歌おう、感染するほどの喜びを その4
白い尻尾がゆらゆら揺れるのを追いかけながら僕とパメラは橋を渡りきると、角を曲がり路地に入る。
それから左に右にと路地を曲がり、見覚えのある場所に出た。さっき僕が歌おうとして木皿を落っことされた路地だ。
ちょうど僕が演奏していたところに誰か倒れているのが見えた。
スノウはもう一度鳴いて倒れている人のところに走っていく。
僕も後を追った。つばの広い赤帽子に、赤いマント、格好からして吟遊詩人のようだ。白く塗った木の竪琴が側に落ちている。倒れた拍子に壊れたのか、弦が何本か外れている。
顔をのぞき込むと、赤い顔をして荒い息をはいていた。ケガをしている様子もその原因となるものも見当たらない。額をさわってみた。ちょっと熱っぽいかな。
「病気でしょうか」
「わからないけれど、放っても置けないね」
僕はカバンから虹の杖を取り出し、『治癒』をかける。吟遊詩人さんの体が光に包まれる。
「それって魔法の杖ですか?」パメラが感心した風に言った。
「まあね」
光が収まった後、顔を覗き見る。まだ辛そうなままだ。
「ダメか……」
『治癒』はケガだけでなく病気も治せるけれど、限界はある。重い病気は治せない。
虹の杖でもダメなら僕の手には負えない。
腰を下ろし、吟遊詩人さんを背負い、また立ち上がる。
「お医者さんってどこだろう? パメラは知っている?」
「いえ。あ、でも、施療院が教会の隣にあったはずです」
教会では施療院といって、貧しい人たち相手に無料で病気やケガを治す病院を開いているそうだ。
話には聞いていたけれど、行ったことはないから忘れていたよ。
「とりあえず、そこに連れて行こう」
吟遊詩人さんには悪いけれど、お金を持っているようには見えない。それに何の病気かもわからない以上、むやみに連れまわすのはまずいだろう。
「こっちです」
パメラの案内で僕は吟遊詩人さんを担いでいく。
路地を抜けて、大通りに出る。目指す施療院はここから千歩ほど歩いたところにあるという。僕とパメラは速足で人と人の間をすり抜けていく。
「もう少しですからね」
背中の吟遊詩人さんに声をかけるけれど返事はなかった。ぜえぜえと熱い息をはいて苦しそうだ。顔も赤い。三十歳くらいだろう。金色の長い毛を首の後ろで縛っている。僕より頭一つ分くらいは背丈が高いけれど、ひょろりとしているから運ぶのは楽だ。あごの下にはまばらにだらしなさそうなひげが生えている。
それにしても、と僕は辺りをうかがう。さっきから赤い顔をして苦しそうな人をちらほら見かける。施療院に近づくにつれてその数は多くなっていくようだ。背中の吟遊詩人さんのように背負われたり、人や肩を借りながらようやくって感じで歩いている人もいる。
「もしかして、はやり病でしょうか」
「とにかく行ってみよう」
施療院に行けば何かわかるかもしれない。
商店街を抜けて角を曲がると、建物と建物の間から古びた教会が見えた。僕がさっき登った教会より一回りも小さくてぼろっちい。その隣に牛舎のような掘っ立て小屋が建っている。あれが施療院なのだろうか。
「確か、あそこのはずですよ」
パメラの言葉にうなずきながら角を曲がると、僕は目をみはった。
施療院の前は大勢の人たちでごった返していた。
赤い顔をして道に座り込んでいる人、薬を求めて施療院の扉にすがりつく人、赤い顔でうなだれるお母さんの隣で泣きわめく女の子。付き添いの人も含めればざっと五十人はいるだろう。外にいるだけでもこの人数なのだから、施療院の中にいる人も含めれば百人近いかもしれない。
「お願いします、病気なんです」
「どうか、薬を」
「早く治せ! お前ら、こういう時のために施療院やっているんだろう!」
怒号やざわめきがあちこちから飛んでいる。修道士や尼さんたちが施療院の外で寝ている人たちに懸命な様子で話しかけている。
「一体何が……」
僕の隣でパメラが青い顔で棒立ちになっている。施療院は人でいっぱいだけれど、このまま突っ立っていても始まらない。
「とにかく、この人を施療院に……」
「待ちたまえ」
男とも女ともつかない声に後ろから呼び止められた。振り返って、僕は絶句した。
奇妙な姿だった。背は僕より頭半分は高い。つばの広い黒帽子に分厚そうな黒のガウンで頭から足下まですっぽりと覆い隠している。白い長手袋には木の杖を持ち、そして顔には鳥のくちばしのような、白い仮面をつけていた。
肌の見えているところは全くない。まるで鳥の顔をした悪魔のようないでたちに、とっさに剣の柄に手をかける。
「待ちたまえ」
今度は少しうろたえた様子でそいつは言った。
「ああ、さっきのは『立ち止まってくれ』という意味で、今のは『私は怪しいものではない』という意味だよ、少年」
「僕はオトナですよ」安心したわけではないけれど、敵意はないようなので剣の柄から手を離す。
「それであなたは? 仮面舞踏会ならおそらくこの町の領主様のところだと思いますよ」
「違いますよ」パメラが僕の袖を引っ張る。
「この方はお医者様です」
「お医者様?」
医者ならもちろん僕も知っているし、村を出てから何人か見かけたけれど、こんなみょうちくりんな格好なんてしていなかった。
「以前、ワタシの村ではやり病が出たときにこういう人をお見かけしたことがあります。その……格好はちょっとおっかないですけど」
「一応、この格好にも意味があってね」仮面の奥で苦笑する気配がした。
「病気をもたらす毒の中には、さわったり、患者のセキやくしゃみからうつるものもある。そうならないよう、分厚い服を着て、仮面を付けて病気がうつらないようにしているのだよ」
医者は病気を治すのが仕事だ。それが病気では患者を治せない。だから人一倍健康に使っているというのは理屈に合っている。
「でも、どうしてよりにもよってそんな仮面を?」
もっとかわいい仮面だってあるだろうに。猫とかさ。
「空気の中に毒が混じっていると言っても、私も息をしないといけない。だからこのとんがりの奥には薬草や毒消しや香辛料をたっぷりつめこんでいる。そうして空気の中にただよう毒を清めているのだよ」
そう言いながらくちばしのあたりを指でなでる。なるほど。僕から見ると、おかしな格好でもちゃんと意味はあるんだ。
「申し訳ありませんでした」
失礼な勘違いに深々と頭を下げる。僕がもの知らずなばかりにとんだご迷惑をかけてしまった。
「いや、わかってくれたならそれでいい」
お医者様は照れくさそうに仮面の頬のあたりを指でなでる。
「まったく、君が剣を構えた時にはどうなるかとひやひやしたよ。私は気が小さいのでね。あまりおどろかさないでくれると助かる。ほら、いかにもそういう顔をしているだろう?」
「はあ」なんと返事していいかわからない間の抜けた声を出してしまう。
「あの、それで待ってくれ、というのはどういう意味なのでしょうか?」
パメラが横から話しかけてきた。
「見ての通りだよ。施療院はごった返している。行っても門前払いか、日が暮れるまで待たされるのがオチだ」
「でも……」
お医者様はかがみこむと、吟遊詩人さんの顔に触れて、口や目の裏をのぞき込む。
「やはりな」仮面の奥から確信に満ちた声がした。
「付いてきなさい」黒衣のお医者様は背を向ける。
「すぐそこに私の泊まっている宿がある。ベッドもたくさんある。そこまで案内しよう」
パメラが僕の方を見る。この人を信用していいものか、と質問しているような目だ。
医者なのは確かなようだ。けれど、医者がみんな善人とは限らない。悪い人もたくさんいるだろう。
でも、僕が失礼なことを言っても全く怒らなかった。少なくとも気の短い人ではなさそうだ。
それにほかに行く当てがないのも間違いない。
「お願いします、ええと……」
「コルウスだ」お医者様は肩をすくめた。
「できれば名前で呼んでくれると助かる。こういう格好をしていると、名前で呼んでくれる人は少なくてね。ちょっとさびしくなるのだよ」
僕とパメラが連れてこられたのは、教会から少し離れた平屋の大きな建物だ。玄関の横には看板が掛けてある。どうやらこの町の商業ギルドの集会場のようだ。どうしてこんなところに、と不思議に思ったけれど、コルウスさんは構わず中に入る。
中に入ると、天井の高い建物の入り口から奥までベッドが二列で並べられている。三十はあるだろう。
半分以上はすでに埋まっていた。寝ている人はいずれも赤い顔をして荒い息をはいている。
「そこに寝かせてくれるかな」
コルウスさんに指定された、一番奥のベッドに吟遊詩人さんを寝かせる。まだ苦しそうだ。呼吸もさっきよりも少しひどくなっているような気がする。コルウスさんの指示で、白い服を着た女の人が手袋をしながら吟遊詩人さんの汗を拭き、水差しで水を飲ませてあげる。少しすると、心なしか落ち着いてきた気がする。
「薬湯を飲ませたから少しは落ち着くだろう」
「ありがとうございます」
僕たちは頭を下げる。コルウスさんは悪人でもなければ、やぶでもなかったらしい。
「それで、ここは……」
「私の仮の診療所、といったところかな」
帽子を外し、黒い布に包まれた頭を指先でかく。
「私は、はやり病専門の医者でね。求めに応じて各地を訪問し、病の治療に当たっている。この町に来たのもこの病のためだ。そこの彼は君たちの家族かい?」
「いえ、違います」
僕は吟遊詩人さんを見つけた経緯を簡単に説明した。
「ほう、すばらしい」
コルウスさんは大げさに両手を広げて見せる。
「今時感心な子供たちだ。よかったら、お茶でも飲んでいくかい? 話も聞きたいからね」
「病人を放っておいていいんですか?」
あと、僕はオトナですよ。お医者様が大人と子供の区別もつかないようじゃ困るなあ。
「少しくらいならいいさ。ここに重篤な患者はいないからね」
コルウスさんは診療所を見回しながら言った。
「それに、私の出る幕はなさそうだ」
僕たちは別室に通された。部屋の隅では豪華な作りのイスやテーブルに布がかけられている。代わりに書物や紙の束が載ったテーブルに、向かい合わせのイス、奥にはベッド。
どうやら商業ギルドの応接室か何かを仮の診療室にしているらしい。
「実をいうとね、この症状は今日に始まったことではないのだよ」
コルウスさんによると、事の始まりは一月ほど前。
とある商家でお店の人が倒れる、という事件が起こった。ケガもないことから病気ではないかと、町の医者が調べたものの原因はわからない。病気の元となるような毒や食べ物も全くつかめなかった。そうこうしているうちに、別の場所で次々と同じ症状の人たちがばたばたと倒れ始めた。病気になったのも旅の吟遊詩人から、町はずれの墓守、商家の娘さん。共通するような食べ物も場所も見当もつかない。このまま病が広まれば、町に人が来なくなる。そうなれば吟遊詩人の町は寂れてしまう。
「そこで商業ギルドが私を呼んだのだよ。病の原因を突き止めるためと、その対策にね。今までは患者の数も二三日に一人ずつだったが、今日になっていきなり何十人にもふくれあがった。それで町の様子を見に出たところで君たちと出くわしたということだよ」
なるほど。対応が早かったのはそのためか。あそこに居合わせたのも偶然じゃなかったんだな。
「それで、何かわかったんですか?」
「そうだね」とコルウスさんは首をひねった。
「とりあえず原因が何なのかはわかった、かな」
「何なんですか?」
「これは病気ではない」
僕とパメラは、ほぼ同時に声を上げた。
「病の元となるような毒も傷もまったく見当たらない。熱もない。むしろ健康そのものだ」
「でも、あんなに苦しがっていたじゃありませんか」
僕の疑問にコルウスさんは真っ白な鳥の仮面をはめなおすと、静かな口調で言った。
「これはおそらく、呪いの類だね」
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次回は12月16日午前0時頃に開始の予定です。