麦踏まれにご用心 その6
ギリアンさんが去って、ギルドの中は急にしんと静けさを取り戻す。
「やっと帰ったか」
カウンターの奥からボリスさんが出てきた。気を利かせていたのかと思っていたけれど、その表情は、まるで口うるさい親戚の人が帰ったかのようにほっとしていた。
「あいつ昔っから暑苦しいからな。苦手なんだよ」
「知り合いだったんですか?」
「まあ、一応は同じギルド長だからな」
言いにくそうな顔をする。どうもそれだけではなさそうだけれど、言いたくなさそうなので話題を切り替える。
「それでハトに手紙をくくりつけて僕のことを教えたんですか」
ボリスさんはほう、と感心したような声を上げる。
「なんだ知ってたのか」
「タイミングを考えればそれしかないかな、と」
あてずっぽうで僕がここにいるのを探し当てたとは考えにくい。僕がここにいるのをギリアンさんに知らせるとしたらボリスさんくらいだろう。
「今朝届いた手紙がそれだ」とズボンの後ろポケットからくしゃくしゃに丸めた紙を取り出して僕の目の前に広げた、「リオって名前の冒険者が来たら知らせてくれって。特徴も書いてある」
そこまでして僕のことを探していたのかと思うとちょっと怖くなる。まだ僕のことを疑っているようだし、変なこと頼まれやしないだろうか。まあ、こんな印までもらっちゃったし、いざとなったら逃げるまでだ。
「さて、面倒なのも帰ったし、俺はそろそろ寝るわ。お前もそろそろ休めよ。まだ明日も麦踏まれなんだろ」
大あくびをしながら奥へ引っ込んでいく。
「すみません、まだお話があるんですが」
真っ先に相談しようと思ったのに皿が飛んでくるわ、ギルド長が飛んでくるわで完全に忘れていたよ。
「なんだよ。明日にしてくれ。俺はもう眠いんだ」
「眠気の覚める話です」
僕はさっきまでギリアンさんと話し合っていたテーブルに座りなおした。ボリスさんもギリアンさんの席に座る。僕は顔を引き締め、イザドルたちが来てからバジリスクが近くにいるような証拠を見つけたこと、そしてラーラの奇妙な態度について話した。巨人麦については僕の中でも確信が持てなかったため、黙っておいた。
「バジリスクか」
話を聞き終えるとボリスさんは頭を抱える。
「厄介なのが来やがったなあ。皮は硬いし動きは速い。おまけに警戒心も強いからなかなかワナにも引っかからねえんだよなあ」
「ご存じなんですか」
「昔、ちょっとやりあったことがあってな」
「倒したんですか?」
「逃げたんだよ」文句あるかってふてくされたような顔をした。
「もうちょい遅かったら俺も石像の仲間入りだったよ」
そこでボリスさんは身を乗り出す。
「魔物除けの香を焚いたと言ってたな。中身は何だ。カナシラ草か?」
「いえ、ムジロの木の皮とマヨケギクの花びらをまぜて一緒に乾かしたものです」
「だったらとりあえず安心か。バジリスクもしばらくは寄ってこない」
ほっとイスの背もたれに体を預ける。魔物除けのお香はたいていの魔物はいやがるものだけれど例外もある。
魔物によっては逆に引き寄せてしまったり怒らせてしまうものもある。ボリスさんはそれを心配したのだろう。
「これからどうするんですか?」
「こいつの出番さ」と、ボリスさんは手で羽根を作ってぱたぱたと動かせる。
「とりあえず、村長を通じて村の外には出ないように伝えておく。近所のギルドに応援を頼むつもりだが、正直どこまで期待できるがだな」
街道からも離れたへんぴな村まで来てくれる冒険者は少ない。まして相手がバジリスクとなればしり込みする人もいるだろう。
「僕も手伝います」
放っておけば大勢の犠牲者が出る。さすがに見過ごせない。
「バカ言うな」ボリスさんは子供を叱りつけるような口調で言った。
「バジリスクは四つ星か五つ星がパーティを組んでやっとってところだ。二つ星のお前が出しゃばったって命を落とすだけだぞ」
「はあ」
「とりあえず、この件は俺が何とかする。時期が来るまでお前は黙っていろ、いいな。決して村の連中に言いふらすんじゃないぞ」
「具体的にどうするんですか?」
「そいつは今から考える」ちょっと気まずそうにする。もしかして、何にも考えてないのかな。
「バジリスクだけじゃありませんよ。イザドルたちにも気をつけください。何を考えているかわからないんですから」
「わかったわかった」と面倒くさそうに手を振る。本当にわかっているのかな。危機感が足りないように思う。
まあいい、僕は僕で考えていることもある。今のところは任せよう。それよりも気になることがある。
「あの、それでラーラのことなんですか」
「ああ、そっちか」ボリスさんはため息をついた。
「そっちの方は俺も詳しくはないんだ。俺も半年前にここに来たばかりだからな。昔、よその村から来たって話だが、細かいことは俺もよくわからん」
知らないのか、残念だ。別の人に聞けば何かわかるかも知れないけれど、誰に聞けばいいだろうか。
「とりあえず、俺も色々対策は打っておくから。お前はもう休め。念のため扉にカギはかけておけよ」
おおあくびして立ち上がると、カウンターの奥へ戻ろうとする。おいおい、肝心なことを忘れてもらっちゃあ困る。
「その前に一ついいですか」僕は手を挙げた。「夕ご飯をください」
それから心臓が二十回も鳴らないうちにカウンターの奥からカミナリのような怒鳴り声が聞こえてきた。
翌朝、僕は日が昇ると同時に宿屋兼冒険者ギルドを出た。もちろん、スノウも一緒だ。小さい脚を動かして後からついてくる。
イザドルたちが何か仕掛けてくるかもと思ったけれど、結局一晩中自分たちの部屋にこもりっきりだったみたいだ。
僕が向かっているのはラーラの家だ。
もしかしたら昨日のことでクビになったかもしれないけれど、やっぱり気になる。
山の稜線に砕かれた光が村の上にも降り注いでいる。巨人麦の畑にはもうちらほらと人の姿が見える。自分の背丈よりも高い麦の穂を確認したり、水をまいたり、肥料をあげたりしている。みんな働き者だなあ。だったら麦踏まれも村のみんなでやればいいのに。
「あら? アンタ昨日の」
麦畑をかき分けてきたのは昨日のきれいな人だ。確か名前はサベラさんだ。
「おはようございます。精が出ますね」
「こいつは気分屋だからね。きちんと手入れしてやらないと、いい麦にならないのよ」
サベラさんはいとおしそうに麦の穂をなでる。
「アンタも朝からラーラのところかい? 今日も麦踏まれだっけ?」
「はい」
それじゃあ、と言って立ち去ろうとしたところで僕はあることに気づいた。
彼女ならラーラについて、僕の知らないことも知っているんじゃないだろうか。
「すみません」と、巨人麦の畑に戻ろうとするサベラさんに声をかけた。
「お聞きしたいことがあるんですが」
「ラーラはね、村の厄介者なんだよ」
サベラさんは畑の側にある岩に腰掛けると、ぽつりと話し始めた。
ラーラはもともとアメント村の住人ではなく、両親とともに山向こうの村からやってきた。
十数年前、住んでいたところが魔物におそわれて行き場をなくして、流れ流れてアメント村にたどり着いた。
当時はこの付近では魔物が大発生していて、あちこちの村では畑を荒らされたり、住処を失った人たちが大勢いたそうだ。
ラーラの家族だけでなく、よその村々から次々とアメント村に流れ着いた。
アメント村の人たちはよそ者に冷たかった。ボリスさんによると、元々よその人を寄せ付けないような気質に加えて、外から来た人が急に増えたことに対するおびえや危機感もあったのだろう。
古くから住んでいた人たちは、新しい人たちにいやがらせを始めたのだ。
まるで召し使いのような扱いを受けた。ひどいいやがらせに新しい住人たちは一人また一人と村を後にして、残ったのはラーラの家族を含めてほんの十人にも満たなかった。
ラーラの両親がはやり病にかかった時も助けるどころか、柵を立て見張りを立てて近づけないようにした。見かねた新しい住人の一人が柵を壊して中に入った時、ラーラの両親の命はなかった。
「ひどい……」
「みんな自分がかわいいのよ」サベラさんは寂しさとあきらめの混じった声で言った。「よそ者が増えれば自分たちの食い扶持も減るからね。でも、それだけじゃないの」
サベラさんは遠くを見るような目をする。
「それからしばらくしてこの村も飢饉におそわれたの。誰かを身売りしなくちゃ、明日のかゆにも困るってところまで来た。で、奴隷商人に誰かを売るって時になって最初に選ばれたのがラーラよ」
僕は声も出なかった。
「そんな時よ。例の魔法使いが村に来たのは」
巨人麦をくれたという、魔法使いか。
「あの麦のおかげで、ラーラは奴隷商人に売られずに済んだ。だから、ラーラはあの魔法使いに恩義を感じているし、両親を見殺しにして売ろうとした村の連中を恨んでいるわ」
「……」
ラーラの怒りはそのせいか。彼女にとっては村の人たちは憎むべき敵で、魔法使いは恩人だ。僕が巨人麦にけちをつけたから魔法使いをバカにされたと思ったんだ。
「巨人麦のおかげでこの田舎の村もそこそこ豊かになった。けど、ラーラへの扱いはほとんど変わらない。知っている? 麦踏まれの依頼料、あれ全部ラーラが出しているのよ」
「村中の巨人麦を手入れしているのに、ですか?」
「古株の連中にとって、ラーラはばあさまになって墓の下に入るまでよそ者なのよ」
僕はだんだん腹が立ってきた。奴隷商人に売られずに済んだのに、この村で奴隷みたいな扱いを受けるなんてひどすぎる。
「そこまでされて、どうしてラーラは村を出ていかないんですか? お金ですか?」
「それもあると思うけれど、多分、巨人麦ね」
ラーラにとって巨人麦は恩人である魔法使いがくれた大切なものだ。大切なものを放っておいてよそへ逃げるなんて考えられない。サベラさんはそう言いたいのだろう。
「もしかしたら、巨人麦を育て続けてさえいれば、またあの魔法使いが戻ってきてくれるって信じているのかもね」
「……」
「まあ、同情する気持ちはわかるけど、下手に首突っ込むのは逆効果よ。かえってラーラを苦しめることになる」
仮に僕が村人たちをこらしめてラーラにひどいことをしないように命令したとしよう。最初は怖がって言うことを聞くかもしれない。でも僕がいなくなればきっと今まで通り、いや、もっとひどいことをラーラにするだろう。それじゃあ助けたことにはならない。中途半端に手を貸したために、ラーラを苦しめたんじゃあ本末転倒というやつだ。
そこでサベラさんがからかうように笑った。
「それとも、アンタがラーラのところに婿入りしてくれるっていうなら話は別だけどね」
「いや、それは」僕はあわてて手を振る。顔に血が上るのを感じる。
「やっぱりそうよね」
「そうですよ」僕は何度もうなずいた。
「僕は独り身ですし、貴族でもありませんから婿入り自体には問題ありません。お互い家族のいない間柄ですから嫁姑の問題にも頭を悩ます必要はないでしょう。ですが、結婚式となれば、ウエディングドレスはどんなデザインがいいかとか、どこの神様に祝福してもらうとか、ああ。僕は無宗教ですからどこの神様でも問題はありませんよ。ですが、子供は何人作るとか相談も必要ですし、子供が生まれればあの家では手狭になるでしょうから将来の建て増しも必要になるでしょう。そうなればお金も必要になりますし、土地を広げるにしても村の外へ畑を広げなくちゃいけません。そんな軽々しく決められる問題じゃありませんよ」
「え、あ、はい。そうよね……」
僕の説明にサベラさんはなぜか目を丸くしながら同意してくれた。
サベラさんと別れて百歩ほど歩いたところでラーラの家の前に来た。
昨日より重そうに見える扉をノックする。
「あら早かったわね」ラーラはもう起きていた。にっこりとほがらかな笑顔で言った。
「それじゃあ昨日の続き、行きましょうか」
僕はあっけにとられながらうなずいた。
「えーと、その、ゴメン。悪気があったわけじゃないんだ」
「いいのよ、別に」
僕たちは麦踏まれを再開した。
ただ昨日とは違って、ラーラもあまりしゃべらなかったし僕もぽーっとはならなかった。
気まずい空気のまま僕たち黙々と巨人麦を倒した。
バジリスクが出てきてもいいように虹の杖はずっと持っていたし、剣もカバンと一緒に畑の近くに置くようにした。幸いにもバジリスクも出ることはなく、昼過ぎになって、滞りなく麦踏まれは終わった。
「ありがとうね」
ラーラは握手をして依頼完了の割符をくれた。こいつはボリスさんに渡せば、依頼は完了だ。
「それじゃあね」
ラーラは背を向けて家の方に向かって歩き出す。
僕は割符を見ながら考えた。
ラーラからの依頼は麦踏まれの手伝いだ。巨人麦が魔物かどうかなんて、誰にも確かめろなんて頼まれちゃあいない。バジリスクのこともボリスさんから手を出すなと言われている。僕の出る幕はない。
だから、今からやろうとしていることは余計なおせっかいだ。誰に頼まれたわけでもないのに首を突っ込もうとしている。僕の悪いクセだ。でも、放ってはおけない。
バジリスクを放っておけばけが人が出る。ラーラはどうでもいいっていったけれど、ラーラだってケガをするかもしれない。ラーラはそれでもいいっていうだろう。でも僕はいやだ。ラーラが石像になってバジリスクに食べられるなんて絶対にいやだ。
「ちょっと待って!」
ラーラが振り返った。今更、何の用って顔をしている。
「お願いがあるんだ。大切なものだとはわかっているけれど、どうしても欲しくなってね」僕はすぐ横の畑を指さした。
「巨人麦をわけてほしい」
次回は7/21(金)の午前0時頃更新の予定です。