歌おう、感染するほどの喜びを その8
コルウスさんの診療所は今日もごった返していた。一昨日よりもさらに赤い顔をした人が増えているようだ。患者さんの間を黒いガウンに仮面をつけた人が歩き回っているのが見えた。あの姿は見間違えようがない。
「こんにちは、コラックスさん」
「コルウスだよ、リオ君」
訂正、ちょっと見分けづらい。
「様子はどうですか?」
「コラックスの結界が効いたようだ。大勢の患者がよくなった。呪いで体力を使ってしまったせいでまだ入院しているが、明日かあさってには退院できるだろう」
患者が快方に向かってうれしいのだろう。声もなんとなく弾んでいるように聞こえる。
「ただ、今日も大勢の患者が運び込まれている。診療所を出ればまた逆戻り、という可能性もある。油断は出来ないね」
やはり、呪いをかけている奴を突き止めないとこの騒動は収まりそうにないか。
「パメラはどうですか?」
「まだ呪いは解けたわけではないが、少し話をするくらいなら問題はないだろう。何なら会っていくかい」
「ぜひ」
ノックして返事を確認してからパメラの病室に入る。
「リオ」
パメラはベッドの上で上半身を起こす。綿の白い寝間着姿だった。
部屋は少々手狭だけれど、家具も白い壁紙もお金がかかっていそうだ。ここも元は応接間のようだ。
僕はベッドの横にあった小さなイスに腰をかける。
「それで、犯人は見つかりましたか?」
「え?」
「コルウスさんから聞きました。リオが呪いをかけた犯人を探しに行ったって。それで、どうでしたか」
「ごめん」僕は恐縮しきりだった。大口をたたいておきながらいまだに何の成果も上げていないのだ。
「いいんですよ。しょうがないですよ」
パメラのなぐさめが逆につらい。
顔色はまだよくないようだ。おばあさんの話はしない方がいいな。
「それより、聞かせてくれませんか?」
「聞かせるって何を?」
「ほら、橋の上で」
ああ、『女神の恩返し』か。
「ここならほかの患者さんのご迷惑にもなりませんし」
パメラが僕の顔をいたずらっぽくのぞき込む。
「そうだね」
名誉挽回のチャンスだ。いや、僕の名誉なんかどうでもいい。パメラを元気づけるのが最優先だ。僕の思いをありったけこめれば、自然と伝わるはずだ。
スノウがびょんと僕の肩から飛び降りて部屋を出て行く。きっと気を利かせてくれたんだ。スノウは優しい子だからなあ。スノウのためにもがんばらなくっちゃ。
心臓がどきどきする。柄にもなく緊張しているようだ。落ち着け、リオ。
「それじゃあ、いくよ」
僕は大きく息を吸い込んだ。
さあ、白き花びらが舞い散る中で
エメラルドのような 尊き声に
天使たちは歓喜に打ち震える
高らかな声はとどまることを知らずに
世界は黄金の薔薇に包まれる。
あなたと会えたこの美しき世界よ
愛しの女神よ
あなたへの愛を今、捧げよう
抱きしめてキスをして
歌い終えてから女神のところをパメラの名前に変えるのを忘れていたのに気づいた。
いやでも、励ますのが目的なんだから別に変える必要はないんだ。変えていたら、逆にいやらしい奴だと思われていたかもしれない。これでいいんだ。でも元の歌詞だって結構きわどいからなあ。
「えーと、どうだったかな」
軽蔑されてないかとおそるおそるパメラの方を見た。
返事はなかった。パメラの顔はまるで怪物でも出くわしたかのようにこわばり、くちびるの端っこがかすかにぴくぴく引きつっているように見える。
「パメラ?」
「え、いや、あの、終わりですか? 終わったんですね、よかった。よかったです」
心底ほっとしたように息をはいた。
「そう言ってもらえるとうれしいよ」
僕は笑顔で言った。
「僕でよかったらいつでも言ってよ。楽器の演奏は下手だけれど、歌だったら」
「あのね、リオ」
僕の話の途中に割り込ませるようにパメラが叫んだ。
目を泳がせ、ためらっているようだけれど、やがて意を決したらしく唇をぎゅっと結んでから言った。
「その、急にこんなこと言って失礼なことだってわかってます。もしかしたら、怒らせるかもしれない。でも言わずにいられないの」
え、なんだろう。もしかして、愛の告白? いや、まさかねえ。
「あなた……歌が下手なんです」
パメラが何を言っているのかわからなかった。
「えーと、ごめん。もう一回言ってくれる?」
「ですから、その。リオ、あなたは……音痴なんです」
「いや、うん。そうだよね」
僕は何度もうなずいた。
「確かに本職の吟遊詩人と比べたら、素人の僕の歌なんて聞き苦しいかもしれないね。いや、うん、わかるよ」
「違うんです」パメラは痛ましいものを見ていられないって感じで首を振る。
「普通の人と比べても、いいえ、正直に言います。音程もリズムも曲も何一つ合っていないんです。あなたは、ワタシが今まで出会った人の中で一番の音痴です」
ぐらり、と天井が揺れた気がした。頭が急に重く感じて、まるでひもで縛られてあちこちから引っ張られているみたいだ。揺れているのが地震ではなく、自分の体がふらついているのだと気づいた。
「大丈夫ですか、リオ。その……顔が真っ青ですよ」
「平気だよ」伸びてきたパメラの手をさえぎるように言った。
「わかっている。僕は事実というものを理解しているつもりだよ。うん、そうだね。僕は歌が下手なんだね」
アップルガースのみんなが僕が歌うとにこにこしていたのは、僕の下手な歌に笑っていたからなんだ。水くさいなあ。言ってくれてもいいのに。
おかしいな。目の前にいるのに、まるでパメラが、がけの向こう側にいるみたいだ。
「音痴というのはなかなか自分では気づきにくいものなんだね。欠点を指摘してくれる人というのは友達より大切なものだとジェロボームさんも言ってた」
まるで病人のうわごとのように話し続ける。自分でもおかしな奴だな、と思うけれど口を動かしていないと気が遠くなりそうだ。
「本当にごめんなさい。ものすごく身勝手だと思う。怒ってますよね。でも、ワタシ音楽のことでウソはつきたくないんです」
「わかるよ、うん。本当にわかる。僕は怒ってないよ、本当に。安心して」
怒りなんて全然わいてこない。むしろ悲しいのかな。
「でも、でもだよ。万が一と言うことは考えられないかな。その、君が素敵な吟遊詩人だからこそ求めるレベルが高すぎるからさ。平均よりちょっと低いくらいの僕の歌がだよ、ものすごく下手くそに聞こえるなんてことは」
その時、ばたばたとあわただしい足音が近づいてきた。扉が開き、長いくちばしの仮面が飛び込んできた。コルウスさん、いや、コラックスさんの方だ。
「何だ、今の奇っ怪な叫び声は。何が起こった? 終末の悪魔でも現れたのか?」
焦った声音で部屋の中を見回す。仮面越しからでもあわてているのがよくわかる。パメラは気まずそうな顔をするだけで何も言わない。
「いえ、僕です」
申し訳ない気持ちで手を上げるとコラックスさんはあきれ果てたように肩を落とした。
「何だ、君の歌か。おどろかせないでくれ。てっきり新たな呪いの歌かと思ったじゃないか。それとも……もしかして犯人は君なのかな」
黙って首を振る。叫ぶ気力もなかった。
「あの、リオ。がっかりしないでください。その……練習すれば上手くなる、はず。多分」
パメラのはげましが今の僕にはつらい。
ノックの音がした。
「お取り込み中いいかな」
振り返ると、コルウスさんが扉にもたれかかりながら首をかしげていた。
「さっき、ヘクター氏が目覚めてね。君たちにもお礼が言いたいそうだ。会っていくかい?」
今度は僕が首をかしげる番だった。
「ヘクターさんって誰ですか?」
「知らないのかね。ああ、いや、事情が事情だったね」
コルウスさんは自分で納得した風にあごに手を当てる。
「君たちが助けた吟遊詩人の名前だよ」
「いや、ありがとう。君が助けてくれたんだって」
ヘクターさんはベッドの上で恐縮した風に頭を下げた。
今は寝間着姿に着替えている。吟遊詩人らしく、格好いい声だ。
「いえ、正確には僕とパメラです。ただその、パメラは今動けなくって」
「そうか」と隣のベッドを見つめながらがっかりしたようにつぶやく。赤い顔をした人たちが寝ている。結界による呪い返しは効いているらしいけれど、良くなるのも個人差があるようだ。
「それで、お聞きしたいんですけれど、その病気になる前のことについて。何か変わったことはありませんでしたか? たとえばその……変な人を見たとか、奇妙な音を聞いたとか」
「おかしなことを聞くねえ。それじゃあまるでこの病気を誰かが広めたみたいじゃないか」
「そいつを今調べているんです。仕事ですから」
肩につけていた冒険者ギルドの組合証を引き上げる。ヘクターさんはそれを見てへえ、と感心したような声を出す。
「その若さで二つ星か。もしかして結構やり手なのかな」
「そうでもありません」
口止め料代わりにもらったようなものだ。自慢できるようなものじゃあない。
「あいにくだけれど、特別変わったものは見なかったなし聞かなかったなあ」
ヘクターさんは腕組みしながら首をひねった。
「俺が倒れていたのは、橋の近くの路地だろう? あの辺は穴場だからよくあそこで歌うんだけれど、倒れた時もいつもと変わらなかったな。あそこは近所の連中が大通りの抜け道に使うところなんだけれど、特別怪しい奴は通らなかったと思うよ。そもそも、旅人の多い町だし、見慣れない奴なんてしょっちゅうだしねえ。いや、もしかしたら、俺が気づかなかっただけかもしれないけれど」
収穫はなし、か。
「ちなみにどんな歌を歌われるんですか?」
「最近だと、『翡翠色の乙女』かな。恋人のために宝石に変えられてしまった悲恋の話でね。これがまた受けるんだよ」
「はあ」
「でも今、そこらじゅうで歌われているから町のみんなも聞き飽きている。みんな必死さ。微妙に歌詞も変えたり恋人たちのためにハッピーエンドに変えたりしてね」
「そうなんですか?」
「吟遊詩人なんて曲だけ弾いていればいいなんて楽な商売だと思われがちだけれど、その食べていくのが大変なんだよ。ローレンツみたいなパトロンでも見つけられれば食いはぐれないんだろうけどね」
「そうですか」
なんだろう。僕の頭の中で組木細工のかけらがものすごい勢いで集まっていくような気がする。答えがすぐそこで出かかっている。必要なかけらはほとんどそろっているのに、うまく組み立てることができずに形にならない。そんな感じだ。もどかしさにいらいらする。
その時だ。診療所の扉が開いて、七、八歳くらいの男の子を抱えた女の人が飛び込んできた。
「お願い、この子を助けて」
母親なのだろう。泣きはらした顔で近くにいた女の人に取りすがる。
「昨日から具合悪そうにしていたけれど、今朝になって急に倒れて。今にも死にそうなのよ」
「見せなさい」
僕の隣をコルウスさんが早足で通り過ぎる。僕もその後ろから親子に近づく。
コルウスさんは子供の額に手を当てたり、目の奥やのどの奥をのぞきこむ。
「まずいな。重篤化している。このままだと命にもかかわる」
「そんな……」
母親が青ざめた顔で膝をつく。
「ベッドを用意してくれ。この子が最優先だ」
「けれど、空いているベッドなんてもうありませんよ」
看護に当たっている女の人が悲鳴に近い声を上げる。
「私のベッドでもいい、用意してくれ。あとコラックスを呼んできてくれ。あいつなら症状を和らげることができるはずだ」
「もう来ているよ」
いつの間にかコラックスさんがコルウスさんの隣に立っていた。とんがり仮面をつけた並んで男の子を見ている。
「まずいな。何重にも呪いがかかっている……」
「呪い?」母親が不思議そうな顔をする。
「何でもない。それより奥に連れて行く。あなたも付いてきてくれ」
「は、はい」
コルウスさんとコラックスさん、そして母親は赤毛の男の子を抱えながら診療室へと消えていった。
その背中を見つめながら、僕は組木細工が組みあがる音を聞いた気がした。
「なるほど、そういうことか」
僕は大体のことがわかった。
「どうしたんだ?」
いつの間にかヘクターさんが僕の隣まで来ていた。
「今の子、知り合いなのか?」
「いえ、名前も知りません」
僕は正直に答えた。
「それより、ダメじゃないですか。ベッドで寝ていなくちゃ、昨日の今日なんですから。休んでいてください。安静にしないと」
「あ、ああ」
うろたえたようにヘクターさんはベッドへと戻る。
「なあ、やっぱり何かあったんじゃないのか」
布団をかぶりながらもう一度聞いてきた。
「どうしてそう思われるんですか?」
「どうしてって」ヘクターさんは困ったような顔をした。
「だって君、とてもおっかない顔をしているじゃないか」
お読みいただきありがとうございました。
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次回は12月30日午前0時頃に開始の予定です。