麦踏まれにご用心 その12
夜が明けた。
僕は明るくなると同時にアメント村を回りながら昨夜の被害状況を見て回っている。
山の向こう側から差し込んで来た朝焼けの光が村を照らす。黄昏色に似た光に包まれたその畑には、しなびた麦が倒れている。ぴんと立っているのは一本もない。
収穫しようにもまだ穂は育ち切っておらず、刈り取ってもおいしくないし、売れないだろう。
種もみを入れていた倉庫も壊されて、がれきの下だ。
あの冒険者たちに責任を取らせようにもそんなお金なんて持っていないだろう。今もギルドの倉庫の中でロープでぐるぐる巻きにされて転がっている。きっと今頃べそでもかいているだろう。
依頼人だというコートリークの村長は、ボリスさんを通じて捕まえてもらうとしてもそれでアメント村の問題が解決するわけじゃない。巨人麦を欲しがっているような村の村長に、弁償するお金なんてあるとは思えない。
「だから言っているじゃねえか、そんな顔するんじゃねえよ」
いつの間にか隣に来ていたボリスさんが僕の肩をたたいた。
「よくやったよ。お前のおかげでたいしたけが人も出なかった。だから、気にするなよ、英雄」
「やめてください」
女の子を泣かせるような奴が英雄なわけがない。
ラーラは夜が明けてもまだ畑の前にいた。力なく倒れた麦をいとおしそうに、疲れた我が子をいたわる母親のようになでさすっている。昨日、サベアさんが引きずるようにして冒険者ギルドに連れてきたのだけれど、いつの間にか抜け出したらしい。
僕が近づくと気配を察したらしく、ラーラが顔を上げる。怒りと悔しさと悲しみで顔をくしゃくしゃにしながら。
「さぞあなたは気持ちがいいんでしょうね」ラーラは涙をためながら言った。
「これであなたは村の英雄よ。化け物から村を救った英雄。冒険者の星とかいうのも上がるんでしょう。いくつ上がるの? 三つ? それとも四つ? 怪物とも知らずに、のんきに麦を育てていた間抜けな村人たちに真実を教えてあげて、挙句に暴れだした怪物を全滅させた。すごいわ、ねえ。私そんなこといつ頼んだの? 言ったわよね、余計なことしないでって」
たまりにたまったむかっ腹をぶちまけるようにラーラは僕に向かって早口でまくし立てる。大声で叫ぶものだから村の人たちも何事かと僕たちの周りに集まってきている。
怒鳴っているうちにまた感極まってきたのか、ラーラは膝をつき、顔を手で覆ってすすり泣き始めた。
また泣かせてしまった。まったく、僕はてんでダメな奴だ。
「バカな女に今更何の用なのよ? 笑いに来たの?」
「そうだよ」
ラーラがのどを詰まらせる気配がした。怒りでのどがつっかえて言葉にならないようだ。
「でも、勘違いしないで。君を笑いに来たんじゃない。君と笑うために来たんだ」
僕はラーラの隣にしゃがみ込み、手を広げて見せる。手のひらの上に、たくさんの茶色い粒が盛り上がっている。
「巨人麦の種もみだよ」僕はカバンをたたいて見せる。「まだ無事なのが残っていたんだ。これがあればまた巨人麦を育てることができる。また何年かすれば元通りの麦畑になるかもしれない」
僕の意図がわからないのかラーラは目をぱちくりさせている。麦をダメにした張本人がもう一度巨人麦を育てろ、と言っているのだ。混乱もするだろう。
「君に選んでほしいんだ。見ての通り、巨人麦はとても危険なものだ。いつの日か、また今回のように暴れだすかもしれない。今日は僕がいたから何とかなったけれど、また同じように解決できるとは限らない。もっと大勢のけが人が出るかもしれない。それでも君が育てるというのなら、僕はもう止めない」
「どうして……」
「君が言ったじゃないか。麦は命だって」
村はぼろぼろだ。でも、みんな生きている。
「命があるなら、またやり直せる」
「……」
もしかしたら僕は間違っているのかもしれない。危険な巨人麦を焼き捨てて、別の作物を育てたり、あるいは村を捨てて別の土地に移り住むのが正しいやり方なのかもしれない。
でも正しいとは何だろうか。巨人麦を焼き捨てれば確かに『麦穂人』が暴れることはない。でも、危険から目を背けているだけなんじゃないだろうか。危険から目を背けているだけでは、何も変わらない。大切なのは危険を知ってそれとうまく付き合うことだ。
巨人麦は村に恩恵をもたらすと同時に、一歩間違えれば災厄をもたらす危険なものだ。それをアメント村の人たちは今日知った。何も知らなかった今までとは違う。そこからどう選択していくかは、村の人たちが決めることだ。
ラーラは胸に手を当てながらじっと種もみを見つめている。
「おい待てよ」
村の男の人が割って入る。確かザドクさんだかヴィックさんとかいう名前だったはずだ。
「そんな麦を育てるのか? 俺ははもう嫌だぜ。だいたい、そんな大事なことをラーラに決めさせるなんて……」
「ちょっと黙ってて」
サベラさんは名前の定かでない男の人をぴしゃりとやりこめると、ラーラの隣にしゃがみこみ、肩に手を置く。
「ラーラ、あんたが決めな」
「……」
「この村で一番、巨人麦を大切にしていたのはあんただ。だから、あんたが決めな」
ラーラはうつむいて僕が手渡した種もみを見つめる。その目の中に迷いや恐れ、喜びや悲しみ、様々な気持ちが瞬いては消える。みんなかたずをのんで見守っている。
どのくらい時間が経ったかはわからない。すっとラーラが顔を上げる。決意を固めたらしい。
茶色い瞳の中に青空の下でたわわに実った麦畑が見えた。
「ここまで十年かかった」
ラーラはぽつりと言った。
「だから、あと十年くらいどうってことないわ」
すっと手を伸ばし、種もみごと僕の手のひらに手を重ねた。
なんともたくましい。麦のように踏まれても踏まれてもまた立ち上がる。きっとラーラならやり遂げられる。
「その言葉を待ってたよ」
僕は立ち上がり、パン、と手を鳴らした。
むくり、と僕たちの周りで起き上がる気配がした。みんなの視線が麦畑に集まると、しなびていた麦が一本、また一本と実りかけた穂を起こしていた。そして、僕の視界に移るすべての麦が立ち上がり、村に来た時と同じような麦畑が広がっていた。
澄み切った朝の青空の下、巨大な麦が風に吹かれてたなびく。かすかに上下する茎や穂はみずみずしく、生命の輝きに満ち満ちていた。
ラーラもサベアさんも村の人たちみんな、ざわめきながら目をぱちくりさせている。
「巨人麦が……よみがえった?」
「一体何がどうなってんだい……?」
「さっき解毒剤を撒いておいたんだよ。ああ、もちろん、食べても問題ないから安心して」
もちろん、これはウソだ。種明かしをすれば『贈り物』を解除しただけだ。僕は『麦穂人』を枯らしたわけではなく、一時的にしなびさせていたのだ。人間で言えば仮死状態というところだ。
本当は、直前まで僕は『麦穂人』を全て枯らすつもりでいた。でも、ラーラの涙を見て、思いとどまった。一度や二度の失敗で全てをあきらめてしまっていいのだろうかと迷ってしまった。だからラーラに決めてもらうつもりで、一度しなびさせた。
「あなた……もしかして、魔法使い様なの?」
「違うよ。僕は魔法なんて使えないからね。これはラーラが選んだ結果だよ」
もし、ラーラが止めると言えば、僕は『麦穂人』にとどめを刺すつもりだった。だから巨人麦を救ったのは間違いなくラーラだ。
「だから、その……元気を出して」
僕は最後まで言えなかった。ラーラは赤くなった目に涙をため、僕の胸に飛び込んで来た。
「ありがとう……」
「え、あ、うん……どういたしまして」
いけないいけない。気を張っていないと、またぽーっとしてしまいそうだ。
巨人麦は復活しても問題そのものが消えたわけじゃない。今度、グリゼルダさんに頼んで『麦穂人』に効くような薬かマジックアイテムを作ってもらおう。
「でも、麦踏まれはやめておいたほうがいいね」
ボリスさんがやって来た。
「お取込み中のところ悪いが、ちょっといいか」
僕はあわててラーラから離れると、ほこりを払いながら立ち上がり、自分のほっぺを叩いて気持ちをしゃんと引き締める。
「は、はい。なんでしょうか」
「もう少し落ち着いたら、ギルドまで来てくれ。とりあえず手続きだけは済ませておくからよ」
「何の手続きですか?」
「決まっているだろ、お前の昇格だよ」
僕は思い切りせき込んでしまった。
「ちょっと待ってください。どうして昇格なんですか」
理由はどうあれ今回の事態には僕が大きくかかわっている。村もめちゃめちゃだし、ラーラまで泣かせてしまった。褒められるようなことは何もしないない。自分の失敗を取り返そうとしただけだ。
「そりゃそうだろ。バジリスクを倒して『麦穂人』の暴走を食い止めた。どう考えても二つ星の活躍じゃねえよ。まあ、俺の権限で上げられるのは三ツ星までだが、申請すれば多分四つ星でもいけると……」
「やめてください」
入ってまた一月ちょっとしかたっていないのに、四つ星になんてなったら変に目立ってしまう。
「昇格なんていりません。それよりこの村をどうするかを考えた方が……」
「いや、しかしだな。これだけの事態を報告しないわけには」
「ちょっとアンタ」
サベラさんはつかつかとボリスさんの傍に来ると、いきなりその頭を張り飛ばした。
「いやがっているじゃないか! いい加減におしよ!」
カミナリみたいな大声に僕は面食らってしまった。
え、この声って……?
「しかしだな。バジリスク退治だぞ。うまくすれば俺の手柄にもなって別の町に配置換えだって……」
「子供売ってまで出世がしたいのかい? まったく、つまらない男だよ」
いえ、僕はオトナですので……。
そう言いたかったのだけれど、ものすごい剣幕に気圧されてしまう。
「ねえ、サベラさんって……」
「ボリスさんのおかみさんよ」ラーラはさらりと言った。「知らなかったの?」
全然知らなかったよ。
いや、だって、ねえ。
年だって下手すれば親子ほど離れているみたいだし。
「結婚したのは、ボリスさんがこの村に来てすぐだったかしら。一目ぼれだって」
「まあ、あれだけきれいな人だったらねえ」
無理もない。
「サベラさんが、よ」
間の抜けた声が僕の口から出た。
なんだかめまいがしてしゃがみこむとそのまま地面に寝転がる。あおむけになったおなかの上にスノウが甘い声を出しながら乗っかってきた。
いろいろなものに踏まれて僕の方こそ起き上がれそうにない。
第六話 麦踏まれにご用心 了
お読みいただきありがとうございました。
次回、第七話「まわりまわって……」は、
8/15(火)午前0時頃更新の予定です。
もしかしたら遅れるかもしれませんが、その時は活動報告にてお知らせ致します。