歌おう、感染するほどの喜びを その10
二回投稿の二回目です。
今回で第五話は最終回です。
「あの……」
入ってきたのはパメラだった。服を着替え、両腕にリュートを抱えている。顔はまだ赤い。汗もかいているし、足取りも頼りない。
「話は聞かせてもらいました。あの、お願いがあります。その曲、ワタシに歌わせてもらえませんか」
「君がか?」
コルウスさんが声を上げる。
「その体調ではムリだ。気持ちはわかるがここは別の人に任せた方がいい」
「そうだよ」
手がかりはつかめた。パメラがムリをする必要はない。それに残酷なようだけれど、たとえ万全だったとしてもマドリガルの歌えないパメラにみんなを治せるとは限らない。
「ここはコラックスさんたちに任せて君は休んでいた方がいいよ。多分、おばあさんのことを気にしているんだろうけれど、君がムリをしてもおばあさんはきっと喜ばないよ」
「ワタシはおばあちゃんを守りたいんです」
腕の中のリュートをぎゅっと抱きしめる。
「子供の時から聞いてましたから。本当はおばあちゃんはマドリガルなんか使えないし、魔物を追い払ったんじゃないって」
やっぱり、パメラは事実を知っていたのか。
「でも、おばあちゃんはこの町を吟遊詩人の命をかけて守ったことに変わりはありません。だから、ワタシもできることをしたいんです。伝説がでたらめでも、おばあちゃんは私にとっていつまでもあこがれの吟遊詩人です」
「でも」
「それに、約束しましたよね」
パメラは笑顔を作る。
「あなたは約束通り犯人を見つけてくれました。言いましたよね。またワタシの歌が聴きたいって。だから、今約束を果たします」
パメラはふらつきながらコラックスさんに近づくと、薬を求めるように楽譜を奪い取る。
楽譜に目を通しながら、何か口ずさんでいる。
「だが、歌詞はどうするつもりかな」
「即興で作れないようなら吟遊詩人なんて名乗れませんよ」
コルウスさんの質問にふふ、とおかしそうに笑った。
「時間がないのはわかっています。もしワタシが失敗したらその時は、シャルル・ヒースクリフでもジャック・ロックでも連れてきてください」
パメラの口調は半ば投げやりっぽかった。僕は知らないけれど、きっと有名な吟遊詩人の名前なのだろう。
僕は虹の杖を握った。
「ちょっと待ってて」
その場から『瞬間移動』で姿を消した。
次の瞬間、僕はローレンツさんの部屋の前にいた。
ノックして部屋に入る。ローレンツさんは目を見開いた。良かった、まだ起きていたんだ。
「またお前か。何の用だ」
「ちょっと、お借りしたいものがありまして」
もう一度診療室に戻ってくる。
「はい、パメラ」
古びたリュートを手渡す。
「君のおばあさんのリュートだよ」
パメラははっと顔を上げた。
「ちょっと借りてきたんだ。多分、こっちの方がうまくいく」
「ありがとうございます」
パメラは手の中のリュートを熱っぽい目で見つめる。楽器についたキズやいたみをいとおしそうになでさする。きっと彼女は今、おばあさんと話をしているのだろう。今のおばあさんと、そして町を守ったころのおばあさんと。
「正気かね。君たち」
コラックスさんが呆れたように言った。
「パメラなら出来ますよ」
僕はそう信じている。
僕はパメラに肩を貸すと、二人でベッドの並ぶ診療室に来た。後ろからコルウスさんたちもついてきている。
僕は扉のすぐ側に置いてあったイスを用意する。パメラはよろよろとそのイスに腰掛けると、リュートの弦をはじいて音を確かめながら調律を始める。
ベッドで寝ていた人や付き添いらしき人たちの何人かが、何事かと僕たちを見ている。
これは僕とパメラのコンサートだ。絶対に成功させるんだ。
調律が終わった。パメラは弦に指をかけ、唇をひとなめした後で大きく息を吸い込んだ。
演奏が始まった。
胸を焦がす想いは埋火のように燃え続け
ため息は竜の息吹のようね
神の薬でも癒えることはなく
恋の病は私を苦しめ続ける
どうして私ばかりが苦しみ続ける
あなたにもこの気持ちが伝わればいいのに
歌おう、感染するほどの喜びを
この熱が、あなたへと伝わるように
世界中がこの病を知れば
剣も弓矢もいらない
目を見つめふれあい抱きしめて
そう、あなたも恋の虜ね
静かで情熱的な曲だ。伸びやかな声が天井の高い簡易の診療所に響き渡る。歌の上手い下手はよくわからないけれど、パメラの歌声は一言一言が切なそうにいとおしそうで、絹織物のように丁寧に繊細に言葉をつむいでいる。弦を弾く指も細やかに動かし、強い音弱い音を奏でる。
パメラが歌っている間、僕はずっと患者を診ていた。
見たところ変化はない。顔もリンゴみたいに赤いし、呼吸も乱れたままだ。
それでもパメラは歌い続ける。
パメラは一曲が終わって同じ歌をまた繰り返す。
「おい、なんなんだお前」
付き添いの人なのだろう。四十歳くらいの体格のいい男の人が大股で近づいてきた。
「ここをどこだと思っているんだ。やめろ」
一直線にパメラに近づいていく。僕は先回りすると腕を伸ばして通せんぼする。
「どけ」
「どきません」
「わかんねえのかよ。そこの女の下手な歌がみんなに迷惑をかけているんだよ」
「パメラは下手じゃありません。それにかけているのは迷惑じゃありません。これは治療なんです」
「ふざけるな」
拳を振り上げる。毛むくじゃらのげんごつが僕の顔に当たった。
がつんと頭が揺れる。同時に鼻の奥につんとして、目がくらんだ。
「ジャマはさせません」
鼻血を手の甲で吹きながら言うと、男の人は突き飛ばされたみたいにたじろぐ。
「黙ってみていてください。ほら」
僕が指さすと、患者の胸のあたりから赤く細い煙のようなものが立ち上っているのが見えた。
男の人は腰を抜かしそうなくらいびっくりしている。
「あれは、もしかしてマドリガルの呪いか?」
「間違いないな」
コルウスさんのつぶやきにコラックスさんがうなずく。
患者から抜け出た赤い煙は宙を漂い、やがて消え失せた。
するとさっきまで苦しそうにしていた患者たちが次々と目を覚まし、体を起こしていく。
コルウスさんとコラックスさんが患者の様子を看ていく。
「顔色もいいし、熱も引いたようだ」
「間違いないな。呪いは解けたようだ」
「やったね、パメラ」
「ええ」
パメラは頬を上気させている。パメラ自身からも赤い煙は出ていたので呪いは解けているはずだけれど、呪いを解くのに成功したから、というより自分の歌が大勢の人に伝わったことに興奮しているように見えた。
翌朝、回復したパメラは診療所の外に出て、あちこちを回りながらマドリガルを解いて回った。のどが枯れそうになってもパメラは歌い続けた。
僕は『瞬間移動』で町中を飛び回りながら一人でも多くの人に聞いてもらうよう宣伝した。動けない人には一緒にパメラのところに『瞬間移動』した。
どのくらい歌い続けただろうか。
オーメロッドの人たちはみんなパメラの歌を聴いて元気になった。
「よかったね、パメラ」
こくん、とパメラはうなずいた。
一日中歌い続けてのどもからから、指も赤く腫れて体もへとへとになっていた。
それでもパメラはうれしそうだった。
三日後、パメラが町を出るというので僕は見送ることにした。
みんなの呪いは解けたけれど、コンクールは中止になったから自分の町に一度戻るそうだ。
「もうここでいいですよ」
町の南門の前でパメラは言った。
「コルウスさんとコラックスさんは?」
「今朝早くに次の町へと旅立ったそうです」
そうなんだ。お世話になったし、ちゃんとお礼も言いたかったなあ。まあ、肝心なことは聞くことができたのがせめてもの救いだけれど。先生さんも衛兵に突き出したので今は牢屋の中だ。そういえば最後まで名前を聞かなかったな。
「本当にありがとうございます、リオ。きっとおばあさんもよろこぶと思います」
「でも、本当によかったの? その、おばあさんのなんだよね」
パメラはおばあさんのリュートをローレンツさんに返した。ローレンツさんは町を救ってくれたお礼にあげる、と言ったんだけれど、自分には持つ資格はないからと受け取らなかった。町を救ったうわさを聞きつけた商人や町の領主様からもお抱えの話もあったのに、それも全部断ってしまった。
「正直まだまだです。音も外していたし、歌詞もくさいし、演奏だって全然へたくそ。だからもっともっとうまく弾けるようになって、またコンクールが開かれるようになってから実力で取りに来ます。それまで故郷に戻って修行します。きっと、おばあちゃんもわかってくれると思います」
「あの、それなんだけれどさ」
僕は顔色をうかがいながら慎重に言葉を選ぶ。
「その……一人旅はとても危険だし、色々とトラブルもつきものだ。もしよかったら、僕と一緒にどうかな」
パメラは目をぱちくりさせている。
落ち着け、と自分に言い聞かせながら昨日考えた言葉を暗唱する。声の調子とか、タイミングとか色々練習したんだ。絶対にうまくいく。
「君の演奏は素晴らしかった。君は下手だって言ったけれど、マドリガルを打ち消したのは上手い下手とかじゃなくって、音楽が好きだって心だと思う。僕は歌も演奏もそこそこ……ごめん、てんでダメだけれど、音楽を好きだって気持ちは結構ある方なんじゃないかと思う。これを機会に吟遊詩人を目指そうかと思うんだ」
吟遊詩人の中には冒険者ギルドに入っている人もいるそうだ。世の中を見て回るのは冒険者でなくってもできる。歌も楽器も練習すれば、うまくなるはずだ。いつかはパメラと一緒に演奏できるような吟遊詩人になれる、と思う。
なにより、僕とスノウの旅にパメラと彼女の音楽が加わってくれるならこんなに素晴らしいことはない。
「僕も君も音楽が好きで、結構いいコンビになれるんじゃないかと思うんだ。その……どうかな」
ああ、ちくしょう。思っていたことの半分も言えてない。やっぱり格好なんか気にしないで手紙を読み上げる方法でいけばよかった。そうすれば、昨日の夜に考えた詩も朗読できたのに。
後悔でもだえたくなるのをこらえながら僕は返事を待つ。心臓がどきどきする。パメラは何と言ってくれるだろう。
スノウ、耳をかまないでね。今、いいところなんだから。
「ありがとう、リオ。そう言ってくれてものすごくうれしい」
よし、と心の中でこぶしを握る。
「でも、ごめんなさい」
パメラは首を振った。
「リオは素敵な人だと思うけれど、ワタシまだまだ一人でがんばりたいし」
それに、とパメラはそこで意味ありげに僕をちらりと見た。
「リオはその……吟遊詩人には向いていないと思うの」
ごそり、と僕の体から何かがもぎ取られた気がした。
パメラは何度も振り返りながら笑顔で手を振って、門をくぐっていった。
僕は棒立ちになりながら手を振り返してパメラを見送る。
姿が見えなくなった後も僕は呆然と立ち尽くしていた。
「おや、どうしたんだい?」
いつの間にか、ヘクターさんが隣に立っていた。
「どうも」
「元気がないな。ははーん、さては女の子にでもふられたかな」
「……」
「まあ、せめてものお礼だ。こんなところでなんだが、一曲プレゼントしようじゃないか」
返事も待たずに道の端っこに座ると、ハープを抱えなおし、歌い始めた。
ヘクターさんの『女神の恩返し』が門前に響き渡る。
ビブラートのきいた素敵な歌声に行きかう人たちも足を止めて聞き入っている。
気持ちよさそうに歌うヘクターさんの姿を見ながら僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。
立ち尽くす僕の後ろを速足で駆けていく気配がした。
思わず振り返ると、赤毛の男の子が小さなリュートを抱えながら母親のところへ走っていくのが見えた。ほんの一瞬だったけれど、確かに聞こえた。
男の子が口ずさんでいたのはあの、パメラの歌だった。
第五話 歌おう、感染するほどの喜びを 了
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