麦踏まれにご用心 その7
「食べるならもう少し待てば、いい麦がとれるわ」
ラーラは眉をひそめる。
「食べるんじゃないんだ。その……これだけ大きな穂だからね。僕の村でも育てることができれば、たくさん麦も取れるからみんな喜ぶと思ってね」
「やめておいた方がいいわ」ラーラは巨人麦の穂をいとおしげになでる。
「よその村でも育てようとした人はいたわ。中には麦を根っこから抜いて盗んでいった人たちもいたくらいよ。でもみんな失敗したの。どうしてか、すぐに枯れちゃうんだって」
「でも今度はうまくいくかもしれない。やってみなくちゃわからない。お願いだよ、お金なら出してもいい」
「お金なんていらないわ」ラーラはくすりと笑った。
「よく働いてくれたからね。いいわ、ちょっと待ってて、来年用の種もみをわけてあげる」
「ああ、いや」僕はもう一度畑を指さす。「できれば今、植えているのが欲しいんだ」
ラーラはおかしい奴、って顔をしたけれど僕の言う通りに根っこの付いた麦を鉢植えに入れてわけてくれた。
僕はお礼を言ってラーラと別れた。
人気がなくなったのを見計らい、僕は虹の杖を掲げた。
「『瞬間移動』」
そして僕はアメント村を後にした。
「いきなり来て『魔物図鑑を見せてくれ』なんて何事かと思ったわよ」
グリゼルダさんが大あくびをしながら手にした燭台で本棚を照らし出す。ほのかな明かりに照らされた背表紙の文字を追いかけながら顔を左から右へと動かしている。
『瞬間移動』でマッキンタイヤーまで移動すると、僕はグリゼルダさんの工房を訪ねた。
引っ越しはすでに終わっていた。町一番のマジックアイテム工房である『黒紡の針』にも負けないくらいの大きさだった。
依頼も入っているらしく、ロズは買い出しに出かけていて今は留守にしている。
僕たちがいるのは工房の地下にあるグリゼルダさんの書庫だ。部屋の真ん中に飾りっ気のないなイスと机があって、四方の壁には切り出した木の香りが残る本棚が据え付けられている。五段の棚には分厚い革の背表紙がたくさん並んでいる。ジェロボームさんの家よりもずっと多い。こんなにたくさんの本どこにあったんだろう。聞いてみると、元々あの小さな工房の地下にあったものに加えて、町の古本屋から新しく買いそろえたものもあるそうだ。
こんなたくさんの本を見るのは初めてなので、ちょっとわくわくする。
僕も本は好きだけれど、題名を見ると『魔法付与の教理と再現』だの『付与魔術の思想と系譜』だの『魔法核と魔石の錬金秘儀』だのと小難しそうなものばかりだ。
僕としてはもっと『ウォルター英雄伝』とか『白銀騎士の遍歴』とか『七つ目竜と三兄弟の冒険』みたいな物語が好きなんだけれど。
「ああ、あったわ、これね」
グリゼルダさんが引っ張り出してきたのは、僕の顔よりも分厚そうな茶革の本だった。
「私も魔物は専門外だから、こんなのしかないけれど」
本の上の部分(天、というらしい)についたホコリを払いながら僕に渡してくれる。ずっしりと、予想外の重みにちょっとよろけそうになりながら僕は机に図鑑を乗せ、ページを開く。
「ゆっくりしていってね」
グリゼルダさんが机の上に燭台を置くと、外へと出ていった。
お礼を言いながら僕は図鑑に目を通す。
僕が探しているのは巨人麦だ。『失せ物探し』で反応したからには、巨人麦も魔物の一種と思う。魔物の中には木や草のような植物に似たやつもいる。どういうつもりで例の魔法使いが巨人麦を渡したのかはわからないけれど、それはこのさい後回しだ。放っておいて大丈夫なのか、それとも害をまきちらすものなのか。まずはそいつを確かめたい。
魔物図鑑は竜とか空の魔物、海の魔物というような分類別にまとめられている。大昔のえらい学者さんたちが何十年もかけて集めた魔物の生態とか、名前とか弱点とかが書いてある。分類とか学名とか小難しいことも書いてあるけれど、挿絵ものっているので、僕でも見間違う心配はない。
僕はその中から『植物の魔物』の項目を開いて、頭から順番にページを繰っていく。
退屈な作業なので、スノウは屋根の上でお昼寝だ。
「ないなあ……」
『植物の魔物』の項目を最後まで一通り見てみたけれど、巨人麦はもちろん、似たような魔物ものっていなかった。見落としたのかと思って、反対からもう一度頭まで読み返してみたけれど、やっぱり結果は同じだった。
「うーん、当てが外れたなあ」
カバンの『裏地』から巨人麦を取り出し、ためつすがめつ見る。
「調べ物は見つかった?」
グリゼルダさんがつま先で扉を押して戻ってきた。両手にコップを持っている。この匂いは、麗しのたんぽぽコーヒーだ。
「すみません、長々と。あと、ありがとうございます」
おわびとお礼を言ってたんぽぽコーヒーを受け取る。うん、やはりグリゼルダさんのたんぽぽコーヒーはおいしい。この苦みと渋みはオトナにしか味わえないよね。
「いいのよ、せっかく作ったんだし」グリゼルダさんは机の上に腰掛けるようにして、たんぽぽコーヒーを飲む。「こうして遊びに来てくれれば私もうれしいし、ロズも喜ぶわ」
「まさか」
この前来た時もずっと不機嫌そうにしていた。
「あれで、結構楽しみにしているのよ。あの子、同じ年くらいの友達もいなくてね」
そうなのかなあ。確かにロズは意地っ張りなところもあるけれど。
「それで調べ物は見つかったの?」
「いえ、それが……」手にした巨人麦ごと手を振る。図鑑にものってないなんてお手上げだ。
「あら?」グリゼルダさんが声を上げる。「それもしかして『麦穂人』? 珍しいわね」
僕は立ち上がって巨人麦とグリゼルダさんを交互に見る。
「あの、この麦をご存じなんですか?」
「『麦穂人』の一部でしょう? 昔、修業時代に西の大陸でこいつにおそわれたことあるからよーく覚えているわ」
おそわれた、という言葉に僕はどきりとする。やはり凶暴な魔物なのか?
「その図鑑にものっているわよ。えーと、確か……」
グリゼルダさんはコーヒーカップを手にしたまま片手でページを開いていく。
「ああ、あった、これね」
グリゼルダさんが指さしたのは『擬態する魔物』の項目だった。
「古本屋で安かったから買ったんだけど、この図鑑、調べにくいのよね」
ため息をつきながら『麦穂人』のページを開いて、僕に向けて図鑑を差し出す。
麦を束ねたワラ人形に顔をつけたような魔物と、僕の手にする『巨人麦』の挿絵が書いてある。僕は身を乗り出し、小さな文字を目で追いかける。
『麦穂人』というのは麦のマネをする魔物で、主に西の大陸に住んでいるらしい。基本おとなしいし、実を食べることもできる。
でも、ほかの麦を憎んでいて、住む土地には、ほかの麦は生えない。それに、繰り返し生育することで地中深くに根を張り、どんどん巨大化する。一本一本は普通の麦と大差ないけれど、地下の奥深くで根っこ同士でつながりあって、体を束ねて、挿絵のようなワラ人形のような姿にもなれるらしい。そうなったら、巨人のような力を出して大暴れする。だから見つけたら根っこから刈り取るべきだと図鑑には書いてあった。
グリゼルダさんは暴れている魔物を退治してくれ、という依頼を受けて出向いたところ『麦穂人』に出くわしたらしい。
「ふだんはおとなしい分、一度怒らせると見境なしに暴れるのよ。人も魔物もお構いなしにおそいかかるの。小さい奴ならともかく成長したものだと地面に出ている麦を刈りとってもすぐに生えてくるわ」
「それじゃあ麦踏まれというのは……」
「なに、それ?」
僕が麦踏まれについて説明すると、グリゼルダさんは渋い顔をした。
「それ、まずいわね」
魔物は専門じゃないからはっきりとは言えないけれど、と前置きしてグリゼルダさんは続ける。
「植物の中には厳しい環境に置くことでおいしい実をつけるものもあるわ。ふみつけたり、押し付けることでおいしい麦にはなるかもしれない。でも、その分『麦穂人』には、ものすごいストレスがかかっているはずよ。それを何年も続けているとなると、いつ暴発してもおかしくないわ」
「じゃあ、もし暴れだしたら」
「小さな村なんかひとたまりもないでしょうね」
僕は背筋が冷えるのを感じた。
「『麦穂人』が現れたのね。どのへん?」
ここまで来たら隠し立てする必要もない。僕はグリゼルダさんにアメント村のことを話した。
「巨人麦ねえ……まあ、西の大陸の魔物だからこのあたりの村人が知らなくても無理はないけど」
魔物を育てて食べ続けているのだ。グリゼルダさんは半ばおどろき、半ば呆れているようだ。
「麦を上げた魔法使いって何者なんでしょうか?」
「さあ? もの知らずなのか、何かたくらみがあったのか、村に恨みでもあったのか。ちょっと情報が少なすぎてわからないわね」
お手上げ、という感じでグリゼルダさんが肩をすくめる。
「グリゼルダさんはどうやってこいつを倒したんですか?」
「地面から出たやつを始末してから根っこをほじくり返して炎の魔法で燃やしたのよ」
やっぱり植物の魔物だから火に弱いようだ。
「あるいは、魔法か薬ですべて枯らしてしまうか。どのみち根っこから始末しないと、すぐにまた生えてくるわ。こいつと戦わないといけないとしたら気を付けてね」
僕はうなずいた。自然と顔が引き締まるのを感じた。
次回は7/25(火)午前0時頃の予定です。