麦踏まれにご用心 その4
前々回のあとがきで7/8(金)と書いたのは7/7(金)の誤りでした。
大変申し訳ございませんでした。
「まずいことになったぞ」
もし本当にバジリスクが近くにいるなら村の危機だ。早く逃げるか退治してしまわないと大勢のけが人が出る。一度石に変えられると、元に戻るには解呪の魔法か、神殿や教会で祝福を受けないと永遠に石のままだ。もし食べられてしまったら復活することもできない。
「早くラーラたちに知らせないと」
僕は『瞬間移動』でアメント村まで戻った。
柵の前にラーラはいなかった。あわてて村の中を飛び回って探すと、ラーラはロープを抱えながら自分の家に戻ろうとしているところだった。
「遅い! 何をやっていたのよ」ラーラがまなじりをつり上げて僕を怒鳴った。
「ごめん」
森の中は暗くてわからなかったけれど、調べるのに思いのほか時間を取られてしまったらしい。森に入った時にはまだ昼間だったのに、戻ってきた時には太陽も赤みを増して山の向こう側に隠れようとしているところだった。
「でも聞いてよ、さっき森の中で恐ろしいものを見たんだ。やっぱり、あの人たちが探していたのは三つ目オオカミなんかじゃない。実は……」
「やめて、リオ」ラーラは首を振った。
「もめごとはゴメンだってさっき言ったはずよ」
「でも、バジリスク……そう、バジリスクがこの村の近くにいるかもしれないんだ。知っているかな、石に変えてしまうトカゲだよ。そいつが村に来たら村のみんなの命にかかわるよ。みんなに知らせて早く避難させるか、討伐の兵を出してもらうよう領主様に頼むか」
「どこに逃げろっていうの? 私も村の人たちもほかに行く場所なんてないし、こんな田舎の村に領主様が兵を出してくれるはずなんてないわ」
「でもこのまま放っておいたら君も村も……」
「どうでもいいじゃない、そんなこと」
「え?」僕は二の句が継げなかった。
「聞こえなかった? どうでもいいって言ったの」
何を言っているんだ? 毒の息で石に変えてしまう魔物が村の近くに現れたかもしれない。そいつが村に来たら大勢の人が石に変えられ、食べられてしまう。そいつがどうでもいいだって?
「今日はもういいわ。日も暮れてきたし」ラーラは空を見上げながらまぶしそうに手をかざす。手のひらにさえぎられた夕暮れの日差しがラーラの顔に影を落とす。その顔は僕にはいつか絵本で見た道化のように見えた。
「それじゃあね、リオ。明日は日の出からやるわよ。今日の分も取り返さないと」
「もしかして、麦踏まれのこと?」
「あなた、そのために雇われたんでしょ」
ラーラは二人分のロープを肩に担ぐとそのまま自分の家の方まで歩いて行った。
僕は追いかけることも声をかけることもできず、その場に立ち尽くした。
「そうだ、こうしちゃいられない」
日が沈みかけたところでようやく我に返った。スノウが心配そうに僕の頬にすり寄ってくれる。
「励まそうとしているんだね、ありがとうスノウ」
スノウのおかげで元気も出た。ラーラの態度は気になるけれど、落ち込んでなんていられない。
ラーラの言うとおり避難がムリなら僕の持っている魔物除けのお香を村の周りに撒いておこう。どこまで通用するかはわからないけれど、ないよりはマシだろう。
それにしてもバジリスクはどこにいるんだろう。
『失せ物探し』で探せればいいけれど、僕はバジリスクを見たことがない。知らないものは、そのものを魔法で探すことはできない。さっき森の中でも『魔物』のくくりでは見つけられなかった。おそらくどこかへ行ってしまったのだろう。このままどこか人里離れたところまで逃げてくれればいいのだけれど、本によるとかなり足の速い奴らしいから油断は禁物だ。おなかをすかせたらまたアメント村まで戻ってくるかもしれない。
念のためもう一度、『魔物』で探してみよう。ゴブリンとかスライムとか余計なものまで拾ってしまうだろうけれど仕方ない。
「『失せ物探し』、魔物」
虹の杖の『核』が黒く輝く。
次の瞬間、僕はわが目を疑った。
真っ暗な世界の中、目の前の巨人麦の畑が赤い明滅を繰り返していた。僕の背丈より大きな麦は、赤い光を放ちながら山から吹き下ろす黄昏時の風に吹かれている。混乱する僕がふと視線を落とすとさらに恐ろしい光景が目に飛び込んで来た。
畑だけじゃない。村の地面があちこちで赤い光を放っていた。地面がすべて光っているのではなく、赤い糸のような光が無数に絡み合って、村のあちこちに伸びている。赤い光は大樹のように村中へと枝葉を伸ばし、家の下や川の下、外へ続く道から柵の外まで、アメント村を中心として広がっているらしかった。ゆっくりとした明滅はどくんどくん、と心臓の高鳴りのように見えた。僕は巨大な魔物の腹の中にいるような気がして、後ずさった。
「なんなんだ、これ」
僕のつぶやきに返事をしてくれる人は誰もいなくて、ただ背中から気味の悪い汗がしたたり落ちるのに身を任せていた。
冒険者ギルドに戻ってきたときにはもう日はすっかり暮れていた。
とりあえず村の周りに魔物除けのお香も焚いておいた。あれで一日はもつはずだから今夜は大丈夫だと思うけれど、僕は別の不安で頭がいっぱいになっていた。『失せ物探し』で見た光景が僕の頭から離れなかった。あれはいったい何だったんだろう。
間違いなく『失せ物探し』は巨人麦に反応していた。なら巨人麦は魔物ということになる。でも巨人麦は十年前に偉い魔法使いが村のためにくれた種から育っている。そんなものが魔物だなんてあり得るのかな。仮に魔物だったとしてもどういう種類なのか。放っておいても大丈夫なのか、それとも、ものすごくまずい状況なのか。
今すぐ燃やすにしても、巨人麦の根は畑の下から村中に広がっていた。麦穂だけ燃やしても効果は低いだろう。あれを倒そうとしたら村ごと掘り返さなくちゃならない。
「だめだ、考えがまとまらないや」
僕は巨人麦のことをほとんど知らない。知らないものをあれこれ考えてもわかるはずがない。ラーラの言っていたことも気になるし、おなかがぺこぺこだけど食欲もわかない。
バジリスクに巨人麦、そしてラーラのこと。僕の頭はまるで魔女の大なべのように煮えくり返っている。
「今日はもう休もう」
夜も遅いし、明日また考えよう。
スノウをなでながらギルドの扉を開けた。
そのとたん、僕の目の前に何かが飛んできた。なんだ、お皿か。
くるくる回転しながら飛んできた木皿を指二本で受け止めるとそのまま来た方角に投げ返す。
かん、と軽い音がした。見るとフリップだったか、ドーンだったかが頭を押さえてうずくまっていた。
どうやらお皿を投げつけてきたのは彼らのようだ。ギルドのカウンターの前に丸いテーブルと四脚のイスが置いてある。今朝ギルドを出るときにはなかったからイザドルたちのために用意したのだろう。
「ああ、よかった」床に落ちている木皿を拾い上げて、壊れたりキズが付いていないのを確認する。「陶器のお皿だったら割れているところだった」
「待てよ、こら」
イザドルが立ち上がって僕に近づいてくる。
「人に皿をぶつけておいて謝りもなしか、ええ?」
「先に投げてきたのはそっちじゃないか」
「だが、当たらなかった。お前はケガをしていない。でも、こちらはお前の投げた皿で頭をケガをした。これは厳然たる事実ってやつだ」
「難しい言葉を使えば、賢く見えるってもんじゃあないよ」
屁理屈を並べ立てて相手を言い負かしたところで偉いわけじゃない。とんだ勘違いだ。僕はそのことを母さんから学んだ。僕がとっておいたクッキーをつまみ食いした母さんは悪びれもせず言ったものだ。
「アンタには私がクッキーを食べたように見えたかもしれない。でもね、見方を変えればクッキーが私に食べられたいって、わざと指先でつままれて口の中に放り込まれたとも考えられないかな」
あの時の悔しさはいまだに忘れられない。
「もしかして覚えたてで使いたい時期なのかな。僕にも経験があるからよくわかるよ」
「調子に乗るなよ、二つ星」
イザドルは一瞬、僕の胸に手をやろうとしてトゲに刺されたような手つきでひっこめる。さっきぶん投げられたのがこたえたようだ。
代わりに僕の顔に鼻先を寄せてきた。息がくさい。
「歯でもみがいたら?」
「その若さで二つ星まで上がっていい気になっているんだろうがな、世の中にはな、上には上がいるんだ」
「知っているよ。それがあなたたちではないってこともね」
僕の皮肉にも構わず、イザドルは得意げに反り返ってみせる。
「聞いておどろけよ、俺たちはな『裏切者』の仲間なんだ」
なんだいそりゃ? 『裏切者』の仲間? わけがわからないよ。
「へっ、声も出ねえようだな。てめえが誰にケンカを売ったか」
そりゃそうだ。言っている意味がわからないのだから返事のしようがない。
「おい、お前ら。そのへんにしておけ」
二階から降りてきたボリスさんが面倒くさそうに言った。
「ギルドの中でのいざこざは禁止だ。どうしてもっていうなら村の外でやれ。迷惑だ」
「引っ込んでてもらおうか、宿屋の親父さんよ」イザドルはせせら笑った。「年寄りがしゃしゃり出てもケガするだけだぜ」
「そうもいかん」
そう言ったのはボリスさんではなかった。ボリスさんの後ろから階段を下りてきた人がいる。
「誰だ、てめえ」イザドルが小ばかにしたように聞いた。
僕には誰だかすぐにわかった。
「こいつの同業者だ」
ダドフィールドのギルド長はボリスさんの肩を抱きながら言った。
次回は7/14(金)の午前0時ごろに更新の予定です。