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麦踏まれにご用心 その2

 翌朝、日が昇ったあたりで目が覚めた。あくびしながら着替えていると、扉をノックする音がした。

「朝飯だ」


 ボリスさんが麦がゆとスープを持ってきた。

「わざわざ持ってきていただいてすみません」

「礼を言われるほどのことじゃない」


 僕が朝食を受け取ると、ボリスさんは階段のほうを見た。

「早く片付けねえと女房がいらつくんだよ」

「はあ」


 なんだか怖いお嫁さんのようだ。大変だなあ。家の中でもガミガミ怒鳴られたんじゃあ気の休まる暇もない。僕のお嫁さんは優しい子にしよう。

 部屋にはテーブルもないのでじかに床に座って朝食をいただくことにする。

 スノウの分はカバンから木皿を取り出して、僕のを分けてあげる。


「それじゃあ、いただきま……」

 スプーンに麦がゆをすくって口元へ運ぼうとして、ボリスさんに声をかける。

「あの、そうじろじろ見られると食べづらいんですけれど」


 ボリスさんは扉の前に腕組みして立っている。僕たちが座っているので自然と上から見下ろされる格好になっている。

 見張られているみたいで食べにくい。


「俺のことは気にしなくていいから早く食ってくれ」

 ボリスさんはうんざりしたように言った。

「早くその皿もっていかねえと女房に怒鳴られる」

 僕は急いで麦がゆをかきこんだ。


 食べ終えると、一階に降りて掲示板を見た。貼ってあるのは四枚だけだ。うち一枚は三ツ星以上の依頼だから僕には関係ない。

 残りは全部、星なしの依頼だ。柵の修理と隣町への買い物、そして……。

「麦踏まれ?」


 麦踏まれの手伝い

 報酬 一日銀貨五枚

 

 麦踏みなら僕も知っている。まだ霜のはっている春先に麦の芽を踏んづけるのだ。

 冬の間に霜柱のせいで盛り上がった土を戻し、麦の背丈が伸びすぎないようにするためだ。アップルガースの村でもよくやっていた。


「いたずらしていると、アンタも麦みたいにふんづけて背を伸びなくするわよ」母さんによくおどかされたものだ。

 麦踏みならもう少し早い時期にやるものだ。もう暖かくなって霜なんてとっくに溶けている。


 でも麦踏まれってのはなんだろう。もしかして、踏まれるのかな。母さんじゃあるまいし。

 首をひねっていると、カウンターの奥からボリスさんが出てきた。僕は依頼の紙を取ってカウンターまで持っていった。


「あの、この依頼って麦踏みじゃないんですか」

 ボリスさんは僕が差し出した依頼書をのぞき込むと、ああ、と納得したような声を上げた。


「麦踏まれだ。間違いない」

「麦踏まれってなんですか」

 ボリスさんは一瞬、目を泳がせると面倒くさそうに「行ってみればわかる」と言った。


 説明しようとしたけれど途中であきらめたらしい。

「まあ、危険なものじゃあない。誰にでもできる仕事だ。この前、ポムじいさんが腰を痛めちまってな。引き受けてくれるとありがたい」

「はあ」


 どういう仕事なのかいまいちつかめないけれど、危険はないという話だし、麦踏まれがどんなものか興味がある。

「わかりました。では、手続きをお願いします」


「ありがたい」ボリスさんは相好を崩し、依頼人の家への行き方を教えてくれた。

「それじゃあ行こうか、スノウ」

 僕が呼び掛けると、ぴょんとマントをつたって肩に乗る。慣れたものだ。


 では、と出ようとした時、窓からハトが飛び込んできた。白い翼を羽ばたかせながらギルドの天井をぐるぐると回っている。

「や、こいつめ」


 ボリスさんはあわてた顔でハトの真下まで駆け寄り、天井に手を差し出す。そして降りてこい、と何度か呼び掛けると、ごつい指先にハトが宿り木のように止まる。

「ボリスさんのハトですか?」

「ギルドのハトだ」


 ハトの足を触りながらボリスさんは説明してくれた。

「各地のギルドと連絡を取るために冒険者ギルドでハトを飼っているんだ。専門の部署もある。馬よりずっと早いからな」

「へえ」


 伝書バトってやつか。よく見ればハトの脚には小さな筒のようなものがついている。話には聞いていたけれど初めて見た。僕のように瞬間移動できるマジックアイテムを持っている人はあまりいないらしいから、徒歩か馬かハトが主な通信手段になるのだろう。この広い国中に素早く命令したり、みんなに注意を呼びかけたりするにはうってつけの方法だ。聞けば、ここの裏手に巣箱もあるらしい。あとで見てみよう。


「街道沿いの町なら専門の配達員がいるんだが、うちみたいな片田舎じゃあ、こいつ頼りってわけさ」

 ボリスさんは器用な手つきで筒を外し、中の小さな紙片に目を通している。

 おっと、こうしちゃいられない。一応ギルド長なんだからないしょの話かもしれない。じろじろ見るのはまずいだろう。


「では、僕はこれで。行ってきます」

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 気を利かせてギルドを出ようとしたらボリスさんに呼び止められる。


「お前の名前、確かリオだったよな」

「ええ」宿帳にもそう書いてある。「それが何か?」


「いや」とそこでボリスさんは何やら言いよどむ。慎重に言葉を選んでいるようだけれど、うまく出てこないようだ。

「呼び止めてすまなかったな、成功を祈っている」

 なんなんだろう、と思ったけれどボリスさんはハトを連れてカウンターの奥へと消えていった。


 依頼人の家はギルドを出て、左に曲がった水車小屋の向こう側だという。村の南側に向かって村の様子を眺めながらゆっくりと歩く。


 麦畑では村の人たちが麦穂の様子を確かめたり、肥やしをまいている。土と堆肥の匂いをかぐと、故郷のアップルガースを思い出す。


 村のみんなは、かつて『災厄砕き(カラミティ・バスター)』というすごい冒険者パーティだったらしい。でも僕の知っているみんなは、種をまき、芽が出たのを喜び、苗を大切に育て、茎が伸びるのを見守り、穂が実るのを心待ちにして、たわわに実った麦を刈りとる。何のへんてつもない人たちだ。


 でもこのアメント村の麦は大きくて、まるで巨人の村にでも迷い込んだみたいだ。農夫たちも麦の林をかき分けるようにして手入れしている。

 まだ穂も青く、収穫は当分先だろう。小麦粉にしたらどんなパンができるのかちょっと気になる。


「さて、ここかな」

 水車小屋のある橋を渡り、柵の近くに平屋の小屋がある。ここが依頼人の家のようだ。かなり年季が入ってるようで、壁の戸板もあちこち腐って隙間だらけだし、屋根には雨漏りを修理した跡がいくつもある。きちんとお金払ってくれるのかなあ、とつい心配してしまう。


「ごめんください」

「はーい」


 僕がノックすると出てきたのは十七、八歳くらいの女の人だった。

 白い長袖の上着に、つぎはぎだらけの緑のスカート、しわのよったエプロンで手を拭きながら僕の顔を不思議そうにながめて、はしばみ色の瞳をぱちくりさせている。腰まで届きそうな茶色い髪を横で束ね、一本に編んだ髪を右肩から前に垂らしている。


 きれいな人だなあ。化粧っ気は全くないけれど、日焼けした肌とか、つやつやした肌が生き生きとした力が満ちているようだ。彼女から放たれる生命力なのか、何とはなしに甘い香りを感じて、僕はまた気が遠くなっていく。


「えーと、どちらさま?」彼女が聞いた。

「どちらさまでしょう?」

「は?」


 かぷっ。

「あいたっ!」

 僕は耳を押さえて悲鳴を上げた。僕の間の抜けた返事にいらだったのか、スノウが僕の耳をかんだのだ。


「えーと、大丈夫?」彼女が不安そうに僕を見つめる。向かい合うと彼女のほうが少し背が高い。

「いえ、ご心配なく」

 スノウを肩から降ろすと、ギルドの組合証を見せる。


「僕はリオ。冒険者ギルドから依頼を受けてきました。あなたが依頼された方ですよね」

「ラーラよ」ラーラはうなずいてから名乗ると、僕に手を差し出した。僕も手を伸ばし、握手する。

「正直、来てくれるとは思ってなかったわ」


 冒険者が来ないのだからそう思うのも無理もない。僕が来たのも偶然のようなものだ。

「よければさっそく仕事に入りたいんですけど。麦踏まれ……で、いいんですよね」

 僕のおぼつかない口調がおかしかったのか、ラーラがくすりと笑った。


「麦踏まれは初めて?」

「さっき初めて聞きました」

「ちょうど今から麦踏まれに入るところなの。待ってて。今、道具持ってくるから」

 ほどなくして出てきたラーラは両手に長いロープを持っていた。


「はい、これ」と僕にロープの束を手渡す。結構重い。

「これが道具ですか?」

「そうよ」ラーラは自分の分のロープの輪を肩に担ぎ、僕を振り返る。「これがないと巨人麦には勝てないもの」


 ラーラの麦畑は家からさらに南側の柵のすぐそばにあった。いびつな板を組み合わせただけの頼りない柵だ。半分腐っているように見える。魔物が少ないからこんな柵でも平気なんだろうか。


 麦畑は思っていたより広かった。ラーラの家十軒分はあるだろう。畑の中にはやはり、青々とした巨大な麦が陣取っていた。これが巨人麦か。一・一フート(約一・七六メートル)くらいまで成長している。麦に見下ろされるなんて初めてだからかどうにも落ち着かない。さっきから見上げてばかりで首が痛くなりそうだ。


「こんな麦があるんだね。全然知らなかったよ」

「知らなくて当然よ」ラーラはロープを降ろすと胸を張って言った。「これは魔法使い様が与えてくれた麦だもの」


 それからラーラは麦の穂を撫でながら懐かしそうな顔をする。

「十年位前にね、この村が飢饉になったことがあったの」


 その年は日照り続きで、村の麦がほぼ全滅してしまった。どの村でも不作の時には、ある程度倉庫にたくわえを残しているものだけれど、悪い代官がいてたくわえも税の名目で奪い取ってしまったらしい。川から魚を取ったり森に入って狩りをしたり、木の実やキノコを採っていたのだけれど、やがてそれも取れなくなってしまった。


 このままでは身売りするか、というところまで追いつめられたとき、村に白いローブを着た男がやってきた。男は自分を魔法使いと名乗った。


 魔法使いは村人たちにわずかな食料と麦の種をくれた。

「巨人麦の種だ。この種なら飢饉でも育つだろう」

 それからいくつか巨人麦の育て方を言い残すと、魔法使いは名前すら告げることなく去っていった。


 怪しむ人もいたけれど、どうせならと何人かが試しに種をまいたところ、あっという間に芽が出た。麦はすくすくと生長し、人の背丈の倍まで育った。こうして村人たちは飢えをしのぐことができた。それ以来、この村ではずっと巨人麦を育てているそうだ。


「へえ、すごいなあ」

 困っている村のために助けてあげるなんて、すばらしい。名前を名乗らないのが気になるけれど、きっと奥ゆかしい人なんだろう。


「そう思うわよね」ラーラはちょっとうれしそうだ。きっとその魔法使いを尊敬しているんだろう。

「それで、今からこれを収穫するんですか」

 まさか、とラーラは僕をしかりつけるような目で見た。


「まだ育ち切ってないじゃない。こんな青い麦を収穫したって未熟なもみしか取れないわ」

「じゅうぶん育ち切っているように見えるけれど」


「まだまだ、こんなものじゃないわよ」ラーラは首を振った。「秋には倍近くになるわ」

 僕は二の句が付けなかった。

「さ、お話はこれまでよ。そろそろ始めましょう」


 ラーラは僕を麦畑の角のあたりに立たせると、ロープの端っこを僕に手渡し、畑の向こう側まで走っていく。

 僕とラーラは畑をはさんで向かい合う格好になる。お互いの手に持ったロープがぴんと張っている。

「ゆっくりね。私に合わせて進んで」


 ラーラの指示で少しかがみながら麦畑沿いに歩く。僕たちの間にはさんだロープがゆっくりと巨人麦をなぎ倒していく。


 巨人麦の生育のためにこの時期に一度倒す必要があるらしい。やっておくと収穫もしやすくなる。

 実の付きかけた麦穂を痛めないように慎重に倒してやる必要がある。そのためにロープや木の板なんかの道具で倒していく。


 その姿がまるで麦に踏まれているようだからこの村では麦踏まれ、というらしい。

 この育て方も魔法使いに教わったそうだ。

「普通の麦にすればいいのに」


「このあたりは育たないのよ。普通の麦を植えてもすぐに枯れちゃうの。巨人麦を植えるときに山から持ってきた土が悪かったみたいで」


 それに、巨人麦を育てているのは大きく育つ分たくさんの実をつけるのも理由の一つだそうだ。

「それにパンにするとおいしいのよ。おかげで近くの町からうちの麦を売ってくれって依頼も来るようになったわ」

「そいつは楽しみだ」


 僕とラーラはロープを持ちながらゆっくりと亀のように進む。歩幅もいつもの半分もない。スノウが歩いたほうがずっと早いくらいだ。ゆっくり歩くのがこんなに疲れるとは思わなかった。


 すり足で歩きながらようやく畑の端っこまでたどり着いた。

「おつかれさま」

「えーと、これで終わりなのかな」


 だとしたらずいぶん簡単な仕事だ。これでお金をもらうのは悪いくらいだ。

「ええ、ここの畑はそうよ」

「ほかにも畑があるの?」


 畑をたくさん持っているなんて、もしかしてラーラって土地持ちなのかな。

「ここが終わったら次はリンジーさんのところね。それが終わったらショラさんのところ」

「もしかして、村中の麦畑を全部麦踏まれするの?」


「依頼にそう書いていたはずだけど」

 反対にきょとんとした顔をされてしまう。

 ごめんなさい。よく読んでいませんでした。


「この村、お年寄りばかりだからね、押し付けられちゃったのよ。ただでさえ少ない若い人は、ソールスベリーみたいな大きな町に出稼ぎに出ちゃうし。ほら、この村って巨人麦以外に何もないから。むしろ麦のほうが多いくらいよ」

次回は7/8金曜日の午前0時ごろの予定です。

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