王子様、あらわる その6
ひげもじゃはすごんだ声を出しながらナイフの腹で僕の頬をぴたぴたと叩く。
ひげと同様にちぢれた髪からは垢っぽい臭いがした。
「お風呂代ならそんなもの使わなくっても貸してあげるけど」
「金じゃねえ、黙ってついてくりゃあいいんだ」
ひげもじゃは僕を路地まで引っ張り込むと後ろに回り込む。背中に硬くとがったものが当たる感触がした。
「歩け」とひげもじゃが命令する。刺されるのはイヤなので言われたとおり、路地の奥へ歩き出す。
さて、どうしようかな。
手際の良さから考えて、僕を待ち伏せしていたのは確かだ。『贈り物』を使えば逃げるのは簡単だけれど、相手の目的がよくわからないままでは、いつまた追いかけられるか知れたものじゃない。今のところは従っておくのが良さそうだ。
建物と建物の間、暗い路地の中をひげもじゃと二人歩いていく。暗い道を二人で歩いているのは昨日の夜と同じだけれど、全然楽しくない。三回ほど、道が二股に分かれたけど、その都度ひげもじゃが「右に行け」とか「今度は左だ」とか指示を出す。
やがて道が明るくなり、路地を抜けた先に見えたのは幌馬車だった。幌も糸がほつれていたり、荷台や車輪にもくすみやキズが見えたり、ずいぶん年季が入っているように見えた。馬車のぼろっちさとは裏腹に、馬車を引く二頭の馬は毛の色艶も良く、元気そうだ。
ひげもじゃは僕から杖とカバンを取り上げ、剣を帯ごと引っぺがす。そしてマントを剥ぎ取ると「乗れ」と僕の背中をドスンと押した。
僕は黙って荷台に乗り込む。先客がいた。顔を黒い布で覆い、服もゆったりとした黒服の人だ。顔を隠しているけれど、僕にはすぐわかった。昨日、僕の後をつけてきた黒服さんだ。黒服さんは荷台から縄を取り出すと僕の背後から両手首をつかみ、ぐるぐると縛りあげる。
「今日はネズミさんと一緒じゃないんですね。カゼでも引いちゃいましたか?」
僕が振り向きながら話しかけると、黒服さんが顔を上げる。その眼にほんの一瞬、疑問の色が浮かぶ。
あれ、違ったかな?
ほんの少し手を止めたものの、黒服さんはまた僕の手を縛り始める。
「あの、これってもしかして人さらいってやつじゃないかな」
尋ねてみたけど返事はなかった。
「これって悪いことだってわかっているよね。僕をどこかに売り飛ばすつもりならそれは間違いというものだ。今のうちに謝るんなら僕にも慈悲というものが……」
話の途中だというのに黒服さんは僕の口を布でふさぐ。
おかげでくぐもった声しか出なくなってしまった。
外にいるひげもじゃが馬車の前に回り込む気配がした。と同時にムチの音がして馬車が動き出した。ひげもじゃが御者らしい。どうやら敵は二人組のようだ。カタカタと車輪の音が車内に響く。
馬車の中には黒服さんと僕の二人だけだ。
黒服さんは見張り役らしく、油断なさそうな目つきで僕を監視している。少しでもおかしなそぶりを見せれば腰の後ろに差した短剣を抜くつもりだろう。ま、暴れるつもりはないけどね。
町には人さらいという悪い人がいて、子供や女の人を遠くへ売り飛ばすと聞いたことがある。
まさか町についた翌日に出くわすなんて僕もつくづく運が悪い。
けど、僕はオトナなのにさらわれるというのはどうしたわけだろう。
馬車の外からは町の人の朝の挨拶や呼び声が聞こえてくる。平和で穏やかな雰囲気が伝わってくる。まさか、あの人たちもこの馬車の中に人さらいと、さらわれた僕がいるなんて想像もしていないのだろう。
けれどこの人たちは普通の人さらいとは違うようだ。伯爵の家来がお金目的とも思えない。
さて、どこに向かっているのかな?
がたんと馬車が一度停まった。着いたのかな、と思っていたら再び走り出した。すると馬車の揺れと、車輪や蹄の音が柔らかいものに変わる。どうやら町の外へ出たらしい。
犬のように鼻をくんくんさせると、草と樹の匂いがした。馬車がわずかに傾いているところからすると山道を登っているのだろう。どこまで行くのか聞いてみたいけれど、黒服さんは黙ったままで話しかけてこない。退屈だ。ちょっとうんざりしかけたところで馬車が止まった。
「降りろ」という黒服さんの命令に従い、馬車を下りる。
目の前にあったのは森の中にある屋敷だった。二階建てのとんがり屋根に、白い壁。二階には手すりのついたテラスがあって、白い丸テーブルとイスが置いてあるのが見えた。貴族の別荘って感じだ。
御者台から降りたひげもじゃが僕の横でせせら笑う。
「騒いでもムダだぜ。ここらにゃあ誰も近寄らねえからなあ」
僕は肩をすくめた。舞踏会への招待にしてはちょいと手荒すぎるかな。
ひげもじゃは僕の首筋にナイフを突きつける。
「おとなしくしてた方が身のためだぜ」
別に怖くもなんともないけれど、屋敷の前に立っていても仕方ないのでお招きにあずかることにした。
黒服さんを先頭に、ひげもじゃの間に挟まれ、連れて行かれる。
屋敷に入るかと思いきや、屋敷の外をぐるりと周り、裏手に出る。すると大きな騎士の石像の側に地面に四角い扉が見えた。黒服さんが扉の取っ手を引っ張ると、地下への階段が現れる。黒服に続いて僕とひげもじゃも地下へ入る。
十段ほどの階段を降りきると、石の狭い通路が続いているようだった。真っ暗で先も見えないなあと思っていると、ひげもじゃが火打石を取り出し、階段横に据え付けてあるろうそくに火をつける。火のついたろうそくを燭台ごとを壁からはずすと先頭を歩きだす。
二十歩ほど歩いたところで右側に鉄の扉が現れる。ひげもじゃは扉の前で足を止めると、黒服さんが前に出て腰から鍵束を取り出した。僕たちに背を向け、カチャカチャと鍵を開けに掛かる。
鍵がいっぱいだけれど、ほかの部屋のもあるのかな?
もしかして、宝の部屋とかもあるのかな?
「ジャマするんじゃねえ!」
黒服さんの肩越しに鍵束をのぞき込むと、すぐにひげもじゃが僕を引きはがす。もっと見たかったのに。
かちゃんと鍵の空く音がして、鉄の扉がきしみを上げる。
ここが舞踏会の会場かな?
「とっとと入りやがれ」
どん、とひげもじゃが僕の背中を押した。部屋の中まで突き飛ばされ、たたらを踏んで何とか倒れないでいると、背中から扉のしまる音がした。
「そこでおとなしくしているんだな」
扉の上の方に小さな四角い窓からひげもじゃのひげと口が見えた。
かしゃんと窓が横に閉まる。さっきは気づかなかったけど、外から開け閉めできるようになっているようだ。
立ち尽くす僕を置いて、二つの足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
地下の割には明るいと思ったら、天井近くに鉄格子の入った細長い窓があって、そこから日の光が差し込んでいる。
さて、と僕は改めて舞踏会の会場を見渡す。広さは昨日泊まった部屋と同じか、少し小さい。部屋のすみにはベッド代わりのワラが積んである。ワラはくさって黒いカビが生えている。変な臭いがすると思ったら、部屋の奥にトイレ用の穴がある。仕切りもお尻をふくものもない。
なるほど、ここは牢屋みたいだな。
昔、近所のルエラおばさんから「悪いことをすると牢屋に入れられるよ」とおどかされたことがある。僕が「牢屋ってなあに?」と聞くとおばさんはちょっと声を低くして「暗くて狭くて汚くて悪いことをした人が入れられるところよ」と答えた。
僕はそれを聞いてからどんなところか一度入ってみたかった。けれど、そのために悪いことをするつもりはなかったので、十五歳になる今の今まで入ったことはなかった。なるほど、ルエラおばさんの言うとおり暗くて狭くて汚いところだ。でも、ルエラおばさんは一つだけ間違っている。悪いことをしなくても牢屋に入れられることもあるってことだ。
こんなところにずっと閉じ込められていたら気がめいってしまう。おまけに天井には変な模様まで書いてある。天井いっぱいの円の中にコウモリの羽根に二匹の蛇がとぐろを巻いたようなおどろおどろしい紋様が書いてある。
僕は平気だけど気の小さな人や、ちっちゃな子供だったら泣いてしまうかもしれない。
こんな紋様で怖がらせるようなんて、せこいことをするもんだ。
実際に入ってみて、僕の好奇心ってやつも満たされたのでさっさと出ることにしよう。
僕は服の下に手を入れ、短剣を取り出す。さっき黒服さんが背中を向けた時に失敬しておいたのだ。鍵束も借りられればてっとり早かったんだけど、しっかり握っていたからちょっとできなかった。
短剣で両手首の縄を切り、口を覆っている布を外す。ちょっと赤くなっている手首をさすると、鉄の扉に近付く。
「おーい、すみませーん」
何度か呼びかけてみたが反応はない。もう地上へ上がってしまったみたいだ。なら、次の手段だ。
何か使えるものはないかとワラの中に手を突っ込むと、先の折れた木さじが見つかった。ちょうどいいや。
寝床をあさり、比較的乾いているワラを窓際に集める。その後で短剣で木さじを削り、細かな木くずにする。それを火種にして、さっきひげもじゃから失敬しておいた火打石でワラに火をつける。
二三回こすりあわせたところで、パチパチと音がして、ワラが燃え出した。ワラが湿気ているせいか、火はそれ以上たいして燃え上がらず、くすぶったままけむりだけが立ち上る。もくもくと上がるけむりは鉄格子のすきまから窓の外へと出ていく。
「げぼっごほっ、ちょっとけむいや」
早く気付いてくれないかなあ、とうんざりしかけたところで人の走ってくる気配がした。このせわしない足音は、ひげもじゃだな。
「頭がおかしくなったか、てめえ……」
のぞき窓から顔をのぞかせたひげもじゃが目を真ん丸に見開く。
「どこだ、どこに消えた!?」
あわてた様子で鍵を開ける。這うように部屋に飛び込むと首を前後左右に動かし、天井や床、トイレや焦げたワラの中まで探すけど、もちろん『贈り物』を使っている僕の姿は見えていない。さっき僕が切った縄の切れ端が床に落ちているだけだ。
ありがとう、おかげで出られるよ。
僕はそのすきに開けっ放しの扉から通路に出る。
部屋の中ではひげもじゃがまだ僕を探して右往左往している。
「あのこぞう、魔法は使えないんじゃなかったのか!?」
うん、そうだけど。
僕は魔法なんて使えない。
「おやっさあん!」
ひげもじゃは僕を追い抜いて地上への階段を駆け上がる。
僕もその後から日の光の下に出る。頬や服についたすすを払い落とすと、ひげもじゃの向かったのと同じ方角、馬車の方に向かう。
「おやっさん、大変だ。小僧がいねえ! 逃げやがった!」
黒服さんとひげもじゃは馬車の荷台の側にいた。黒服さんは僕のマントとカバンを持ったまま、ひげもじゃの話を聞いている。
「わけがわからねえ。部屋からけむりが上がったと思ったら本当にけむりみてえに消えちまって……」
「部屋の中は? 見落としはなかったのか」
「あんな狭い牢屋で見落としなんかするもんですかい! こんなことならやっぱりこの薬で眠らせておきゃあ……」
ひげもじゃが緑色の小瓶をつまみながら舌打ちする。中身は眠り薬かな?
「いいから探せ! 私は屋敷を探す、お前は周りを当たれ」
黒服さんは馬車の荷台に僕のマントとカバンを放り投げると僕の横を通り過ぎて、屋敷の方へ走っていった。すれ違う瞬間、僕は持っていた短剣を服の裾で拭い、黒服さんの腰の鞘に戻しておいた。ついでに火打石もひげもじゃのズボンのポケットに入れておく。
僕はどろぼうじゃあないからね。借りたものはきちんと返さないと。
誰もいなくなった馬車の荷台からマントとカバンと杖と剣を取り返す。キズや盗まれたものがないのを確認してから身に着け直し、屋敷の中に入る。
逃げるのは簡単だけど、僕にはやらなくてはいけないことがある。
僕を閉じ込めるように指示したのは間違いなくあの人だろう。黒服さんもひげもじゃも、その命令通りに動いただけだ。単に逃げ出してもまた、捕まって牢屋に入れられるかもしれない。
そんなのはゴメンなので、あの人と対決し、二度と人さらいなんてしないようにこらしめてやらないといけない。決意を固めながら僕はバートウイッスル伯爵家の屋敷に入った。
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