歌おう、感染するほどの喜びを その7
おじいさんと別れた後、僕は橋を渡り、南へと向かう。目的はもちろん、ローレンツさんの屋敷だ。ローレンツさんという大商人は大勢の吟遊詩人を雇い入れる一方で、気に入らないとすぐに首にしてしまうらしい。
もしかして、その中にマドリガルの使い手がいて、ローレンツさんへの仕返しのために呪いを振りまいているのではないだろうか。
もちろん、証拠はない。だから今から確かめに行くのだ。
「ローレンツ様は忙しいんだ。お前みたいな子供に用はない。帰れ帰れ」
屋敷に行くと、門番らしき人に追い返される。まあ、子供扱いを除けば予想通りの反応だ。とりあえず今、お屋敷にいるようだ。それさえ確認できれば用は済んだ。
失礼しました、と頭を下げてから一度物陰に隠れる。『贈り物』で気づかれなくなってから、スノウを抱えて門番さんの横を通って門をくぐる。
「スノウ、いい子にしているんだよ」
僕と離れるとスノウは気づかれてしまう。いちいち言わなくってもスノウはいい子なんだから心配はしていないけれど、念のためだ。
門をくぐると馬車が二台は並んで走れそうな広い道が奥に続いていた。その左右には花壇や池が整備されているのが見える。中には屋根のついたすり鉢状の広場みたいなところもあって、演奏もできるようになっているみたいだ。
お金持ちなんだなあ。
感心しながらお屋敷に着いた。遠くから見たとおり、白い壁の三階建てだ。幸いカギはかかってないので、扉を開けて中に入る。
中に入るとあちこちからバイオリンや横笛、リュートにタイコと様々な楽器の音がした。ローレンツさんのために演奏しているのかと思ったけれど、音の出どころも弾いている曲もてんでバラバラだから多分雇われた吟遊詩人たちが練習しているのだろう。
高そうなじゅうたんの敷き詰められた廊下を歩きながらローレンツさんを探す。
たいてい二階とかに執務室とかいう仕事をするための部屋があるものだ。例の騒ぎでローレンツさんも大忙しのはずだから、きっとそこだろう。
階段を上り、二階の廊下に出ると演奏をさえぎるように怒鳴り声がした。
「やめろやめろ、へたくそめ!」
老人のわめき声に演奏が止まる。
「お前たちときたら、なんだ。最近は下手な演奏ばかり聞かせよって。そんなにワシのことが気に入らないのか」
「いえ、めっそうもない。私たちはいつもどおり真剣に……」
「今の曲がか? はっ、笑わせる。オークの鼻息の方がよっぽどましじゃ」
声のした方へ早足で行く。怒鳴り声の続く部屋の扉をゆっくりと開ける。
予想通りここは執務室というもののようだ。赤いじゅうたんの敷き詰められた部屋には、本棚や暖炉に並んで、古そうなバイオリンやリュートが大事そうに飾られている。
真正面にはアイボリー製らしき机がどっかと居座り、その奥には派手な服を着た小柄な老人が頭に血管を浮かせながらわめき散らしている。あれがローレンツさんかな。
ぎょろりとした目に長い鼻、大きく開いた口、頭のてっぺんはつるつるなのに後ろ頭から長い白髪を肩まで伸ばしている。あれでとんがり帽子でもかぶれば絵本に出てくる『家妖精』だ。
ローレンツさんの前で吟遊詩人らしき人が二人、バイオリンを持ちながらしきりに頭を下げていた。
どうやら、吟遊詩人さんの演奏が気に入らなかったので怒っているようだ。でも、そんなにひどい演奏だったかなあ。僕には素敵な曲に聞こえたけれど。
「貴様らは首だ。さっさと荷物をまとめて出て行け」
「そんな、ローレンツ様。私たちは」
「ええい、言い訳などするな。さっさと消えろ」
首とかかれた札でも首から提げさせられたかのように、吟遊詩人さんたちはがっくりと肩を落としながら部屋を出て行った。
ローレンツさんは扉の閉まる音を聞くと、不満そうに鼻を鳴らし、どっさかと革張りのイスに座り直した。
「まったく、どいつもこいつも……」
「失礼、ちょっとよろしいでしょうか」
ちょうど誰もいなくなったので、『贈り物』を解除して話しかける。
ローレンツさんはイスから転げ落ちた。
「な、なんだ貴様。いつの間に……」
「怪しいものではありません。僕はリオ。旅の者です。ローレンツさんにお話をおうかがいしたくてやってきました」
「バカな、そんな話は聞いておらんぞ。誰が入っていいと言った。さっさと出て行け」
「まあ、そう言わずに」
僕はローレンツさんを助け起こすとイスに座り直させる。
「ほんの少しだけでいいんです。危害を加えるようなマネはしません。ちょっとだけでいいんです。今、この町に起こっている流行病にも関係のあることなんです。このまま病気が広がるとあなたも困るんじゃありませんか?」
「ふざけるな、お前に何ができる。出ていかないと衛兵を呼んで……」
「お願いします」
僕は深々と頭を下げる。
「今、この時も僕の友達が病に伏せっているんです。コルウスさんもコラックスさんも病気を何とかしようと懸命に治療に当たっています。どうか僕に力を貸してください」
顔を上げるとローレンツさんは値踏みするような顔で僕を見ていた。やがて、ふん、と鼻を鳴らすと引き出しから小さな砂時計を取り出し、机の上に置いた。さらさらと砂が落ちていく。
「こいつが落ちきるまでだ」ローレンツさんは不承不承という感じで言った。「それ以上時間はやれんぞ」
「ありがとうございます」
僕はもう一度深々と頭を下げた。
「それで何が聞きたい」
「ええと」さて、何を聞こう。時間は限られている。あなた恨みを持つ人に心当たりは? マドリガルの使い手を知っていますか? どれも違う気がする。
「どうした、早く言え」
「その」なんだか焦ってしまう。そうせかさないでよ。
「えーと、どうしてさっきの吟遊詩人さんたちを追い出したんですか?」
いったい何の質問をしているんだ、僕は。焦って変なこと聞いちゃった。
ローレンツさんもあきれ顔をしている。一体そいつが流行病と何の関係があるんだって表情に出ている。僕もそう思うよ。
それでもローレンツさんは答えてくれた。
「やつらが手を抜いていたからだ」
「とてもそんな風には聞こえませんでしたけれど」
バイオリンも二人そろっていたようだし、川のせせらぎのような、ゆったりとした気分になれる曲だった。きっと有名な曲なんだろう。
「いいや、あれは手抜きだ」ローレンツさんは首を振った。
「ちょっと前まできれいにそろっていた。そりゃあ見事なものだった。だが、ある時からわざと音を下げて演奏するようになりおった。奴らだけではない。ほかの連中もそうだ」
「ほかのというと、もしかして、お雇いになられた吟遊詩人全員ですか?」
「そうだ」ローレンツさんのうなずきは確信に満ちていた。
「どいつもこいつも示し合わせて、わしをこけにし始めたのだ。コンクールを開こうとしたのもそのためだ。わしのことをバカにしない、ちゃんとした吟遊詩人や歌うたいや楽師を雇い入れるためにな。その矢先にこの流行病だ。くそっ」
忌々しそうに舌打ちをする。
でも、そんなことあり得るのかなあ。どう考えても吟遊詩人さんが得することなんてない。雇い主の機嫌を損ねたら首になることくらいわかりきっているはずだ。
「そんなことより、ほかの質問はないのか。もう砂は半分以上落ちきっているぞ」
そうだ、時間がないんだ。こうしている間にもパメラは苦しんでいるんだ。ええと、ほかに聞かなければいけないことは……。
「伝説の吟遊詩人の話がデタラメ、という話は本当ですか?」
何を聞いているんだ僕は。
パメラの顔が浮かんだら、つい口に出てしまった。
「なんだ、知っておるのか」ローレンツさんは感心したように目を光らせる。
「その通りだよ。確かにアリスは歌も演奏も一流といっていい腕前だったがな。いくら何でも魔物を追い返すほどではない」
どうやらローレンツさんはパメラのおばあさんを知っているようだ。
「では、どうしてそのアリスさんを宣伝に使ったんですか?」
ローレンツさんは心外そうな顔をした。
「宣伝も何も、実際に町を救ったのはあやつだからだ」
四十年前、魔物の大群が押し寄せてきたとき、町は大騒ぎになった。
逃げ惑う人、泣きわめく人、逃げ場を探して走り回る人、でも立ち向かおうとする人はほとんどいなかった。
当時、見習い商人だったローレンツさんも身の回りの物をどれだけ多く持てるかばかり考えていた。
「そこに現れたのがあやつよ。群衆の横でふらりと曲を弾きながら歌い始めた。当然、誰も聞いちゃいなかった。みんな奴の横を素通りしたよ。わしも初めて見たときは気でも触れているのかと思ったわ」
ところが歌い続けるにつれ、一人、また一人と足を止める人が増えていき、ついには大群衆がアリスさんの演奏を聞き惚れていた。
「今にして思えば奴も必死だったのだろう。その必死さに胸を打たれて、演奏から勇気をもらった。そうして魔物どもから町を守ろうという流れになったのだよ」
ローレンツさんも武器を手に戦った。魔物の勢いは川の氾濫のように激しく、もうダメか、という場面もあったらしい。
「それでもアリスはあきらめず歌い続けた。あの曲が聞こえる限り、わしらにあきらめるという文字はなかったのお」
激しい戦いの末、魔物の大群は逃げていき、町は守られた。
「戦いの後、アリスは一人町を去った。歌い続け、演奏をし続けて指を痛め、のどを枯らし、吟遊詩人を続けられる状態ではなかった。文字通り、吟遊詩人の魂をかけて奴は町を守ったのだ」
「……」
「その後、この町は復興を遂げた。だが、時間がたてば人は老いるし、記憶も薄れていく。あの時の戦いを経験した者ももうほとんど残っておらん。復興のことで忙しく、誰もアリスのことを思い出す暇もなかった。わしはあやつのことを忘れてほしくなかったのだよ」
「でも、だからといって魔物を追い返したとか、ちょっと盛り過ぎじゃあありませんか?」
「わしのせいではない」ローレンツさんは腹立たしそうに首を振る。
「わしは真実ありのままを残すつもりだったのだ。そのために何人かの吟遊詩人に歌を作らせた。ところが連中ときたら誇張するクセが身に染みついておる。おかげでわしの意図とは違う『アリス』が生まれてしまった。ちょうど仕事の忙しい時期と重なったせいで確認が遅れてな。訂正させようと思った時には手遅れじゃった」
ウワサが一人歩きしてしまったのか。はた迷惑な話だ。
「ええと、それじゃあ次は……」
「話は終わりだ。さっさと出て行け」
いや、でも肝心なことはまだ何にも聞いてないよ。
「時間だ」
砂時計の砂はもう落ちきっていた。
無断で屋敷に入った僕の話を聞いてくれただけでもありがたい話なのだ。これ以上、ご迷惑をおかけするわけにもいかない。
お礼を言って重い足取りでローレンツさんの屋敷を出た。
入った覚えのない僕が中から出てきたので門番さんが目を丸くしていたけれど、僕はそれどころではなかった。
どろぼうのまねごとまでして入ったのに。僕ときたらなんて間抜けなんだろう。
パメラにも申し訳がない。僕の肩に乗ったスノウが顔をすり寄せてなぐさめてくれる。
そういえば、パメラはおばあさんの話を知っているんだろうか。
様子も気になるので、一度パメラのところに戻ることにした。
お読みいただきありがとうございました。
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次回は12月27日午前0時頃に開始の予定です。