麦踏まれにご用心 その3
それから僕はラーラと二人で巨人麦を倒していった。リンジーさんとジョラさんが終わった後は、ザドクさんにヴィックさんにティフさん、ついでにスキャンダーさんにロスポさんにそれから……。
「えーっと、次は誰の畑だっけ?」
「クインシーさんよ」ラーラがちょっとうんざりした顔で答えてくれた。「早く行かないと、またがみがみ言われるわ。あの人口うるさいから」
「さっきから気になっているんだけどさ」僕はロープを担ぎながら正直な感想を口にした。
「どうしてラーラが一人でやっているの? ほかの村の人と協力してやればいいじゃない」
「私の仕事だからよ」僕の方を向きもせずにラーラは言った。
「ほかに理由が必要なの?」
「仕事ならみんなでやればいいじゃないか。君一人でやることはない」
ほかの畑を見ていてもみんな自分の畑の手入ればかりで、手伝おうという人はいない。協力し合えばもっと早く終わるのに。
「そのとおりだよ」
不意に畑の方から声がした。振り返ると、巨人麦をかき分けて、きれいな女の人が出てきた。金色の髪の毛を白い頭巾で巻いて、青いワンピースにエプロンという格好は村のおかみさんって感じだけれど、まだ二十歳かそこらだろう。ぽーっとなりかけたところを自分で手の甲をつねる。僕にだって節操というものはあるのだ。
「サベラさん」
ラーラは複雑そうな表情だ。何というか、僕に黙って蜂蜜菓子をひそかに食べていたのを僕に見つかった時の母さんがこんな表情をしていた。具体的に言うならまずいところを見られたくない人に見られたって顔だ。
「別にアンタ一人で抱え込むことはないんだよ。村長がどういおうとアンタだって立派な村の一員なんだから」
「関係ありません」優しい声で話しかけてきたサベラさんにラーラはそっぽを向く。「これは私の仕事ですから。放っておいてください」
サベラさんを押しのけるように先へ進む。
「早く来なさい。置いていくわよ」
ムチでお尻を叩かれるようなきつい口調に僕は大股で後を追った。
「あの人は?」
「サベラさんよ。ああやっていつも私のことを気にかけてくれているのよ。いい人なんだけれど、ちょっと過保護なだけ」
それっきりラーラは黙ってしまった。もっと聞きたかったけれど、それ以上話してほしくなさそうな雰囲気だったので僕は口をつぐんだ。
その後もクインシーさんやワットさんやザドクさん(さっきの人とは別人)の麦踏まれを終えた。
慣れない仕事に僕は疲れてしまった。僕はオトナの男だし鍛えているからまだ平気だけれど、ラーラは明らかにしんどそうだった。
昼食を食べた後はまるで休んでいない。
「えーと、休憩したほうがいいんじゃないかな」
「そうね、それじゃあ……」
そこでラーラは言葉を途切れさせた。あれ? って顔で村の外を見ている。僕もつられてそちらを振り向くと、柵の向こう側にある小さな森から男たちが出てくるのが見えた。全部で四人、みんな茶色い皮鎧をつけていて、一人だけマントを引きずるようにして羽織っている。
男たちは疲れた足取りで、でも確実に村まで近づいている。ラーラの顔を見る限り、知り合いではなさそうだ。
僕は地面に置いていた虹の杖を拾い上げる。いざという時にはこれで麻痺させよう。
男たちは途中で僕たちに気づいたらしく、方向をやや変えて僕たちの方まで近づいてきた。
ラーラが息をのむ気配がした。
柵のそばまで来ると、草いきれの匂いがした。先頭の皮鎧の男がいぶかしげに話しかけてきた。
「ここは、どこだ?」
「えーと……」
「ああ、おどろかせちまったか、すまねえ」僕に話しかけてきた人は相好を崩して、腰から冒険者ギルドの組合証を取り出した。
「俺たちはこういうもんだ」
冒険者だったのか。しかもみんな三ツ星だ。
「俺はイザドル。こいつらはゲイソン、フリップ、ドーンだ」
イザドルと名乗ったのは三十歳くらいの、僕と同じくらいの背丈をした男性だった。灰色の髪に、傷だらけの皮鎧は胸のあたりからこんもりと盛り上がっている。詰め物をしているのではなく、日焼けした肌の内側から筋肉が押し上げているのだ。草の切れ端や落ち葉の付いたマントの上から大きな剣を背負っている。向かいあっているので正確な形はわからないけれど、肉厚な感じがする。切り裂くというよりオノのように重さでぶった切るための剣のようだ。柄にはアーモンドの花が刻んである。花弁の一枚だけ赤く染めている。
後ろの三人もマントこそつけていないけれど、似たような体つきと装備をしている。
「ここはアメント村です」ラーラがおっかなびっくりって顔で説明する。
「聞いたことねえな」とイザドルさんが首をひねった。
「まあいい。少し休みたいんだが、食い物の食えるところはねえか?」
ラーラは困った顔をした。この村に食堂はない。僕も昨日、ボリスさんから聞いている。
「えーと、この道をまっすぐ行って広場を右に曲がったあたりに冒険者ギルドがあります。そこで食事も取れるかと」
代わりに僕が説明すると、イザドルさんがやっぱりって顔で村を見渡す。
「しけてんなあ」
田舎の村だ、と言いたいのだろう。失礼なやつだ。食堂なんてアップルガースにもなかった。よそから人が来る機会なんてめったにないんだから仕方ないじゃないか。そんなものなくったって僕は十五年間、まったく不自由しなかった。
「悪いな。それじゃあ、行ってみるわ」
イザドルさんは柵を大股で乗り越えて村の中に入って来る。
「ああ、ちょっと待ってください」
続いてゲイソンさんが乗り越えようとしたところで僕は呼び止める。
「みなさんはあの森で何を?」
この辺にはほとんど魔物も出ないそうだし、街道からも離れている。用もなしに森に入るほど、好奇心のある年ごろには見えない。
「それは……」とフリップさんが口を開きかけた時、イザドルさんがその胸を軽くたたいた。
「お前に話す必要はねえな」イザドルさんはぴしゃりと言ってのけた。
「そうですか」僕は頭の中で「さん」づけを取っ払い、虹の杖の先っぽをイザドルに向けた。「なら、ここは通せませんね」
話す必要はない、ということは話さなくてもいいけれど、少なくとも『何か』をしていたということだ。
人に話せないことをしている時点で僕のかんぐりは大きくなっている。もしかしたら『何か』はこの村に害をなすことかも知れない。
そいつを聞き出すまで村の中に入れるのは危険すぎる。
「何のマネだ?」
「ギルドの組合証があるからといって、正しいことをしているとは限りませんから」
イザドルが僕の胸ぐらをつかみあげる。息でも止めているみたいに顔が真っ赤だ。
ラーラが僕の袖を引っ張る。声は出さないけれど早く謝ってしまえ、と表情が能弁に物語っている。
でも僕は謝るつもりなんてない。
「てめえ、ふざけんなよ。俺たちが盗賊に見えるとでも……」
「ならお聞きします」イザドルの言葉をさえぎって僕は言った。「もう一人のお仲間はどうされたんですか?」
イザドルたちが一斉に目をみはった。
「アーモンドの花は花びらを五枚付けます。みなさん、同じ花を刻んでいるから五人いたのかと思いまして」
「そんなあてずっぽうで……」
「それだけじゃあありません」僕はイザドルのマントを指さす。
「そのマント、あなたのものじゃありませんよね。ここに来るまでずいぶん裾を引きずっていました。体つきに合っていません。ひょっとしてもう一人の仲間の形見じゃあありませんか」
イザドルは青ざめた顔でマントに手を当てた。僕の胸ぐらをつかむ力も弱まったので外させてもらった。
「お前、何者だ?」
「ただのご同業ですよ」
冒険者ギルドの組合証を見せる。
「一人やられて残った四人が戻ってきた。あの森で何をしていたんですか? いえ、言い方を変えます。あの森には何がいるんですか?」
イザドルたちは目だけで後ろを見る。お互いに目くばせをしながら意志を確認しあっているようだ。
「魔物を探していたんだ」しばらくして、イザドルがうんざりって感じで口を開いた。
「俺たちは山を二つほど超えたところにあるリッケンバッカーって町の冒険者だ。魔物退治の依頼を受けて、追いかけてきたんだが、このあたりまで逃げ込んだらしくてな。そこの森で見失ったんで探していたんだ」
「それじゃあ一大事じゃないですか。僕、ひとっ走りギルドへ行って報告してきます」
危険な魔物がうろついているのなら、村のみんなに知らせて気を付けるよう呼びかけないと。
「待て」走りだそうとした僕をイザドルが呼び止める。
「大した魔物じゃあない。ただの三つ目オオカミだ。この前ソールスベリーで三つ目オオカミを使って悪さをしていた魔物使いが捕まったんだが、そいつの飼っていた魔物が何匹か逃げ出したんだ。それで俺たちは……」
「だとしたら、ソールスベリーから来るのが筋じゃありませんか。でもあなたたちはリッケンバッカーという町から来たと」
「ごちゃごちゃうるせえ!」
不意にイザドルが殴りかかってきた。横から弧を描くような拳が飛んでくる。僕が背中をそらすと、鼻先を黒い岩のようなげんこつが駆け抜ける。通り過ぎた瞬間、僕はその手首をつかみ、体を傾けて背負い投げを食らわせる。ずん、と地面に重たいものが落っこちる音がした。
「いきなり殴りかかるなんて乱暴な人だなあ」
ぶちぎれたってやつか。気が短い人はこれだから困る。
イザドルはあおむけのままうめいている。いきなり殴りかかってきたのはそっちだからね。
残りの三人が僕にとびかかろうと柵に足をかける。
僕は三人を見据えたまま警告を与えるために、虹の杖の先を倒れたままのイザドルの鼻っ柱に突きつける。
「それで、本当は何が起こったんですか? もしかして、逃げてきた魔物というのは、三つ目オオカミじゃなくってもっと別の魔物じゃないんですか?」
「……」
三人は柵に足をかけたままの体勢で動かない。いや、動けないのかな。
「話せないんですか? なら……」
「やめて」
予期しない方向からの声に振り返ると、ラーラが必死な面持ちで僕の腕を胸の中に抱いている。
「ケンカなんてやめて。この人たちと争ったって何にもならないわ。ケガするだけよ」
「いや、でも」
ケガをするのは向こうの方だよ、と言いかけて口をつぐむ。
「あなたの依頼人は私よ」ラーラの声は冷ややかで、有無を言わせない迫力があった。
「そんなこと頼んでなんかいないわ。余計なことしないで」
僕はしぶしぶ杖を下ろして二歩下がった。
それからラーラはイザドルたちに向き直る。
「あなたたち、別に悪いことをしていたわけじゃないんでしょう」
「ああ、もちろんだ」イザドルがのろのろと上体を起こしながら返事をする。
「なら、いいわ。村で無体を働かなければ問題ないもの」
「だとよ」
イザドルは、悠然とマントについたホコリを払いながら勝ち誇ったように笑う。
残りのメンバーも次々と柵を乗り越え、僕の横を通り過ぎていく。
「おら、どけよ」
最後に通ったドーン(だったかな?)が必要もないのにどん、と僕を突き飛ばすと、道につばを吐いてギルドの方へと歩いて行った。
その背中を僕はもやもやした気持ちで見送った。
「本当によかったの?」
「もめごとはごめんよ」ラーラは毛嫌いしている虫でも見たように言った。
「騒ぎなんて起こしたくないの」
気持ちはわかる。僕だって自分からもめごとに飛び込むつもりなんてない。でも、気になる。もし、何かがとても危険なことで、この村にも迷惑のかかることだったら放っておいた方が大変だ。危険なことを見なかったことにしたって危険自体がなくなるわけじゃない。
「それじゃあ、続きを……」
「ゴメン、ちょっと休憩してくる。すぐ戻るから」
僕はスノウを肩に乗せると杖を掲げ、『瞬間移動』で森の方に向かった。
確かめるだけならいいだろう。
一瞬で森の入り口までたどり着いた。ちょうどイザドルたちが出てきたあたりだ。僕はそこで杖を下ろし森の中に踏み入る。
幅広い葉や枝が広がって傘のように日差しを防いでいる。そのせいか、五十歩と歩かないうちに薄暗くなる。地面に顔を近づけると足跡はすぐに見つかった。まだ新しいからイザドルたちので間違いないだろう。僕はうつむきながら足跡をたどる。こいつをたどっていけば何があったのかわかるかもしれない。
途中、深い草むらにも分け入っていたせいで見失いそうになったけれど、スノウにも手伝ってもらってどんどん進んでいく。
気が付いたのはイザドルたちの歩き方だ。いや、走り方、といった方がいいだろう。
みんな大股で足の運びも乱れているし、途中転んで手をついた跡も見つけた。やぶだとか、深い草むらだとか明らかに不便な場所も走っている。
こいつは、何かから逃げている跡だ。
もしかして、手ごわい魔物にでも出くわしたのかな。その途中で仲間がやられて残りの四人は逃げ出した。でも、だとしたら魔物のことを隠す理由がわからない。さっきのイザドルたちの表情を思い出す。魔物に仲間をやられたのが恥ずかしいとか格好悪いとか、じゃあない。あれは何か都合の悪いことを隠そうとしている顔だ。
ひょっとしたら、依頼か何かで魔物を捕まえてどこかへ運んでいる最中だったのかもしれない。
ところが途中で魔物が逃げ出してしまった。逃げ出したのがばれれば自分たちの失敗が広まってしまう。依頼によっては失敗すると違約金を取られるものもある。イザドルたちはそれを恐れて隠し通そうとしている。
そう考えれば筋は通るんだけど……。
「にゃあ」
スノウが鳴いた。
顔をあげると、開けた場所が見えた。生い茂った葉が薄くなってまばゆい日差しが柱のように突き刺さっている。木々の生えている隙間が空いているのかと思ったけれど近づいてみるとそれが間違いだとわかった。
そこかしらで折り重なるようにして何本も木が倒れている。オノで切ったんじゃなくて、ものずこい力で途中からへし折られたようだ。さほど太い木ではないけれど、それでもどれもこれも僕の肩幅くらいはある。地面もえぐれていたり、草が根っこからほじくり返されていたりとむちゃくちゃになっている。大きな獣らしき足跡も見つけた。枝のように細くて長い五本指だ。
見たことはないけれど、オオトカゲを二回りほど大きくしたような足跡だ。
「一体どんな怪物が暴れたんだろう」
『失せ物探し』で探ってみたけれど、近くにそれらしい魔物や猛獣の反応はなかった。
逃げたのかな、と首をひねっているとスノウがもう一度鳴いた。僕の肩の上から首を伸ばして、小さな鼻先を地面に向かってかすかに上下させている。スノウが示した先を見ると、変な紋様の描かれた細い布が落ちていた。長さは僕の背丈くらいだろう。片方は真四角だけれど、端っこがいびつな形にちぎれている。そばには変な形の石が転がっていた。
「ちょうちょ?」
羽を広げた形をした、チョウの石像だった。大きさは僕の手のひらの半分くらい。羽の形とか、小さな足のつくりとか、よくできている。本物のチョウみたいだ。
「石屋さんでもあったのかな」
けれど、見渡してもそれらしい建物は影も形もない。転がっている木も自然に生えていたものだ。
よくみれば奇妙な形の石がそこらに転がっている。オオカミの脚みたいなのや、鳥の翼みたいな石が無造作に落ちている。そいつを拾い上げ、ためつすがめつ見ると、根元のあたりで全部同じ形に削られていた。こいつは歯型だ。
「石像を食べた? いや、違うこいつは……」
前にジェロボームさんの家で読んだことがある。世の中には毒の息をはいて生き物を石に変えてしまう魔物がいるという。そうして石に変えた生き物をぱくぱく食べてしまう、恐ろしいトカゲだ。
確か名前は……石蛇王。
次回は7/11(火)の午前0時頃に更新の予定です。




