歌おう、感染するほどの喜びを その5
呪いというと、昔話なんかによく出てくるあれだろうか。お姫様をカエルに変えたり、三日以内に聖なる水を浴びないと死んでしまう、とか。
「人間には多かれ少なかれ魔力が流れている。患者を何人か調べてみたが、いずれもわずかではあるが他人の魔力を感知した。これは呪いによくみられる症状だよ。もし伝染病なら君たちを中に入れたりはしないさ。患者だけ受け取って、君たちを服ごと清めてからお帰りいただいている」
ここに連れてきたのは、うつる心配がないからということらしい。
「コルウスさんには治せないんですか?」
「あいにく呪いは専門外でね」仮面の奥で苦笑する気配がした。
「こいつは呪術医や祈祷師の領分だよ。医者の出番じゃない」
魚屋さんに牛をさばいてくれ、というようなものだろうか。ちょっと違うかな。
「でも呪いなんていったい誰が……」
パメラはちょっと辛そうだ。そりゃそうだろう。おばあさんが命がけで守った町が呪われるなんて悲しいに決まっている。
でも、今回の呪いはお姫様をカエルにするのとはわけが違うようだ。呪いにかかった人たちにはこの町にいた人、という以外に共通点がない。食べたものや住んでいた場所も離れている。
もしかして、町に恨みを持つ奴が誰彼構わずに呪いをかけているのかもしれない。まるで通り魔だ。誰が何のためにやったか知らないけれど、罪もない人を苦しめたり女の子を悲しませる奴は許せない。
「そいつを今調べているところだよ、お嬢さん」
お医者様という仕事のせいだろうか。コルウスさんの声には安心させる術というものが込められているように聞こえた。
「苦しんでいる人を放っておくわけにもいかないからね」
「ですが、コルウスさんは専門外だとさっきご自分で」
「だから今、知り合いの呪術医を呼んで調べてもらっているところだよ。一両日中には何かわかるはずだ」
「なるほど」
さすが、お医者様だ。顔が広い。
その時、扉をノックする音がした。
「ちょっといいかな」
「おや、ウワサをすれば、だね」
コルウスさんは扉の方を向きながら面白がるような声を出した。もしかして、知り合いの呪術医という人だろうか。
コルウスさんがどうぞ、と言うとゆっくりと扉が開いた。
「おや、来客中だったか。失敬」
僕は声を失った。
入ってきたのは、全身黒ずくめのコートと白い手袋、くちばしのとがった仮面という、コルウスさんと全く同じ格好をした人だった。
「やあ、コラックス。どうだった?」
「こいつはかなりの難物だな」
コラックス、と呼ばれたもう一人のコルウスさんは手に負えない、という感じで首を振る。
「呪いそのものはそう強いものではないがな。なにせかけた術者の特定どころか、時間も場所もわからないときている。呪い返しも全く効果がない。こいつはおそらく、ただの呪いではないな。少なくとも魔術師の使うような呪術ではない」
「ほう、君がてこずるとは珍しい。いつぞやのようにロウソクも燃え尽きないうちに呪いを跳ね返して、術者をカエルに変えてしまうものとばかり思っていたよ」
「お前ときたらいつもそうだ。呪いと聞けばおとぎ話に出てくる空想と区別がつかないんだからな」
「では、現実主義であらせられるところの君の見解はどうなんだい?」
「呪いというのは大変に奥の深いものだ。術者の魔力で相手の行動に制限をかけたり、条件を付ける。それには複雑な手順を踏まないといけない。命を奪ったり、カエルに変えるなんてのはほんの一端に過ぎない。こいつは一種の学問だ。ところが、お前のような空想家のせいで、役に立たないものからうさんくさいものが世間に広まってしまって、私は仕事をする時はまずその誤解を解くところからはじめなくっちゃいけない。大変にムダな手順を踏まないといけないんだぞ」
「ご高説は後で聞くよ。で、本件はどうなんだい」
「うむ、こいつはな……」
僕もパメラも棒立ちのまま二人のやり取りを眺めている。
同じ仮面をつけた黒ずくめの人がまるで鏡合わせのように経ちながら小難しい会話をしている。まるでへんてこな夢を見ているみたいだ。
「あの、その方は?」
「ああ、失敬。つい話に夢中になってね」
パメラがおずおずって感じでたずねると、コルウスさんが同じ格好をした人をうやうやしく部屋に招き入れる。
「紹介しよう。こいつはコラックス。さっき話していた呪術医だよ」
「どうも」と、コラックスさんは、つばの広い帽子を取ってうやうやしく一礼する。帽子の下も黒い頭巾のため髪の毛一本見えない。
「ええと、あなたもお医者様……なんですよね」
「そうだよ」
僕の質問に仮面の奥で笑ったような気がした。
「そいつもあれですか。その、病気にかからないための……」
「ああ、こいつか。気にしないでくれ」
コラックスさんは黒いガウンのすそをつまみ上げる。
「ただの趣味だ。害はない」
コルウスさんは部屋の奥からイスを用意してコラックスさんにあてがう。
テーブルをはさんで僕とパメラが並ぶ。向かい側にコルウスさんとコラックスさんが座る形になる。
「ちょうどこの人たちに君の話をしていたんだよ。コラックス。こちらはリオにパメラ、見ず知らずの行き倒れにも手を差し伸べる善良な二人だ」
にゃあ、とスノウが僕の肩に飛び乗ると長い鳴き声を上げる。
「やあ、失礼。お嬢さん。一番の功労者であるあなたを忘れておりました」
コルウスさんはうやうやしくスノウの前足にさわると、長いくちばしをスノウの前足に軽く当てる。
もしかして物語の騎士様みたいにキスしているつもりなのかな。
「さて、本題に入るとしようかな。それでは、コラックス、君の知りえた事実を簡潔に頼むよ」
「この二人もか?」
コラックスさんが仮面のくちばしで僕とパメラを指し示す。
僕たちは医者ではない。行き倒れていた吟遊詩人さんを運んできただけの通りすがりだ。もし、知られてはまずい話というなら僕たちは退散しなくてはならない。
「あの、お願いします!」
パメラが祈るように頭を下げる。
「その、この町はワタシのおばあちゃんに縁のある町なんです。何のお役にも立てないかもしれませんが、だから、その……」
「僕からもお願いします。もし不都合がなければ僕たちにも教えていただけませんでしょうか」
呪い、というのなら僕にとっても他人事ではない。何より、どういう理由があるにせよ罪もない人たちまで苦しめるなんて、放ってはおけない。
「ああ、構わないよ」コルウスさんはあっさりと言った。
「普通の病気とは違うようだからね。ここは色々な立場から見た意見が欲しい。知恵は多い方がいいからね」
なるほど、『七人の賢者が一夜塔を建てる』というところか。
「いいだろう」とうなずいてからコラックスさんは話し始めた。
「聞いていたと思うが、今回の騒動は呪いによるものだ。普通、呪いにはかけた相手と呪う対象がいる。そこの空想家の言葉を借りるなら、かけた相手は横恋慕の魔術師、かけられたのがカエルに変えられたお姫様というところだな。ここまではいいかな」
こくん、とその場にいた全員がうなずく。
「呪いというのは、継続的な魔術だ。『迷宮』にもぐる連中のように炎を出して、はい終わり、というわけではない。そのため、呪いをかけている間は常に魔法を使い続けている状態にある。微弱ではあるがね」
ずーっと使い続けてなくっちゃいけないのか。人を呪うのも大変なんだなあ。僕にはマネできそうにないや。呪うつもりもないけれど。
「我々呪術医が呪いを解く場合は、まず呪いが何なのかを探る。そして呪われた相手を魔術で調べれば、かけた相手をたどることができる。釣り糸を手繰っていけば釣り人にたどりつくようにね」
すると魚がかけられた相手で、釣り針が呪いってところかな。
「だが、今回の場合は誰が、何のために、誰を呪ったのかもわからない。患者を調べて術者を探ろうとしたがどれも途中で切れてしまっている。中には十回近く呪いをかけられている者もいた。籠職人の息子の、たった四歳の男の子がだ」
口調は穏やかで、冗談ぽく語っているようだけれど仮面の奥から強い憤りを感じる。
「手あたり次第、ということですか?」
「おそらくはそうだろうな」
コラックスさんはうなずいた。
「考えられるとしたらこの町に恨みを持つもの、というところだが。あいにくそこまでは私たちの領分ではないのでね」
お医者様の仕事は病気を治すことであり、病気をばらまいたやつを捕まえるのは衛兵の仕事、というわけか。
「それで、呪いを解く方法は?」
「難しいな」
コラックスさんはいまいましそうな口調で言った。
「今も言った通り、呪いがどんなものかさっぱりわからない。一度解いたとしてもまた同じような呪いをかけられるかもしれない。呪いの種類がわからなければ対策の立てようもない。そいつを封じない限り、同じことの繰り返しだな」
うんざり、って感じで天を仰ぐ。
「とりあえず、重篤な患者から優先して解呪を試みているがね。どうにもうまく運ばない。ここには呪い返しの結界も張ってあるから外よりはましだろうが、安心はできないな」
そうなると、やはり呪いを仕掛けた奴を探してとっちめるのが一番手っ取り早いってことか。
参ったなあ。呪いというのは、一度かけてしまえば離れていても呪い続けることができる。
呪いをかけられた人が出続けている以上、この町のどこかにいるとは思うんだけれど、『失せ物探し』でも見つけられるかどうか。
せめて手がかりでもあればいいんだけれど。
「実際ここに運び込まれた患者も少しずつ弱ってきている。何か有効な対策でも立てられればいいんだが、今のところこれといった手がないのも実情だ。呪いの正体をはっきりさせるか、もしくは患者の容体を少しでも回復させる手立てがあればいいんだが」
「あ、そうだ!」ぴょんとパメラが立ち上がる。
「ワタシ、歌います! 患者さんを少しでも元気づけられるように」
「ああ、それはいい」僕も立ち上がる。「パメラの歌ならきっとみんな元気になる。呪いなんてへっちゃらだよ」
「うん、そうよね」
「うんうん」
「あいにくだが」冷や水をぶっかけるような口調でコルウスさんが言った。「ここには苦しんでいる患者が大勢いる。病気ではないとはいえ、医師としてさわがしいマネは許可できないな」
「そうですよね」
「すみません」
二人そろってしょんぼりしてしまう。返す言葉もない。
「なんだ、お前たちは吟遊詩人だったのか」
「君は今頃気づいたのか」
コルウスさんが呆れた声を上げる。
「そこのお嬢さんの抱えているリュートが見えないのか? 第一、ここに来る途中さんざん吟遊詩人を見てきたはずだろう」
「ここまで馬車で直接乗り込んできたんでね。移動も全部馬車だから町はろくに見ていないんだ。病人は歌も歌わないし楽器も弾かないしな」
「オーメロッドは吟遊詩人の町だと言ったはずだが」
「あいにくと、私が興味があるのは病気と病人であって、吟遊詩人の町だろうと騎士の町だろうと……」
そこまで言ってコラックスさんの動きが止まる。表情は見えないからくわしい感情はわからないけれど、わずかに鳥の仮面を上向かせたまま何事か考えているようだ。
「そういうことか!」
がたっとイスをはね飛ばしながら勢いよく立ち上がった。急に大声を上げるものだからパメラがびっくりしている。
「ああ、なんということだこの大まぬけめ! こんな簡単なことにも気づかず、何という体たらくだ。お前の目は節穴ですらない。がらんどうだ。今すぐ墓場へ行って新鮮な目玉でも詰め込むがいい!」
部屋中を歩き回りながらぶつぶつとつぶやき続ける。
かと思えば立ち止まって頭を抱えたり、マスク越しに顔をバシバシ叩いている。表情が見えないから余計に気味が悪い。
「あの、コラックスさん、なにかわかったんですか」
「お前の頭はゴミだ! クモの巣のようにスカスカだ! ちくしょう! オオグモでも捕まえて巣を張ってもらうがいい! 貴様の脳みそよりはましな出来になるだろうさ。少なくともチョウチョくらいは捕まえられるからな!」
ダメだ、全然聞いてない。
「気にしないでくれ。こいつはコラックスのクセのようなものでね。じきに収まる。まあ、害はないからじきに待っていてくれ」
コルウスさんは平気な顔で僕たちにお茶を注いでくれる。
「お二人はどういう知り合いなんですか」
「いとこだよ」コルウスさんは顔をしかめる代わりに大げさに首をかしげる。
「私たちは代々医者の家系でね。分野こそ違えどみんな各地を回ったり、拠点を構えたりして医の道を歩んでいる。コラックスは中でもまあ……変わり者の方でね」
僕たちの横ではコラックスさんは奇声を上げながらその場でくるくる回っている。パメラは今にも泣きだしそうだ。
「まあ、お茶でも飲みなさい。冷めてしまうよ」
「はあ」
コルウスさんにうながされて湯気の立ったコップを手に取り、柑橘系の葉の香りを吸い込みながら口をつける。心地よい渋みと苦みが口に広がる。
「やあ、これはおいしいですね」
「こいつは南の土地でとれた葉でね。私はお茶に目がないので各地を回りながら土地の茶を楽しむことにしている。リオ君はお茶は好きかい?」
「僕は断然たんぽぽコーヒー派ですね」
「ほう、あれはいい」コルウスさんがこくこくとうなずく。「胃や肝臓にいいし、二日酔いや便秘にも効く。熱覚ましにもいい」
「そうなんですよ」
さすがお医者様だ。たんぽぽコーヒーのよさを理解している。母さんもお酒を飲みすぎた翌朝にはよくたんぽぽコーヒーを飲んでいたものだ。
「何より妊婦にはぜひすすめたい。あれには母乳の出を良くする効果もあってね」
「そんなものまであるんですか」
そいつは知らなかったなあ。
僕はコルウスさんがたんぽぽコーヒー談議に花を咲かせていると、パメラが僕の袖を引っ張った。
「ねえ、リオ……あれ、いいの?」
「いいんじゃないかな」
コルウスさんがいい、と言っているのだから多分大丈夫なんだろう。コラックスさんは四つん這いで部屋の中を這い回った後、外へと出て行った。多分、患者のところだろう。
「さ、パメラも飲んで飲んで。こいつはなかなかいいお茶だよ」
「ワタシは遠慮しておきます」
パメラは青い顔で首を振った。
お読みいただきありがとうございました。
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次回は12月20日午前0時頃に開始の予定です。
ちなみにコルウスとコラックスは、どちらかが男でどちらかが女です。