳政令が出ること自体は避けられないようだ。もちろん、力ずくで止めるなんて論外だ。
「でしたら、せめて金貸しに対する救済をお願いいたします。徳政令で損をした分の全額……はムリでもせめて半分くらいは保証してあげるとか」
「そんな金があるものか」
『首なし騎士』にネックレスは付けられない、とばかりに手を振る。
「話は終わりか? なら、もう一勝負どうだ。貴様の腕も見たい」
領主様が立ち上がった。首を鳴らしたり指をぽきぽき鳴らしながら僕を見下ろす。
もっとも、勝ったところで徳政令は引っ込められないがな、とにやりと笑う。
僕の言いたいことを先に言われてしまった。
どうすればいいんだろう。このままではニコラが困る。お父さんのために金貸しを続けたいという気持ちが……。
待てよ。
僕の中で一つのひらめきが浮かんだ。暗闇の中で小さな光は一つまた一つと灯りながらだんだんと広がっていく。やがて光は隣同士とつながり、一つに混ざり合い、真っ白な光が僕の頭を染めていく。
「参ったな」僕はぽりぽりと頭をかいた。
「どうも余計なことを思いついちゃったみたいだ」
「どうした、俺と勝負しないのか? 何だったら気が変わって徳政令も取り下げるかも知れないぞ」
がはは、と領主様が高笑いする。明らかな挑発だけど、僕はあえてそいつに乗っかってみることにした。もっとも、領主様の期待通りの乗り方ではないと思う。
なにせ僕は、母さんの息子だ。馬の上に仰向けに寝転がってリンゴをかじるくらいはやってのけるさ。
「領主様」僕は背の高い、筋骨隆々の体つきを見上げながら言った。
「僕に借金をしてみませんか?」
次回は9/15(金)の午前0時頃に更新の予定です。