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まわりまわって…… その2

「こんな依頼受けるんじゃなかった……」


 心の中でそう後悔するのに時間はかからなかった。


「お願いします、あと三日、いいえ、あと二日待っていただければ」

「だーめー」


 気の抜けた声で、それでもニコラはしっかりと断る。

「今日が期限だからー、返してもらわないとこーまーるー」


 おじさんの顔がいびつにこわばる。年は四十も半ばを越えた頃だという。薄くなった黒い頭髪に鹿のように細長い顔とやせた体。黒いチョッキと白いシャツ、すそのほつれた茶色のズボン。何日も食べてないのか、ひどく顔色が悪そうだ。


 おじさんは膝をつきながら泣いているのか笑っているのか怒っているのか、判断に困る表情で眼だけを落ちつきなく動かしながら僕とニコラを交互に見ている。その目は、どうすれば今の状況を乗り越えられるか必死に考えているようにも見えた。


「もう少し、必ずお返ししますから。お願いします」


 おじさんはただでさえ低く下げた頭をさらにかがめる。まるであわれな召使いだ。僕の三倍は生きているようなオトナが、必死に頭を下げる姿というのは申し訳なさでやりきれなくなる。しかも相手はニコラのような女の子や、僕のような、なりたての若者だ。


 まさか、借金の取り立てだなんて思わなかったよ。


 僕たちは今、町の東側にあるクロウラー通りというところにいる。ほかの地域に比べると、石造りの建物も薄汚れていて、あちこち修繕の痕がある。かと思えば、道に敷き詰められていたはずの石畳はすっかり剥がれ落ちて土が露出している。辺り一帯、活気というものが乏しい。


 道の端にある建物と土の間には青々とした雑草が勢いよく生えていて、道を歩くのにジャマをしていた。どうやら貧しい人たちの住んでいる地域らしい。


 そのクロウラー通りの真ん中に二階建ての小さなお店がある。看板は既に取り外されたのか見当たらないけれど、長年日に焼けた壁の痕からかろうじて「青鹿亭」と読むことが出来た。


 料理屋とか飲食店のようだけれど、建物の中は薄暗く、ホコリっぽかった。壁には小さくて四角い木札が、何枚も立てかけてある。メニューのようだけれど、「特性鹿のシチュー」の上にはこんもりとホコリがつもり、「エール一杯 銅貨二枚」という木札はすっかり色あせている。


 目を凝らさなければ「一杯 銅貨」としか読めない。おまけにかまどには灰が積もってもう何日も料理をしていないのは明らかだ。


 詳しい事情はわからないけれど、おじさんは働いていないようだ。


 働かなければお金がもらえない。お金がなければ町の中では生活が出来ず、飢えて死ぬしかない。飢えて死なないためには、自力で食料を取ってくるか、どこかでお金をもらうか借りるか、だ。 


 そしてニコラの仕事はお金を貸すことだ。お金を貸して期日が来れば借りたお金に利子を付けて返してもらう。それが仕事だ。正確に言えば、ニコラのお父さんが貸し金をしていたのだけれど、一月ほど前に脚の病気で動けなくなったらしい。


 命に別状はないものの、杖なしには歩くのも難しいという。ほかに従業員もいないので、やむなくニコラが借金の取り立てに歩き回ることになった。その取り立ての手伝いとして冒険者ギルドに依頼をしていたというわけだ。


「申し訳ありません、ですが、もう少しだけ、必ず。ですからどうかこの店だけは」


 このおじさんはキースといって、ニコラのお父さんに借金をしている。


 借金と一口に言っても大金になればなるほど借りるのは難しくなる。もし踏み倒されでもしたら、貸した方の大損になるからだ。だから大金を借りるときは必ずと言っていいほど担保が必要になる。もし払えない場合は担保となるものをお譲りします、という約束でお金を借りる。キースさんが担保にしたのはこのお店だ。


 そして今日がその期日だ。今日中に全額返すか、利子だけでも返して借金の期日を延長してもらうかしないと、お店を手放さなくてはいけなくなる。

 

「は、はらえないならー、とっとと出て行ってー。このお店を、わたしなさーい」


 言葉だけ聞けばおそろしいけれど、ニコラはさっきから僕の後ろに隠れながらしゃべっている。口調もびくびくしているのがまるわかりなので、全然怖くない。


 それでもキースさんがぺこぺこしているのは借金という負い目があるからだろう。

「そ、そこを何とか、お願いします!」


 キースさんが僕の脚にすがりついてくる。うわあ、鼻水が付いちゃうよ。


「ど、同情を引こうたってむーだー。お金を返さないのなら早く出て行ってー」


 ニコラも僕の背中にぴったりと引っ付いているので、僕はキースさんとニコラに挟まれた形になる。正直、やりづらい。


「だが、ここを追い出されたら私たちに行くところなんて……」

「そ、そんなのワタシの知ったことじゃありませーん。さっさと荷物まとめて出て行けーっ」


 僕の背中から顔を出しながらニコラが残酷なことを言う。


「私らに死ねというのか!」

「あ、あなたが、お金を返さないのがわるいー。返してくれたらー問題ありませーん」


 あまりの発言にキースさんが、しゃがみこんだ体勢からカエルのように飛び上がる。両腕を伸ばして、ニコラにつかみかかる。


 気乗りしない仕事ではあるけれど、さすがにそれを許すとここにいる意味がない。僕はキースさんの腕を横から引っつかむと、突っ込んでくる勢いを利用して僕の方に引き寄せる。


 キースさんはニコラの横を通り過ぎ、くるりと一回転してしりもちをついた。


「あの、乱暴は良くないと思います」

「いてて、くそ。お尻が……」


 ケガをしないようにと軽くやったつもりなんだけれど、キースさんはお尻を押さえたまま起き上がってこない。もしかして、打ち所が悪かったのかな。でも、見たところ、ケガをするような落ち方はしていなかったんだけれど。


「お父ちゃん」

「あなた」


 キースさんの奥さんと息子さんが家の中から飛び出してくる。奥さんはキースさんと同じ年くらいだろう。衣服も擦り切れて、やつれた感じがする。息子さんは七歳くらいだ。背丈なんて僕のおなかくらいまでしかない。


「なんてことを……暴力までふるうなんて。あなた、最低よ」

 奥さんが僕に向かって乱暴な言葉を投げつけてくる。


「いや、そんなつもりは」

「かえれかえれ!」


 息子さんが僕の腰辺りに抱きついてぐいぐい押してくる。もちろん、全然強くもないのだけれど、懸命な姿がいじらしくって余計に辛くなる。


 いつの間にかキースさんの家の前には人だかりが出来ている。みんな興味深そうに僕たちとキースさんとのやりとりを覗いている。お芝居じゃないんだけどなあ。


「あの、ですから、僕たちはお金さえ返していただけたら……」

「だから何度も言っているでしょう。私たちにお金なんて」

「あったー」


 僕とキースさんの会話に気の抜けた声が飛び込んで来た。振り向くと、いつの間にか家の中に入っていたニコラが、にこにこしながら外へと出てくるところだった。手には、ぽっこりふくらんだ革袋を握っている。


「それは」キースさんが一気に青ざめる。

「隠し場所なんて読めてるー」ニコラは革袋と息子さんの顔を見比べながら言った。


「子供のおもちゃ箱にかくしたってむーだー。ワ、ワタシの眼はごまかせませーん」


 ニコラは革袋の口を開けて中を覗き込む。


「こ、これだけあれば、利子には十分かなー。じゃあ、とりあえずこれだけはもらっていきまーす」

「ま、待ってくれ」キースさんが勢いよく立ち上がる。


「それは大事な仕入れの金なんだ。それを取られたら商売が出来なくなってしまう。そ、そうだ、ウチの娘は、領主様のところで奉公に出ているんだ。シーナから領主様に口利きしてやってもいい。アンタにとっても悪い話じゃあ」


「奉公といっても下働きの使用人でしょー。しかもまだ十歳のー。と、とても商売の役に立つとは思えませーん。そ、それとも娘でも売るというならまた考えるけどー」


 キースさんの顔が真っ赤にふくれあがる。

「ふざけるな、お前は悪魔か」


「し、しったことかー。あ、あなたが返さないのがわるいんですー」

 そう言うとニコラは建物の陰に身を潜める。


「さ、さあ。用事は終わったよー。リ、リオ君、次のところに行きましょう」

「う、うん」


 ニコラのところに向かおうとすると、ぐい、とマントを引っ張られる。振り返ると、息子さんが小さな手でマントのすそを掴みながら涙目で僕をにらんでいた。


「かえせ、かえせよう。このどろぼう」

 僕をぽかぽかと殴りつける。これはこたえた。げんこつで殴られるよりも痛い。


「ごめんね」

 僕はマントを引っ張ると、息子さんを引き離す。一刻もこの場を離れたくて大股で歩き出す。ニコラは、キースさんたちにあかんべえをしてから僕の後に続いた。


 後ろからわっと奥さんの号泣が聞こえた。


次回は22日の午前0時頃更新の予定です。

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